第4話 ナスは自殺未遂より重要に決まってる
「彼女を刺激するのは止めた方がいいですよ」
「なんだよ、それ」
宇津木さんとは、喰いまくり、言いたいことを言いあい、その後割り勘の額でもめてバラバラに帰った。
「役に立たん女だ」
翌週、俺はもちろん俺の庭に行った。
座敷童が来ていたらしい。縁側に仏花みたいのが供えてあった。
まだ、新しい。俺は仏壇ではない。ムカッとした。
せめてセンスのある花を供えて欲しい。更にマイナス評価が付いた。
刺激するなと言われたけど、ムカつくものはムカつく。
僕はその花束に、「無断侵入お断り」と書いた紙を張り付けて放置した。
翌週、行くと花束はなかった。
「フフン」
と、俺は言った。
花が勝手に縁側から逃げ出すことはないだろう。
何のことはない。
最初からこうすればよかったのだ。
他人に遠慮して、色々遠回りをすることなんかなかったんだ。
だが、次の月曜日に出社したら、宇津木さんがビルのエントランスで待っていた。
「真壁さん」
話しかけられて、ビックリした。
「なんですか? 用ですか?」
俺は出来るだけ嫌そうな顔をして、彼女を眺めた。
彼女の方もすごく嫌そうな顔をしていた。
「待ってたんですよ」
「僕をですか?」
彼女はうなずいた。
「なんか用事でもあったんですか?」
「まあ、出勤してるんならいいです。昼休み、ビアンコで待ってます」
「え?」
デートのお約束? それは、心外だな?
「なんか馬鹿なこと、考えてんでしょう。違うわよ。用事があんのよ。でなきゃ待ってたりしないわよ」
いきなり彼女が毒づいた。
「必ず来てくださいよ? 困ったことになるからね」
そう言うとさっさと離れて行ってしまった。
「なんなのよ? あの子」
ボンヤリ後姿を見送っていると、後ろから三宅が近付いてきていて聞いた。
三宅は僕より3つ先輩で、社内の付き合いを嫌がると出世に差し支えるなどとアドバイスしてくれる大きなお世話な大先輩だ。
「知らないですね」
「いやあ、真壁、隅に置けないね。お前ももう三十だもんな、ラストチャンスだ」
お前に、お前呼ばわりはされたくない。それに、なんで、まだ三十歳なのにラストチャンスなんだ。
「なんか、用事ありそうでしたけどね。なんなんでしょうね」
俺は途方に暮れたように言った。
「行くの?」
三宅先輩は顔をのぞき込んだ。
「行きませんよ。何の用だかわからないし」
しかし、俺はビアンコに行った。
俺は心配性である。
何が心配だったって、二人分の席を、あの昼時はめちゃ混みするビアンコで確保する心痛に(たとえ確保しているのがあの宇津木だろうが)耐えられなかったのである。
あと、ビアンコの席を確保してくれるなら、好都合だ。コンビニ飯は悪くないが、ビアンコの方がいい。毎日だって通いたい。だけど、性根を据えて頑張らないと入れない。
「早くしなさいよ」
座ったらすぐ文句を言われた。
「なんでだよ」
僕は目を光らせた。
職場では一応、温厚で通っているが、どうでもいい場合は、割と強硬なタイプだ。
ケンカもするときゃする。まあ、勝てないケンカには手を出さない主義でもある。
彼女はため息をついて、嫌そうな顔をして、何か言いかけたが、先に店員からAランチかBか聞かれたので、Aを二つ勝手に発注した。Bはコーヒーとドルチェが付いてくる。長話は嫌だ。
「で?」
「あなた何かしたでしょう? 潤夏ちゃん、自殺未遂しましたよ」
「え?」
俺は目が点になった。
「自殺未遂?」
宇津木さんは、横を向いてうなずいた。
「へえー?」
あの座敷童が死んだというなら、それは喜ばしい。未遂か。ちと残念だ。
「でも未遂かよ。じゃあ、また、湧いて出てくんのかな?」
宇津木さんはジト目になった。
「未遂やるヤツは何回でもするのよ。知り合いで自殺未遂した人は潤夏ちゃんだけだから、他の人のことは実は知らないけど」
「酷い言い方じゃね?」
僕はピザを受け取りながら感想を述べた。
「真壁さんもひどくない?」
「でも、仕方ないだろ? 俺、関係ないし。宇津木さんは知り合いだろ」
「ううん。真壁さんのせいだって言っているらしいよ」
「え?」
今度のえ?は本気のえ?だった。
「俺、全然関係ないでしょ?」
「なんか、好きな人に拒否されたって、言ってるらしいよ」
好きな人?
