第三部B面 空の繋がった日2
放課後になって、ボクは生徒会室を訪れていた。
明日香の番組降板と、その後任について珠恵会長と相談するためだった。
生徒会室とは言ってもあるのは長テーブルとパイプ椅子だけで、ボクは珠恵会長こと岩崎珠恵先輩とテーブルを挟む形で向かい合っていた。
珠恵会長はウェーブの掛かった髪をかき上げながら、プリントに目を通していた。
女のボクが見ても珠恵会長は美人だと思う。
明日香が大和撫子なら、珠恵会長はプリンセスといった感じだ。
ボクが苦労して作ってきた報告書に目を通したあとで、珠恵会長は切り出した。
「生徒会としても森本さんの意志を尊重します。軽音楽部……ですか?」
「はい。明日香もそれを望んでいるんだと思います」
明日香は軽音楽部に入りたがっている。
もっとも、明日香が望んでいるのは建部君と一緒にいることなんだろうけどね。
好きな人と一緒にいたいと思うのは女の子なら当たり前の気持ちだ。
できることならボクだって……って、こんなときになに考えてんの、ボクは。
気を取り直すように頭を振って、ボクは珠恵会長に言った。
「明日香が選んだことですから、引き止めたくないです」
「ですが……後任がいない状況では『GOO♪ラジオらす!』の存続は認められません。一度不祥事を起こしているわけですし、私としてもこれ以上は庇い切れません」
「あの、それはもう……本当にごめんなさい」
あの放送室カラオケ事件は結構な問題になった。
竹流がすぐに放送を止めてくれたことと、珠恵会長が『自主的な放送機器のテスト中の失敗』という形で口裏を合わせてくれたことによって、なんとか事なきを得ることができたものの、ボクは学校側からトラブルメーカーと認知されてしまったようだ。
もし明日香がDJを降りてしまったらボクを監督する人がいなくなるため、学校側は『GOO♪ラジオらす!』を打ちきる旨を伝えてきた。
律儀な明日香は後任が見つからない限り放送を降りる気はないらしいけど、いつまでも引き止めて彼女の恋路の邪魔をしたくない。
なんとか早く代わりの人を捜さなくては……。
「天野くんとは……相変わらずですか?」
珠恵会長はアゴの下で手を組みながらボクの顔を覗き込んでいた。
「この前の一件を治めたことで学校側の天野くんへの評価は上々です。そんな彼ならヒカルさんのサポートとして適任だと思うのですが……いかがです?」
「竹流は……ボクに力を貸してはくれないと思います。目の敵にしてますから」
すると珠恵会長は小首を傾げた。
「目の敵というのは違うんじゃないでしょうか。第三者の目から見ても、彼があなたを嫌っているようには見えません。ちょっと関係が拗れているだけです。お互いがもう少し素直になれば、関係は十分修復可能なのではないですか?」
そう……なのかな。
竹流は相変わらずボクのことを避けている。
ボクも無視されるのが怖くて上手く声を掛けられずにいる。
こんな現状を打ち破ることはできるのだろうか。
「あなたたちのことは私にも責任の一端があります」
珠恵会長は立ち上がると窓辺の方へと歩いていった。三階より上に上がれば街を一望できるけど、ここは一階なので窓から見える景色は閑散とした中庭だけだった。
「私が校内放送の話を持ち掛けていなければあるいは……」
「そんなことないです!」
ボクは思わず立ち上がった。衝撃でパイプ椅子がガタンと大きな音を立てた。
「ボクは会長からこの話をもらったとき嬉しかった。会長はボクに、みんなに声を届ける手段をくれたんです。演劇はその場に来てくれた相手にしか思いは伝わりません。観てくれなければ届けられないんです。あのまま演劇を続けていてもボクが一番思いを伝えたかった人たちには届かなかったはずです。だからそんなことは……」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいです」
珠恵会長は振り返りながら穏やかに微笑んだ。
そしてゆっくりとなにかを振り返るかのように語り始めた。
「この町は辺鄙ゆえからか他の学校よりも非感染者の数が多いのです。全校生徒456名中、およそ七割以上の生徒がまだ人の繋がりを保っています。ですが……感染者と非感染者、あるいは感染者同士の間に繋がりはありません」
