第3話

「心臓のドナーが見つかりました」


 そう医師から告げられたのは、中学2年生の8月だった。

 僕は重い心臓の病気を持っていて、ドナー待ちだったのだ。このままドナーが見つからなければいつ死んでしまってもおかしくない状況だった。


 両親は泣いて喜んだ。僕も、まだ生きたい、という気持ちはあったので、素直に嬉しかった。

 けれど、心臓を提供されるということは、誰かが犠牲になっている。そのことは忘れないようにしなければいけなかった。

 だから僕は、人生を精一杯楽しむことにした。術後のリハビリは結構大変だったけれど、耐えきった。それがせめてもの恩返しだと思ったから。


 そしてその頃から、僕はずっと目を逸らし続けていた。「そんなわけない」と。



 家に帰ってすぐ、スマホを取り出した。もちろん「あの事故」に関することを調べるためだ。

 検索するとすぐに出てきた。「岩手 バスが橋から転落 死傷者多数」のネット記事だ。

 スクロールしていくと、「死傷者名簿」があった。そして重傷者の欄に「泉咲麗子」の文字。……これでもう逃げられない。目を逸らすのは、やめる。


 僕は彼女ときちんと向き合うことにした。

 まず、あの本を探し始める。僕たちが出会うきっかけになった本。彼女が、大切な親友のために書いた本。家にないはずがなかった。

 そして案の定すぐに見つけ出すことができた。僕の部屋の本棚の中に、ひっそりと佇んでいた。

 僕はその、『個性』というタイトルの本を開く。



 これは「あったかもしれない」話。


 人類が、ひとつも欠如していない「完全体」と、何か一つでも欠如しているものがある「欠陥体」で住み分けられている世界。

 元々「完全体」だった主人公の少女は、あることがきっかけで「欠陥体」に認定されてしまう。

 見た目は「完全体」と変わらないことをいいことに、少女はこっそり2つの世界を行き来する。そうしているうちに、「完全体」と「欠陥体」で違いはほとんどないことに気づき始めた。

 「完全体」が住む世界で、1人の少年と出会う。彼は少女の前であるものを見せる。それは、義足だった。

 家族と離れたくないため、「欠陥体」にはなりたくないと必死で隠してきた。

 少女は「おかしい」と思った。見た目だって内面だって、全て一人一人の特徴じゃないか。どれが「完全」でどれが「欠陥」かなんて、誰かに決められてはいけないはず。

 そこで少女は、行動に移すことにした。

 まずは少年を説得して仲間になってもらった。そして、「完全体」と「欠陥体」の定義が曖昧なのを利用して、知っている人を片っ端から「欠陥体」であると告発してもらう。

 例えば「目が悪い」とか、「言葉遣いが悪い」とか、必ず一人一つはある「欠点」を突くのは簡単だった。

 少年の家族も協力してくれた。そしてたくさんの「完全体」の人々を「欠陥体」にした。

 紆余曲折を経て、世界のほとんどの人々が「欠陥体」となった。そして世界をまとめあげている人が、「住み分けをするのを辞める」と言った。少女の目論見は成功したのだ。

 少年は協力していくうちに少女に惹かれていった。そして目論見が成功した後、「君が好きだ」と告白をした。

 少女は首を振った。彼女が「欠陥体」となってしまった理由は、「自殺未遂」をしたからだった。自分のことすら愛せない自分に、他人を愛することは出来ない、と言った。

 

「じゃあ、僕がその分君を愛する。君のいいところを、これからたくさん教えてあげる」


 少年はそう言って少女を抱きしめた。


 壁が取り払われた世界は混乱した。各地で暴動やテロが起こるようになった。

 それでも少年と少女は、きっと世界はひとつになれる、平和になる、と信じた。


 しばらくして、「個性」という言葉ができた。「一人一人が違うことを理解して、その違いを愛する」という意味だ。

 人々を、何かで区別することはできない。だって全員が全く違うのだから。

 皆がそれに気がつく日は、きっと遠くない。



──こんな話、大人に書けるわけがないじゃないか。あまりにも純粋で、都合がよくて。でも。

 気がつくと涙が溢れていた。少し恥ずかしくなって、それを腕で拭う。そして、決意する。



 次の日、僕はいつもの場所に向かった。連絡先は交換しているけれど、昨日は連絡が来ることはなかった。でもきっと来てくれると信じて、ベンチに座って待つ。


 そしていつもの時間。見回すと、杖をついた人がこちらに来るのが見える。間違いなく、僕のよく知る彼女だ。

 彼女は無言で正面を向いたまま、僕の隣に座った。僕は、それを確認したあと、立ち上がった。


「昨日はごめん。逃げたりなんかして。……もしよかったら、話の続き、してくれないかな」


 僕がそう言うと、彼女はゆっくりとこちらを見た。そして、


「ありがとう、来てくれて。……座ってよ」


そう言ってくれたので、僕はまた座った。


「あの事故の日、私はバスの通路側、咲麗子は窓側に座ってたの。それで、バスが落ちたとき、右の窓側の人が最初に身体を打ちつけた。それが、咲麗子の側だった。……本当に不運だった」

