第60話 感情vs理屈

 弁天島海浜公園は、浜名湖の一部を埋め立てて出来た海浜公園だ。


 リゾート地のような景観や、開放感あふれる海水浴場が人気を博していて……浜名湖一の、夕陽の名所として広く名が知られている。


 開けた海水浴場から望むことができる夕陽も人気の理由の一つだが、一番の理由は湖上に浮かぶ巨大な赤鳥居の存在だ。

 

 高さ18mにも及ぶ赤鳥居と夕陽が重なり合う、ここでしか見れない絶景を一目見ようと休日は多くの観光客で賑わう。


 平日の今日も、海水浴場にはちらほらと観光客と思しき人々がスマホや高そうなカメラを赤鳥居の方向に向けていた。


 その集団から大きく離れたところに──七瀬は居た。


 本当に居た。

 やっと、やっとやっと、会えた!


 胸の芯から全身に広がっていく感動。

 しかしそれより、七瀬の今の状態を見て一気に思考が冷めた。


 ぽつんと一人で、彼女はその身を湖に浸かせているところだった。


「身投げの次は……入水かよっ……」


 服が濡れることも厭わず、湖の奥に向かってゆっくりと歩いていく七瀬。

 確か七瀬はカナヅチだった。


 もつれそうになる足をなんとか前に押し出しながら、俺は叫んだ。


「七瀬ッ」


 予想に反してに掠れた声が出た。

 ここまで全力疾走してきたせいで、声を出すための酸素が枯渇したのだろう。


 それでも七瀬は……ぴたりと、その歩みを止めてくれた。


「七瀬ーー!!」


 腹の底から無理矢理絞り出してもう一度叫ぶ。

 ゆっくりと、七瀬が振り向く。


「七瀬ッーーーー!!」


 最後に畳み掛けるように叫んでから、俺もじゃぶんと湖に両足を入れた。


「うおっ、冷たっ!?」


 水が傷に染みて痛い!

 それでも構わず、じゃぶじゃぶと水の中を進む。


 脛あたりまで水が浸かると急に歩みが重くなった。

 それでも、最後の力を振り絞って進む。


 HPすっからかんの身体に相当辛い負荷がかかった。

 だが、七瀬を永遠に失う辛さに比べたら宇宙とミジンコほどの違いだ。


 そして……太腿あたりまで水が浸かって、七瀬の前までやってきた。


 いつもの不機嫌顔とは打って変わって、七瀬の表情は驚愕に染まっていた


 そうだ、その顔が見たかったんだ。

 達成感と、してやった感が湧き上がる。


 同時に、胸の中が愛おしさで一杯になった。

 離れていた時間は1日に満たないものの、まるで数年越しに再会したような気分だった。


「なん……で、ここが?」


 俺が目の前にいる事が信じられないという風に七瀬が言う。


 乱れた息を何度か深呼吸をして整えてから、改めて口を開く。


「七瀬が今日、自殺すると仮定して……その場合、最期にどこに行くのか」


 推理小説のクライマックス。

 探偵が謎解きを口にするように、俺は言った。


「最期は絶対に、夕陽を見ると思った」


 七瀬が目を見開く。

 「信じられない……」と言葉が溢れる。


「で、でも……仮に私が最期に夕陽を見るとしても……夕陽が見える場所なんていくらでもあるはず、なのに……なぜ、ピンポイントでここがわかったの?」


 当然の疑問を口にする七瀬に、俺は頭の中を整理しながら答える。


「合理的に考えれば、まず、遠方には行かないと予想する。最後の一日だから、できるだけ移動には時間を割きたくないと考えるのが普通だろう。ということは、この周辺のスポットか、もしくは俺との遭遇を避けて少し離れた場所を散策すると思った。ぶっちゃけ日中は何をしていたのか見当がつかない」