珠恵会長は窓の下を行く生徒たちを眺めていた。
「私は……この淋しい状況にせめて一石を投じたかった。私はもう三年です。高校生活最後の年がこんな淋しい思い出しかないなんて嫌です。みんなで文化祭も体育祭もしたい、みんなで修学旅行にも行きたい、みんなでいろんな思い出が作りたい。……ですが現状ではそれも叶いそうにありません。だからといって座して卒業の日を待ちたくはありませんでした。そんなとき、あなたを見つけました」
珠恵会長はボクの傍に歩み寄ると両肩に手を置きました。
「声を届ける手段を持たず、胸の中の思いを持て余してるあなたを見つけたんです。直感ですね。この子の言葉は強い。この子の言葉なら人々の心を揺り動かせるかもしれない。そう思ったんです。だからこの子の声を届けるための場所を提供したかった」
「そんな……じゃあこの校内放送の企画は……『GOO♪ラジオらす!』は……」
驚きを隠せないボクに珠恵会長は静かに頷きました。
「はい。始めからあなたのために企画されたモノなんです」
「はぁ……」
夕焼けに間近の空の下、中庭のベンチに腰掛けながらボクは溜息を吐いた。
奇しくもそこはボクと竹流が菜穂と出逢った場所だった。
「まさか『GOO♪ラジオらす!』がボクのための企画だったなんて……」
ボクはダメだな。まったく気が付かなかった。
いままではどこか生徒会からの要請ということを後ろ盾にしていた。
だから竹流の協力を得られなくてもボクはDJをしなければならないと思っていた。
……だけど違った。
珠恵会長はボクのためにこの企画を考えてくれたのだ。
ボクの意志に応じて会長は場所を提供してくれただけだった。
つまり『GOO♪ラジオらす!』はボクのわがままでできている。
ボクのわがままのせいで明日香をいつまでも引き止めてしまっている。
ボクはまた無条件で支えられてしまっていた。
ボクは人の好意を受けやすいようだ。
自分の力で何とかしなくてはと思っても、気が付いたら誰かに助けられている。
かつては竹流や須藤くんに助けられ、いまは珠恵会長や明日香に支えられている。
しかも支えられていることになかなか気付くことができない。
「気付かないから……いつも大切なモノを失ってしまう」
「じゃあ気付いたときに取り戻せばいいんじゃない?」
振り返るとそこには白い服に長い黒髪の女の子が立っていた。
「アイヴィー……いつからいたの?」
「溜息吐いたぐらいからだよ」
そう言ってアイヴィーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
アイヴィー。あの日の交差点で出逢った不思議な女の子。
それが本名なのか偽名なのかもわからない。
ただ交差点で初めて逢ったときから度々ボクの前に現れるようになった。
かといって付きまとわれているという感じはしない。
気が付けばいつもそこにいるという感じだった。
(まったくもって人間業じゃないよね。幽霊とかなのかな?)
人間業じゃないといえば、ほとんどの人にはアイヴィーの姿は見えないらしい。
そうでなければ平日の高校。
見た目小学生がウロチョロしてれば目立ってしまうはずだ。
アイヴィーの話では、この学校の数人にはアイヴィーの姿が見えているらしいんだけど……本当に、一体全体この子は何者なんだろう?
「アイヴィーはアイヴィーだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「……こうやって心の声まで読めるわけだしね」
サトリ妖怪かなんかだろうか。
「わたしは素直な気持ちに敏感なだけだよ。わたしはIV。インナーヴォイス。『内側から響く声』の名をあの人からもらった者。花の名前じゃなかったのは残念だけど、結構気に入ってるよ。だってわたしは内なる声に耳を傾ける存在だから」
(IVって『Inner Voice』のイニシャルだったんだ……)
妙なところで納得しつつも、彼女の言ってることの半分も理解できなかった。
インナーヴォイス? あの人?
