第59話 わかっているのに

「最期に見れて、良かったわ」


 絶景に対する私の感想は、ひどく退廃的だった。


 ここは夕陽と、とある建造物が重なってとてもユニークな光景が見れるスポット。

 これから黄泉の国に旅立つ身にとしては、これ以上に相応しい場所はない。


 今まで、こういった景色を楽しむ暇なんてなかった。

 夕陽の美しさを教えてくれた高橋くんに、ほんの少しだけ感謝の念を送る。


 ……今頃、高橋くんは必死に私を探している。


 でも絶対、見つけられない。

 仮に見つけられたとしたら、それこそ天文学的確率だ。


 申し訳ないという気持ちがチクチクと胸を痛める。

 いきなり姿を消したのはやり過ぎという自覚はあった。


 とても驚いたに違いないし、ショックを受けたと思う。自分が好意的に見られているという自惚れはないけど、多少は情を持ってくれているはずだから。


 でも、こうするしかなかった。

 私の言い分を、高橋くんは頭で理解したとしても心根の部分では絶対に認めない。


 それは、昨日の話し合いで確信していた。

 私の提案を、高橋くんは意地でも受け入れようとしないだろう。


 高橋くんは、そういう人だ。

 理屈が通じない。


 だから、自分から離れた。

 それだけのことだった。


 ──私は今日、ひっそりと死ぬ。


 高橋くんもきっと、私が自死を選ぶという結論に行き着く。


 数日の間は私を探し回るかもしれないけど、そのうち諦めてくれる。


 諦めてくれると信じたい。

 彼が無事に元の日常に戻る事が、私の最期のささやかな願いなのだから。


 もうすぐ、夕陽が沈んでしまう。

 今日の終わりと同時に、私の命も終わりを迎える。


 思い返せばひどい人生だった。

 金銭的には恵まれていたけど、他には一切恵まれなかった。


 ただ母親の要求に応えるだけの、生きているのか死んでいるのかもわからない人生。


 だからこそ、人生の最後の彩に旅が出来て良かった。


 一緒に旅をしたのが、高橋くんで良かった。

 高橋くんは、私とは何もかも正反対なクラスメイト。


 実は田端駅で遭遇する前から、彼のことは少しだけ気になっていた。

 高橋くんも私と同じく、はぐれ組の一員。


 普通、人は集団の中で孤立していると疎外感を感じるもの。

 事実私も、自ら他者と壁を作り一人の状況を作った結果、深い孤独を抱えていた。


 それに比べて高橋くんは、いつもどこか楽しそうだった。

 休み時間にせっせとノートパソコンを開いて、何やら熱心に作業をしている。


 一人の世界に没頭するその姿が、いつの間にか気になっていた。


 ……その経緯があったから。


 旅の始まりの、田端駅。

 あの時、私の自殺を止めようとしたのが高橋くんだったのは、とても驚いた。


 そしてあろうことか、彼は私に『旅に出よう!』と提案してきた。

 高橋くんだったから、そんな無茶苦茶な提案に乗ったというのは、多分ある。


 結果的に、旅は楽しかった。

 そう、とても楽しかった。


 最期くらい、自分に素直になろう。

 高橋くんとの旅は、私の人生の中で一番楽しいベントだった。


 旅が出来た事が楽しかったんじゃない。

 高橋くんと一緒に旅が出来た事が、楽しかったのだ。


 本人には絶対に言わないけれど。もう言えないけれど。


「おかしいわね……」


 死ぬ前というのに、思い浮かぶのは高橋くんのことばかりだった。

 この現象に、とある感情が関わっている気がしたが、即座に否定する。


 そんなはずがない、ありえないと、頭を振る。

 だって高橋くんは、高橋翔くんは……。


 いつもヘラヘラしているし。

 

 いちいち私をイラつかせること言うし


 非論理的だし。


 唐突に訳のわからないことをし始めるし。


 短絡的で直感的で非効率な事を進んでやり始めるし。


 私とは決定的に合わない。正反対な人間だ。


 ……でも、とっても優しい。


 人を元気にさせる明るさがある。


 人の心を前向きにさせるパワーがある。


 人をちゃんと見て向き合う誠実さがある。


 どんな事でも受け入れる寛容さがある。


 些細な事に感動して楽しめる豊かな感受性がある。


 私にはない部分たくさん持ってる。


 持っているからなんだというの。


 決して、異性間に発生しがちなピンクな気持ちが生じているわけじゃない。


 私はただ……そう、感謝。


 感謝しているだけよ、高橋くんに。


 最後に、こんな私と一緒に旅をしてくれてありがとうって。


 手紙に、『さようなら』だけじゃなく、『ありがとう』も書いておけばよかった。


 今更ながら後悔した。


 私の高いプライドのせいで書けなかった、自覚はある。


 ……可能であれば、もう少しだけ旅を続けていたかった。

 という気持ちは、確かに存在する。


 最期の最期でなんてわがままだ。

 だけど、それは許されない。


 高橋くんには、帰る場所も、未来への希望も、求めてくれる人もいる。

 私といるべきではない人間なのだ。


 私が一人で逝く事が、私にとっても、彼にとっても最適解なのだ

 地平線に沈むゆく太陽に決意の瞳を向けてから、一歩踏み出す。


 ちゃぷ……と、足先まで浸かった10月の湖水は冷たくて、思わず身震いをする。


 沖縄の海は温かかったわね……頭に浮かんだ思い出を振り払う。


 ……これでいい。


 これでいいのよと自分に言い聞かせながら、じゃぶじゃぶと歩を進める。


 母に植え付けられた水に対する恐怖を、理性でなんとか押しとどめながら進んでいく。


 そういえば、高橋くんが海で手を引いてくれたから、少しだけ水が怖くなくなったのよね……再び頭に浮かんだ思い出を振り払う。


 これでいいの、これでいいのよ。

 論理的には正解よ。


 これが合理的帰結よ。

 理屈では答えが出ているじゃない。


 なのに。

 それなのに……。


 太腿あたりまで浸かったあたりで。


 感情が、思った


 言葉が、溢れ出した。


「……死にたく、ないな」


 呟いた、その時だった。


「な……せッ……」


 途切れ途切れの声。

 するはずのない声が、どこか遠くから鼓膜を震わせる。


 ありえないと、理性が否定をする。

 確率論的には幻聴と考えるのが普通だ。


 だって……こんな……こんな展開、論理的にはありえない。


「七瀬ッーー!!」


 今度ははっきりと、私の苗字を呼ぶ声。

 さっきより近い。


 二度目の叫びを幻聴と片付ける事は出来なかった。

 恐れなのか、怒りなのか、絶望なのか、それとも期待なのか。


 ぐっちゃぐちゃになった感情のまま、恐る恐る振り向く。


「七瀬ッーーーー!!」


いるはずがない人物──高橋くんが、天文学確率を以って立っていた。

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