第二部A面 ギターとお化けとお抹茶1
それは俺、建部光司郎がまだ小さなガキだったころの話だ。
些細なことから親とケンカして家を飛び出した俺は、辿り着いた先の児童公園で泣いている女の子に出逢った。
夕暮れに染まる公園の中のブランコ。
そこに腰掛けながら、その子は俯いたまましくしく泣き続けていた。
そのときはとても他人と関わる気分ではなかったのだが、そいつがあまりに湿っぽかったもんだから、終いには俺もカチンと来た。
『おい、お前!』
いきなり怒鳴られてそいつの体がビクッと震えた。
『わ、わたし……?』
『お前以外に誰がいるってんだよ!』
『ふぇっ! ……え、えっと……な、なんですか……?』
『めそめそめそめそしやがって湿っぽいんだよ! 泣くならよせで泣け!』
……皆まで言うな。完全に八つ当たりだ。
自分だって泣きたい癖に他人が泣いているのを咎めていたんだから。
案の定、謂れのない叱責を受けたそいつは余計に涙目になっていた。
『そ……そんな……こと……言ったって……えぐ……』
『だぁもう、なんだってんだ!言いたいことがあるならハッキリ言え!』
とのとき俺は、とにかくその湿っぽい女の子をこの公園から追い出したかった。
しかし、そいつは俺の言葉を『泣いてるわけを言え』と恫喝されたと思ったようだ。
涙声で切れ切れになりながらもそいつは自分が泣いている理由を俺に話し始めた。
見ず知らずの人物の身の上話なんて聞きたくなかったが、これ以上泣かれても困るので黙って聞いていた。
そいつの話を一通り聞き終えた俺は、さっきと全く同じことを言った。
『言いたいことがあるなら言え!』
『ふぇっ ……も、もう言ったよ……?』
『俺にじゃねぇ、てめぇの親にだ!』
俺はそいつの肩を掴み上げるとブランコから立たせた。
子供の頃の俺はがたいが良い方ではなかったけど、その子はそんな俺が楽々持ち上げられるほど軽かった。
持ち上げられたそいつはキョトンとしていたっけ。
俺はそいつの肩を揺すりながら言い聞かせるように話した。
『伝えたいことがあるなら言葉にしろ! 言葉にしねぇで伝わらないとか、わかってもらえないとかほざいてんじゃねぇ! 親ってのはお前が思うほど万能じゃねぇ!』
『万能……じゃない……?』
『そうだ。万能じゃねぇから間違うときだってある。大人の言うことばかりが正しいわけじゃねぇ! あいつらは自分の子供の気持ちだって全然わかってねえ。だからこそ俺たちは訴えなきゃなんねぇんだ! 言葉にしなきゃなんねぇんだ! とっくみあいのケンカになろうがボコボコに殴られようが、自分が正しいと思ったら面と向かってそう言え!』
そいつは大きく目を見開いていた。もう涙は止まっていた。
そのとき、そいつがどんな気持ちで俺の言葉を聞いていたかはわからない。
だけど今にして思えば、この『言いたいことがあるならハッキリ言え』というこの自分の言葉がこの後の自分の人生の方向を決めたんだと思う。
いまはもう顔さえも憶えていない女の子に対しての意地だ。
事実、俺はこれまでそうやって生きてきた。
言いたいことはハッキリと言う。
そうして伝えたいことを伝えるための手段を模索してきた。
その結果が背中に担いだギターケースだったりする。
だから今日も俺は歌う。
伝えたいことを言葉にするために。
(……と思っていたのだが、今日はどうも無理そうだな)
昼休みに防音の効いた音楽室で愛用のエレキギターを掻き鳴らしていたら、アンプから焦げ臭い匂いが立ち上ってきた。どうやら中の配線が焼けてしまったらしい。
「一度中を開いてみなきゃな……」
そうなると工具が必要になってくる。
どうしたもんかと考えているとふと一人の人物の姿が頭に浮かんだ。
そうだあいつに借りよう。
「今の時間ならきっと屋上にいるはずだしな……」
今日のゲリラライブは中止するしかなさそうだ。
俺はギターを片付けると音楽室を出た。
廊下に出るとすぐにあの二人の声が聞こえてきた。
『でもさ……この緊急ボタンって電源のすぐ脇にあるし形も似てるから間違えても仕方ないと思わない? 違いと言ったら周りに黒い縁取りがあるくらいじゃない』
『ヒカルちゃん、黒い縁取りって言い方は縁起悪いよ……』
『ん?』
『あれ、伝わらなかった? 喪中葉書って一般常識じゃないのかな?』
時刻は十二時四十五分過ぎ。
校内放送『GOO♪ラジオらす!』はすでに始まっていた。
この放送が流れているのは各教室と廊下、それと屋上ぐらいなものだ。
音楽室のスピーカーはギターを弾くためにオフにしてあったし、音楽室は防音が効いているから廊下の音もシャットアウトされるから気付かなかった。
音楽室ではカットしていたけどこの二人のやりとりは嫌いじゃない。
もっとも明日香の方は相変わらず振り回されてるみたいだが……。
