第二部A&B面完 ギターとお化けとお抹茶6

 正直驚いた。まさか明日香がこんなことをするなんて。

 明日香の唇が触れた右頬が熱い。

 意識しすぎなのはわかっているけど、心臓がまだバクバク言っている。

 落ち着け、こんなんじゃコードすらまともに押さえられない。

 明日香はどうなんだと見てみたら、もう普通にアイヴィーと喋っていた。

 こういうときの女ってなんかすげぇと思う。

 俺があいつに比べてはるかにガキだってことなんだろうけど。

「そんなんで演奏できるの? 落ち着くまで待とうか?」

 佐久間兄が苦笑混じりにそう言ってきた。

「大丈夫だよ。この高ぶりは演奏にぶつける」

「言うねぇ。でも今日の歌はいつもみたいな熱い歌じゃないよ?」

 今日歌うのは淳が作曲していた曲を俺が編曲して詞をつけたものだ。

 いままで俺が歌っていたような歌とは違い、淳らしいやさしい感じの曲調だった。

 おかげで歌詞をつける際に、その世界観を壊さないようにと試行錯誤を繰り返すはめになった。

「でも驚いたよ。君があんな穏やかな歌詞をつけるなんて」

「やっぱガラじゃないよな……」

「うん。でも、とっても素敵な詞だと思うよ」

「半信半疑だったさ。こんなんで本当に思いが届くのかってさ」

 明日香のおかげで穏やかな曲を歌うことへのわだかまりは消えた。

 だけどだからって不安がないわけじゃない。

 穏やかな曲があいつらに届くのだろうか。

 叩き付けるような言葉でさえ、あいつらの胸には届かなかった。

 やはり届かないんじゃないだろうか。

 そんなことを考えていたとき、不意に淳がある歌を口ずさんだ。

 それは『PUFF~the magic dragon ~』の一節だった。

「キミは『パフ』が嫌いだって言ってたよね?」

「ああ……まぁな。ジャッキーが大人になって遊びに来なくなったからパフは泣いてばかりいる、って内容が気に入らなかったからな。どうにも消極的な歌詞だし、言いたいことがあればハッキリ言えって思ってたから」

「もし……ジャッキーがとても遠い場所へ行ったのだとしたら?」

 淳は少し淋しそうな表情を浮かべながらそんなことを話し出した。

「『パフ』はね、反戦歌だったとも言われてるんだ。ジャッキーは大人になったからパフの所に遊びに来なくなったんじゃなくて、兵士として戦場に行ったんだって。その証拠かどうかは知らないけど、教科書に載っているパフの歌詞ではジャッキーが来れない理由を“旅に出た”からだってしてる。“大人になって遊びに来ない”というのは子供向け番組のために付けられたまたべつの訳詞なんだ。もしかしたらジャッキーは戦死したのかもしれない。永遠の命を生きる竜にとってそれは永遠の別れを意味する」

 永遠の別れ。あの穏やかな感じの曲にそんなメッセージが……。

 切ない感じの曲だとは思ってたけど、そう聞かされると胸に迫るものがある。

「僕たちがこの歌をよく歌っていたのは、卒業していった先輩を懐かしんでいたからなんだと思う。もう二度と繋がることができないその人を思っていた僕たちにとって『パフ』は凄く胸に響いたよ。穏やかな曲のほうが却って胸を揺さぶることもある」

「そうだな……」

 また忘れるところだった。

 あの日、明日香から無言でも気持ちは伝わることを教えられたはずなのに。

 思いを届けるのに熱い歌も静かな歌もない。

 どんな歌であれ思いを込めて真っ直ぐに相手に届ける。

 そしてステージで思いを“体現”してみせる。

 明日香の“体現”の感触が残る右頬に手を当てると、なんだか穏やかな気分になる。

 俺は振り返り、みんなに号令を掛けた。

「それじゃあ、みんな、いこうぜ!」

「「「 おー! 」」」

 全員の声が重なり俺たちのステージの幕が開く。

「それじゃあ聴いてくれ! 浦町高校軽音部で『この風に乗せて』」

 言い終わると同時に一年の茅野がドラム代わりのキャリーケースを叩いてリズムを取り、水無がキーボードを奏で出す。

 ピアノ調の旋律を繰り返した後で、俺は静かに歌い始める。

 

『ふわり、ゆらり、揺れる風 頬を優しく撫でる

 なぜかとても懐かしくて とてもこそばゆかった』


『ふわり、吹き抜けて行く風 身体を包み込んで

 その一歩を踏み出そうよ 服に風を纏わせて』


 キーボードの演奏が止み、俺のギターがメロディーを引き継ぐ。

 茅野のリズムと淳のベースが加わり、音に深みがます。


『見上げた空高く 今日も良い天気 ハミング

 内なる声に耳澄ませたら 本当の気持ちがわかる』


 水無のキーボードも加わり、全員でメロディーを紡ぎ出す。


『My voice on the winnd この声が キミに、キミに届きますように 

 僕はここで歌い続ける たとえいまは無理でも』


『My voice on the winnd この声が キミに、キミに届いたなら

 放課後にはここまでおいで やさしい風が吹くこの場所へ』


 一番と二番の間でキーボードのソロ演奏が始まり、俺は指を止める。

 瞬き一つの間で、景色が変化していた。

 気が付くといつものメンツがこっちを見ていた。

 今日も来てくれたようだ。

 相変わらず悲しい顔をしているが、もう怯まない。

 俺はジッとそいつらを見つめる。

 声なき声に耳を傾けるように。

 もう俺の歌を聴けとも、盛り上がれとも言わない。

 だから教えてくれ。お前らは何を望んでいる?

