第55話 消えた七瀬

 七瀬が消えた。荷物も含めて忽然と。


『さようなら』


 たった一つ残された置き手紙。

 別れの意味を持つ言葉を見て、俺はひとり呟く。


「なんだよ、それ……」


 拳を握り締める時間すら惜しかった。

 着替えだけ済ませてから部屋を飛び出した。


 チェックアウトを済まし、貴重品以外の荷物を預けるや否やホテルを出る。


 雨は上がっていた。昨日の雷雨が嘘のような、憎たらしいほどの快晴。


 七瀬がいなくなった事も嘘であって欲しかった。

 まず、七瀬に電話をかけた。


 繋がるはずは無いとわかりつつ。


 案の定、通話口からは『おかけになった電話番号は……』と無機質なアナウンスが流れた。


「……どうする?」


 自答する。

 そもそも七瀬は、なぜいなくなったのだろうか。


 昨晩の一件を鑑みれば、考えるまでも無い。


 ──明日、また話しましょう。


 嘘だったのだ。

 最初から七瀬は、俺の前から消えるつもりだったのだ。


 置き手紙に書かれていた七瀬の言葉が、彼女の意思の全てだった。

 昨日の七瀬の言葉が思い起こされる。


 ──高橋くんは、家に帰るべきよ。


 ──高橋くんには……待っててくれる家族がいるんだから。


 私にはいない。

 むしろ私は、高橋くんが家に帰れない理由になっている。


 だったら私は、高橋くんの前から消えるべきだ。

 簡単な話よ。


 想像の七瀬が、いつものしかめっ面で淡々と言う。


「だとしたら七瀬は……これからどうするつもりなんだよ」


 俺の問いに、想像の七瀬が、


 ……わかるでしょう? と、悲しく微笑んで背を向けた。


「死ぬつもりか……?」


 最悪の可能性が脳裏をよぎる。

 元々、七瀬は死ぬつもりだったんだ。


 ここで俺と別れたとして。

 俺が日常に戻って数日後とか、数週間後とかに、『何呆けた顔してるのよ」と七瀬も学校に戻ってくる……想像もできない。


 近いうちに、七瀬は自ら命を経つ。

 その確信があった。


 早ければ今日にでも……。


「冗談じゃない!」


 背中に冷たいものが走る。

 スマホを取り出し、この近辺における自死に関するニュースを調べた。


 幸い、七瀬くらいの少女が自ら命を経ったというニュースは見つけられなかった。


 ネットに情報が上がっていないだけかもしれない。


 だが、七瀬の昨日の様子と、彼女の性格的にすぐに命を経つとは考えにくいと思った。

 直感だ。ただの願望かもしれないが。


 かといって、七瀬がまだ生きていると仮定してもさほど猶予はないだろう。


 どうする?

 

 警察に連絡して探してもらうか? 

 ダメだ。連絡したところでどうなる? 


 まずは事情説明。

 しかし俺は家出の身。


 多分そこからツッコミが入って余計な取り調べが行われるだろう。


 一緒にいた女の子が朝起きたらいなくなっていて、きっと自殺しようとしているんですと訴えたところで、そもそも信じてもらえるかも怪しい。


 七瀬の家族でもない、発言の信憑性も薄い家出少年の状況説明だけで、消えた一人の女の子を大捜索してくれるほど日本の警察も暇じゃない。


 ぐだぐだしている間に、七瀬はこの世から旅立ってしまうだろう。


そこまで考えて、俺はひとつの結論を出した。


「……俺が、見つけないと」

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