第三部B面 空の繋がった日1
―――その男子生徒はいつもつまらなそうに窓の外を眺めていた。
浦町高校に入学したてのボクはとにかく元気いっぱい。
むしろ空回りしている感じだった。
小さい頃に見た劇団『新感染』の『アテルイ』という劇に感銘を受けたボクは、高校に入学したら絶対に演劇部に入るんだと決めていた。
入部届をもらうとすぐに『柄沢ヒカル』と名前を書き、演劇部に持って行った。
だけど当時のこの学校の演劇部は酷いもんだった。
三年生は受験のために顔を出さない。
二年生はみんなやる気がなくて、一年生は右往左往。
意気込んでいるのはボクだけという状況だった。
こんな演劇部で過ごしていたら、それだけで高校生活は終わってしまう。
そう考えたボクは精力的に活動した。
まだ熱意があった三年生の力を借りつつ、やる気のない二年生を追い出して部の実権を握ると、新入生でありながら新入生を勧誘して回った。
そして新入部員六人を獲得するという快挙を成し遂げたのだ。
その中には後に照明チーフとなる須藤冬矢くんも含まれていた。
だけど勢いで乗り切れるのはここまでが限界だった。
自分で言うのもなんだけど、ボクには計画性というものがない。
予算管理は商店の息子である須藤くんが引き受けてくれたからよかった。
しかし部の方針や規則の設定。劇を行うための準備計画。
生徒会への申請手続き等などが、僕にできるはずもなかった。
それに無理矢理勧誘したため仕事分担をまったく考えていなかった。
気が付いたら須藤くんを除く全員が役者志望だったのだ。
深刻な裏方不足。
照明は須藤くんがやってくれるとしても音響がいない。
割と良いミキサー盤があるのにそれを扱える人がいなかったのだ。
(やっぱり言い出しっぺの僕がやるしかないのかなぁ……)
そう思って説明書を読んだのだけどちんぷんかんぷんだった。
自慢じゃないけど、ボクのおつむの出来はいまひとつだ。
とくに文系が苦手な活字離れした若者だ。
説明書のような専門用語まみれの文章を読んでいると知恵熱が出そうになる。
かと言ってそれらの仕事を代わりに務めてくれるような人もいない。
どうしたもんかと途方に暮れていた、そんなときだった。
クラスの窓際に座る彼の存在を見つけたのは。
その男子生徒はいつもつまらなそうに窓の外を眺めていた。
桜の季節もとうに過ぎ去った四月の曇り空。
そんなものを眺めていても楽しくはないだろうに。
その男子は教室の喧騒から目を背けていた。
友達がいない……というわけではなさそうだ。
数人の男子と話をしているのを何度か見ている。
ただ自分からは他人と深く関わらないようにしているようだった。
そんな彼のスタンスがボクには理解できなかった。
ボクは一人でなんていられない。
やっぱり人の輪の中にいたいし、彼みたいな生き方は淋しいと思ってしまう。
そんなだからかもしれない。
ボクはボクとは正反対のポジションにいる彼に興味を持った。
「なにを見てるの?」
ボクはニコニコしながら彼に話しかけた。
彼はこちらを一瞥するとプイッと顔を背けながら言った。
「べつに……」
「おっと、つまんない返事だね。そんなんで人生楽しい?」
無視されたくなかったので煽るように言うと、彼は少しムッとしたようだ。
「楽しくはないけどお前には関係ないだろう」
その答えを聞いてボクはにんまりと微笑んだ。
「楽しくないならべつにいいよね。その人生、ボクにくれない?」
「はぁ?」
怪訝な表情をする彼を無視し、ボクは彼のテーブルの上にプリントを広げた。
それは演劇部で使われている音響板の説明書のコピーだった。
「ここに書かれている内容を明日までに目を通しておいて」
「ちょっと待て。なんで俺が……」
「まあまあボクの話を聞いてくれたまえよ」
ボクは彼に演劇部の置かれている現状と、彼を音響として勧誘したい旨を伝えた。
彼は一応聴いてくれたがやはり乗り気ではないようだった。
「悪いけど演劇には興味ない。勧誘なら余所を当たってくれ」
彼はにべもなく切り捨てるとまた窓の外を眺めだした。
そんな様子にカチンときたボクは彼の前に回り込むとバンッと机を叩いた。
驚きに目を瞠る彼。
クラス中の視線がこっちに集まっていた。
だけどそんなことはまったく気にならず、ボクは顔を彼にグイッと近づけた。
「どうせ楽しくない人生送ってんだから、これ以上楽しくなくなることもないでしょ! だったらボクの利益になるような形で楽しくない人生を送ってよ!」
彼はしばし呆然としていたが、我に返ると怒りの表情を浮かべた。
「言ってることが無茶苦茶だぞ。なんだその理屈は」
「なにもしないで楽しくないとか言ってるくらいなら、楽しくないことをするほうがまだましだって言ってるの! 退屈ほどつまらないものはないでしょ」
「そんなのは押しつけだろ。楽しいか否かは俺が決める」
「あぁもう、ゴチャゴチャせからしか!」
自分でも言ってることが無茶苦茶だということはわかっている。
だけど自分では抑えが効かなかった。
これはもう化学反応のようなものだろう。
酸素が充満したビンの中に火の点いた蝋燭を入れれば、燃えさかるのと同じだ。
ボクの中のなにが、彼のなにに反応しているのかはわからない。
だけど彼と話していると妙に心が揺さぶられるのだ。
きっと意地なんだと思う。
彼が自分とは対照的な生き方をしていると本能的に感じているからこそ。
