第三部A面 空の繋がった日2

 昼休み。俺は学食できつねうどんを食べていた。

 普段は購買でパンでも買って屋上で音響機器を弄りながら食べている。

 ただ今日は向かいに座りカレーライスを食べている建部光司郎から、話があると言われたので一緒に食堂に来ていた。

 ……なんでそこまで親交のない相手と二人っきりで昼メシ食べてるんだろう。

「それで、俺に話があるんだろ?」

 そう切り出すと光司郎はスプーンを置いた。

「おう。単刀直入に言う、森本明日香をくれ」

「ぶほっ!……けほっけほっ……」

「うおっ、汚ねぇな」

 きつねうどんが変なところへ入ってしまい咳き込んだ。

「いきなりなんの話だよ。そういうことは森本の親に言え!」

 くれと言われてあげられるわけもなく、そもそも森本とは面識がなかった。

「あ、いや、そういう意味じゃなくてだな……明日香を軽音部に入れたいんだ」

 あ……ああ、そういうことか……ん? そういうことか?

 なんで軽音部に入れたいって話が、俺にくれって話になるんだ?

「なんで急に? 森本さんってバンドってイメージじゃないだろ?」

「この前ちょっとしたことから明日香の歌声を聴く機会があったんだが、明朗で爽やかでかなり上手かった。だから軽音部としては明日香をボーカルに欲しいんだ。明日香が入ってくれるなら、俺もリードギターに専念できるしな」

「なら本人に言えばいいだろ。そんなの彼女の気持ち一つじゃないか」

「明日香からは二つ返事でOKをもらったよ。だけど一つ問題がある」

「問題?」

「お昼の校内放送番組『GOO♪ラジオらす!』だ」

 光司郎はカレーをかっ込みながらめんどくさそうにそう言った。

 ちなみに時間的には絶賛放送中なんだろうけど、食堂にはスピーカーが設置されていないため聴くことができない。

「あの放送の打ち合わせは放課後にやるらしい。つまり軽音部の部活時間とカブってしまうわけだ。掛け持ちは厳しいらしく、『軽音部に入るならアシスタントDJの後任が決まってからじゃないと』って明日花は言ってる」

「………」

「明日香が辞めたら『GOO♪ラジオらす!』は柄沢だけになるだろ? 生徒会はこの前のカラオケ事件みたいな不祥事を起こさないためにも、しっかりとあいつの手綱を握る人間は必要だと考えている。もし明日香が辞めて後任がいなかったら放送は打ち切りになるらしい。明日香は義理堅いヤツだから後任が見つかるまでは辞めないだろう」

