第二部A面 ギターとお化けとお抹茶5

「まったく……一体なんだってんだ……」

 住宅街を一人歩きながら俺は手にしたメモに目を落としていた。

 メモにはここら辺の地図と住所が書いてあった。

 きっと女の子向けのメモ用紙を使ったのだろう。

 ピンク色の枠線に右下にはウサギのキャラクター。

 ついでに『お待ちしています』という添え書き付き。

 地図のとおりならもうそろそろ着くはずだ。

「この伝言もルージュで書かれてたらおもしろかったんだけど……」

 二十年以上前のアニメ映画で確かそんなタイトルの曲が使われていたと思う。

 アニメの歌だってバカにできないなにかがあった。

 少なくとも、いまほど人間関係が希薄になっていないころの歌だ。

 愛だの恋だの友情だのという言葉が、いまほど嘘くさくはなかった。

 もっとも和製美人の明日香にルージュは似合わないかな……って、そんなことより。

「明日香のヤツ……呼び出してまで俺に話したいことってなんなんだ?」

 肩からズレ落ちそうになったギターケースを直しながらぼやき気味にそう呟いた。



「光司郎くん、ちょっといいですか?」

 帰りのホームルームが終わり。

 いつものように駅前広場に行こうと思っていたら明日香に呼び止められた。

 またあの双子が来てるのかと入り口を見たが、そこには誰もいなかった。

 訝しんで見ると明日香は俺に用があるようだった。

 今日は土曜日で午前授業だったので、いつもより長く時間が取れる思っていたのに。

「大切なお話があります。これからお時間を頂けないでしょうか?」

「話って……ここじゃダメなのか?」

「できれば午後三時にこの場所まで来て下さい」

 そう言って明日香は俺にこのメモを手渡してきた。

 断ろうと思ったんだが……そのときの明日香の目は真剣そのものだった。

 いつも遠慮がちな彼女が見せた強い意思の籠もった眼差し。

 その目が妙に気になったのでつい応じてしまった。

 真剣な眼差しに見据えられて断りの言葉が出てこなかったのだ。



「なんだか最近コンナコトばっかりだな……」

 言いたいことをハッキリと言えば誰にだって届くと思っていた。

 いや、いまでもそう思っている。

 だからこそ熱い思いを伝えるために熱い歌を歌ってきたし、『パフ』みたいな穏やかな歌ばかり歌う軽音部のメンバーにはなりたくなかった。

 でも、だとしたらどうして届かない。

 あの駅前広場に集まるヤツらは未だに悲しい顔のままだ。

 ただ黙ってこっちを見ているだけだった。

 あいつらに届けたい思いがあるのに、

 あんなに一生懸命に言葉にしているのに、

 どうしてあいつらには届かないんだ。

「叩き付けるばかりが言葉じゃない……か」

 急に天野の言葉を思い出した。

 だったら天野、俺はどうすればいい?

「言葉にする以外に、どうやって思いを届けたらいいんだよ……」

 急に周囲の景色が変わり足を止めた。どうやらここが目的地らしい。

 この一角だけ別空間のようになっていた。

 緑の山と青い瀬戸内海以外は垢抜けない印象のこの町。

 この一角だけは日本的な白壁に囲まれていた。

 その壁にそってしばらく歩くと、日本の城門のような門に辿り着いた。

 その門の脇に掛けられた表札には『森本』とあった。

「ってことは……ここが明日香の家か!?」

 でかい。豪邸ってほどではないにしろ一般人の家とは一線を画している。

 一軒家が裕に四つは入る大きさだった。

(あいつってば結構なお嬢様だったのか……)

