第三部B面 空の繋がった日4
竹流は菜穂の方を向いたまま立ちつくしていた。
当然の反応だ。ソシャネ病感染者のはずの彼女がここにいるのだから。
ボクだってスマホの中身を見るまでは信じられなかった。
「どういうことだよ。これ」
「早い話が、菜穂は感染者なんかじゃなかったってこと」
「そんな……どうして……?」
「それは彼女に聞いた方が早いと思う」
ボクはポケットから彼女のスマホを取り出した。
そして竹流の脇を素通りして彼女の元へと歩み寄る。
ボクが目の前に立つと、菜穂の肩がビクッと震えた。
俯きがちな顔は青ざめていて、スカートの端を掴む手と足が少し震えていた。
ボクはそんな彼女を安心させるように微笑みながらスマホを差し出した。
「このスマホ……菜穂のであってるよね」
「…………」
「大丈夫。竹流には見せてないよ。見たのはボクだけ」
ボクがそう言うと菜穂は意を決したように顔を上げた。
そしてゆっくりと手を伸ばしてスマホを受け取った。
竹流はその光景に完全に唖然としていた。
「これが真実だよ。菜穂はソシャネ病なんかじゃなかったんだ」
「だって、川村は菜穂が誰かと頻繁にメールのやりとりをしていたみたいだって……」
竹流が川村君の方に視線を送ると、川村君は頷いた。
「彼女がスマホをタップしている姿をよく見てた。あれはなんだったの?」
「それも彼女のスマホを見れば一目瞭然だった。……ボクの口から話していい?」
菜穂に確認すると、彼女は静かに頷いた。
「わかったよ。……菜穂はたしかにトークアプリでメッセージを打っていた。だけど、それは誰かとやりとりをしていたわけじゃなかったの。そのトークルームには彼女以外誰もいない。彼女が一人で書き込み続けていただけんだから」
「えっ、一人で?」
「そう。もっと正確に言えば送れてさえいなかったんだけどね。だって相手は彼女のメッセージを受け取ることも、彼女に返信することもできない相手だったから」
「もしかして……その相手はもう死んでるから……とか?」
真顔でそんなことを言う竹流にボクは苦笑してしまった。
いくらなんでも鈍感過ぎる。
これじゃあ彼女も報われないだろう。
「あいかわらず朴念仁だね……。死人じゃなくたって、そもそもケータイ不携帯な相手にはメッセージを送り合うこともできないでしょ」
「ああ……って、それって……」
そう、菜穂は竹流にメッセージを送り続けていたんだ。
トークアプリの中にあったのは、大量の竹流に送りたかったメッセージたちだった。
菜穂は口下手で引っ込み思案だ。
言いたいことを直接伝えられないことも多かっただろう。
その点、トークアプリなら直接顔を合わせなくてもすむ。
本当は竹流とメッセージのやりとりがしたかったのだけど、竹流はソシャネ病流行前から携帯端末不携帯気味で、持とうとしなかったからできなかったんだ。
その抑えきれない衝動があの大量の未送信メールというわけなのだ。
さすがにルームにズラッと並んだメッセージの数々にはちょっと引いたけど、一つ一つは日常のなにげないやりとり程度のものでしかなかった。
だからこそ、それがかえって彼女の淡い恋心を物語っているような気がした。
それほどまでに菜穂は竹流のことが好きだったんだから。
「なんで……どうして菜穂は感染者のふりなんか……」
動揺する竹流に、ボクは静かに首を横に振った。
「……大体の見当はついてる。だけど菜穂の口から聞きたい」
「…………」
ボクらは一斉に菜穂の方を見た。
そして彼女が口を開くのを根気よく待った。
永遠に続くかのような沈黙を挟んで、菜穂はついに口を開いた。
「感染者だったら竹流君の返事を聞かなくてすむから……」
久しぶりに聞いた菜穂の声。
いつかと同じ穏やかで優しい声色。
ようやく、その声を聴けたことが嬉しくて……そして切なかった。
「あの日、部長と竹流くんのやりとりを聴いてしまって、私は竹流くんの気持ちを知ってしまいました。私が告白しても絶対に断られるということも……」
「それに関してはボクが一方的に悪かったよ。竹流の気持ちにも自分の気持ちにも気付かず、挙げ句の果てに菜穂の気持ちまで踏みにじっちゃった。ごめん……」
「いえ……私も部長の気持ちに気付きませんでしたから……。……そして私は私の気持ちに竹流くんが気付いているということも知ってしまいました」
まさか……菜穂はボクが竹流に言ったことを聞いていたの?
