第二部B面 ギターとお化けとお抹茶2
「あの……軽音部の方ですか?」
光司郎くんを見送る二人に、私は声を掛けました。
「うん、そうだよ。情けないとこを見られちゃったね……」
男の子のほうが苦笑しながらそう答えてくれました。
一目で双子の兄妹だとわかるその人たち。たしか軽音部だったと思います。
去年の文化祭の野外ステージで見たような気がしました。
光司郎くんとどんなやりとりをしていたかまでは聞こえませんでしたが、あの投稿はがきのことを考えると、多分、部に勧誘して断られたのでしょう。
「ゴメンね。なんかキミまで避けられちゃったみたいで」
「いえ……私はべつに……」
「僕は佐久間淳。こっちは双子の妹で水無」
「あ、これはご丁寧に。私は……」
「森本さんだよね。『GOO♪ラジオらす!』の」
「……もしかして『湘南だけど山ばかり』さんですか?」
「ううん、それは多分ゆりっちだよ。一年の茅野友梨ちゃん」
今度は水無さんの方が答えてくれました。
茅野友梨さんという方は軽音部に今年入った一年生だそうです。
私に届いたあの投稿はがきはその子が書いてくれたもののようで、やはりあのT先輩とは建部くんのことだったみたいです。
「実家は『愛甲石田』らしいよ」
「あー山ばかりですね……ってあそこって湘南ですか?」
「うちの分校があの近くにあるんだけど、湘南校舎って呼んでるらしいよ」
「それはちょっと違うんじゃないかな……」
「って水無、そんな話は後にしてよ。そんなことより……」
水無さんを押しのけて、淳さんが興味深そうに私の顔を覗き込んでいました。
「森本さんは建部くんとどういう関係なの?」
「あ、それ私も知りたーい。なんか親しそうに話してたもんね」
「えっと……関係って言ってもそれほどのことは……」
二人に興味津々という目で見られましたが、私にはそうとしか言い様がありません。
私と光司郎くんの関係。それは自分でもよくわかっていません。
そもそも関係と言うほど関係しているのでしょうか。
小さい頃、あの夕日の公園での一件の時に一度あっただけですし、再会したのは同じクラスになったほんの一ヶ月前のことです。
それに光司郎くんは私があのときの女の子だと気付いていないようです。
そもそも彼はあの日のことを憶えていてくれているのでしょうか?
忘れられているのなら……ちょっと淋しいです。
かといって、自分から言うのも恥ずかしいので黙っています。
「関係と呼べるほどの関係じゃありません。ただのクラスメイトです」
「ふ~ん。そうなんだ」
「え~、それだけ?」
淳さんの方はそれで納得してくれたようですけど、水無さんは不服そうです。
そして自分の頬に人差し指をあてながらウインクしました。
「私が聞きたいのは森本さんがどう思ってるかだよ。いまの関係がクラスメイトだったとしても、森本さん自身がどうしたいのかで、どっちにだって転ぶでしょ? 現状で満足なのかそうじゃないのか、彼とどういう関係になりたいの?」
「どういう関係って言われましても……あの、どうしてそんなこと聞くんですか?」
「私ね、ちょっと建部くんのこと狙ってたんだよねー。だから知りたいの」
「えっ、水無、そうだったの?」
突然の告白に私は勿論、淳君も目をパチクリさせていました。
水無さんはジッと私の目を見ています。
……私も真面目に返事をしなくてはならないような気になります。
私の望む関係……私は建部くんとどうなりたいんでしょうか。
少しくらいは旧交を温めたいとは思います。だけどそれだけ?
思い出話ができれば私は満足なのでしょうか?
……多分違う。じゃあ好きなのだと認めてしまうのはどうでしょう?