 まあ見た目の印象どおりと言えばそうなんだけど。

 その門は開かれていて、中を見ることができた。

 そこからはまるで神社にあるようなよく手入れされた庭が見えた。

 その中を門から続く飛び石が走っている。

「もしかしてここに入れってのか? ……いいのか?」

「門前に打ち水がしてあれば入って良いということですよ」

 いきなり声を掛けられて跳び上がりそうになるほど驚いた。

 振り返るとそこには着物を着た女性が立っていた。

 紺色の着物を纏った落ち着いた感じの美人で、若いようにも妙齢なようにも見える不思議な人だった。

「あなたが建部さんですね。明日香から話は聞いております」

「あの……明日香ってことは……」

「申し遅れました。明日香の母の時雨でございます」

 時雨さんはそう言って頭を下げた。

 両手を太ももの前に当て、斜め四十五度くらいに頭を下げる。

 それはいままで見たことないくらい綺麗なお辞儀だった。

「あ、すいません。建部光司郎です。よろしくお願いします」

 俺も慌てて頭を下げた。

 慌てすぎてギターケースが肩からずり落ちてしまった。

 地面に当たってゴンッと鈍い音を立てたけど気にしている余裕はない。

(い、いきなり親御さん登場って……)

 こういう礼儀正しい受け答えをされるのは慣れていない。

 焦りと緊張でてんやわんやになってしまった。

 そんな俺の内心を知って知らずか時雨さんは穏やかに微笑んでいた。

「話にうかがっていたよりも礼儀正しい方なのですね」

 明日香のヤツ……いったいどんな話をしてやがんだ。

「さすがにときと場合は考えるといいますか……敬語は苦手なんですけど……」

「苦手である敬語を使おうとしてくれているだけで十分です。茶道の精神は相手を敬う心です。あなたはそれがちゃんとできているということです」

「茶道……あぁなるほど……」

 ここは茶道の家なのか。

 言われてみればこの家も明日香の挙措もそんな感じだ。

「さぁここで立ち話もなんですのでお入り下さい。娘も待っています」

「え、あ、はい」

 俺は時雨さんに付いていく形で門をくぐった。

 まず最初に(時雨さんの説明付きで)案内されたのは『寄付(よりつき)』という場所で、そこで靴を脱ぎ、『待(まち)』という八畳の部屋へと上がった。

 そこでギターケースやカバンや貴重品なんかを預けるらしい。

 別の出口からサンダルを履いて外に出るように言われた。

 本当は草履を履くらしいんだが、足袋なんて履いてないので貸してもらえた。

「あすこでお待ち下さい。じきに明日香が迎えに出るでしょう」

 そうして指し示されたのは小屋を真っ二つにして中にベンチを置いたような(そんなちゃちな造りではなかったが)場所だった。

 田舎にあるバス停を思い出す。

 時雨さんの話では腰(こし)掛(かけ)待(まち)合(あい)というらしい。

「あとは若い二人にお任せします。おほほほ」

「いやお見合いじゃないんですから……」

 時雨さんは意味ありげな笑いを残して家の中へ入ってしまった。

 とりあえず隅にあった円座を一つ拝借して腰掛けながら明日香が来るのを待った。

 眼前に広がるのは庭の風景。

 この腰掛待合ってのは庭を見るための場所みたいだ。

 それにしても……。

「静かだ。本当にいつもの街なのか?」

 無音というわけではない。その静けさ故にいろんな音が強調されている。

 木々のざわめきと鳥の声がいつもより大きく聞こえていた。

 なんだか思考が深く沈んでいく気がした。

 瞳を伏せ、視覚以外の感覚に身を任せる。

 これは現実なんだろうか? それとも夢?

 俺はなんでここにいるんだっけ……あ、そうだ。

 明日香に呼ばれたんだっけ。

 でもなんだろう。明日香は俺に何をさせたいんだ?

 これはなんだ? 

 茶道の体験学習か?

 なんでソンナコトをさせる?

 わからない。わからない。わからない。…………。

 ビュオオオッ

「っ」

 不意に大きな風が吹き抜けていった。

 目をつむり、再び目を開けると、目の前に明日香が立っていた。

 淡い黄緑色の着物に桃色の腰帯を身につけたその姿に目を奪われた。

 その瞬間に過去の記憶がフラッシュバックし、俺はそのことに気が付いた。

 明日香が……あのときの女の子だったんだ……。

 あまりの出来事に俺はまだ夢でも見てるんじゃないかと思った。

 どうして今さら気付いたんだろう……と考えてあることを思い出した。

 そうだよ、あのときの女の子は着物を着ていたんだ!