内なる声に耳を傾ける存在? なんじゃそりゃ。
誰かボクにわかりやすく解説してほしい。
……でも、素直な気持ちかぁ。
そういえば前に明日香が言っていた。
『素直じゃないから、その人にも自分にも本心を誤魔化しちゃってるんじゃない?』
ボクは竹流にも自分にも本心を誤魔化しているのだろうか?
だとしたらその本心って一体なんなんだろう?
「アイヴィー……ボクは自分の気持ちがわからないんだ」
答えを期待しているわけじゃない。
ただできるだけ自分の胸の中にあるものを吐き出したかった。
そうでないと心が押し潰されてしまいそうだったから。
「ボクはこの声を届けたかった。繋がりが失われたままなんて嫌だったから。だから演劇部を潰してまで……竹流とケンカしてまでラジオDJを始めた。自分が正しいと信じていたし、正しいと判れば竹流もいつかわかってくれると思っていた」
「………」
見た目小学生のこの子になにを、とは思ったけど、止まらなかった。
「だけど結果はご覧の有様だよ。放送を続けても感染者は感染者のまま。竹流との繋がりを失っただけ。ボクは……こんな状況を望んでたんじゃない。ボクは居場所を取り戻したかっただけなんだ。なのに……ボクは『退屈なんてさせない』って約束さえ果たせていない。ボクには竹流を巻き込んだ責任があるのに、竹流と約束したのに、ボクは……一つもちゃんとできていない……」
「アナタは……あの人の名前ばかり出すんだね」
顔を上げるとアイヴィーが不憫そうな目でボクを見ていた。
「アナタの気持ちなんてもの凄く単純だよ。だけどあなたはそんな素直な気持ちを押し殺して、責任、約束……そんなくだらない言葉で自分に嘘を吐き続けている。そんな嘘を吐いているかぎり、相手には届かない。いくら叫んだって建て前の言葉じゃ相手の胸には響かないよ。いつだって相手の胸に届くのは本心からの言葉なんだから」
言いたい放題言われたけど反論はできなかった。
じゃあボクの本心って一体なんなんだろう?
「ここでわたしが教えたとしても無駄だよ。自分の気持ちは相手に諭されるようなモノじゃない。自分で気付かないかぎり認められない。あの人にも届かない」
「そんなこと……あれ?」
気が付いたらアイヴィーの姿はすでになかった。
現れるのも突然なら消えるのもまた突然だった。
(つまり自分でなんとかしろってことなのかな……)
明日香にも似たようなことを言われたっけ。
ボクは項垂れながらまた溜息を吐いた。
「なにそんな所で項垂れてんだよ」
顔を上げるとそこには一人の男子生徒が立っていた。
須藤冬矢。
元演劇部の照明チーフで、演劇部が廃部になってからは人数が足りなくなったサッカー部に入ってそれなりに活躍しているらしい。
これから練習があるのかユニフォーム姿に、手にはボールを抱えていた。
「もうすっかりサッカー部員だね。これから練習?」
「おう。いま誰かと話してなかった? ちっこいのがいた気がしたんだけど」
「……もしかして須藤くんもアイヴィーの姿が見えるの?」
「あいびー?」
「神出鬼没で人の心が読める長い黒髪に白い服の女の子」
「ははは、なんか学校の怪談に出てきそうなキャラだな。花子さんとか」
そう言ってボールを指の上で回しながら、須藤くんはスポーツマンらしい爽やかな笑みを浮かべた。相変わらずの好青年っぷりだ。
人を不愉快にさせないし、世界がこんな状況じゃなかったらきっと彼はモテモテだっただろう……って、これはボクが言うべきことじゃないか。
ホント、竹流とは正反対だ。
思えば演劇部はみんながみんなバラバラだった。
ボクはとにかく自分の思うがままにみんなを引っ張っていた。
