第56話 諦め

「……俺が、見つけないと」


 駆け出した。

 まだ、近くにいるかもしれないという淡い希望を持って。


 昨日、就寝したのは22時ごろ。

 かっちりとした七瀬の睡眠時間的に、朝の4時か、5時半には起床していただろう。


 なぜ目を覚まさなかったと、自分の眠りの深さを心の底から呪った。


 現在時刻は8時。

 淡い希望は霧散していたが、一縷の望みをかけてとにかく走った。


 たくさんの人々に怪訝な視線を向けられながらも走り回った。


 昨日の雨で空気は湿気ており、すぐに汗だくになる。

 それでも走って探し続けた。


 弁天島駅周辺を一通り探し尽くし、息も切れかかってきて。


 たぶん、駅周辺にはいないんだろうと納得と落胆が深くなってきた時。


 「そうだ……」


 人は、死ぬ前に自分の思い入れのある場所を訪れる、という話をどこかで聞いた。


 もしかして七瀬は、今回の旅で巡った場所のどこかにいるのでは?

 直感的な閃きを元に考える。


 今回の旅で、七瀬の印象に強く残った場所はどこか?


 二つの候補が浮かんだ。

 一つは、奏さんと運命的な再開を果たした浜松駅のストリートピアノ。


 もう一つは、息を呑むほどの富士山を臨んだ、天上山の頂上展望台。


 指針が決まってすぐに、浜松行きの電車に乗り込んだ。

 定刻通りの運行が電車の強みだが、今だけはもっと早く着かないのかとヤキモキした。


 浜松駅に着くと、時刻は9時を回っていた。

 新幹線改札口を通った後、ストリートピアノの元へ。


 七瀬は、居なかった。


 どこかも誰かもわからない初老の男性がピアノを弾いていた。


 誰もピアノを弾いていなかった。しばらく、立ち尽くした。

 一歩目の判断を間違えた事に、少なからず動揺していた。


 ──失敗なら失敗したでしゃーない! さっさと次に行く!


 瑠花さんの声が、記憶の底から飛び出してきて頭に響いた。


「クソッ……」


 身を翻し、次の目的地に足を向けた。


 浜松駅から天上山までは、今の時間だと4時間以上かかってしまう事がわかった。


 三島駅から河口湖方面に出ているバスに、ニアピンで間に合わないらしい。


 時間が惜しい。

 そう考えた俺は、新幹線で三島駅に着くなりタクシーに乗り込んだ。


「天上山まで!」

「天上……? えーと、すみません、どこですか?」

「山梨県の、河口湖の所にある山です」

「ああ、河口湖ね……河口湖?」


 明らか高校生の俺が平日の昼に県を超えて山に向かえと言った事に、運転手さんは怪訝な表情を浮かべた。


「身内が危篤で、早く帰らなきゃいけなくなったんです」


 ある意味嘘は言ってない。

 身内ではないけど、危篤に近い状態なのは確かだ。


「ああ、ああ、なるほど、わかりました」


 真剣な表情で言ったお陰か、運転手さんはそれ以上突っ込まずカーナビに目的地を入れて発進してくれた。ほっと胸を撫で下ろす。


 身内が危篤という言葉を考慮してくれてか、心なしか速度の乗ったタクシーに揺られる事さらに1時間ちょい。


「お客さん、着きました」


 ざっと東京から浜松までの新幹線代の3倍くらいの料金がメータに刻まれていたが、今更気にしている場合ではない。


 ヨーチューブで稼いでいて良かったと思いつつ支払いを済ませ、また走る。

 七瀬と乗ったロープウェイに乗り込み、山頂を目指した。


『窓、開けていいかしら?』

『いいけど、そんな暑いか?』

『少し、風に当たりたい気分なのよ』


 4日前、七瀬と交わしたやりとりがリピートする。

 あの時、窓を開けたがっていた七瀬の真意が、今ならわかった。


 山頂に到着する。ロープウェイを降りるなり、展望台に駆け込んだ。


『あら、高橋くんがいるわ』

『誰がたぬきだ』


 七瀬と見た、うさぎとたぬきのマスコットが目に入る。


『どんな話だったっけ、カチカチ山って』

『老婆を殺したタヌキを、老爺の代わりにウサギがぶっ殺す話よ』

『そんな物騒な話だったっけ!?』


 七瀬と読んだ、カチカチ山の説明板が目に入る。

 その度に、胸が裂かれるようにと傷んだ。


 瑠花さんに案内された展望タワーの階段を、再び登っていく。

 最上階までたどり着く。


 そこにも七瀬は……いなかった。


「……だよな」


 小さな呟きは期待と同じように、空気に溶けて消えた。


 展望タワーの最先端。

 飛び降り台のように突き出た場所まで歩く。


 七瀬と共に富士山を臨んだ場所だ。

 何気なく、富士山に目を向ける。


 感動は無かった。

 あるのは空虚感、そして、焦燥感。


 七瀬と見た時はあれだけ美しく見えていた富士山は、どこか色褪せて見えた。


 時刻は13時を回っていた。

 お昼時だが、食欲は微塵も湧いてこなかった。


 頭の中は、七瀬のことで一杯だった。


「クソッ……!!」


 悪態と共に、柵に拳を打ち付ける。

 わかっていた。


 自分の身一つで、このただっぴろい日本からひとりの少女を見つけだすなんて、無理に決まっていたんだ。

 

 わかっていたんだ、最初から。


 ワンチャンあるかもしれない、などという無根拠に近い思い込みに縋って、ただ闇雲に探し回って時間を無駄にしただけだ。


 これなら最初から警察に連絡した方がきっとマシだった。


「クソッ……クソッ……!!」


 どんっ、どんっと何度も拳を打ち付ける。

 怒りの感情が爆発して止まらない。


 また感情的になって、よく考えもせず行動して。

 結果、何も解決できずに頭を抱える。


 今まで何度このパターンを経験してきた?

 七瀬にも何度もチクチク言われただろう?


 いい加減学べよクソ野郎が!


 愚かな自分に対する苛立ち。


 七瀬を見つけられない焦燥感。


 様々な負の感情が心の中でぐっちゃぐちゃになって吐きそうだった。


「七瀬なら……」


 七瀬なら、俺みたいな愚行は起こさなかっただろう。


 きっちりと論理を張り巡らせ、確度の高い仮説を立てて、意図を以って行動し問題を解決していたはずだ。

 今まで、そうだったのように。


「もう……ダメなのか?」


 呟く。

 言葉にすると、本当にそんな気がしてきた。


 足から筋力が失われたように、へたり込む。


 もう、手遅れかもしれない。

 もう、七瀬はこの世にいないかもしれない。

 もう、七瀬とは二度と会えないかもしれない。


 諦めた方がいいんじゃないか?

 

 いっそもう、全部忘れて帰った方が……。


 嫌な事ばかりが頭に浮かぶ。


 ドロドロとした粘着性の高い感情が胸中を侵食する。


 視界が、頭の中が真っ暗になっていって──。


 ──私はひとりで、大丈夫。


 昨晩、七瀬が浮かべた、今にも泣きそうな笑顔が頭に浮かんだ。


「ざけんな!!」


 ガンッ!!


 一発、自分の頬に全力の拳を叩き込んだ。

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