 霞んでいた記憶の少女が急にハッキリとした映像として脳裏に浮かび上がった。

 その少女もまた黄緑色の着物に桃色の腰巻きという服装だった。

 なんてこったい……明日香は気付いてたのか?

 あ、だから俺に話しかけてきたのか。

 だったら、言ってくれればいいのに……。

 声を掛けようとしたとき、明日香が黙って一礼をした。

 それは時雨さんがしていたような、とても丁寧で綺麗なお辞儀だった。

 つられて俺もつい頭を下げてしまった。

 そんな俺の様子を見てか明日香がクスリと微笑んだ。

「本当ならここは無言で挨拶をするだけなんですけど……」

「茶道の作法なんか知らん。言ってくれないとどう動けばいいかもわからない」

「ふふ、そうですね。この度は良くおいでくださいました」

「堅苦しいのは苦手だが……この流れではそっちのほうが自然かもな」

 俺は今度は恭しく丁寧にお辞儀をした。

「お招き頂きましてありがとうございます」

「なんだか似合ってませんね」

「ほっとけ……。それで? 俺に用があって呼んだんじゃないのか?」

「それはまた後ほどお話しします」

 そして明日香は手のひらで石畳が続く方を指し示した。

「まずはあちらの茶室で粗茶などを差し上げたいのですが……」

「それは話を聞く上で大事なことなのか?」

「はい。では私は用がありますのでお先に失礼します」

 軽い会釈をし、明日香は歩いていった。

 生け垣の陰で明日香の姿が完全に見えなくなった。

 だけど俺はしばらくその場を動かなかった。

 なんとなくそうした方がいい気がしたからだ。

 しばらく無言で佇み、もういいころかと思ってその後を追って歩き出した。

 飛び石を歩いていくと竹でできた戸があり、押し開いて中へと入っていく。

 途中に神社のお手水のようなもの(後で聞いたら“つくばい”というらしい)があったが作法がわからないので素通りした。

 そのまま歩いていくと木造の建物に辿り着いた。

 これが明日香の言っていた茶室だろうか。

 小さな戸のようなものがあり、ここから入るようだ。

 手を掛けてみると開いたので俺はサンダルを脱ぐとそこから中へ入った。

 ほのかに薄暗い。当然か。

 障子窓の先はすだれかなにかで閉められていた。

 だけど天井の一部が窓になっていて、そこから光が差し込んでいる。

 俺はどうしたもんかもわからなかった。

 とりあえずその天窓の光がちょうど目の前に降り注ぐ位置に腰を下ろした。

 あぐらを掻いてしまったけど、正座した方がいいだろうか?

 でもまあ茶道を習うわけじゃないんだからべつにいいだろう。

 周囲を見渡してみれば左の床の間には掛け軸があり、崩されていて読めないが6つの漢字が書かれているようだった。

 そして前には何かなにのようなモノ(風炉というらしい)があった。

 この部屋にある物と言ったらそれくらいか……あ、あとはこの光だな。

 薄暗い室内をうっすらと照らす天窓から差し込むやわらかな光。

 綺麗だ。照りつけるでもなく降り注ぐ光のやさしさに心が和む。

 そんなとき襖が開いた。

 その向こうでは明日香が正座していて、一礼して部屋の中へと入ってきた。

 そして風炉の前に座るとお茶を立て始めた。

 明日香もなにも話さないので、俺もただ黙ってその様子を見ていた。

 その時の明日香は凛としていて、いつも柄沢ヒカルに振り回されて困ったような笑顔を浮かべているときの面影はなかった。

 同一人物なのかと疑いたくなってくる。

 そんな彼女の一面に驚いていると、明日香は立て終わった茶碗を脇に置いた。

「………」

 明日香からの指示はなしか。

 なんとなくそれを取りに行ったほうがいい気がした。

 俺は立ち上がってその茶碗を手に取り、もう一度元の場所に戻った。

 そして茶碗をいったん畳の上に置いた。

 さて、これをどうすればいいんだ?