 どうしてそこにいる?

 俺に伝えたいことがあるのか?

 俺に何ができるのか?

 その声を……俺に聞かせてくれ。


 ◇ ◇ ◇


「あの人はあなたたちの声に耳を傾けている」

「え?」

 隣にいたアイヴィーちゃんが急に何かを話し出しました。

 どうやら私にではなく、その声はどこか別な場所に向けられているようでした。

「あなたたちはいつまでそうやって立ってる気ですか?」

「あの、アイヴィーちゃん? さっきからなにを……」

 そう言いかけて、周囲の風景が違っていることに気が付きました。

 さっきまで観客は私とアイヴィーちゃんとあの女の子と若い女性の四人だけだったのに、気が付いたら九人になっていました。

 二十歳過ぎの男が一人。高校生くらいの女子が二人。

 中年の男女が一組。小学生くらいの少年が一人。

 もしかしてこの五人が、光司郎くんの言っていた『駅前広場に現れるヤツら』なのでしょうか。言われてみれば全員悲しそうな表情を浮かべています。

 それに……全員どこか人間離れした雰囲気がありました。

 アイヴィーちゃんはその人たちに聞こえるように話し続けました。

「話を聞いてほしいんじゃないですか? 聞いてあげますよ。わたしも目の前で歌うあの人も、あなたたちの声に耳を傾けています。だから心を開いて下さい」

 アイヴィーちゃんは耳を傾けるかのように、そっと目を伏せました。

 時間にすれば五秒ほどでしょうか。

 しかし私には夜が明けるのではと思うほど長く感じました。

 そんな沈黙の後でアイヴィーちゃんは瞳を開くと、静かに口を開きました。

「そうですか……あなたたちは諦めてしまったんですね」

 もしかしてこの人たちと話していたのでしょうか。

「繋がりのないこの世界に絶望して、この世界を諦め、そして“去った”。去ったはいいけど、その先で繋がりが手に入るわけでもなく、淋しさから結局はこうやってこの世界に留まって、繋がれそうな光司郎さんの傍に集まったんですね」

 世界から去る。それってつまり……。

 見れば五人全員がアイヴィーちゃんの言葉に顔を伏せていました。

「自殺した人の魂が光司郎くんに取り憑いていたってことなの?」

「ちょっと違う。この人たちは繋がりを求めていたから、光司郎さんの歌にすがってたんだよ。やりかたはちょっと強引だったけど光司郎さんは誰かと繋がろうとして歌っていたでしょ。その歌を聴くことでこの人たちは“繋がった気”になってたの」

 そしてアイヴィーちゃんは彼らと真っ直ぐ向かい合いました。

「だけどそれは結局一方通行のモノでしかない。誰かと繋がりを求めるならなんとしてでも生きなきゃダメだった。生きてさえいれば。苦しくても繋がりを模索することができたのに。死んだらもう温もりがある人とは繋がることができない。あそこを見て」

 アイヴィーちゃんはスッと一箇所を指差しました。

 少し離れたところで演奏を聴いていた女の人と女の子のことを。

 二人とも楽しそうに光司郎くん達の演奏を聴いています。

「あの女の子はこの世界に踏みとどまった。だからあそこにいる女の人や誠一さんや夏樹さんに出逢うことができた。そしていま、あんなに楽しそうな笑顔を浮かべている。もしあのとき、彼女が病院の屋上から飛び降りていたらこの瞬間はなかった。あなたたちのように悲しい顔でこの世界を彷徨っていたと思う」

 でも、彼女は生きた。

「生きてこそ……人は人と繋がり合える」

 私の言葉にアイヴィーちゃんは黙って頷きました。

「わたしはこれでも“こちら側”の人間だから、“そちら側”の人がどうやったら満たされるのかなんてわからない。そちら側に何が待っているのかも知らない。だからわたしたちには、あなたたちの気持ちをおもんぱかることはできない」

