第61話 生こう
午後6時過ぎ。
俺と七瀬は、肩を並べて砂浜に腰掛けている。
ライトアップされた巨大な鳥居を、なんとなしに眺めていた。
状況の経緯に特別な理由はない。
泣き止んで、落ち着いた七瀬を引き連れ地上に上がったら、流れでそうなっただけだ。
陽もすっかり沈み、月明かりと海浜公園を照らす街灯だけがあたりを照らしている。
「七瀬さん、寒いっす」
「今更何言ってるの」
短時間とはいえ、太腿から下を水に浸けていたため非常に寒い。
ひとまず温かい所に移動したほうが良いんじゃないかという、俺の遠回しな提案は受理されなかったようだ。
もう少し、こうしていたいようだと察する。
七瀬は七瀬で、気持ちの整理として頭を冷やしているのかも知れない。
「……ごめんなさい」
不意に、七瀬が言った。
「何に対する謝罪だ?」
「たくさん、苦労をかけたみたいで」
「ああ、なるほど……別に、気にするなって」
言うと、七瀬が俺の手に触れた。その瞳には憂い色が浮かんでいる。
「こんなに傷だらけになって……」
自分が思った以上にボロボロな事に気づく。
すでに固まっているが、何回か転んだせいで掌からは出血。
膝のあたりもズボンが破けている。
「唇も切れてるわ……」
「ああ、これは自分でぶん殴った」
「は、はあ? どういうこと?」
「長―い経緯があるんだよ」
「経緯って?」
「……思い出すのも恥ずかしいからまたの機会で」
「何があったのよ」
「色々とな」
複雑な表情をする七瀬に、笑って誤魔化す。
ぶっちゃけると、さっきは余裕だったぜ感を出してたが、必死に探したし、たくさん走ったし、何度も諦めそうになった。
だけどそれは、別に言わなくて良い事だ。
こうして生きてくれただけで……俺は十分なんだから
未だに申し訳そうに目を伏せる七瀬の頭に手を載せる。
そのまま撫でてみても、七瀬はされるがままだった。
少しは、いや、結構気を許してくれているみたいだ。
「ありがとう、高橋くん」
いつもの苗字呼び。
だけど、想い人の控えめな笑顔付きとなれば話は別である。
なんだか気恥ずかしくなって、顔の温度が上がって……そこで、俺はハッとした。
「俺、わかったかもしれない」
「何が?」
七瀬がこちらを向く。
「七瀬が、人のことを『貴方』とか苗字とかで呼んでた理由」
「へえ」
続けなさいと、目で促される。
「奏さんが言っていた。呼称はその人との絆の深さを表すものだって」
相手が自分にとってどのくらい大きな存在かで、呼称は変わる。
「七瀬は、人と絆を深めるのが怖かったんじゃないか? 深めてから、裏切られた時の痛みを知っているから。それだったら、最初から深めないほうがいい、みたいな」
昨日の七瀬の独白で、母親に対する呼称が『母』と『お母さん』で揺れていた。
多分最初は『お母さん』と、年相応の少女のように呼んでいたのだろう。
「仮にそうだとしたら、どうするの?」
「俺は絶対に七瀬を裏切らないよ」
どこか試すように尋ねてくた七瀬に返す。
一瞬、七瀬の表情に喜色が浮かんだ。
しかしすぐにジトッと、怪しい人を見る目を向けてくる。
「遠回しに、下の名前で呼んで欲しい、って言ってる?」
「ありゃ、バレた?」
「考えが安直すぎるのよ」
「今更すぎだろ。で、どうなんだ?」
「……検討しておくわ」
「政治家かよ」
「私にとっては重要項目の一つなの」
「ということは、あながち仮説は間違っていないとう事だな」
「どの因果同士を繋げたらその結論に至るのか、理解に苦しむわね」
お馴染みの深いため息。
一方の俺は、自然と口角が持ち上がった。
こうして七瀬と、再び遠慮のいらないやりとりが出来ている事を嬉しく思っていた。
「そう言えばさっきの返事、聞いてないな?」
「い、今それを蒸し返す気?」
「当たり前だろ。こちとら1年分の勇気を振り絞って告白したんだぞ」
「なかなかにリアルな年数ね」
「で、どうなんだ?」
真面目なトーンで尋ねる。
七瀬はしばらく、悩ましそうに天を仰いだり、髪を弄ったりしていたが、終いには顔を真っ赤にして俯いてしまった。
なんだこの可愛い生き物は。
「……足りない」
「え?」
「判断材料が全然足りないのっ。そもそも私たち、まともに話すようになったのたった5日前よ? いくらずっと一緒にいるとはいえ、こんな大事な判断を下すには何もかもが足りなさすぎるのよ」
「ぐうの音も出ない正論」
実は、一緒に旅をする前から気になっていました、なんて事を言ってもそれこそ後付けだと思われるだろう。
向こうも、学校では俺のことをそこらへんに生えてる雑草くらいにしか思っていなかっただろうしな。
「というわけで、保留よ」
「ぐっ……まあ、妥当っちゃ妥当な結論か……」
「でも、そうね……」
ぷいっと七瀬がそっぽを向いて言った。
「これからも、アプローチ? って言うの? そういう感じのことをたくさんしてくれたら……そしたら、私の心がいい感じに変わるかもしれない、わよ?」
「この方面になると急にボキャブラリー貧相になってて草」
でもまあ、脈は無いわけではなさそうで安心する。
これから時間はたっぷりあるんだし。
色々な場所を巡る中で、少しずつ距離を縮めていこう……ってあれ?
気のせいだろうか?
七瀬の耳が、すんごく赤いような……。
「じゃ、じゃあ、そろそろ行きましょうか」
七瀬が立ち上がる。
「これから予定とかあったっけ?」
三途の川ワクワク遊覧ツアーはキャンセルしたはずだが。
「とってもお高い鰻、ご馳走してくれるんでしょう?」
にこりと、七瀬が小悪魔めいた笑顔で言う。
「い、良い店に連れて行くとは言ったけど奢るとは言ってない」
冷静に思い返すと、今日は金に糸目をつけず動き回ったせいで10万近く消費している。
それなりの蓄えはあるとは言え、お金も無限に湧いてくるわけじゃないから考えて使わないと……。
「何よ、さっきは俺が稼ぐとか自信満々に言ってた癖に、小さい男ね」
「特上でも特特上でもなんでも食うがいい!」
小さい男呼ばわりは看過できん!
「ふふっ」
七瀬が口に手を当てて笑う。
「ほんと、バカなんだから」
飾り気のない自然な笑顔に、俺はまた見惚れてしまうのだった。
「ほら早く、翔くん」
七瀬が俺に、手を差し出してきて言う。
「……突然きたな」
「現時点での、私なりのお返し」
「そうかい」
苦笑いと共にその手を取って、立ち上がる。
「それじゃ行くか、涼帆」
「……私の名前は呼んでいいと許可した覚えはない」
「いや理不尽か!」
七瀬……改め涼帆と一緒に、俺は海浜公園を後にした。
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