妙に惹かれながらも反発していたのだ。
だからこそ、ボクの意地にかけてここで引き下がるわけにはいかなかった。
「じゃあ仮入部でいいから6月にある初公演に参加して! それでいまの退屈な生活よりも楽しくなかったら辞めるなりなんなり好きにすると良いわ」
「お前なぁ。そんな決定権がお前に……」
「ある! ボクがあると決めたからあるの! 反論は認めない」
「………」
ボクが言い切ると彼は唖然としていた。
ワガママ。強引。百も承知。
だけどこれくらいの勢いがなければ、この消極さの塊みたいな男子を引っ張り込むなんてできそうになかった。
まあ正直、これは断られるかなぁと思った。
それならそれで仕方がない。
しかし彼はしばし考え込んだあとで溜息を一つ吐いた。
「まあ、いいか。どうせ暇だし、一回だけなら手伝ってもいい」
「えっ、ホントに?」
「ああ。だけど一回だけだ。以後こういう勧誘はやめてくれ」
彼は渋々ではあるものの仮入部を承諾してくれた。
「OK。交渉成立。大丈夫、ボクが絶対退屈なんてさせないよ」
そう言ってボクは彼の手をとって無理矢理握手をした。
これがボク、柄沢ヒカルと天野竹流とのファーストコンタクトだった。
出逢い方はともかく、ボクと竹流はいいコンビだったと思う。
大口叩いて勧誘しておいてなんだけど、演劇部は問題山積みだった。
音響の人員不足は解決しても、部の方針や規則の設定、劇を行うための準備計画、生徒会への申請手続きなどの問題は残っていた。
そんなとき、それらの裏方作業を手伝ってくれたのが竹流だった。
竹流はボクと違って申請手続きなどの裏方作業が得意だった。
頭が痛くなりそうな規約まみれの書類を読み込み、提出するための書類を作成し、スケジュールや部の規約作成などをあっという間に片付けてくれたのだ。
ボクがお礼を言うと竹流はプイッとそっぽを向いた。
「勘違いするな。柄沢のために手伝ってやるわけじゃない。これ以上無駄な時間を食って部活が滞ったら、付き合いが長引いてしまうだろうしな」
そんなツンデレキャラみたいなことを言っていたっけ。
口ではそう言っても、竹流にとっても演劇部での日々は満更でもなかったようだ。
お試し期間の六月公演が終わっても退部はしなかった。
それからは本当にボクを陰から支えてくれた。
思えばボクにできないことを彼がして、彼ができないことをボクがしていた。
ボクに計画性が求められる裏方作業が苦手なように。
竹流は表舞台に立つことが極端に苦手だった。
手先は器用なくせに人間関係は不器用だったのだ。
竹流が段取りを決めて、ボクがみんなを牽引していくというスタイル。
まったく違う性格の二人が、それぞれの立場から部を支えていた。
ぶつかったり反発したりしながらも、それでも前へと進んでいた。
だからこそ、あのときの演劇部はこれ以上ないくらい上手く回っていたのだろう。
(それがどうして……こんなことになっちゃったのかな)
駅前で見つけた彼の背中はとても淋しそうだった。
だから元気づけようとして持ってたカバンでそいつの背中を叩いたのだ。
しかし彼はボクを見ると「ヒカル……」と呟いただけだった。
そしていま、彼はボクの横を通り過ぎていく。
「なんだよう。あからさまに避けてくれちゃってさ……」
彼に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、ボクはそう呟いた。
淋しさと憎々しさ、そして不安で胸が詰まりそうだった。
「っ! そんなんじゃソシャネ病患者とかわらないじゃない!」
振り向いてそう叫んだとき、すでに彼の姿は完全に見えなくなっていた。
「竹流……ボクはどうすればいいの? どうすればあの日の責任がとれるの?」
俯き、両拳をギュッと握り、唇を噛んだ。
わかってる。ボクには彼に直接文句を言える資格なんてない。
明日香は言いたいことがあるならハッキリ言えと言った。
なら言う資格がない場合はどうすればいいの?
竹流が怒る理由もわかる。
ボクは、ボクたちの居場所だった『演劇部』を潰した。
あのときは確信があった。
そうしなきゃいけないと思った。
珠恵会長から昼休みの放送番組制作の依頼が来たとき、これだと思った。
だけど……いまは揺らいでしまっている。
確信が持てないでいる。
その理由は……たぶん竹流だ。隣に彼が居ないからだ。
ボクは少なからず竹流に期待してしまっていたんだ。
たとえ演劇部が潰れても竹流ならきっと傍にいてくれる。
そう信じていた。信じるだけで竹流の気持ちを考えていなかった。
結果として……ボクと竹流の間には深い溝ができてしまった。
ボクは『退屈なんてさせない』という竹流との約束を守れずにいる。
竹流の手を引いたのはボクなのに。
あの日の責任を取らなければいけないのに。
いまではもう、ボクの声は竹流に届かない。
話を聞いてもらえない。
ボクはこんな状況など望んではいなかったのに……。
「じゃあなにを望んでいたのですか?」
「えっ……?」
気が付いたら目の前に白い服に長い黒髪の女の子が立っていた。
「だ、誰?」
「わたしはアイヴィー。内なる声に耳を傾ける人にしか見えない存在だよ」
そう言ってその女の子はニッコリと微笑んだ。
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