 首を捻っていると、明日香がなにやらジェスチャーを送っていた。

 俺はとりあえず彼女の真似をすることにした。

 まずは茶碗を両手で持ち上げるようだ。

 そして茶碗を2回ほど回す。

 これは時代劇かなんかで見たことある仕草だった。

 すると“あとはどうぞ”とばかりに手のひらで飲むことを促された。

 俺は黙ってそれを何口かで飲み干した。

 正直、お茶の味はわからない。

 だけどなんだろう。なんだか心が温かい。

 そうか。きっと思いが伝わってくるからだ。

 俺を精一杯もてなそうという明日香の思いが伝わってきた。

 茶碗を置いたとき、ようやく明日香が口を開いた。

「味はどうでしたか?」

「結構なお点前で……って言いたいが、お茶の味はわからない」

「正直すぎるのもどうかと思いますよ?」

「そうだな。でも……」

 俺は天窓の方を見上げた。

「この空間は好きかもしれない。なんだか妙に心が和む」

「気に入ってもらえたなら嬉しいです」

 明日香は本当に嬉しそうに笑っていた。

 なんか手のひらの上のようで悔しく、俺はあぐらの上に頬杖を突きながら尋ねた。

「それで、いい加減、俺に話したいことってのを話してくれないか?」

「話でしたらもう終わってます」

「おいおい……」

「冗談ではないです。私が伝えたかったのは“無言”ということですから」

 無言? ……言われてみれば腰掛待合で別れてからお茶を飲み終えるまで、明日香とは一切言葉を交わしていなかった。

 どうすればいいかわからなかったということもある。

 その一方で、この和む静寂を壊したくなかったからというのもあった。

「言いたいことがあるならハッキリ言え……あなたは私にそう言いました」

 明日花の静かな声が耳に届く。

「ああ……何年も前にな。ようやく思い出したよ」

「フフッ、そうですか。でしたら、いまはどうですか?」

「どうってのは?」

「私は一言も喋りませんでした。私の思いはあなたに届きませんでしたか?」

 無言でも……伝わる気持ち?

 そんなもの……あ、いや……たしかに感じてはいた。

 だけど、そんなものを認めてしまったら俺は……俺の生き方は……。

「否定することにはならないでしょう。言いたいことを言うのは大事です。言わないままに相手に理解を求めるのは怠慢でしかありません。事実、過去の私はそうでした」

 そこで明日香はいったん言葉を切った。

 そして俺の目を真っ直ぐ見ながら言い切った。

「ですが、言うことで必ず伝わると考えるのもまた怠慢だと思います。光司郎くんは茶道にとって一番大事な道具はなんだと思いますか?」

 明日香はいきなりそんなことを言い出した。

「お茶……じゃないのか? 茶がなかったら茶道にならないだろう」

「違うんです。利休居士……千利休の言葉にこういうのがあります」

 明日香は俺の左にある床の間の掛け軸の方に手のひらを向けた。

「“掛け物ほど第一の道具はなし”」

「このなんて書いてあるのかもわからないものが一番大事?」

「はい。掛け物は茶会のテーマなどを表しているものなんです。たとえばそこに『一期一会』と書かれていたら、そのお茶会は一生一回の出会いを大切にしたいという意味が込められているということなんです。つまり掛け物は茶の湯の道を極めるための道標のようなもので、だから千利休も第一の道具であるとしたんでしょう」

 つまり大事なのは字ではなく書かれている言葉ってことか……。

「それって結局は言葉が大事ってことじゃないか?」

「そうではありません。大事なのは体現することです。龍樹菩薩の教えに『指月の譬』というものがあります。『なぜ私がアナタに月の在処を指し示しているのに、アナタは私の指を見つめているのか』という意味ですね」