『明日のバレンタインデー……あの子は君にチョコを渡すはずだよ。そして自分の気持ちを伝えるはず。男ならしっかり応えて上げなさいよ』
立ちくらみにも似たような感覚に襲われる。
あぁもう、ボクのバカ! すべての元凶はボクじゃないか!
「だから私は竹流君のことを避けました。私の気持ちを竹流くんは知っていて、竹流くんが誰を好きなのか私は知ってしまった。後はもう……断られるだけですから」
それで折良く蔓延したソシャネ病に掛かった振りをした。
竹流のことを避け続けていていれば、答えを聞かずに済むから。
……うん。やっぱり、ほとんどボクのせいじゃないか。
今日ほど自分のバカさ加減に嫌気が差した日もないよ。
竹流はと言えば呆然とした表情立ちつくしていた。
そんなとき、べつのほうから声がとんできた。
「バッカじゃないの」
黙って話を聞いていた須藤くんが菜穂に冷たく言いはなった。
「返事を聞きたくないから避ける? それでなにが変わるんだよ。避けてれば返事の内容が変わるのか? それで菜穂ちゃんは満足なのか? ……満足するわけがないだろ。結果として竹流と柄沢を苦しめただけだ。一体誰が幸せになれるよ」
「須藤くん!」
言い過ぎだと思う。しかし菜穂は黙って聞いていた。
須藤くんは肩をすくめるとそれでも彼女と真っ直ぐ向きあった。
「だけど一番苦しいのは二人を苦しめている菜穂ちゃん、キミ自身だろ。キミは二人を傷つけて平穏でいられるほど、神経図太くも面の皮が厚くもないはずだ。二人が苦しめば苦しむ分だけ、キミ自身も苦しんだはずだ。声を掛けてくる竹流を無視するたびに、君の胸も堪えようがないくらい痛んだろう。誰も救われない」
ああそうか……これが須藤くんなりの優しさなんだ。
言い方は多少きついけど、菜穂のことを案じている気持ちが伝わってきた。
見れば菜穂の頬に涙が伝っていた。
須藤くんくんは菜穂のために語り続けた。
「どうしても竹流が諦めきれないっていうならそれでもいい。二人が破局するまで待つのもいい。女を磨いて略奪するのもいい。だけどそのためには一度しっかりと返事をもらわなくちゃダメだ。そうじゃなきゃリスタートは切れないよ……」
「はい……」
菜穂は両手で顔を押さえて泣き出した。
ボクは隣にいる竹流を見た。竹流の目にも涙が溜まっていた。
「ほら竹流、キミもなんか言うことはないの?」
「え? ……あー……そうだな。言いたいことは色々あったはずなんだけど……そんなことよりもいま、嬉しいんだ。菜穂と話ができることがさ」
そう言うと竹流は泣きそうな顔のまま笑った。
ボクもつられて笑う。
竹流のこんな表情を見るのは久しぶりだった。
「そうだね。形はどうであれ、ようやく一人、繋がりを取り戻せた」
そしてボクはおもむろに空を見上げた。
そのときだった。
「っ!?」
暮れなずむ空にソレを見つけたのは。
「なん……なの。あれ……」
ボクの声にみんなが一斉に空を見上げ、絶句するのがわかった。
夕日は遙か西に沈みかけ、星が光り始めた紺色の中天に、
―――青白く輝く“光の線”が無数に走っていた。
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