第3話 飲みに出かける

「あなたは、その人を知ってるんですか?」


彼女はとても困った顔をした。


しばらく僕の顔をじっと見つめて、そして、しばらく考えていた。


僕も黙っていた。


二人とも食べ終わっていたし、今は昼休み。一時間しかない。店は混んでいるから長居は出来ない。


「僕はその少女が誰なのか知って、そして注意したいだけなんです。僕の庭に入ってこないでくれって」


俺は用件を言った。


「知っているなら教えてください。何も、もったいぶることはないじゃないですか」


「もったいぶっているわけじゃないんです。でも……」


「そもそもあなたは、なんて言う名前なのですか?」


相手の名前がわからないのは、割とまどろっこしい。


「私は宇津木うつぎと言います。宇津木蓮うつぎれん


彼女は字を書いてくれた。それから連絡先の交換をした。

彼女の連絡先を知ってしまうと、余計な誤解が生まれるかもしれないので、俺は一応伝えてみた。


「俺はあなたの連絡先を知りたいわけじゃないんです。俺の庭に出没する少女の連絡先を知りたいだけなんだ」


彼女は一瞬真っ赤になったが、次の瞬間怒ったように言った。


「私だって、自分の連絡先を教えたいわけではありません。ですけど、事情があるんです。潤夏ちゃんのことは、ちょっと」


俺は黙った。俺たちは都合のついた晩に近所の飲み屋で落ち合うことになった。なぜなら、お互いの連絡先の交換には、双方とも不本意を表明していたが、なんだか知らないけど事情があるらしかったからだ。




一応、気の利いたイタリアンレストランから、いわゆる飲み屋での会合は落差が酷いなと(仮にも女性を迎え入れる側としては)思わないわけではなかったが、とにかく話を聞くだけなので、どうでもよかった。


俺は人間が合理的に出来ているだけなのに、どうして時々ケチと言われるのだろう。


私服の彼女は、予想した通りで、可もなく不可もなく、特に印象に残らない子だった。

その点では僕も全く同じで、くたびれた安物のスーツで全然目立たない。


多分、二人とも理由は同じで、サラリーマン稼業にお金をかける気が全くないからだろう。要は同僚などたちから文句さえ出なければいいのである。


ちなみに彼女はチューハイ党で僕はビール派だった。


「なんでさっさと教えてくれないんです」


聞きたかったのは、誰がチューハイ党なのかではなくて、例の座敷童の正体だ。


「だって、面倒くさいんですよ。あなただって聞いたら面倒くさいって思いますよ」


「どこが面倒なんです? 彼女の連絡先を教えてもらえば、注意できますからね」


「まあ、個人情報だっていう点は置いといて」


「あなたは個人的に知り合いですよね? まあ、僕みたいな知らない男性に女性の連絡先を教えるのをためらう気持ちはわからなくはないが、あの子は未成年でしょ? 親に言ってもいいんですよ」


「真壁さん、潤夏ちゃんは高校生じゃありません。私と同い年です」


僕は彼女の顔をまじまじと見つめた。


よく考えたら宇津木さんの年齢を僕は知らなかった。


「私は二十代後半です」


どこかブスッとした様子で彼女は自分の年齢を教えてくれた。


「潤夏ちゃんが若く見えるのは、服のせいです」


彼女は言い切った。


「そして私が連絡先を教えないのは、知らないからです」


ビールを飲もうとグラスをつかんだ手が止まった。


「じゃあ、なんでここへ呼んだの?」


「連絡先は、親戚に聞けばわかるかもしれないけど……私と潤夏ちゃんは従姉妹です。でも、私が教えないのは、潤夏ちゃんが、病気だからです」


「病気?」


「そう」


彼女は真剣にうなずいた。


「花が置いてあるってことは、今度のターゲットはあなただと思うんです」


「はい?」


ターゲット?


