第二部B面 ギターとお化けとお抹茶4

 あの日からです。

 光司郎くんは授業が終わると、すぐに教室を飛び出すようになりました。

 どうやら毎日あの駅前広場で歌っているようです。

 自分の思いを伝えるためにがむしゃらに歌い続けていました。

 まるで憑き物に憑かれた様……というのは洒落になっていませんね。

 光司郎くんには見えない少女アイヴィーちゃんが指さした先に居るというもの。

 私には見えない『あまりよくないもの』の存在。

 何度も光司郎くんから話を聞こうしましたが、最近では光司郎くんは一人で考え込むことが多くなり、ずっとそのタイミングを逃していました。

 それは軽音部の二人も同じで、最近は話も聞いてくれないと愚痴っていました。

 水無さんは私に「気を付けてあげたほうがいいよ」と耳打ちをしました。

 水無さんの憧れていた先輩もあんな風だったのでしょうか。

 とにかく今日も話すタイミングを逃してしまった私は家へと帰りました。

 和服に着替えると茶室へと向かいます。

 いつものように母から茶道の手ほどきを受けていました。

 母屋自体はそれほどでもありませんが、茶道の先生の家と言うこともあり、広い庭と茶室はなかなかのものです。閑静な住宅地にあることもあり茶事(茶会のもっと本格的なものと思ってもらえれば結構です)さえ開かれることもあります。

 母から饗された薄茶を飲み終えたときです。

「今日のあなたは身が入っていないみたいですね」

 風炉のほうを向いたままの母からそう言われました。

「茶道は『一味同心』。心ここにあらずでは相手に対しても失礼になります」

「あぅ……すみません」

「学校でなにかあったのですか?」

 茶碗を置きながら、私は思わず笑みを浮かべてしまいました。

 昔の、私とケンカする前の母ならこんなことは聞かなかったでしょう。

 無言を重んじ私語を嫌っていた母。

 たとえどんなに娘のことを心配していたのだとしてもです。

 稽古の間中は話を振るようなことはしませんでした。

 当時の私は母のことを娘より茶道が大事な冷血人間なんだと思っていました。

 だけど……話し合ってみれば母も人並みに、娘である私の言動に右往左往し、気に掛けてくれていたのだと言うことがわかったのです。

 いまでは母も、あのころのことはやり過ぎだったと謝ってくれてますし。

『茶道の御免除は持っていても、母親としては素人だったから……いろいろ見失ってしまってたんだと思うわ。相手を敬うという茶道の基本を忘れていました』

 そう言ってはにかんだ母の顔は一生忘れないでしょう。

 もしあのとき、まっすぐぶつかっていかなかったら。

 母のあんな顔は見られなかったでしょうし、このような良好な関係(相変わらず茶道には厳しいですが)ではいられなかったでしょう。

 すべて、あのとき惑っていた私を導いてくれた光司郎くんのおかげです。

 だからこそ私は……いま惑う光司郎くんの力になってあげたいと思いました。

「お母さん……少し話を聞いてもらってもいいですか?」

 私はこれまでのことを母に話しました。

 あの日、公園で出逢った男の子こと。そこで聞いた言葉。

 高校生になって再会した男の子のこと。

 水無さんから言われた辛辣な言葉。

 そしていまの彼の状況などをです。

 ただアイヴィーちゃんのこと。

 彼女が言った『あまりよくないもの』のことは話しませんでした。

 どう話せばいいかもわかりませんし、信じてももらえないでしょう。

 それでも母は目を伏せながら私の話を黙って聞いくれました。

「私は、どうしたらいいと思いますか?」

「どうしたらって……あなたのしたいようにすればいいと思うわ」

 母は意外とあっさりとそう答えました。

「あの日、あなたにそんなことがあったなんて知らなかったわ。言いたいことがあるならハッキリ言え……。いいことを言う子ね。たしかにあのときの私たちに足りなかったことだわ。今度家に呼んでらっしゃい。一度しっかりとお礼がしたいわ」

「あの……それはどうかと……」

 日本の作法に厳しい母と、見た目がヤンチャな感じの光司郎くん。

 会わせたらどうなるでしょうか?

 ……水と油ですね。ちょっと会わせたくないです。

「でも……その子の言葉も偏ってしまっているわ」

「偏っている?」

「物事は言葉ですべてを言い表せるほど単純ではないということよ」

 そして母はなにかを思いついたように手を打ちました。

「明日香、今度とは言わず明日、その男の子を連れてきなさい。そしてあなたがここの亭主となってその男の子に薄茶の一杯でも差し上げなさい」

「ええっ!?」

 光司郎くんを家に招待するというのも衝撃なのに、私が亭主をやるんですか。

 まさかとは思いましたが母は本気で言っているようです。

「なにも本格的にやれとは言いません。ただ彼をこの茶室に連れてきて上げなさい。幸いにして明日は誰も来ませんからのんびりできることでしょう」

 余りに唐突すぎて言葉を失いました。

 はたして茶髪の彼はこの家の敷居をまたげるのでしょうか……。

 と、そんなことよりです。

「あの……この家に呼ぶことになんの意味が?」

「意味ならありますよ。明日香、茶道の道具の中で一番大切なモノは?」

「それは……あっ」

 私は床の間にあるソレを見て、母の言わんとしていることがわかりました。

 それはいまの光司郎くんには明らかに欠けているモノ。

 がむしゃらに言葉にしようとするのとはまったく別の境地。

 それを教えるには言葉で説明するよりもここに招くのが一番でしょう。

「わかりました。今度は私が彼の支えになります」

 私は居住まいを正すと、母に対して深くお辞儀をしました。

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