『ゆらり、キラリ、揺れる水面 雨上がりの水たまり♪』

「ですが、悼むことならできます」

 アイヴィーちゃんの言葉に光司郎くんの歌声がBGMとして響き渡る。

『涙一つ零れて落ちて 小さく震えている♪』

「わたしにできることはあなた達を悼み、送ることだけ」

『ゆらり、キラリ、輝く記憶 忘れえぬあの日々は♪』

「向こうになにがあるかわたしは知らない。ですがもしまた人として生まれたら、」

『哀しさ恋しさに彩られ まだ僕の胸にある♪』

「そのときは、今度こそ精一杯生き抜いてください」

『アスファルト砕き芽を出す名もない草の様に、』

「わたしはアイヴィー。あなたが内なる声に耳を傾けるなら」

『諦めずに歌い続けるよ♪』 


「わたしはここにいいる」

『僕はここにいる』



 二人の声が重なりました。

 その瞬間、私は居ても立ってもいられなくなって叫んでいました。

「光司郎くん! お願い!」

 出てきたのはその一言だけでした。

 伝えなければいけないことはたくさんあるはずなのに、言葉になりませんでした。

 それでも光司郎くんには伝わったようで頷いてくれました。

 光司郎くんはそこで歌うのを止め、ギターのソロ演奏に切り替えました。

 急なアドリブで淳さんたちは少し慌てたようでした。

 それでもなんとか光司郎くんのあとを付いていってます。

 そして不意にメロディーが変化しました。

「このメロディーって……」

 リズムはそのままで紡がれた曲は『アメイジング・グレイス』でした。

 教会音楽。私の願いは光司郎くんにしっかりと伝わっていました。

 光司郎くんはこの人達を追悼しようとしている。

 だからこそこの曲を奏でている。

 光司郎くんは歌詞ではなく『Ah~』というメロディーだけで歌いだしました。

 私も光司郎くんと一緒にそのメロディーを口ずさみました。

 アイヴィーちゃんも歌いだしました。

 淳さんも水無さんも茅野さんも不思議そうな顔をしました。

 それでもすぐに笑って一緒に歌ってくれました。

 隣で見ていた女の子と女の人も歌いだしました。

 私たち3人以外はなにもわかってはいないと思います。

 ですが、そのメロディーは不思議と一体感がありました。

 心は一つであると言い切ることができました。

 5人を送るために8人が歌う葬送曲。

 そのメロディーの中で5人の身体が徐々にヒカリに変わっていきました。

 まるでホタルのように静かに淡く輝き、そして消えていきます。

 その表情はみんな一様に笑顔でした。


 光司郎くん……見えてますか?

 この人達の笑顔が……。


 ◇ ◇ ◇


 あぁ……見えてるぜ。

 ようやく悲しい顔を打ち崩すことができた……。

 話しているわけでもないのに、明日香の心がダイレクトに伝わってきた。

 目の前に広がる奇跡のような光景に見とれながらも、俺はギターを弾き続けた。

 この演奏と同時に全てが終幕を迎える。不思議とそんな予感がしたからだ。

 この瞬間を終わらせたくないという気持ちは確かにある。

 だけど……そろそろ終わりにしよう。

 どうせいつかは終わるのだから、せめて綺麗にフィナーレを迎えたい。

 メロディーをさっきまでのサビ直前の状況に戻そう。

 淳、水無、茅野。

 俺のわがままに付き合ってくれて。

 目で合図を送りながら、俺はメンバーに感謝した。

 

『My voice on the winnd この声は空を、空を、空を駆けて

 どんな壁も越えてゆける 時間はかかっても』


『My voice on the winnd この声は夜を、夜を、夜を越えて

 いつか必ずその手をとって 君を招くよ この丘に』


 気が付いたら涙が一筋、頬を伝っていた。

 歌えなくなるほどではなかったけど、なんだか胸がいっぱいになっていた。

 見れば明日香の目からも涙がこぼれていた。

 こっちは本泣きのようだ。

 アイヴィーはむしろ晴れやかな笑顔で5人を見送っていた。


『My voice on the winnd この声が キミに、キミに届きますように 

 僕はここで歌い続ける たとえいまは無理でも』


『My voice on the winnd この声が キミに、キミに届く日まで

 僕はここで歌い続ける やさしい風が吹くこの場所で……』


 広がった歌声が掻き消えるのととほぼ同時に、その5人の姿も掻き消えた。

 騒乱の舞台から夜の静寂へと落とされる。

 成仏したとかそういうチャチな言葉で片付けたくはなかった。

 夢から醒めたようなと言えば綺麗だが、なにかが終わってしまったような気がした。

 俯きながらギュッとギターの柄を握りしめた。

「お疲れ様でした」

 顔を上げるとそこには明日香が微笑んでいた。

「あの景色……明日香にも見えてたか? 俺の幻想じゃないよな?」

「はい。しっかりと見えていました」

「そういえばアイヴィーは?」

 気が付いたらアイヴィーの姿が消えていた。

「まさかあいつらと一緒に……」

「それはないと思います。彼女はこちら側の存在らしいですから」

 明日香は俺の隣に来ると腕を組んできた。

 少し恥ずかしかったけど、俺たちはしばらくそのまま寄り添っていた。

「出逢ったときも突然でした。ですから別れるときも突然なんでしょう。今頃はどこか別の場所をフラフラとしてるんじゃないでしょうか。だからきっとまた……」

「そうだな……逢えるといいな」

 明日香は最高の笑顔を浮かべながらしっかりと頷いた。

「逢えますよ。だってアイビーの花言葉は……」

 アイビーの花言葉がアイヴィーにも当てはまるのなら、

 俺たちは……きっとまた巡り逢える。

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