第51話 私たち……

「何かあったのか?」


 入り口に近い花広場で、俺は切り出した。

 ここまで切り出せなかったのは、単純に俺が臆病だったからだ。


 訊いてしまうと、今までの俺と七瀬の関係性を決定的に変えてしまうんじゃないか。


 無論、悪い方向へ。

 そんな予感がじゅくじゅくと嫌な音を立てて肥大化していたのだ。


 結果的に、その予感は正しかった。

 俺の問いかけに、七瀬の足が止まる。


 肩がぴくりと震える。

 ゆっくりと、端正な顔立がこちらを向く。


 思えば、今日初めて七瀬の顔をちゃんと見たかもしれない。

 

 この世の全てがどうでも良くなったような、虚無の表情がそこにあった。


「何か……あったのか?」


 返答のない七瀬に、もう一度問いかける。


「なんでもない」


 七瀬は言った。


「なんでもないわけないだろ」


 俺は返した。


 それから長い、沈黙があった。

 10秒か、30秒か、はたまた1分か。


 どこか光を失った双眸を逸らし、七瀬は重たそうに口を開いた。


「私たち、もう一緒に旅をしない方がいいと思うの」


 ……一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 正確には、脳が理解を拒否した。


 人は、拒絶の言葉を突きつけられると思考が一瞬停止してしまうようだ。


 少しして頭が回り出して、七瀬の言葉を理解した俺は、怒りと哀しみが混ざったような声で尋ねた。


「どういう、意味だよ」


 また、沈黙があった。

 だが今度は、七瀬ははっきりと俺を見て言った。


「そのままの意味よ」

「それだけじゃ、わからん」


 詳細の説明を求めるも、七瀬はそこで身を翻した。

 まるで、逃げるかのように。


「お、おい、待てよ!」


 七瀬に手を伸ばした。

 

 その刹那──視界がピカッと光に包まれた。

 一瞬のことだった。


 すぐに視界が晴れた。

 その数秒後、身体の芯を震わせるような轟音が鼓膜を劈く。


「ひうっ……」


 かなり近い場所で炸裂した雷音に、七瀬は短い悲鳴をあげてしゃがみ込んだ。

 両耳を塞ぎ、目をぎゅっと瞑っている。


「雷、苦手なのか?」


 コクコクと、七瀬が頷く。


「……雷には、嫌な思い出があるの」


 言葉と同時に、また視界が光に染まる。


「うぅっ……」


 再び突き上げるような雷音に、七瀬はいっそう身を縮こませ幼児のように震わせ始めた。


 俺だって得意な方ではないが、七瀬の怖がりようは心から苦手な人のそれだった。


 ──ぽつ、ぽつと、空から冷たい雫が落ちてくる。


 天気予報、見ておいてよかったとコンビニで購入したビニール傘を開いた。


「……濡れるぞ?」


 声をかけるも、七瀬はしゃがみ込んだまま身体を震わせるばかり。


「とりあえず、行こう」


 七瀬の腕に自分の腕を回し、ゆっくりと立ち上がらせる。


 傘の一部をシェアした後、自分よりも小さな手を握った。


 飛行機で握った時とは対照的に七瀬の手は冷たく、力を込めたら壊れてしまうんじゃないかという脆さを感じた。


 七瀬の手を引いて、そのままバス停に向かう。

 抵抗されるかと思ったが、七瀬は従順についてきた。


 雨から逃れたいという共通認識は一致していたようだ。


 雨足は次第に強くなっていき、終いには堰を切ったような土砂降りとなった。


 ちょうど良いタイミングでやってきたバスに逃げ込み、弁天島駅へ向かう。


 この土砂降りだと、今日のアウトドアな予定は無くなったも同然だし、新しい地域へ行く雰囲気でもない。


「今日は、この辺で泊まるか?」

「……そうね」


 バスの中で、俺と七瀬が交わした会話はこれだけだった。


 弁天島駅に着いた後、コインロッカーから荷物を回収し、駅前で待ってましたと言わんばかりに待機していたタクシーに乗り込んだ。


 バスの中で目星をつけていたホテルへ向かう途中も、俺たちは無言だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る