それを目に見える部分では当たり障りのない性格の須藤くんが支えてくれて、目に見えない部分では人間関係に不器用な竹流がサポートしてくれた。
「不思議な場所だったよね。あの演劇部って場所はさ。それぞれの性格も得意分野もモノの考え方も違う人間が集まって、衝突することだってあったのに、不思議と空中分解もせずにまとまっていた。あれは偶然だったのかな……」
「偶然じゃないさ。衝突しても失われないほど深い部分で繋がっていたんだから」
須藤くんはそう言いながらボクの隣に腰掛けた。
二人で座っているとなんだか淋しく思えてくる。
演劇部の中で繋がりを失わなかったのはボクと竹流と須藤くんの三人だけだった。
そして竹流とはケンカ別れのような形になっている。
須藤くんもすでにサッカー部に自分の居場所を見つけている。
「みんなバラバラになっちゃったよね。深い部分で繋がってたはずなのに」
「なあ……竹流との間になにがあったんだ?」
須藤くんは真面目な顔でこっちを見ていた。
「信じられないんだよ。柄沢と竹流がケンカしっぱなしってなんてさ。言っちゃ悪いけどケンカや言い合いなんて日常茶飯事だったじゃないか。どんなに激しく言い合ったって次の日には普通に連係プレーができるし、ケンカしながらだって同じ目標に向かって進んでいけた。竹流にしたって柄沢の気紛れには慣れっこのはずなのに、なぜか今回は頑なだ。なにが原因でこんな絶縁状態になってるんだ?」
さすがに付き合いが長いだけのことはあってよく見ている。
本来ボクがわがままを言っても文句を言いながらも許してくれるのが竹流なのだ。
当然ボクもそう思っていた。
しかし今回ばかりは少し事情が違っていた。
「ボクは『居場所』を取り戻そうとして、竹流は『居場所』を守ろうとしていたんだ」
拠り立つ場所の違い。
それがボクらの中を決定的に決裂させた。
しかし須藤くんはなおも納得できなそうに首を捻っていた。
「それもわからないんだよ。あいつはそんな保守的な考え方をするヤツじゃない。むしろお前と同じで失われたモノなら取り返そうとするはずじゃないのか?」
「そうだね。だけど竹流は他人のためなら自分の思いを押し殺すところがあるから」
きっと竹流にとっての演劇部は『居場所』であるのと同時に、繋がりを失ったみんなが『帰ってくる場所』だったのだろう。
だからなんとしても守り抜きたからった。
だからみんなの帰ってくる場所を潰したボクのことが許せなかった。
「竹流は、やさしいヤツだからさ……」
そんなとき耳の中でアイヴィーの言葉が甦った。
『竹流、竹流って……あの人の名前ばかり出すんだね』
あぁそうか。いまさらになって気付いた。
ボクは竹流のことが好きだったんだ……。
責任とか約束なんてどうでもいい。
ボクは竹流に傍にいて欲しかったんだ。
我ながらなんて鈍いんだろう。
明日香もアイヴィーも、多分、須藤くんもわかっていたのだろう。
それなのに肝心のボク自身が全く気付いていなかった。
気付いたときにはボクの頬を一筋の涙が伝っていた。
拭っても拭っても涙が溢れ出てくる。
こんな顔は見せたくなかったので須藤くんから顔を背けた。
もっと早く気付けていたらあの子とのことももっとちゃんとできたはずだ。
脳裏に一人の女の子の姿が浮かんだ。
結果としてボクと竹流が傷つけてしまった女の子……。
「竹流はやさしいから……ずっとあの子のことを気にしてるんだろうなぁ……」
「あの子?」
怪訝そうな顔をする須藤くんにボクは静かに告げた。
「元演劇部音響補佐。七瀬菜穂ちゃん」
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