「まさか、その後任になれって言うんじゃないだろうな?」

 俺は箸を置くと光司郎のことを睨みつけた。

「お前だって、俺とヒカルの関係は知ってるだろ」

「確執があるってことくらいは」

「だったら……」

「だが、他に柄沢の世話を焼いてくれそうなヤツがいねぇんだ」

 光司郎は不服そうな顔で言った。そう言われてもなぁ。

「須藤は? もと照明チーフの須藤冬矢。あいつに頼めばいい」

「あいつはいまサッカー部じゃねぇか。さすがに必要人数ギリギリの所からは引き抜けねぇよ。一人淋しくミキサー盤磨いてるような暇人はなかなかいねぇんだ」

「随分と失礼な言い方だな」

「それにお前は放送機材にも精通してるだろ? 生徒会も納得するはずだ」

 そりゃあ、そうだろうな。

 というより生徒会からはすでに打診が来ていた。

 柄沢ヒカルに『GOO♪ラジオらす!』の話が持ち上がったとき、俺のところにも岩崎会長から話は来ていた。

 当初の岩崎会長の構想はヒカルをパーソナリティーに据えて、俺がアシスタント兼現場責任者として、ヒカルの手綱を握るというものだった。

 だけど俺はその依頼を断り続けた。

 そのうちヒカルが森本明日香を見つけてきたことからいまの状況になっている。

「だからって、あいつと組むのはおことわりだ」

「頼むよ。お前だって言うほど柄沢のこと嫌ってるわけじゃないだろ?」

「嫌ってるよ。まぁ恨んでるって方が近いけど……」

「じゃあなんで柄沢のことを助けたんだよ」

 光司郎は真っ直ぐに俺の目を見つめながら言った。

「ホントは言うほど嫌ってないんだろう? だから柄沢が変なスイッチを押したときも真っ先に駆けつけて止めたんだろう? 恨んでるなら、なんで柄沢を助ける?」

「それは……余所にも迷惑が掛かるだろうから……」

「そんな建て前なんざどうでもいいわ。そもそも、お前の言ってることはちぐはぐなんだよ。演劇部を潰した柄沢を許さないだぁ? ならなんで自分の手で演劇部を再興しようとしない。そんなに演劇部が大事ってんなら、部員かき集めて新しく立ち上げればいいじゃねぇか。それなのにお前がしてることといったらただの機材整備。来る日も来る日も部品磨いてるだけ。お前が固執しているのは演劇部じゃないだろ」

 光司郎は手にしたスプーンの先を俺の鼻もとに突き付けた。

「お前にとって本当に大事なモノはなんなんだ? 本当に演劇部なのか?」

「……うるさいなっ」

 俺は突き付けられた手を強引に振り払った。

 振り払った拍子に手から離れたスプーンが床に落ち、鈍い金属音を響かせた。

 光司郎は大きく目を瞠っていた。

 幸い食堂にいた他の生徒たちはこちらを気にした様子はなかった。

 すると一人の男子生徒が落ちていてスプーンを拾いあげた。

「なんだか荒れてるね。モノは大切にしないとダメだよ」

 そう言って、そいつは俺たちのテーブルの上にスプーンを置いた。

 気勢をそがれた俺はジト目でそいつのことを見た。

「なんか用? 川村誠一」

「不機嫌そうな顔してフルネームで呼ばないでしょ」

 川村は手にした牛乳とパンを置きながら光司郎の隣に座った。

 どうやら川村は光司郎とも知り合いらしい。

 屋上が好きな面子だから顔見知りでも不思議ではないか。

「幼馴染みはどうしたのさ?」

「夏樹は顧問の所に行ってる。今度の展示会の打ち合わせだってさ」

 美術部が復活すると川村は屋上には来なくなり、顔を合わせることもなくなった。

 絵を描く場所が戻ってきたからなのだろう。

 そういえば光司郎も軽音部に入ってからは屋上に来る回数が減っている。

(うちの屋上……満たされたモノは来なくなるというジンクスでもあるのか?)

 地縛霊が成仏するかのように……と、考えてちょっと鬱になった。

 つまり俺は満たされない地縛霊のままってことになる。

 わかってはいてもウンザリする。

「ところで天野くん。さっきの話なんだけど……」

 川村がそう話を振ってきた。

「さっきって?」

「どうして演劇部を作らないのかって話」

 川村にまで聞かれてたのか……。

 俺はさらにウンザリして視線を逸らした。

 しかし、俺は川村の次の一言で凍り付くことになる。

「もしかして七瀬さんのことが原因なの?」

「………」

「七瀬? 誰だそれ?」

 隣の光司郎が怪訝そうな表情を浮かべていた。

「七瀬菜穂さん。ボクと同じクラスで元演劇部で……いまは感染者になっている」

 俺は内心で舌打ちをした。

 そう言えば天野には菜穂のことも話していたっけ。

 屋上での何気ない世間話のつもりだったのに、憶えていたのか。

「なぁ、その菜穂ってどういう子だったんだ?」

「そうだね……柄沢さんと真逆って感じかな。弱気で声も小さいし、目立つ感じの子じゃなかったね。カワイイ子なんだけど……クラスでは少し浮いてたかな。去年も同じクラスだったんだけど、友達っぽい人はいなかったみたいだね。いつも一人だった」