「は? 誰? それ」
思わず声が大きくなって、ビアンコの客全員がこっちを向いた。
「誰のことだよ?」
俺は宇津木さんにささやいた。
「真壁さんのことよ」
決ってんでしょと言わんばかりの表情だ。
「なわけないだろ。大体、名前知らんだろ?」
そこで、俺は可能性に気がついた。宇津木さんがバラしたんだ。
「あっ、お前、名前を教え……」
「違います!」
ドンとテーブルを宇津木さんが叩いた。皿の上のピザが踊り、またもや、ビアンコ全員がこっちを向いた。
「……そんな真似、するわけないでしょう。そんなことしたら、私まで標的になるから」
宇津木さんがささやき返した。
標的……
僕は、宇津木さんを眺めた。新種の生物でも眺めている気持ちになった。
「潤夏ちゃんは、信じちゃうんです。自分の妄想を……」
妄想……
「夢かな? 彼女は自分を迎えに来てくれる恋人を待っているんです」
「二十八歳の売れ残りのくせに女子高生のカッコしてか?」
宇津木さんがにらんだ。
「どうして、そう無駄に口が回るんですか?」
「いや、事実だろ?」
「二十八歳は売れ残りじゃありません」
「あ、ごめん」
宇津木さんも同い年だった。忘れてた。そして、思いだした。同時に、うっかり謝ったが、あやまるべき場面じゃないってことに気づいた。あやまったら、宇津木さんも売れ残りだってバレちまう。もっとも、口に出した時点でアウトだった。
「宇津木さん、今日のところは僕が出そう」
「やかましい」
なにか声が聞こえた気がした。
聞き捨てならんが、聞き流そう。まだ二十八歳の宇津木さんを、売れ残り呼ばわりしたのは申し訳ない。
「で、この度、彼女のその夢の主人公役になりました、真壁さんが」
僕は、まじまじと宇津木さんの顔を検分して、鼻の頭にしわを寄せた。冗談ではないらしい。
「本人がそう言ったの?」
「また聞きですけど。真壁さん、潤夏ちゃんにフランツって名前で呼ばれています」
衝撃的過ぎて、さすがの俺も返事が返せなかった。
「フランツ? 誰が?」
まさかと思うが、念のために聞いた。
「真壁さんがですよ」
「俺のことをそう呼んでるのは、その例の売れ残りの元女子高生か」
宇津木さんは、一瞬、妙な顔をした。
「潤夏ちゃん、元女子高生じゃありませんよ。高校行かなかったし」
俺はフォークを取り落としそうになった。
「なんで?」
「イジメで。中学もろくすっぽ行ってないんじゃない?」
「それは……」
「結局、高校卒業資格ってのを取って、大学行きました」
「…………」
どんな奴なんだろう。
「ちなみにフランツって言うのは、王子様の名前です」
あ、なんか、イヤ。その説明、聞きたくない予感がする。
「多そうな名前だよな。ドイツ当たりの王家にごろごろしてそう」
解説は聞きたくない。
「そうじゃなくて眠り姫の王子様ですよ。スリーピング・ビューティ。王子様のキスで目覚める……」
ちょっと、いや、かなり意地悪そうな顔で宇津木さんが言った。
「……いやだ」
俺は正直な感想を思わず言ってしまった。
「フフフ……まあ、照れないでください、フランツ」
宇津木さんが口元を歪めながら慰めた。絶対、嫌がらせだ。笑ってんだろ。
「とにかく、真面目な話をしてもらおうじゃないか。事実関係が全然わからない」
「私は真面目ですよ。それで、フランツに裏切られたって言ってるそうです。何したんですか?」
「何って」
思い当たる節がない。
「本人は花をあげたり、受け取ってもらったり……」
「んな訳ないだろ? あー、あの縁側に放置してあった花? 受け取ってないし、捨てたんだけど」
「それ、どうしたんですか? ほっとけって言いましたよね? 動かしたりしましたか?」
「あー……」
そのことか。
「あの花な。無断進入禁止って紙を貼っといたんだけど。それがまずかったのか」
