第47話 雲行き

 今日も夜遅いので、昨日泊まったホテルに宿泊する流れになった。


 その帰り道。

 俺と七瀬の間には微妙な空気が立ち込めていた。


 気まずい。

 奏さんが変な事を言うからだ。

 

 今頃、時速300キロで爆走しているであろう新幹線に向けて怨恨を送っておいた。


 そこで気づく。

 

 奏さんの、絆の深さがどうとかいう発言でこんなにも動揺をしているという事は、少なくとも俺は七瀬を異性として意識しているのだろうと。


「ねえ」

「ひゃ、ひゃいっ?」

「道路でぶん殴るわよ」

「どっから出てきたその発想」

「その辺からよ。気になっていたんだけど……どうして高橋くん、篠田さんにピアノを弾かせようとしたの?」


 その問いの意味を飲み込むには数秒の時を要した。


「七瀬も弾かせようとしてなかったっけ?」

「言い出しっぺは高橋くんでしょう。なんの脈略もなく、篠田さんにピアノを弾いて欲しいって言い出したのは」

「ああ……」


 そう言えばそうだった。


「そんな大した理由じゃないよ。……奏さんは、10年後の自分の姿に思えてきて、我慢ができなかったんだ」

「というと?」

「俺が家出した理由、まだ言ってなかったよな」

「親と喧嘩した、とまでは聞いてるけど、理由は知らないわ」

「ヨーチューブのことで、親と揉めたんだ」


 七瀬が静かに、俺の次の言葉を待っている。


「現状、俺はヨーチューブでそれなりに稼げているのもあって、将来は動画関係の職につきたいなって考えてたんだ。動画クリエイターとか、動画チャンネルの運営とか……それで、進路調査票に動画系の専門学校とか、芸大の情報学科を記入したら親にブチ切れられたんだ。せっかく高い金払って進学校に入れたのに、何事かってね」


 よくある話だと思う。

 将来、自分が就きたい職業は、親から見るといわゆる安定職じゃないとか、投資に対するリターンが見合ってないとか。


 特に、父は国家公務員、母は元地方公務員というガッチガチにお堅い価値観を持つ二人にとって、息子が突然「動画で食っていきたい! 時代はヨーチューブ!」とかほざき始めて卒倒しそうになっただろう。


「親父には怒鳴られるし、母さんにはヨーチューブのチャンネル消しなさいって迫られるし……なんか、今まで俺のやってきたこと全部否定されたような気がして、無茶苦茶腹が立った。それで、こんな家出ていってやるって……」


 全ての旅の始まり。

 冒頭のプロローグに戻るってやつだ。


 七瀬は黙って俺の話に耳を傾けてくれていた。


「あのまま親父と母さんの言う事を聞いて、自分のやりたい事……ヨーチューブを全部やめて、勉強して、良い大学に入って、そこそこの企業に入って、それなりの給料をもらって……という人生も悪くはないと思う。でもそうすると、本当にやりたい事が出来ずに悶々として、ヨーチューブをやめた事を心のどこかで後悔しながら虚無な日々を送るんじゃないかって……それを体現していたのが奏さんだったから……うん、そうだな。結局、俺は俺のエゴのために、奏さんにピアノを弾いて欲しかったんだと思う」

「……なるほど、理解したわ」


 つらつらと面白くもない俺の独白を、七瀬は嫌な顔一つせず聞いてくれた。


「ありがとう、話してくれて」


 ワンクッション置いて、「あくまで私の見解だけど」とした上で、七瀬が口を開く。


「前にも言ったけど、私は高橋くんのやっているヨーチューブの活動はすごい事だし、これから続けていくべきだと思う。将来的には、ヨーチューブの活動で培ったスキルやノウハウが生きる進路を選択した方が、高橋くん的にも幸せな人生を送れると思うわ」

「それは……ありがとう」

「念のため言っておくけど、本心だから。わかるでしょう?」


 わかっている。

 七瀬がこんな場面でお世辞を言うような奴ではない事を。


 この数日間で重々理解していた。

 だからこそ、嬉しかった。


 本当に、嬉しかった。


「私が想像するに」


 七瀬が切り出す。


「高橋くん、両親に感情的な訴え方をしたんじゃないかしら?」

「ぐっ……」


 それは否定できない。

 俺の反応を見て、七瀬は「やっぱり」とした後。


「きっと、絶対成功するからとか、俺がやりたいことなんだとか、今ヨーチューブが熱いんだとか、おおよそ無根拠な感情論で反撃したんでしょうね」

「その場にいたの?」


 シンプルにそう思った。

 まあそんな訳ないのだけれど。


 俺が七瀬を数日かけて理解したように、七瀬も俺のことを理解してくれたのだろう。


 胸のあたりがぽかりと温かくなった。  

 他人に自分を理解してもらえるのは、嬉しい事である。


 が、七瀬は続けて嬉しくないことを言った。


「とにかく、両親が安心するように、しっかりと説得しなさい。感情論じゃなくて、論理的に。一度駄目なら二度、三度と、何度でも説得するの。しっかりとした今後の展望と、熱意が伝われば、納得してくれるはずよ」


 七瀬の言葉はもっともだ。

 正しい。


 だが俺は、肯定することができなかった。


 この旅を続けている大きな理由の一つには、親との衝突からの逃避行も含まれている。


 親ときちんと話して和解する、という選択を受け入れることは、旅の理由が一つ失われる事でもあるのだ。

 むしろ、帰る理由が一つ増えると言っていい。


 今、その状況を作り出すのはまずい気がした。

 なんとなく、直感的に。


 七瀬の提案に、肯定も否定も保留の言葉も出来ずに押し黙っていると、スマホがバイブレーションを奏で始めた。


 見ると、親からだった。

 なんというタイミング。


「出なくていいの?」


 七瀬が尋ねてくる。

 今、話し合った方がいいんじゃないか、というサブテキストも含まれているように聞こえた。

 

 未だ震え続けるスマホを、俺は電源を落とす事で沈黙させる。


 七瀬に向き合って、なるべく明るい笑顔を心がけて、言った。


「いいんだよ。俺は今、七瀬と一緒にいるから」


 言うと、七瀬は今まで見たことのない感情を表情に浮かべた。


 怒り? 悲しみ? いや、罪悪感? 

 ただ一つ確実なのは、明るい方向の感情ではなかったという事だけ。 


「七瀬?」

「………………なんでもないわ」


 お馴染みの、なんでもないわけがない間。


 明らかに微妙な空気を纏った七瀬に、俺は少なからず困惑した。


 ……もしかして。

 さっきの発言、相当キモかった?


 気づく。

 にっこりではなく、ニチャァ的な笑顔で『七瀬と一緒にいるから』って、イメージしてみると控えめに言って地獄である。


 少なくとも俺のような陰キャがしていいような所業ではない。

 そりゃあ不機嫌にもなるわ、うん……。


 一人納得し、やってしまったなあと肩を落とした。


 何か弁明しようにも余計に悪化する気しかしなかったので、俺は、心なしか歩くスピードが速くなった七瀬の後ろを着いて行くことしかできなかった。


 ──後に、俺は思い知る。


 この時の俺は、大きな勘違いをしていたのだと。


 七瀬のことを理解した気になっていて、実際のところ何もわかっていなかったのだ。

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