 あぁ……なんというか菜穂らしいな。

 その光景が目に浮かぶようだった。

「それでも演劇部に入った頃から徐々に明るくなって、周囲ともうち解けていった。よくスマホを弄っていたし、だれか頻繁にやりとりとかもしてたみたい」

 スマホでやりとり? それは初耳だった。

 いや、だからこそ感染者になっているわけか……。

「あいつ……メル友がいたんだな」

「あれ? ボクはてっきり天野くんが相手だと思ってたんだけど」

「俺は基本、スマホやケータイは不携帯だったからな」

「それもどうかと思うんだけど……」

 川村は苦笑していた。

 それはともかく菜穂にメル友がいたというのはちょっと意外だった。



 七瀬菜穂と初めて出逢ったのは高一の時で、場所は人気のない中庭だった。

 季節は秋深しといったところでそろそろ肌寒くなってきたころ。

 普段なら俺も中庭などには行かないのだけど、そのころはヒカルに振り回されっぱなしの生活を送っていたので、一人になれる静かな時間がほしかった。

 ヒカルとも疎遠になる前で、俺は演劇部の大方の裏方仕事を引き受けていた。

 だから閑散としている中庭へと足が向いてしまったのだろう。

 そこで俺は中庭のベンチに座っている女の子を見つけた。

 その女の子はたった一人で弁当を食べていた。

 ベンチの角度から校舎は彼女の背中側にあたる。

 教室の喧騒を背後に聞きながら、小さな弁当箱をつついていた。

 その朧気というか、儚い感じの印象に自然と目が引き寄せられた。

 そんなとき、その女の子と目があった。

 覗きと間違われたら嫌なので俺は早々に退散しようとした。

 しかし彼女は俺の方を見るとペコリとお辞儀をした。

 その動作がなんとなく気になってしまった。

 なんであの子は俺に会釈をしたのだろう?