「? どういう意味だ?」

「『仏典の言葉は、真理ではなく真理を指し示す指でしかない』という意味です。掛け物はテーマを提示しますが、大事なのは言葉にして伝えるのではなく、そのお茶会の中で体現してみせることなんです。体現できなければ掛け物の言葉も虚栄に過ぎません」

 ああ……なるほど。口先だけで終わるな、みたいなことか。

 学んで満足するのではなく、行動に活かせと。

 明日香はふっと天窓のほうを見ながら言った。

「思いを伝えるのに必要なのは言葉だけではありません。言葉で全てを表せるほどこの世は単純ではないですよね。言葉にできない思いがあります。友情や愛情……言葉にすれば嘘臭くなってしまう気持ちがあります。言葉にすることもたしかに大事です。ですが言葉にすることにこだわっていたら、大切なモノを見落としてしまいます」

 言葉にすることにこだわって見失う大切なモノ。

 もしかして駅前広場に集まるあいつらが悲しい顔を崩さないのもそうなのか?

 俺がその大切なモノというのを見失っているから。

「だからか? こんなだからあいつらにも届かなかったのか?」

「あいつら……ですか?」

 俺は明日香に駅前広場に集まるヤツらのことを話した。

 俺が演奏し始めるといつもどこからともなく現れること、みんな悲しい顔をしていること、俺がどんなに歌って盛り上げてもその表情を崩さないことなどをだ。

 明日香は黙って俺の話を聞いていた。

「俺はあいつらの悲しい顔を壊したい。だけど、どうしていいかわからないんだ」

「そうなんですね。それがアイヴィーちゃんが言っていた……」

「あいびー?」

 そう言えば天野もそんな名前を口にしていた気がする。

 その『あいびー』ってヤツは誰なんだろうか。

 尋ねようとしたとき明日香は急に立ち上がった。

 そして床の間に掛けられいたモノを外すと俺の前に広げて見せた。

「ここには『明歴歴露堂堂(めいれきれき ろどうどう)』と書かれています。『明歴歴』とは『明かである』ということです。『露堂堂』とは『少しも隠すところがない』ということです。『真理』『悟り』『境地』や『大道』といった崇高なモノは遙かな場所にあるものと思われがちですが、実は少しも隠すところなく私たちの周りにあるんだという教えです」

 そう言いながら明日香は差し込む光に手を翳してみた。

「雨竹風松みな禅を説き、天地日月森羅万象みな大道の顕れ……この世のありとあらゆるモノはみんな私たちに世の摂理を語りかけているそうです。だけど人はいろんな妄執にとらわれて心の目を曇らせ、そんな自然の語りかける言葉に気付きもしない」

「めんどくさい言い回しだな。なにが言いたいんだ?」

「耳を傾けたらいかがでしょうか」

 明日香は膝立ちになって俺の両手を取り、俺の右手を自分の胸元あてた。

 そして自分の左手を俺の胸元にそれぞれ押し当てた。

 硬い着物越しとはいえ、右手の平から伝わる温もりにドキッとした。

「相手の気持ちがわからないなら、その人の声に耳を傾ければいいんです。もし自分自身のことがわからないなら、自分自身の声に耳を傾ければいいんです。声は言葉だけじゃありません。もし言葉にできない思いにぶつかっても否定しないでください。もし素直な気持ちでそんな声を聴くことができたら、答えは自然と見つかると思います」