たしかに再会したときには縁のようなモノを感じました。
あの真っ直ぐな眼差しには好意のようなモノを抱いています。
ですがお付き合いしたいとか、そういうことではないと思います。
私は彼を束縛なんてしたくありません。しいて言うなら……。
「一歩下がって見ていたい……という感じですか」
「まさかのストーカー宣言!?」
「ち、違います! そういうんじゃなくてですねっ」
「あはは、冗談だよ。森本さんの気持ちもなんとなくわかるしね」
慌てる私を見て水無さんはにこやかに微笑みました。
「自分との関係で建部くんを引き止めたくないんでしょ。彼には真っ直ぐ前だけ見ていてほしい。自分はそんな彼を見守ることができれば十分……一歩下がって見ていたいっていうのはそんなとこでしょ? 殿方の三歩後を歩く。大和撫子ってヤツ?」
水無さんは楽しそうに笑いながらポンと手を打ちました。
私は驚きに目を瞠りました。
私自身よくわかっていない私の心の内。
水無さんは正確に言葉にしてくれたような気がしました。
大和撫子かどうかはわかりませんが、光司郎くんには真っ直ぐ前だけを見ていて欲しいと思う気持ちは確かにありました。
彼にいまのまま燻っていてほしくない。
だから変化を求めて軽音部入りを勧めたんだと思います。
そのとおりですと頷こうとして水無さんを見たとき……。
「なにそれ。ばっかじゃないの」
その言葉と表情に私は凍り付きました。
水無さんはすでに笑みを消し、その表情はとても冷たいものになっていました。
「あの、どうかしたんですか?」
「わかってないんだ。そんなんじゃアンタ絶対に後悔するよ?」
突き放すような言葉とまるで人が変わったかのような冷たい眼差し。
アンタ呼ばわりされたことよりもまずその豹変振りに困惑しました。
そんな私を嘲笑うようにして水無さんは冷たく言い放ちました。
「あんたじゃ彼に手を差し伸べられないってこと」
「手を差し伸べるって……光司郎くんはそんなこと望んでいないんじゃ……」
「だからわかっていないっていうのよ」
そして私の肩を痛いくらいの強さで掴み、廊下の壁に押し付けました。
「あんたは勝手に期待しているだけ。彼に自分の理想の生き方を強いているだけ。彼にはそうあって欲しいという期待を一方的に押し付けてるの。あんたは楽でしょうよ。彼が期待通りの人であってくれたら嬉しいし、くれなかったら勝手に失望すればいい。だけど押し付けられた方はどうすればいいのよ。あんたの期待に応えなきゃいけないの? 期待に応えられなかったら?……ただでさえ他人に縛られず自分の思いを貫く生き方は疲れるのに、あんたの期待まで背負わせる気! 自分の盲信を押し付ける気!」
「そんな……私はそんな気なんて……」
一方的に捲し立てられ、足が震えました。
ですが……水無さんの言う通りです。
私は光司郎くんにいつの間にか期待を押し付けてしまっていました。
いままで彼がなにを思い、なにを考えているのか気にもとめていませんでした。
押し黙った私を見て水無さんは肩から手を放すと、悲しそうに顔を伏せました。
「一歩下がった場所から見える景色はまったくの別物よ。相手と同じ景色を見ているなんて信じてたらいつか絶対に後悔することになる。その人と同じ景色を見たいなら、もしその人のこと支えたいなら、すぐ隣を歩かなきゃダメなの。三歩分の差が、場合によっては取り返しの付かないことになることだってあるんだから」
水無さんは踵を返すと廊下を去って行きました。
言葉もなく立ちつくす私に、淳さんがそっと声を掛けてきました。
「去年まではうちの部活にもヴォーカル兼リードギターがいたんだ。今年の三月に卒業していった先輩なんだけどね。水無はその人にとっても懐いてた。その先輩は建部君と同じように真っ直ぐ前だけを向いて生きている人だったよ。案外、ヴォーカルとリードギターを同時にこなすような人には共通したものがあるのかもね」
淳さんの穏やかな声が私の耳を打ちます。
「水無はその人のことが好きだったんだ。恋人になれなくてもいい。真っ直ぐに前へと進んでいくその人の背中を見ていられるだけで満足だって言ってたよ」
「水無さんも……私みたいにですか……」
「うん。だけどその人も高三だったからね。進路とか進学とかで夢ばかり追いかけてもいられなかった。描いた夢と現実との板挟みにあってそうとう疲れてたんだと思う。それまでは仲間との繋がりを誰よりも大事にしていた人だったのに、一人で考え込むことが多くなって部活にも来なくなったんだ。心配はしたよ。だけど僕も水無も先輩なら必ず立ち上がるって信じてた。……いや、水無の言葉を借りるなら『盲信してた』んだ。先輩は強い人だから僕たちが手を貸さなくったって大丈夫だって」
「………」
「僕らは先輩を一人のままにしてしまったんだ。だから先輩は『外』に繋がりを求めてしまった。その結果……どうなったかはわかるよね?」
外の繋がり。つまりネットを介した繋がりということでしょうか。
「……もしかして二月十四日の?」
二○XX年、二月十四日。今年のバレンタインデー。
分岐点。或いはやってきた淋しい時代の一日目。
SNDという病が急速に拡大し、この国の人口の半分を飲み込んだ日。
その前後でこの世界は、人々の様相は一変してしまいました。
もしかしてその先輩も……そう思っているとやはり淳さんは頷きました。
「先輩はそれ以降、僕らとは一言も交わすことなく卒業していったよ」
「やはり……そうなんですね……」
「あの人なら……乗り切れたはずなんだ」
淳君は手近な壁に右拳を打ち付けました。
その音に廊下を歩いていた生徒達がこっちを見ています。
しかし、すぐに何事もなかったかのように去っていきます。
そんな人たちを横目で見ながら、悔しそうに歯を食いしばる淳君を見つめました。
「あの人は誰よりも仲間との繋がりを大事にしていたんだ。なのに……タイミングが悪かったとしか言い様がない。誰のせいでもないだけど水無は自分を責めた。どうしてあのとき先輩を支えて上げられなかったんだろう、話を聞いて上げなかったんだろうってね。だから森本さんに昔の自分を重ねて、あんなきついことを言ったんだと思う」
そして淳さんは最後に「水無のこと許してあげて」と言うと、走って行った水無さんの後を追いかけていきました。
私は掛ける言葉も見つからず、ただ黙って立ち尽くすしかありませんでした。
廊下の窓からは見慣れた町並みが見えました。
夕暮れが近い空と暗い島影。いつもの景色。
この町のどこかで光司郎くんは今日も歌っているのでしょうか……。
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