 うちの学校はネクタイの色で学年が識別できる。

 だから彼女も俺が同じ一年であることはわかったはずなのにだ。

 知らず知らずのうちに人を威嚇するようなオーラでも出していたのだろうか。

 ……どうにも気になってしまった。

 性格上、気になったらたしかめずにはいられなかった。

 俺はゆっくりと歩み寄ると、そのベンチの女の子に声を掛けた。

「どうして俺に会釈をしたの?」

 威嚇口調にならないようになるべく静かにそう尋ねた。

 彼女はしばらく黙っていたが、俺が辛抱強く待っているとおずおずと答えた。

「ただ……なんとなくです。深い意味はありません」

「俺じゃなくても会釈をしたってこと?」

「そうなりますね」

「……そういうの、やめた方がいいと思うぞ」

 俺はベンチの正面に回るとその子の隣に腰を下ろした。

 隣と言っても端と端に座っているので1メートル近く間隔は空いていた。

「会釈って首を差し出す行為なわけだしね。知ってる? 争いに負けた狼は勝った狼に自分の首を噛みやすいようにお辞儀するんだってさ。この前に読んだ本に書いてあった」

「どんな本を読んでいるんですか?」

「シートン動物記」

 菜穂はクスリと笑みを漏らした。どうやらウケたらしい。

「シートンなんて読んだの小学校の読書感想文以来です」

「いま読んでも結構くるものがあるぞ。オススメは『灰色熊の一生』」

「私は『山羊の王』が好きです。最後がちょっと悲しいですが」

「あれか。表紙絵の山羊の絵がもの凄く格好良かった」

「そうなんですよ。あと『野ウサギの冒険』も好きですし、他には……」

 シートン動物記のことを一生懸命に話すこの女の子を俺は微笑ましく見ていた。

 その子の話し声は独特のテンポがあって聞いていて心地よかった。

 高校生の男女がこの閑散とした中庭で、シートン動物記の話をしている。

 なんだかシュールな光景だけど、久方ぶりに和やかな時間を過ごせた気がした。

「あ、こんなとこにいた!」

 そんな和やかな空気をぶち壊す声が中庭に響き渡った。

 振り返ると我らが部長・柄沢ヒカルがズカズカとやって来ていた。

「もう、なんで教室にいないの!? 探しちゃったじゃん」

「昼休みくらいゆっくりさせてくれよ……」

「クリスマス公演の演目発表の日でしょ。打ち合わせしようって言ったじゃん」

「演目自体は決まってるんだから問題ないだろ。ウケ狙いに付き合う気はない」

 ヒカルはなぜか定例会などの場ではウケを取りたがる。

 どこから調達したのか不明なゆるキャラの着ぐるみを着ての議事進行とかはざらで、酷いときには俺も巻き込んで軽いコントをすることもあった。

 議事ぐらいは滞りなく勧めたい俺としては毎度頭が痛かった。

「どうせサンタかトナカイのコスでもする気なんだろ」

「……そんなことはないよ」

「いまの間はなんだよ。なんて視線を逸らした」

「もう、せからしか……って、そちらさんはどちらさん?」

 ヒカルはようやくその子の存在に気付いたようだった。

 そういえば俺もまだ名前を聞いてなかったな。

 とりあえず自己紹介することにした。

「俺は天野竹流。こっちは柄沢ヒカル」

「あ……な、七瀬菜穂です」

 菜穂が挨拶をするとヒカルは満面の笑みを浮かべていた。

「菜穂ちゃんか、いい名前だね。演劇部に入らない?」

「ちょっと待て、なんでいきなり勧誘する」

「だって常に人員は不足気味だしね。それに見た感じ帰宅部っぽいし」

「それはちょっとこの子に対して失礼なんじゃないか?」

 そう言いながら俺は唖然としている菜穂の方に視線を送った。

 嫌なら嫌だってちゃんと断った方が良いぞと目で訴えたつもりだった。

 しかしなぜか菜穂は頬を染めて俯いてしまった。

 いや、別に熱い視線を送ったつもりはないから。

 ここでハッキリと自己主張しておかないとヒカルがつけあがるだけだぞ。

「まぁまぁ、とりあえず仮入部ってことで一緒に来てもらおうよ」

 こうなってくるとヒカルの独壇場だった。

「勝手に話を進めるなよ」

「あの……よろしくお願いします」

「菜穂もあっさり乗せられるな!」

 菜穂のためを思って言ったことなのだが、彼女は首を横に振った。

「お二人の様子を見ていると楽しそうですし、それにもともと演劇を観るのは好きです。舞台に立つのは嫌ですが、裏方として一番近くで劇を観てみたいです」

「うんうん。大歓迎だよ。うちは照明も音響も足りてないからね」

 ヒカルは菜穂の手を握るとブンブンと振った。

 テンション上がった犬が尻尾を振りまくる様な仕草だ。

 俺は額を抑えながら溜息を吐いた。

「まあ……そういうことなら。これからよろしく頼む」

 俺は立ち上がると向き直り、菜穂に手を差し伸べた。

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 菜穂は立ち上がると、俺の手にそっと自分の手を重ねた。



 あの日からもう半年が経ったのに、まるで昨日のことのように想い出せる。

 あの日、俺たちは出逢い、俺は彼女の手を引いた。

 一人で歩いていた彼女は俺たちと歩調を合わせ、同じ速度で歩き始めた。

 いつからか俺たちはそれが当たり前だと思うようになっていた。

 ヒカルが先頭を歩き、その後ろに苦笑する須藤と嘆息する俺がいる。

 俺の後ろを、いつも菜穂が控えめに付いてくる。

 そして、そんな俺たちの周りで演劇部員たちが笑っている。

 それが演劇部という場所だった。

 しかし当たり前だと思っていた風景は決して当たり前のモノではなかったのだ。

 SNDが蔓延し、演劇部員のほとんどが事実上退部することになった。

 そして菜穂もまた……俺の声に答えてくれなくなった。

 俺は食べ終わったお盆を抱えて立ち上がった。

「待ってよ。もしかして七瀬さんの件で責任を感じてるの?」

 背を向けた俺の背中に川村が語りかけた。

「言ったでしょ。七瀬さんにはトーク相手がいたんだ。だから七瀬さんが感染者になったのはキミのせいじゃない。キミが責任を感じる必要はないんだ」

 川村は一生懸命俺のせいではないことを訴えてくれた。

 その気遣いは嬉しい。

 だけど……それでも譲れないものはある。

「あいつの手を引いたのは俺だ。俺はまだ……あの日の責任が取れていない」

「天野くん、もしかしてキミが許せないのは……」

「もう行くわ。森本の代わりは他のヤツに当たってくれ」

 俺は川村がなにかを言う前に食器を片付けると、食堂を後にした。



 午後の光が差し込む廊下を俯きがちに歩いていく。

『もしかして君が許せないのは……』

 あのときの川村の鋭い一言が胸を剔るようだった。

 ああ、そうさ。俺は柄沢ヒカルを許せない。

 だけどそれ以上に、俺は俺自身を許せないでいた。

 あの日、菜穂と初めて出逢ったとき、俺は菜穂に同じ匂いを感じていた。

 正確に言えばヒカルとつるむ前の自分と同じ匂いだ。

 だから菜穂が“淋しくなどなかった”こともわかっていた。

 一人で弁当を食べている姿が他人からどう見えようが。

 本当に孤独な者は淋しさなど感じない。

 にぎやかさを知らなければ、淋しさなど知るはずもない。

 だから放っておいてもよかった。

 会釈をされようがされまいが、少し前までの俺なら迷わず放っておいたはずだ。

 だけど俺はヒカルたちと関わるうちに知ってしまった。

 淋しくはなくても、楽しくもなれないということを……。

「だからあの子の手を引いたの?」

 視線を上げると開かれた窓の桟に白い服に長い黒髪の少女が腰掛けていた。

 その少女は俺の方を見ると悪戯な笑みを浮かべた。

「アイヴィー……」

 俺は頭を抱えながらそいつの名前を呼んだ。

 大体の人には見えない存在とはいえ、昼間の校舎内に堂々といるのはどうなんだ?

