第52話 あの時、なんで……

 少しばかり築年数が古いビジネスホテルに到着しフロントで空き部屋を確認すると、「今、ツインルーム一部屋しか空いておらず……」と返答された。


 バスの中で確認した時はいくつか空室があったはずだが、土砂降りの影響で差し込みで予約が入ったとの事だった。


「他のホテルにするか」


 流石に同じ部屋はまずいだろう、という意図を込めて言うと、七瀬は力無く言った。


「ここで、いいわ」


 何かしら了見があるのか、もしくは何も考えていないのか。

 真意は計りかねたが、結果的に俺は七瀬の意思に従って、ツインルームに泊まることになった。


 通された部屋は、壁や調度品から外観通りの年季を感じられるものの、清潔感はしっかりと確保されており想像以上に広々としていた。


 部屋の観察もそこそこに、荷物を置き、カーテンを閉める。


 七瀬はベッドに腰を下ろし、怯えとも焦燥とも取れる瞳を床に向けていた、


 向かいのベッドに腰を下ろして、俺は切り出した。


「話してくれないか?」


 ピクリと、小さな肩が震える。


「もう、一緒に旅をしない方がいいって、どういう意味だ?」


 思った以上に、自分の声に熱が籠っていた。

 姿勢こそいつも通りを心がけているが喉はカラカラで、心臓は不自然な鼓動を刻んでいた。


 七瀬はしばらく、床をじっと見つめて、口を開いて閉じてを繰り返した。


 言葉を選んでいるようだった。

 窓越しに聞こえる雷音、雨音、いつもより深い息遣いが、やけにはっきり聞こえる。


 やがて、強い意志を込めた瞳が、俺の目を真っ直ぐ見て言葉を紡ぐ。


「高橋くんは、ご両親の元に帰るべきよ」


 限りなく、命令に近い口調だった。


「それは、どういう……」

「単純な話よ。高橋くんには、帰りを望むご両親がいる」


 言葉の通り、単純な話だった。


「家に帰りたくない理由……ご両親との喧嘩も、ちゃんと話し合えば解決するはずと私は提案した。なのに高橋くんは、それを肯定しなかった」


 今回、旅を敢行するに至った親との喧嘩。

 それが解決してしまうことは、七瀬と旅をする理由がひとつ減る事。


 だから、あの場を誤魔化した。

 だがその誤魔化しは、七瀬のロジックによって詰められてしまった。


「あまつさえ、高橋くんはご両親からかかってきた電話を私といるという理由で、受け取らなかった」


 そう言う七瀬の瞳に、罪悪感と思しき感情が浮かんでいた。


 ……ああ、なるほどと、理解した。

 根が優しい七瀬のことだ。


 俺が親からの電話を切ったのを見て、彼女はこう思ったのだろう。


『私といるせいで、高橋くんが家に帰れない』と。


 だからあの電話以降、七瀬の様子がおかしくなったのか。


「私といると、高橋くんは家に帰れない。だから、もう旅を終わりにしたほうが良いと判断した。それだけよ」


 先んじて予想した通りの事を、七瀬は言った。


「いや、だけど……!」


 ここで納得してはいけない。

 直感的な思考が、口を動かす。


「確かに旅をしている理由の一つは親との喧嘩があって……それも、七瀬が言ったようにしっかり話し合えば、解決するだろうけど……だけど……」


 直接的な表現を口にするのが憚られたが、言った。


「七瀬の……自殺を止めるという目的も、あるから」


 むしろ、本来の趣旨はそっちなのだ。

 身投げしようとしていた七瀬を、旅に連れ出し、色々な場所を訪れていくうちに死ぬ気を無くしていく。それが大目的だった。


 この5日間で、ある程度その目的は達成できたんじゃないかと思っていた。


 ……それは思い込みだった。


「旅は、それなりに楽しめたわ」


 これまでの軌跡を思い起こすように天井を仰いで。


「美味しいご飯も食べられたし、普段できないような体験もできたし、美しい夕陽を見ることもできた。面白い人とも出会えたし、ユニークな価値観に触れることもできたし、偶然の再会も果たせた。高橋くんの言った通り、良いリフレッシュになったわ。でも……」


 言葉とは裏腹に、コンクリートのように冷たい表情で、七瀬は言った。


「もっと生きたいと思うほど、前向きな思考にはならなかったわ」


 視界が一瞬、暗転したかと思った。

 次いで心の芯が、ズキリと痛んだ。


 一番、聞きたくなかった言葉だった。

 だがここで、はいそうですかと受け入れる訳にはいけない。


 七瀬を説得する微かな材料を求めて、重い口を開く。


「あの時──」


 今までずっと避けていた核心的な問いを、投げかけた。


「なんで、死のうとしたんだ?」

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