第3話

 私は、喫茶店であいつが来るのを待っていた。元はと言えば、あいつが東京に住居を移した事に端を発する。あいつが来たのは、1時間程、コーヒーをおかわりした後の事だった。 

「おうおう。」

笑顔だったあいつは、待たせたという引け目も感じず、現れた。

「おう。」

何故か、あいつの顔を見ると、笑顔がほころぶ。中学の時に、散々、私を笑わせた印象が強い為、その頃のことを思い出して、ついつい何をされても許せてしまう。

 あいつというのは、元々、フューチャーズというコンビ名で、世に出ようと神戸の田舎で漫才の稽古をしていた相方である。尤も、事務所に入った訳でもなく素人考えで、ネタを作って老人介護施設で、漫才を披露しただけの幻のコンビである。

「何分待った?」

それがあいつの口癖である。

「結構待ったで。」

久しぶりに会ったのに、何故かまるで昨日まで会っていた様な距離感である。恐らく、それは信頼関係に基づいた何かしらの暗黙の了解が働いていると思われる。

「周り、みんな標準語やん。」

「そうやな。会わせたい人がおんねん。」

都営バスに乗り、着いた停留所から歩き、あいつは都営住宅のドアをノックした。

「はい。空いてますよ。」

部屋の中から声がする。

「え?俺、どんな感じで行ったらええねん。」

「普通にしといてもらったら大丈夫やから。」

こういう時、初対面が苦手な私と、それを気にしないあいつとの間に若干の隔たりが生まれる。

「こんにちは。」

部屋の中には、何人かのお年寄りが座っている。

「どうも初めまして。」

私は差しさわりのない挨拶をして、奥に通される。如何にも初対面ではないかのような雑談の中に私は吸い込まれた。

 小声で私は、あいつに囁く。

「煙草吸ってええんか。」

「ええよ。」

「どういう状況やねん。」

「普通にしといてくれたらええから。」

しばらくして、宴は終わったと思われ、続々とお年寄りが帰っていく。部屋の主人と思われる80代ぐらいの女性に声を掛けられる。

「お兄さんは、どっから来たんだば。」

「神戸です。」

「まぁ、それは遠いとこから遥々と。煙草吸いなせえ。足崩して。」

その人は、人当たりが良さそうに見えた。

「な?ええ人やろ。」

「誰やねん。」

「世話になってるねん。」

ひそひそ話が聞こえているのか聞こえていないかは、さておき、女性は私に目を向けた。

「ゆっくりして行きなせえ。」

「彼、北大卒なんです。」

あいつの嘘は、どうしても否定できない。北大には行っていたが、途中で辞めて漫才に走った中途半端な男が私である。

「そう?頭いいんだね。」

その東北訛りが、昔、北海道にいた頃の事を思い出させる。

「ええ。まあ。」

私は、そう言うと俯いてしまった。あいつがどうしても会いたいと言っていたから、東京に来て、漫才をしてくれるなら、という約束の元、東京にやってきたのに、何故、私は都営住宅の部屋の中で小さくなっているのか分からなかった。

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