まあ、宇津木さんは驚かなかった。そりゃそうだ。誰だって、それくらいするだろう。予想の範囲内だ。
「……自殺未遂したのは、1週間ほど前ですけど」
「つまり、紙を貼られてすぐってことか」
嫌だな。もしかして、俺の行動をどっかの陰から逐一監視してたのだろうか。
「いつ、貼ったんですか?」
「先週の土曜日」
「自殺未遂は、土曜の晩です。私は別に潤夏ちゃんと連絡取れる立場じゃないんで、たまたま母からラインが来て知ったんです。で、あなたが原因じゃないかなって思ったんで」
「それ、本当に俺のせい?」
僕は話をぶった切った。
「裏切り者のフランツが誰かってことですか?」
嫌々ながらうなずいた。
どうせあだ名をつけるなら、普通のにしてくれりゃいいのに、なんでそんなディ○ニーみたいな名前なんだ。
「潤夏ちゃんが付けたら、途端にその名前が異常そうに見えてくるんですよ」
異常なのかよ。変とか止まりじゃないのかよ。完全にアッチ系だって言いたいのか。
宇津木さんは嫌そうにそう言うと、携帯を取り出してからごそごそいじって、見せてくれた。
読めと言いたいらしい。
『潤夏ちゃん、また自殺図ったって。振られたらしいよ。真壁さんとこの爺ちゃんの古家に浮浪者が住み着いて、その人をカレシだって言ってる』
浮浪者……
「俺が、浮浪者……」
「怒ってはいけません」
笑うのを必死でこらえながら、宇津木が言った。
「本人は手首を切ったそうで」
「でも、死ななかったんだよね?」
「そりゃもう」
「じゃー、どうでもいいだろ。そもそも、俺、何の関係もない」
「もちろん、どうでもいいですよ。ただ、あの家に一週間ほど行かないでほしいんです」
思わず、頭に血が上った。なんで、そんなことを指図されなきゃならない。
「行くよ」
「花束持って来られたら困るでしょ?」
「突っ返しますよ。ふざけんな」
「いいですか? 真壁さん」
宇津木さんは真面目な顔になって言った。
「潤夏ちゃんは、来週、一度病院から自宅へ戻ります。荷物を取りに」
「へえ」
勝手にしやがれだ。
「その後、両親の家に移ります。隣の県です」
「そりゃ両親が気の毒だな」
うっかり宇津木さんがうなずいた。
「とにかく、二週間したら、もう来なくなるわけですよ」
なるほど。
「つまり、来週だけ行かなきゃいいってことだな?」
「そう言うことです」
宇津木さんがうなずきながら、相槌を打った。
「鉢合わせしたら、必ず余計なトラブルになります。来週だけ過ぎれば、誰も来ません。だから、私が言いたいのは、ご不満でしょうが、来週だけ行かないでくださいってことだけです」
俺は考えた。
行かない方がいいのは、わかり切っている。
宇津木さんの言うことはもっともだ。
だが、俺は、先週、ナスの苗を植えてしまったのだ。
それに今週はトマトを植えようと思っていた。
トマトはまあいい。まだ、植えていないから。本来なら今週がベストの時期なんだが。
問題はナスだ。天気予報によると、今週は晴天続きの予定だった。
俺は宇津木さんの顔を眺めた。
オカンに水まきを頼めなくはない。家の軽トラに乗れば十分くらいだし。
だが、俺が家庭菜園なんかやってるのがバレたら、実家の農業を手伝えとか言われるに決まっている。それは嫌だ。趣味の家庭菜園と農家は違うのだ。
「考えてる場合じゃないでしょ?」
宇津木さんは俺の田舎の様子を知っている。田舎の子のはずだ。軽トラくらい乗れるだろう。あの辺じゃクルマがなけりゃ、何もできない。
「いや、もう、そろそろ昼休み、終わるよね?」
俺は物柔らかに切り出した。
「ありがとう、宇津木さん。教えてくれて。お礼に今晩おごらせてよ」
「は?」
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