「そ、そうよ! わかりっこないわ! なのに、なんでこのタイミングだけ……」

「俺と正反対だから、わかった」

「正、反対……?」


 言葉の意味がわからない、といった七瀬に、俺は言葉を並べる。


「どこに行くか、どこでご飯を食べようか、どこのホテルに泊まろうか。そんな時、直感的に行動する俺とは正反対で、七瀬はいつも……」


 最後のピースを放った。




「いつも七瀬は、ネットで検索して評価の高い場所を調べていた」




 澄んだ双眸が、大きく見開かれた。

 優秀な七瀬は、俺の言葉の意図を一瞬で理解したようだった。


「まさか……それだけの情報で、ここを?」


 自信満々に、俺は頷いた。


 そう。

 方法は単純で、最も身近にあったのだ。


 天上山の展望タワーで、『浜名湖 夕陽 スポット』と検索。


 どのレビューサイトにも、弁天島海浜公園の名がぶっちぎりの上位で記載されていたのを目にし、ここしかないと思った。


 湖上に浮かぶ巨大な赤鳥居と夕陽が重なり合う、ここでしか見れない絶景。


 合理的に考えれば、ここで夕陽を見るべきだという結論に行き着くのだ。


「論理で動く七瀬がどこに行くかなんて、同じように論理を駆使すれば簡単なんだよ」


 最後にそう言って、俺は得意げに笑ってみせた。

 心の中はカタルシスの風が吹き荒れていいた。


 ああ、なんと気持ちがいいことか。

 いつもマウントを取られっぱなしの俺だったが、逆に取り返すとこんなにも清々しいのか。


 そんなことを思っていると。


「……して?」

「ん?」

「どうして、来たのよ!?」


 七瀬がキッと睨みつけてきて叫んだ。

 今までの彼女からは考えられない、腹の底から飛び出したような声。


「どうしてって……」


 俺の答えは決まっていた。

 単純な話だ。


 だって俺が、七瀬のことが……。


「鰻」

「は?」

「うまい鰻屋さん連れて行く約束、しただろう? 俺は約束を破らない男なんだ」


 ……あれっ?

 思っていた答えと、実際に口にした言葉が違う


 どうやら、この後に及んでヘタれてしまったらしい。


「ふざけないで!!」


 七瀬がブチ切れた。


 ばしゃんっと、水面を叩く七瀬の手がそのまま頬に飛んでくるかと思った。


「置き手紙、見たわよね!? さようならって、意味わからなかったの!? 馬鹿なの!? 私の……私の意図が、伝わらなかったの!?」

「伝わったさ、嫌と言うほど!!」


 今度は俺が叫び返した。


 言葉に怒気を込める俺は珍しいのか、七瀬がびくりと肩を震わせる。


 しかしここで怯むわけにはいかないと、七瀬が食い下がる。


「つ、伝わってるなら、どうして……どう考えても、状況的に高橋くんは、私と離れて東京に帰った方が……良いのに……」


 昨日と同じようなことを、七瀬が言う。

 だがその声色からは、自信のブレが感じられた。


 このまま押し切るしかない。そう思った。


「七瀬」


 小さな両肩に優しく手を添える。


「お前は頭がいい。言ってる事は筋が通っていて正しいし、いつも正論だ。ムカつくほどにな。だが、致命的な欠点がある」

「何よ、欠点って……」

「お前は、感情をわかっていない」

「かん、じょう?」

「そう、感情だ」


 七瀬が怪訝そうに眉を寄せる。


 それからふるふると、頭を振る。


「わかんないわよ……なんなのよ、感情って……」

「好きだ」


 今度は言えた。


「俺は、七瀬が好きだ」


 自分の気持ちを、ちゃんと言えた。

 

 昨日の夜、グダグダ考えた末に結論が出なかった覚悟は、しっかりと固まっていた。

 何を言われたかわからないと固まる七瀬に、俺は続ける。


「理屈で考えれば、俺と七瀬は離れる方が合理的かもしれない。でもそれ以上に、俺の感情が嫌がってんだよ。七瀬のことが好きな俺の感情が、どんなデメリットがあっても七瀬と離れることだけは嫌だって、これからもずっと一緒にいたいって、言ってるんだ」