「……うん」

「咲麗子を東北旅行に誘ったのは私なんだ。私が彼女を殺したのと一緒。だから、この杖と死ぬまで過ごすことが、せめてもの償いなの」

「それは違うよ」

「え?」

「だって君と旅行に行くことを、彼女は、泉咲麗子さんは、すごく楽しみにしてたんだ。君は彼女にとってとても大切で、そして……」


 僕はこの先を言おうとして、やめる。これを僕が伝えるのは、何かが違う気がした。


「どうしたの?」

「……なんでもない」


 そして一拍置いて、尋ねる。


「あのさ、いつから気づいてたの?」


彼女は一瞬目を見開いてから、答える。


「……ええと、出会ったとき、似てるなって思ったの」

「泉さんと、僕が?」

「うん。それで立花くんから、心臓移植を受けたって聞いて、居てもたってもいられなくて、私が入院していた病院に行ってきたの。勘のようなものだから、確証は全く無かったけれど。思い違いならそれでいいやって」


 確かに、入院中のエピソードを語り合っていた時に心臓移植のことは話した記憶がある。その時の彼女の反応は、ちょっと覚えていないけれど。


「咲麗子と私の担当医の人が一緒だったから、何回も話したことはあったの。でもまともに聞いたら絶対教えてくれないと思って、こう聞いた。『はい、か、いいえ、で答えてください。咲麗子の心臓の移植先は、立花凛空という人ですか』って」


どくんどくん。


これは誰の鼓動だろう。


「そしたら、そのお医者さんの顔色は、面白いくらいに変わった。答えてくれるまでもなかったよ」


 僕は何も言えなかった。頭の中にあった外れかかった知恵の輪から、強引に解放されたような感じがした。

 そして彼女は続ける。


「この話は、本当は誰にもしないつもりだった。でも、立花くんが私に思いを伝えてくれて、『言わなくちゃ』って思った。……勝手に聞きに行って、そして隠していて、ごめんなさい」


 彼女に頭を下げられた僕は、その頭の上に、ぽん、と手を置いた。


「教えてくれて、ありがとう。知らないままだったら、泉さんに申し訳ないから」


そして、人目も気にせずに、彼女を抱きしめた。

 温もりが伝わってくる。2人の鼓動が合わさる。


「ありがとう……ありがとう……」


 彼女は静かに、僕の腕の中で嗚咽していた。



「……それでね、咲麗子って、すごく綺麗だったでしょ」


 落ち着いたあと、僕たちは泉さんのことについて語り合っていた。


「だからとっつきにくくて、友達が全然できなかったの。私は幼なじみだったからずっと仲が良かったけれど、中学校が離れちゃってから、学校ではいつも1人で過ごしていたみたい」

「……そうだったんだ」


 薄々気づいてはいたけれど、やっぱりか。


「だから、『友達ができたかもしれない』って言われたときはほっとしたな。どんな人なのかは気になったけれど」

「友達、か。……そういえば、僕と泉さんが出会ったのも、あの本がきっかけだったな」

「そうなの?」

「うん。でも彼女は自分が書いたんじゃなくて、親友が書いたって嘘をついていた」

「あはは、咲麗子らしいな。きっと自分が作家だって分かったらひかれると思ったんだよ」

「……感想、もっとちゃんと言えばよかった」

「うん。実は私もちゃんとは言えなかったの。この本、私が落ち込んでいるときに書いてくれたものだったのに」

「へえ。……もしかして、自殺未遂したの?」

「ええと、流石にそこまではしていないけれど、それはもうひどい精神状態で──」




 心臓などの臓器を移植されると、ドナーの人の記憶が受け継がれることがあるらしい。

 確かに、導いてくれたのは泉さんかもしれない。でもこの気持ちは、僕自身のものだと信じたい。


どくんどくん。


 これは誰のものでもない、僕自身の鼓動だ。少し手が震えているけれど、大丈夫。ちゃんと言える。


「ねえ、改めて言わせて」

「うん」

「……君のことが好きです。僕とお付き合いして頂けませんか?」

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