『でもさ、やっぱり紛らわしいよ。いっそのこと上に薄いガラス板なんか貼ってみたらどうかな。緊急時にはそのガラスをたたき割りながらスイッチ押すの』
『それじゃ脱出装置か自爆スイッチです。それにそのスイッチはカチッとやるタイプのオンオフスイッチですよ? 押しボタン式じゃないから上からは叩けません』
『あ、それは盲点だった』
『それにそんなスイッチにしたら余計押したくなりませんか?』
『うん。絶対、百パー押すね』
『ダメじゃないですか!』
たどり着いた先の屋上でも『GOO♪ラジオらす!』は掛かっていた。
なんの話をしてるんだか? と、そんな声が響く中で、
「なあ光司郎……俺は便利屋じゃないつもりなんだが?」
天野は愚痴を言いながらも俺のアンプの裏を開いて中を見ていた。
こいつは俺と同じクラスの天野竹流。
無愛想で初対面のヤツは冷たい印象を受けるだろう。
実は単に無愛想でぶっきらぼうなだけで、意外と世話焼きという一面がある。
結局は上手く感情を表に出せない不器用な性格というだけなのだ。
さんざん文句を言いながらも、アンプの状態を見てくれてるんだからお人好しだ。
「まぁそう言うなって。音楽好きのよしみじゃん」
「だいたいお前は使い方が荒いんだ。もっと機械をいたわれ」
「へいへい」
俺はギターをチューニングしながら、天野の診察が終わるのを待っていた。
ふと見ると天野の隣には新聞紙が広げられていた。
そこにはよくわからない機械がのっかっていた。
なんかボタンがびっちりと並んでいる。
「なぁ天野、その変な機械はなんだ?」
「ん? ミキサー盤だよ。劇とかでBGMを当てる時に使う。掃除しようかなって」
「あぁ……そういやお前って演劇部だっけ」
そう言った瞬間、天野の顔があからさまに曇った。
「……元演劇部だ。廃部になったからな」
押し殺したような声。
無理に平静を装おうとしているのがバレバレだった。
なにがあったのかは知らないが、演劇部の話題は避けた方が良さそうだ。
「で、どうだ? 修理できそうか?」
「無理だな」
天野は即答した。あまりにハッキリ言われたので自分の耳を疑った。
「嘘だろ? コード取っ替えればいいんじゃないのか?」
「全体的に摩耗してるんだ。これって結構古い代物だろ?」
たしかにそのアンプは中古品として、知り合いからタダ同然で譲り受けた物だった。
年季が入っているモノらしく型も古く、そこかしこに傷があったりする。
「もういろいろとガタがきてるんだよ。これじゃあコード取っ替えたところで長くは保たないだろうな。むしろこんな状態で、お前の荒い使用に耐えてたんだから根性があったと見るべきだ。十分に働いた老兵の威厳さえ感じるぞ」
まるでコンポが人間であるかのように言う天野に苦笑した。
「お前ってあれか? モノにも魂が宿るって考えてる口か?」
「……まあアイヴィーのこともあるしな」
「あいびー?」
「いや……それよりお前は違うのか? そのギターに魂は宿ってないのか?」
「……そうだな。宿ってるだろうぜ。なんてったって俺の相棒だからな」
ギター(こいつ)は俺の声。伝えたいことを伝えるための手段。
だからこいつには俺の魂が染みこんでいるはずだ。
それにしてもまいったな。アンプを買い換える余裕なんてないぞ。
これじゃあいままでのように大音量で鳴らすこともできない。
「軽音部のを借りればいいだろ。っていうかなんで軽音部に入らないんだ?」
アンプの後ろの蓋を閉めながら天野は言った。
この高校にも軽音楽部はあり、しっかりとバンド活動をしている。
そして俺は数日前からそいつらにしつこく誘いを受けている。
「ダメだな。あいつらとは方向性が違う」
「方向性って……部活だろ。そんな大層なもの必要なのか?」
「俺は相手の魂を揺るがすような演奏がしたいんだ。眠ってるヤツらの目を醒まさせるような熱い演奏だ。だけど軽音部ときたらそういう曲よりも、もっと静かな曲ばっか弾きたがりやがる。この前なんか『パフ』なんか弾いてんだぜ」
パフっていう魔法の竜が暮らしてた……みないな曲だ。
たしか、パフという魔法の竜が親友のジャッキーと遊んだり旅をしたりするんだけど、年を取らないパフを置いてジャッキーは大人になってしまい遊びに来なくなる。
パフは泣きながら洞窟に帰る……といった内容だったと思う。
小さいころ、子供番組で聴いて嫌な歌だなぁと思った。
パフもジャッキーと別れたくないなら泣いてないでそう言えば良いんだ。
王や海賊さえ怖れさせるドラゴンならそれくらい朝飯前のはずだろ。
それがまるで公園で泣いていた女の子みたいにメソメソしやがって。
「言いたいことがあるならハッキリ言えってんだ」
俺がそう呟いたら天野は肩をすくめた。
「叩き付けるばかりが言葉じゃないと思うぞ?」
「叩き付けなきゃ届かねぇから叩き付けるんだ」