「人の頭の中を読むのはやめてくれって言ってるだろ」

「しょうがないじゃない。わたしはそういう存在なんだから」

 どういう存在だよ。ったく……。

「わたしはあなたにアイヴィーと名付けられた。だからこうして存在している」

「唯名論か? そういう知識をどこから仕入れてくるんだか……」

 たしかまだ生後二ヶ月くらいだよな。

 姿を持ったのがつい最近のことだし。



 アイヴィーに初めて逢った(?)のは四月の良く晴れた日だった。

 その頃の(今もか?)俺は演劇部が廃部になったことに憤りながらもどうしたらいいかわからず、自問自答を繰り返しながらとりあえず音響機材の手入れをしていた。

 どうしてこうなってしまったのか?

 なにが悪かったのか?

 俺やヒカルが悪かったのか、これからどうすればいいのか?

 自分がなにをしたのか……そんなことを延々と考えていた。

 そんなときだ。自分の内側から声が聞こえてきたのは。

『それって内側に答えを求めて見つかるモノなの?』

 最初は幻聴かと思った。

 考え疲れでも起こしたのだろう。そう思ったのだけど……。

『幻聴あつかいしないでよ。ようやくコンタクトが取れるようになったのに』

 ……どうやら俺の幻聴ではないらしい。

 とりあえず声だけのそいつとコンタクトを試みた。

「誰だ? どこから喋ってる?」

『名前なんてないよ。わたしはまだ生まれたばかりだもん』

「生まれたばかりって……結局どういう存在なんだ?」

『さぁ、わたしにもわからないよ。なんせ生まれたばかりなもんで』

「なににもわからないんだな……」

 俺はなんでこんなわけのわからないものと会話しているのだろう。

「ひょっとして、バカなのだろうか?」

『バカ扱いは酷いよ!?』

 無気になる声に俺は思わず笑ってしまった。

 ヒカルとケンカ別れし、SNDの流行によってコミュニケーションが失われたいまのご時世では、こうやって誰かとまともに会話することもなかったからだ。

 久しぶりの、感情をストレートに表現する相手との会話。

 そのためか話していて楽しかった。

 これが俺とこの声とのファースト・コンタクトだった。



 呼ぶときに不便なので俺はこいつに『アイヴィー』という名前を付けた。

 内側から響く声『Inner Voice』のイニシャルを取って『IV(アイヴィー)』だ。

 そんな適当に付けた名前だったけど、本人は結構気に入っているようだった。

 アイヴィーは俺以外にも多くの人間にくっついてこの世界を見て回り、多くの人間と関わることによってこの世界を学習し、成長しているようだった。

 最初は声だけの存在だっのに、いつの間にやら少女の姿を持っていた。

 そしていまでは実体化して触ることも触られることもできる。

 成長するごとにどんどん芸達者になっているようだ。

 そのうち背中に羽でも生えるんじゃないだろうか。

「なあ、アイヴィー」

 俺はそんな窓に座る少女に溜息混じりに話しかけた。

「今度はどんなヤツにつきまとってんだ?」

 アイヴィーは楽しそうに足をパタパタと振っていた。

「今度の人はね、嘘つきだよ」

「嘘つき?」

「そ、嘘つき。その人はいろんなものに嘘をついているの。自分の大切な人にも、自分自身にも嘘をついて、本心を誤魔化しちゃってるの。だけどこのアイヴィーちゃんの耳は誤魔化せないよ。だってアイヴィーイヤーは地獄耳だもん」

 そう言ってアイヴィーはなぜか偉そうに胸を反らせた。

 じゃあアイヴィービームは熱光線なのかと聞こうと思ったけど……やめた。

 いちいち付き合うのもバカらしい。

 まぁ人の心の声を聴くことができるアイヴィーに隠し事はできないだろう。

 俺はこいつにつきまとわれるであろう、その“嘘つき”を不憫に思った。

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