第三部序 IVレポート3
20XX年2月14日。
今年のバレンタインデー。
わたしがこの世界に生まれ落ちる三ヶ月ほど前のことだ。
この日、ある病気が世界中で一気に蔓延した。
【SND(Social Network Disease)】(俗称『ソシャネ病』)
ブログやSNSなどの利用頻度が高く、ネット依存度が高かった人物が、急に他者とコミュニケーションをとらなくなるという謎の病。
あの人からもらったソシャネ病に関する記事にはこう書かれている。
『SNDは精神病の一種だと言われているが、詳しいことはわかっていない。
そもそも先進国では人口の半数にあたる人間が感染してしまい、感染していない研究者の数も限られているため、研究がまったく進んでいないのだ。
ただその感染者の世代別分布を見れば、高齢者・乳幼児の感染率は極めて低く、逆に十代から三十代にかけては極めて高くなっている。
つまりこの病気の感染率はケータイ・スマホ等の携帯端末の使用頻度と比例している。 携帯端末を所持しない人間に感染者が少ないことがその裏付けとなっている。
その発症条件について。
携帯端末の使用量と日頃のコミュニケーションの度合いが関係しているらしい。
一日百通以上メールやトークアプリなどで仲間とやりとりをしていた、所謂いまどきの若者はすべからく感染者となってしまっている。
ただし、ケータイ使用者の中でも、日頃から他者とのコミュニケーションを多く取っている人間は感染を免れている傾向にあるようだ。
たとえば、お客との対話を大切にしている昔気質の商店店主。
自分の考えを相手に伝えようとするクリエイター・芸能人・ニュースキャスター。
それらの仕事についている者たちには感染者が少ない。
一般人で言えば携帯端末使用者の中でも、思いやりのある人やハッキリと自分の意見を言える人、スキンシップを大事にする人などには感染者が少なくなっている。
症状は人から他者への感心を奪うというものだった。
他人と関わり合いになろうとは一切しなくなる。
会話というもっとも原始的なコミュニケーションですら行われなくなる。
たとえば道ばたでいきなり人が刺されたとしても、SND感染者であればまったく動じることなく、その場を走り去るだけだろう。
もっともここ数ヶ月の犯罪件数大幅に減っている。
他人に感心が無くなれば、他者を害そうともしなくなるということなのだろうか。
身体的外傷はなく、他者と関わろうとしないだけで日常生活に支障はない。
人々は繋がりを失ったままそのままの日常生活を続けている。
たとえば会話はなくとも親は子を養うし、公的機関にも影響はない。
しかし悲劇的なのは感染しなかった人間だ。
人の繋がりは完全に崩壊していた。
間にあった『愛』とか『友情』といったものは形骸化している。
これからの人口は大幅に減ることになるだろう。
そんな孤独に耐えられず自殺してしまった非感染者の数も多い。
もっとも問題となったのは感染者の育児放棄だ。
それまでに子供を育てたことのない若い父母はまだ子育てを日常化できていない。
そのため新生児を育てようとはしなくなるのだ。
さらに親だけが感染者になった場合、まだ精神的に脆い子供は生きていけない。
戦災孤児ならぬ『病災孤児』が増えているのだ。
現在では誰でも簡単に身元引受人になれる『里親制度』の導入や、感染者の少ない高齢者の育児協力、非感染者の子供達が肩を寄せ合って共同生活を送る『病災孤児院(仮)』という施設の設置などによってかろうじて維持されている。
SNDに有効な治療法などはいまだ発見されていない』
わたしがこの世界に生まれてもう二ヶ月が過ぎた。
わたしはすでに一人の人間になっていた。
いままではわたしが触れることはできても、わたしに触れることはできなかった。
だけどつい最近、誰もがわたしに触れることができることに気が付いた。
光司郎さんに頭をコロコロ撫でられたときだ。
わたしはすでに実体を手に入れていたのだ。
わたしは他人に触れることができ、他人はわたしに触れることができる。
温もりを感じることも、温もりを与えることもできる。
生者にとっては当たり前のことが、わたしはようやくできるようになったのだ。
わたしは嬉しくてあの人に飛びついた。
あの人は迷惑そうにしていたが、無理に引き剥がそうとはしなかった。
「声、映像、そして実体化か……次は羽が生えるんじゃないか?」
あの人はそう言って笑っていたけど……どうなんだろう。
わたしは人間がゴールじゃないのだろうか?
ときどきだけど考えるようになった。
わたしという存在は一体何なんだろう?
どうして私はこの街に生まれたのだろう?
この世界に蔓延したソシャネ病と、この世界に生まれ落ちたわたし。
田舎町であるからか比較的非感染者が多いこの街。
もしかして病気の蔓延とわたしの存在に、なにか関係性があるのだろうか?
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