「潤夏ちゃんは、ストーカーなんですよ。わかります?ストーカー」


「ストーカー……」


僕は繰り返した。


「正確にはストーカーではないのかも知れませんが」


「どっちなんだ」


曖昧な言い方に俺はキレ気味に彼女に聞いた。


「そこまで知らないですよ。でもね、あなたが努力して彼女の連絡先を知ろうとしていることがわかれば、きっと彼女は喜びますよ」


「いや、俺は知り合いになりたくないだけなんだけど。俺の庭に入ってきてほしくないんだ」


「なんで、縁側に花なんか置いて行くんでしょうね。面倒くさい。その花、どうしましたか?」


「気持ち悪いから捨ててる」


「正解ですね。多分」


蓮と名のる彼女は意外とシビアだった。


「今までの例で行くと、相手に気味悪がられてバッチリ断られて、落ち込むか、親切に断られてつけあがるかどっちかです」


どっちもありがたくない。


「親とかに注意してもらうわけには?」


「親は執着されるのが嫌で、出て行きました」


「うちの母は、不便なんで出てったと言ってたが」


「それもあります」


「なんで置いてったんだ。迷惑だな」


「周りに人がいないからですよ。そもそも、本人人嫌いです。人里離れた場所にいたいって言うなら、逆らわずに置き去りにする方が楽です」


「ネグレストか」


「だから、高校生じゃないって言ってるでしょう。28歳の立派な成人が残りたいって言うんですから、そりゃ置いて行きますよ」


僕は思わずニヤリとした。


「じゃあ、蓮さんも28歳ってわけだね?」


「私の年齢は関係ありません」


彼女は冷たく突っぱねた。この反応はいい。なかなか面白い。


「だけど、それじゃあどうしたらいいんだ」


「誰も住んでいない山奥で、勝手に自給自足しているなら、何の問題も起きなかったはずなんですよ。人がいませんからね。あなたがわざわざ庭作りなんか始めなければ、こんなことにはならなかったんですよ。その庭作りって、止めるわけにはいかないんですか?」


僕はムッとした。


「人の趣味にケチをつけないでもらおうか」


「ケチなんか付けてないですよ。潤夏ちゃん、喜んでると思いますよ。よかったですね」


俺は一時休戦することにした。


「ほか、なんか頼む?」


彼女は焼き鳥と唐揚げとフライドポテトと塩だれキューリとたこわさとピザと出汁巻きとチューハイお代わりを頼んだ。


「僕の分はいいから」


「頼んでないです。真壁さんはお好きなものをどうぞ。割り勘……自分の分は払いますから」


「良く太らないね」


「痩せ型なんです」


「そりゃ、羨ましい」


ビール越しに僕は彼女をにらんだ。


最近はジムへも行かず、例の庭の整備に通い詰めている。


結構真剣なのだ。あの異物さえ来なければ最高だってのに。


たこわさとキムチなら太らないんじゃないだろうか。でも、辛い。

「トマトの薄切りお願いしまーす」

蓮はまた注文した。


「それと焼き鳥。ねぎまとつくね、2本ずつ。それから手羽焼き」


太らないためには、カロリーの高い物は食べないのが鉄そのその自制心には自信があったが、腹は減っているので、やたらに食べまくるやつが目の前にいると腹が立つ。


「シーザーサラダ追加」


もう遠慮はなしだ。

僕は彼女の皿に箸を突っ込んだ。


「少し分けろ」


「いやです。別払いだって言ったじゃないですか」


「自分の分くらい払うよ」


宇津木さんは眼鏡越しに睨んできた。口元がとがっている。

少し頬が赤いのはちょっと酔っているのかもしれない。


「で、とにかく、その座敷童だけど、冷たく断れば来なくなるんだね?」


「うーん……でも、言葉だけでうまく断れるかなあ……意思疎通に問題があるんですよね」

「なに、それ?」


蓮は眼鏡をくいッと上げた。しかし、目は閉じている。


「話した内容をちゃんとわかってくれるかどうか……」


「紙に書いて渡せばいいじゃん。悪霊退散って」


「誰が悪霊ですか」


彼女はそう言うと、クイっといい飲みっぷりでチューハイを空けた。飲み放題にしときゃよかった。俺はちょっと後悔した。

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