第2話 魔女

 ぼんやりと珈琲の香りに意識を向けながら、あたしは見られていることを認識している。

 ソレがあたしに執着し始めたのはここ最近のことだ。正直、あまり信用できない。


 ――じゃあ、頼らなきゃよかったのにな。

 自嘲気味に思い、無意識に舌打ちをする。

 足に何かふわふわとしたものがまとわりついてきた。

「ん? ああ、ごはん食べ終わったの? 量はあれで足りた?」

 猫だった。

 昨日まではボロボロで死にかけていたけれど、今は生き生きとしている。


 猫は寛大だから。

 だから、ごはんはあれで許すよ?

「はいはい」

 ほら、猫だよ?

 猫が来たよ?

「はいはい、今度は何?」


 ふわふわの塊が、思いの外軽い動作で膝の上に飛び乗ってきた。

 

 許す。

 猫、寛大だから。


 言うが否や、猫はあたしの膝の上で丸くなり、すうすうと寝息を立て始める。

「それ、どちらかというとこちらのセリフ……」

 自然と苦笑いが出るけれど、まあ、悪い気はしない。

 猫を起こさないように気を遣いながらゆっくりとした動作でサンドイッチを食べる。



 あたしは魔女だ。

 魔法なんてものは使えないけれど、ここ五十年ほど容姿が変わっていない。どのタイミングでそのことに気が付いたのかは覚えていないけれど、普通のヒトではないんだということだけは、幼少からなんとなく知っていたような気がする。あたしには、他のヒトには見えないモノ、聞こえないコエを感じることができた。

 もちろん、髪や爪は普通に伸びるし、食べ過ぎれば太る。走って転べば血も出るし、意地悪されれば悲しい。


 半端にヒトっぽいから厄介だった。

 ヒトとして、馴染めないながらも浮かないように頑張ってきたものの、いつまでたっても変化のない、年齢にそぐわない容姿は決定的過ぎた。


 ヒトではなく魔女としての生き方を受け入れ、どれほど経ったころだろうか。 

 ソレがあたしに接触してきた。


 もしもーし? 私のことわかる? なんか手伝おうか? 反応くださーい!


 なんとなく、何かがいるのは感じていた。今までだって面白半分に付きまとってきたモノもいたけれど、こんな風に声をかけられたのは初めてで。

 だから、うっかり返事をしてしまった。

「……誰?」

 おお、反応ありがとう! え、というか、これ会話とか可能なの?

「ええっと……誰なの? 何の用事?」

 嬉しいなあ。魔女とお喋りできるんだ、これ。

「ええ?」

 魔女でしょ? タイトルにもあるし。

「タイトル?」

 

 会話が出来ているようで出来ていない。

 なにかまずいことをしてしまったのではないかと思ったが、後の祭りだった。

 とにかく今後は何を言われても無視を決め込み、飽きて他のところへ行ってくれるのを待つつもりだったのに。


 ソレの話はとても興味深かったのだ。

 いわく、この世界は体験型ゲームらしい。

 現実世界によく似た架空の世界を一人称視点で体験でき、多少なら世界を好きなようにカスタマイズもできるらしい。

 でも、プレイヤーはこの世界に認識されない。この世界に複数人いる魔女たちを除いて。

 このゲーム内で魔女は世界を均衡に保つ役割を担っている。

 だから、プレイヤーは魔女に見つかるとゲームオーバーらしい。今まで作り上げた架空の世界はその時点でリセットされてしまう、らしいのだが……。


「ゲームオーバーになってないよね」

 そーなんだよねー。

「あたしが魔女じゃないってことなのかな」

 それはないよ。魔女以外に私、認識されない設定だもん。

「それで? ゲームオーバーの危険があったのにも関わらず、なんでわざわざ魔女のあたしに話しかけてきたの?」

 だって退屈になってきちゃって。

「退屈?」

 何をしても反応返ってこないんだもん。

 その点、魔女はちゃんと反応してくれるから楽しいよ。


 ソレは言って、あたしの目の前にリンゴを生み出す。

 何もない空間から生まれたリンゴを両の掌で受け止め、あたしは複雑な気持ちになった。

「……どうも」

 あんまり嬉しそうじゃないね。リンゴよりもっとこう、金銀財宝とかの方がよかったかな? そういうのも普通に出せるけど。

「……いや、そうじゃなくて」

 じゃなくて?

「あんたにとってはただのゲームなんだろうけどね。あたしはあたしとして、今まで生きてきたんだよ。だからあまりこんな風な干渉のされ方はしたくない、というか……」

 えー? 別にいいじゃん。減るもんでもないし。言ってくれればある程度のことならできるよ?

「ありがたい限りだが、大きなお世話だよ」

 えー? そんな、だってやっと見つけた楽しみ方なのに……。

「……話し相手くらいにはなれるかもしれないけれど、こういうのは、もう止めてほしい」

 あ、じゃあさ、簡単な魔法が使えるようにしてあ

「却下」

 えー? あ、じゃあじゃあ……

「……」

 

 

 猫は本当に死にかけていた。

 元の毛色がわからないくらい泥やら血やらで薄汚れていたし、ほとんど骨と皮だけの状態で倒れていた。

 おまけに雨が降っていた。小雨で傘をさすほどではなかったけれど、あたしが見つけた時には既に、猫はぐっしょりと濡れていた。

 耳がカットされていないので地域猫といわけではなさそうだ。

 今まできっと、そうとう過酷な状況を生き抜いてきたんだろう。

 でも、これは、もう……。

 ――あたしもこうやって、野垂れ死ぬのかな。

 ふと、そんなことを考えている自分に驚いた。

 魔法が使えるわけでもないのに、あたしは魔女だった。

 魔女裁判なんかなくたって、静かに排除され、真綿で首を締められるように、じわじわと追い詰められて、最後には……。

「……そこにいるんだよな?」

 あたしは気配のする方へ顔を向ける。

 なぜそんな馬鹿な真似をする気になったのか。

 ヒトにも魔女にも、超えられない自然の摂理はある。その一線を越えれば、それは、もう……。


「頼む、助けてほしい……」

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