第二部A面 ギターとお化けとお抹茶2

 散らばる漢字とカタカナは眠りを誘う呪文に見えた。

 ポカポカ陽気の窓際の席で俺はあくびをかみ殺しながら黒板を見つめる。

 この茶髪と目つきから不良に見られることも多いが、授業は真面目に受けている。

 俺は音楽以外に興味がないわけで、普通の不良のように遊び回る気にもなれない。

 つまり俺にとって音楽以外は授業も遊びも等価値なのだ。

 だったら真面目に授業を受けていたほうが世間の風当たりも小さくてすむ。

 その甲斐あってか俺の成績はそれほど悪くはない。

 授業が理解できれば余計サボる気なんて起きなくなる。

 五時間目の授業は漢文だった。

 黒板には王維の『元二の安西に使いするを送る』という七言絶句が並んでいる。

 漢字の下には返り点が付いている。一通り難解な単語を書き出した後で教壇に立つタカシー(高(たか)階(しな)先生・三十五才のあだ名)が読み上げていった。

「渭城の朝雨 軽塵(けいじん)を浥(うるお)す

 客舎青青(かくしやせいせい) 柳色(りゆうしよく)新たなり

 君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒

 西のかた陽関を出ずれば故人なからん」

 タカシーは取り立てて言い声をしているとは思えないが、適度なボリュームとハッキリとした滑舌で聞いていて心地よかった。また眠くなってくる。

「お、建部が眠そうだから解説してもらおうかな」

 ガタンッ。思わずこけそうになった。

 そんな俺を見て何人かが笑っていた。

「そうだな……前二行は情景描写だし、後半二行を簡潔に三十字以内でだ」

 簡潔に三十字って……まぁいいか。えっと……。

「まあ飲めや。西に行けば飲み友達もいないだろう……二十六字。どうっすか?」

「酒に重点が置かれてるような気がするが、合格だ。どころで建部」

「はい?」

「飲酒喫煙は二十歳になってからだぞ」

「飲んでないっすよ!」

 ムキになる俺にタカシーは大笑いしていた。

 これがタカシーなりの冗談であるというのはわかっている。

 タカシーは見た目で生徒を判断するようなヤツじゃない。

 豪放磊落なところはあるが、話のわかる良い教師だとは思う。

 最近の授業は一方的な情報の伝達のような授業ばかりな中で、授業に自分の感情を混ぜるタカシーの授業は格段に面白い。

 もっとも、たまにこういう風に遊び心を出すのが玉に瑕なのだが……。

 ふて腐れる俺を余所にタカシーは解説を始めていた。

「良い歌だろう。安西ってのは今の中国新彊ウイグル自治区で、昔で言えば西域って呼ばれてたところだ。前半の風景描写の瑞々しさとこれから旅立つ荒涼とした西域のイメージとの対比が綺麗だよな。『さらに尽くせ一杯の酒』と豪毅なように見えて、『陽関を出ずれば故人なからん』と知る人もいない西域へ旅立たねばならない友人を思う哀愁が漂ってくる。似たような歌で王翰の『涼州詞』もいいよな。『酔いて馬上に伏すとも君笑う無かれ。古来征戦幾人か還る』とこっちは旅立ったほうの歌だが、この二つの詩を比べると旅立つ者と送る者との対比が一層鮮やかになる。最後に酌み交わす友情の暖かさ、そして離れた地で友を思う寂しさ。人の結びつきってってのはこうあるべきだよな」