 自分の思った以上に言葉がすらすらと出てきた。

 今まで胸底に押し込まれていた想いが溢れ出すように、七瀬に対する言葉が止まらなかった。


「し、信じられないっ……」


 七瀬が身を捩って、俺の手を振り解いた。


「そんなの、その場凌ぎで言っているようにしか……」


 強い拒絶を灯した瞳の中から、微かに揺らぐ怯えの色を感じ取った。


 ああ、そうかと、気づく。

 七瀬はきっと、怖いのだ。


 元々、人とろくに関わって来なかっただろうし。

 父親には最初から放置され、母親にもひどい裏切られ方をされてきた。


 愛だとか信頼だとか絆だとか、そういった繋がりに強い拒否反応あるのだ。


 たった数日一緒にいたくらいの関係値で好きとか言われても、受け入れ難いものがあるだろう。


 だとしたら、余計にここで引くわけには行かない。

 未だ反抗的な目を向けてくる七瀬に言う。


「この広い日本の中から七瀬を見つけ出した。それが、俺が七瀬を好きという何よりの証明じゃないのか?」


 好きじゃなかったら。

 七瀬がこの時間にどこにいるかなんて、わかりっこなかった。


 好きだったから、ずっと見てたから、わかった。

 俺の言葉には筋が通っていた。


「それ……は……」


 だからこそ、理屈的な七瀬は言葉を返せなくなった。

 表情から拒絶と怯えが薄まって、代わりに動揺が広がっていく。


 どうすればいいのか、七瀬自身、わからなくなっているのだろう。

 俺はわかっている。やることはシンプルだ。


 俺の想いの大きさが七瀬に伝わればいい。

 もう一度、七瀬の両肩に手を添えた。


「いいか、よく聞いておけよ」


 思い切り息を吸い込んで、ありったけの思いを胸に込めて。


 俺は叫んだ。


 弁天島海浜公園から湖上に浮かぶ巨大鳥居を超えて、夕暮れに染まる西の空を渡って、世界中に向けて叫んだ。





「高橋翔はぁ、七瀬涼帆のことがぁ、大好きだあ────────っ!!」




 俺がどれだけ七瀬のことが好きなのか、全世界に知らしめてやりたかった。

 

 地球に住まう何十億人という人々の中でどれだけ自分が劣っていたとしても、この想いだけは世界中の誰にも負けない。負けないくらいの想いを込めて叫んだ。


 理屈ではなく感情で『好き』を伝えた。

 今の七瀬にとって、俺の本気度が最も伝わりやすい告白だ。


「…………あ……え……?」


 動揺一色に染まった瞳が行き先を失ったように泳いでいる。

 新雪のように白かった顔が、夕焼け色よりも赤く染まった。


 七瀬も理屈ではなく、感情で『わかった』ようだった。


「俺の気持ちが信じられないと言うのなら……」


 若干枯れてしまった声で、俺は提案する。


「もうしばらく、一緒に旅を続けてみないか?」


 しばらく、間があった。


 地平線に太陽が完全に沈んで、公園を照らす明かりだけが俺たちを照らしている。


 やがてゆっくりと、七瀬が口を開く。


「ご両親の事は、どうするの? たくさん心配、してると思う……」

「親にはちゃんと話すよ。時間はかかるだろうけど、ちゃんと説得する」

「……お金はどうするの? いつまで持つか……」

「俺が稼ぐよ。切り抜き師舐めんな」

「捜索届けとか出されたら……」

「その時はその時だ。でも、どうなったとしても、七瀬さえいてくれればそれでいい」


 七瀬を真っ直ぐ見つめて、言った。


「俺は七瀬が必要なんだ、この世界で何よりも」


 また、間があった。

 ざざーんざざーんと、波の音が鼓膜を震わせる。


 ……やべえ、やっちまったか?

 今更冷静になって羞恥が追いついてきた。


 完全にハイになっていた。

 いつもの俺なら絶対に言わないワードを連発した挙句、世界の中心で愛を叫んだ。


 思い返して、顔の温度が急上昇した。

 穴があるなら入りたいとはこのことだろう。


 一方の七瀬は、どこか呆れたような笑みを浮かべていた。


「バカとは思っていたけど、ここまでとは思っていなかったわ」

「なっ、その言い草はないだろ!?」


 一世一代の大告白だったのに!


「バカとしか言いようがないわよ。本当にバカ、バカの極みのバカ」

「ひどい言われようだ」

「ばか……」


 潤んだ声。

 くしゃりと、七瀬の表情が歪む。


 七瀬の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。


「本当に、ばか……なんだから」


 そこから先は言葉にならなかった。

 七瀬が、俺に縋るように抱きついてきた。


 それから、声を上げて泣き始めた。

 初めて目にする、七瀬の慟哭。


 赤ん坊のように泣きじゃくる七瀬の背中に優しく両腕を回す。

 俺は何も言わず、その小さな背中を優しく撫でた。


 七瀬の感触を感じる。

 体温を感じる。

 匂いを感じる。


 太腿より下は湖水で冷たいけど、七瀬を抱き締める腕は温かい。


 七瀬は確かに、俺の腕の中で生きている。


 その事実に、俺まで瞳の奥が熱くなった。


 ──本当に、良かった。


 心の底からそう思った。


 七瀬が泣き止むまでずっと、その小さな身体を抱きしめ続けた。

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