「それじゃあ……見つけた答えが言葉にできないものだったら? その答えを誰かに届けたいのに、言葉にできない場合はどうすればいい?」

 駅前広場に集まるヤツらに伝えたい思いがあった。

 だけどうまく言葉にできないでいた。

 だからこそそのモヤモヤを吐き出すように激しい歌ばかり歌った。

 穏やかな歌を歌う軽音部に背を向けてきた。

 言葉にできない思いを言葉にしようとして。

 それがそもそも言葉にできないモノだったら、どうすれば伝えられるのだろう。

「無理に言葉にしないことだと思います」

「でもそれじゃあ伝わらないんじゃ……」

「伝える手段ならあります。光司郎くんには歌があるじゃないですか」

 明日香は胸に充てていた俺の手を両手を握った。

 そして俺の顔を覗き込むようにグッと顔を前に出した。

 ちょうど光が明日香に降り注ぐ形になる。

 その光の中で明日香はニッコリと微笑んだ。

「歌は言葉だけではありません。メロディーがあり、発声法があります。言葉にならないならそういった手段で表現すればいいじゃないですか。インストゥルメンタル版の方がより鮮明に作者のイメージが伝わってくることもあるでしょう?」

 それは……そうだな。そのとおりだ。

 詞だけでは歌にはならない。

 メロディーもまた表現の手段だ。

 むしろ言葉にしないことにより作者の心を色鮮やかに届けることがある。

 クラシックなんかそうじゃないか。

 南米系の人が歌っているフォルクローレだって、スペイン語がわからない人にもあの心に迫るメロディーは届いているはずだ。

 俺は多分……言葉にすることにこだわってしまっていたんだ。

 言葉にできないことに焦って、もがいて、苦しんでいた。

 それをなんとか言葉にしたくて熱い歌ばかり歌い、穏やかな歌ばかり歌う軽音部を否定して、そして淳や水無が差し伸べてくれた手を振り払ってしまった。

 そして駅前広場のあいつらに延々と自分の言葉を叩き付けていた。

 そんなの不平不満をぶつけていただけじゃないか。

 叩き付けるばかりが言葉じゃない……か。

 結局、天野の言うとおりだったな。

「俺の独りよがりだったってことか……」

 いま、ほんの少しだけ自分のことがわかった気がした。

 なんだか無性に軽音部のヤツらとセッションがしたくなってきた。

 もう俺の歌とかあいつらの歌とかこだわる理由はない。

 頭を下げて誠心誠意謝ったら仲間に入れてくれるだろうか?

「独りよがりだと気付いたなら、きっと大丈夫だよ」

「うおっ!?」

 いきなり真横から声を掛けられて、またもや腰が浮くほど驚いてしまった。

 隣を見るととそこには白い服を着た少女がちょこんと正座していた。

「誰だお前!? いつの間に入ってきた!?」

「わたしはアイヴィー。さっきからずっとここにいたよ。ねぇ明日香さん」

 そう言ってその少女は明日香に同意を求めた。

 嘘だろ、と明日香の方を見れば苦笑しながら頷いていた。

 明日香は「この子はアイヴィーちゃんだよ」と紹介した。

 こ、こいつがアイヴィーなのか?

 いきなり現れた白い服に長い黒髪の少女をジッと見つめる。

 するとアイヴィーは俺の視線を受けて「ウフンっ♪」とウインクした。

 美少女だけど、どこか人間離れした雰囲気がある。

「で、結局何者なんだ?」

「わたしはわたしだよ。アイヴィーはアイヴィーとしてこの町に生まれて、アイヴィーとして存在している。ただ、わたしが見える人と見えない人がいるだけ」

 いやいや答えになってないだろう……。

 見えない人がいるって段階で十分人間じゃない気がする。

 明日香や天野がアイヴィーの名前を出したとき、奥歯に物が挟まったような言い方をした理由がわかったわ。

 こんなの俺にだってどう説明すればいいかわからない。

「深く考えるだけ無駄ってことか……ならどうでもいいや」

「な、それはちょっと無関心すぎだよ!」

 そう言ってむくれたアイヴィーだったが、頭をコロコロと撫でてやると「にゃ~」とネコのような声を出してされるがままになっていた。

 こいつ、結構おもしろいな。

 そんな俺たちの様子を見て、明日香はクスクスと笑っていた。

 こんな和やかなムードも……たまにはいいか、とか思っていた。

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