 最後のはタカシーの主観だったが、俺は心の中で同意していた。

 ヒトってのは思い、思われて繋がっているのだと思う。

 それは決して強制的なモノではなくて、ときにはぶつかり合い、離れもする。

 そしてまた一人を淋しく思い、より強固に繋がっていく。

 そういうものであったはずなのだ。

 授業が終わり、帰りのHRも終わると俺はギターケースを抱えて立ち上がった。

「光司郎くん、ちょっといいですか?」

 いきなり呼び止められて振り向くと明日香が立っていた。

 長い黒髪を揺らし、手を前に組む姿は清楚なお嬢様っぽい容姿に似合っていた。

「なんか用か?」

「はい。少しお願いしたいことがありまして」

「明日花が俺に?」

 明日香とは二年で同じクラスになってから、話をするようになった。

 ただ俺は人付き合いが苦手なので頻繁に話すというほどではなく、明日香が一方的に挨拶してくるのに適当に返事をする程度だった。

 なにか頼まれ事をされるような関係ではなかった。

「ううん。私じゃなくて……」

 そして少し後を振り返った。

 その視線を追うと教室の入り口の所に似たような顔が二つこっちを見ていた。

 その顔を見るなり俺はゲンナリして頭を掻いた。

「またあいつらかよ……」

 覗いていたのは佐久間淳と佐久間水無。

 C組の佐久間兄妹(双子)だった。

「まったく……懲りもしねぇで」

「話くらい聞いて上げたらどうですか?」

 隣の明日香が責めるような目で見つめてきた。

「聞かなくてもわかるさ。軽音部に入れってんだろ」

 あいつらは俺をしつこく勧誘している軽音部のメンバーだった。

 たしか兄はベースで妹はキーボードを弾いていたと思う。

 あともう一人、ドラムに一年の茅野友梨ってのがいてそれで全員だった。

 見事なくらいリズム班に偏っているバンドだ。

 だからこそボーカルとリードギターを探しているんだろうけどな。

「俺には俺の歌がある」

「私は一人より、軽音部の人と一緒に歌う方が良いと思いますけど?」

「お前も天野みたいなこと言うんだな。放っといてほしいね」

「だからって一生懸命の言葉を聞かないつもりですか? 無視するんですか? 言いたいことをハッキリという人に対してあなたは耳を塞ぐのですか?」

 言いながらグイグイと顔を寄せてくる明日香に俺もたじろいでしまった。

 なんか今日の明日香は妙に迫力があった。

「わ、わかったよ……」

 その剣幕に押されて、思わず頷いてしまった。

 明日香って清楚なお嬢様っぽい容姿の割に肝が据わってるよなぁ。

 なんというか、言いたいことはハッキリというヤツって感じで。

 見た目からしてガラが悪い、俺みたいなのに対してもハッキリと物を言う姿勢には好感が持てるが……今回ばかりは勘弁してほしいところだ。

「それにしても、まるで俺が耳を塞ぐはずがないって言ってるみたいだな」

「違うんですか?」

「まぁそのとおりなんだけどさ……」

 このすまし顔の腹黒タヌキめ。

 俺自身、言いたいことをハッキリという生き方を選んできた。

 だから、ああ言われると耳を傾けないわけにはいかない。

 そんな俺の弱点を知ってるのだとしたら……。

 森本明日香。可愛い顔してなんという怖い女だろう。

「今度投稿箱に柄沢が喜ぶような新コーナーの企画書を入れてやる」

「あ、それはやめてほしいです。しわ寄せが全部私に来るので……」

 あからさまに狼狽える明日香に溜飲を下げ、俺は双子の所へ歩み寄った。

 双子は待ってましたとばかりに俺を左右からサンドした。

「さぁ今日という今日は僕らと一緒に軽音部室に行こうよ♪」

「ゆりっちも待ってるからさ~。行こう行こう」

「ええい放せ! ってこら、ベタベタひっつくな!」

 双子ならではの息のあったコンビプレーで俺の両腕に絡んでくる。

 行き交う生徒たちが気にしている様子はないとはいえ、周囲の目があるところでこんなことはされたくない。

「いいじゃん。両手に花は男の甲斐性でしょ」

「てめぇは男だろうが。しかも普段はおかまキャラでもないだろ!」

「じゃあ私ならいいでしょ。女の子に腕を取られて、キャハッ、萌える?」

「そういうことは俺がドギマギするくらい発育してから言え!」

「な、それちょっと酷くない!」

 ちなみに佐久間兄は美少女と言っていいほどの顔立ち。

 佐久間妹は少年と見まがうほどスレンダーな体つきをしている。

 正直、髪の長さと制服の違いがなければ見分けは付きそうになかった。

「いい加減に離れろ!」

 俺は強引に二人を引き剥がして上がった息を整えた。

 すると変なテンションも落ちついたのか、二人はスンとしょげた顔になった。

「ごめん、ちょっとやりすぎた」

「ごめんね。でも私たち、キミにどうしてもメンバーに入って欲しくて」

「何度も言ってんだろ。俺はお前らとはやらない」

 俺はずり落ちたギターケースを肩に掛け直した。

「お前らにはお前らの歌があるだろ。俺にだって俺の歌があるんだ」

「僕らの歌は君には歌えないモノなの?」

「君の歌は私たちには歌えないモノなの?」

 即座にそう切り返されて言葉に詰まった。

 双子が真逆のことを言う。

 さっきの漢文の授業じゃないけど対比が際立って耳を打った。

 俺の歌。こいつらの歌。

 俺が熱を求めているのに対して、こいつらは穏やかさを求めている。

 俺は穏やかな歌を歌いたいとは思わないし、穏やかな歌が好きなヤツに無理矢理熱い歌を歌わそうとも思わない。これはもう信念の問題だ。

「悪いが俺はまだ一人でやらせてもらうよ」

 そして俺は二人に背を向けて廊下を歩き出した。

 そんな俺の背中に二人の声が届く。

「そう……でも待ってるからね」

「いつでもいいから軽音部に遊びに来てね」

 俺は少し振り返りながら軽く手を挙げることで返事した。

 そしてその瞬間、教室から出てきたばかりの明日香と目があった。

 責めるような、それでいてこっちを気遣うような眼差し。

 俺はそんな視線に気にした素振りを見せないように前に向き直った。

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