「“過ぎたるはなお及ばざるがごとし”って言葉知ってるか?」
「“侵略すること火の如く”なら知ってるぜ」
「乱暴だな……」
天野はコンポを脇に置き、ミキサー盤についている部品の手入れを始める。
マイクスタンドくらいはわかるけど、後は良くわからない機械ばかりだ。
あの二股に別れたコードなんてなんに使うんだろう。
「なぁ天野、こんなとこで二股コードなんか磨いてるならさ……」
「二股? ……RCAのことか。ステレオ用のコネクターだよ」
「あーるし……まぁどうでもいいや。そんなことより、俺と一緒にバンドやろうぜ。そうだな……俺がギターでお前がベースってのはどうだ?」
「……正気か?」
天野が怪訝そうな顔でこっちを見た。
「俺は楽器なんて弾けないぞ」
「かまわねぇさ。音楽が好きだってんならな」
俺は立ち上がると、そいつの前にしゃがんで真っ正面から向かい合った。。
「こんな所でミキサー盤磨いてるくらいなんだから音楽は好きなんだろ? やることなくてモヤモヤしてるくらいなら、俺と一緒に歌おうぜ。絶対スカッとするぞ」
俺にしては誠心誠意勧誘したつもりだった。
だけど天野は肩をすくめただけだった。
「悪いな。俺が好きなのは場面場面にあったBGMを“あてる”ことなんだ。自分で演奏しようとは思わないよ。それに俺は『パフ』は嫌いじゃない」
にべもなく切り捨ててきたが、その横顔にほんの少し淋しさが見て取れた。
その見つめる先にはメンテ中のミキサー盤。なるほどね……。
「演劇部に未練たらたらってわけか」
「……そんなんじゃない」
「OK、そんな調子じゃ俺のバンドのメンバーはつとまらねぇさ」
俺はその場に足を投げ出して大の字に寝そべった。
天野が「邪魔だな……」と嫌な顔をしていたけど気にしない。
おー、今日も空が高いねー。
空(むな)しいくらいに高い空。
ここのところ胸の中でなんだかモヤモヤしているモノがあった。
なにをしても、どんなに歌っても満たされない感覚。
上手く言葉にできないが、そんな感情が胸の中で渦巻いていた。
言いたいことがあったらハッキリと言う生き方を選んできたつもりだ。
だけど……言葉にできないものもあるんだろうか?
寝っ転がりながらしばらく物思いに耽る俺を見て、天野は溜息を吐いた。
「軽音部とやるべきなんじゃないか?」
またそんなことを言い出した。
「居場所があるなら肩肘張ってないで、一緒にやるべきなんじゃないか?」
「お前が言ったって説得力がねぇよ……」
俺は起きあがると柄沢ヒカルの声が響くスピーカーを指さした。
「柄沢ヒカルに誘われてんだろ? お前のほうこそ居場所はあんじゃねぇか。それなのに……なんでこんなところで一人でいるんだよ」
「……お前になにがわかるんだよ」
言った瞬間、しまったと思った。
天野の言い様にカチンときて、さっき触れまいと思った話題に触れてしまった。
あのラジオで喋っている柄沢ヒカルは元演劇部部長だ。
柄沢が演劇部を辞めてしまったため、演劇部が廃部になったというのは聞いていた。
柄沢の話題はこいつの前ではタブー中のタブー。
負のオーラが見えるくらい天野の顔が歪んでいた。
「演劇部は……俺たちにとって大切な場所だったんだ。その場所を壊したヒカルを、俺はまだ許せそうにない」
感情を押し殺した声でそれだけ言うと、天野はまた音響機材のメンテを始めた。
もうこの話題はここまで、と態度で示しているかのようだ。
拒絶するような姿勢。
ただ……少し納得できない部分もあった。
「なあ。お前は本当に柄沢のこと……」
「なんだ?」
「いや……なんでもない」
柄沢のことを恨んでるっていうのは、まあ納得はできる。
だけど、その恨みに思うヤツの声がよく聞こえる屋上に毎日いるのはなぜだ?
本当に嫌いなら声も聴きたくないんじゃないだろうか?
それにこの前、放課後に急に柄沢の声が学校中のスピーカーから響いてきたとき、天野はすぐに放送室に乗り込んで放送を止めた。
本当に恨んでいるなら止めになど行かないんじゃないだろうか。
明日香も、もう少し長く放送してしまっていたら、学校側からなんらかの処分が下されることになったかも知れないと言っていたっけ。
結果的にこいつは嫌っているはずの柄沢ヒカルを助けたのだ。
それに柄沢にしたって妙だ。
天野にこんだけ恨まれているのを知っていて、それでもまだ天野をラジオ番組に勧誘しようとしているのだからな。
よほど面の皮が厚いのか、それとも……。
二人の間には他人には推し量れないなにかがあるのかもしれない。
「どうにもこうにも……うまくいかねぇもんだな……」
最近じゃどこもかしこも『こんなはずじゃなかったのに』ってヤツばっかりだ。
俺はもう一度寝っ転がり、微睡みの中へと落ちていった。
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