第45話 貴方の曲に私は
上司に啖呵を切ったとはいえ、明日は普通に出勤という奏さんは新幹線で東京に戻ることになった。
「私、会社辞めるわ」
新幹線の待合室で、奏さんが言った。
「へえ……辞めるんだ……って、ええっ!?」
喉渇いたわね、くらいのテンションで言うもんだから驚く。
「だって、仕事よりピアノの方が100無量大数倍楽しいんだもん」
もん、って。
やりがい云々の話はなんだったんだ。
でも当然と言えば当然か。
あんなに楽しく弾いているのを見たら、納得するしかない。
「人生、一度っきりだもの。自分のしたいようにするべきよ」
「それはそうだ」
「さっき、改めて気づいたんだけどね」
自嘲気味に、奏さんが言う。
「現実的な話、5年くらいは遊べる貯金はあるから、曲を演奏する様子をヨーチューブにでもアップして、私の演奏を全世界に知らしめてやろうと思うの。ピアノ演奏系クール美人ヨーチューバーとして、登録者1000万人は堅いわね」
「クール美人って自分で言っちゃう?」
まあ事実だけども。
ヨーチューブに動画投稿をしている身としては、登録者1000万人なんて夢のまた夢の夢夢物語だと思うけど、奏さんなら生活していけるだけの登録者は確保する事ができるだろう。
その確信があった。
「ひとつ、教えてくれないかしら?」
七瀬が口を開く。
「何かしら? 涼帆ちゃんには胸を貸してくれた恩があるから、クレジットカード番号くらいなら教えてあげるわ」
「貴方がさっき弾いていた曲の……一曲目の名前を教えて欲しい」
奏さんの冗談をスルーし、七瀬がシリアスな口調で尋ねる。
「……どうして知りたいの?」
「ずっと、ずっとずっと気になっているから」
「ずっとって……大袈裟ね」
フッ、と奏さんがお馴染みの笑みを浮かべて言う。
「曲名は『あたしを見ろ』」
「……知らないわね、誰の曲?」
「私の曲よ」
「……え?」
七瀬が素っ頓狂な声を漏らす。
「私が高一の時にボカロで作った曲よ。知ってる? ボーカロイド。私が高校の頃は初音ミクとか鏡音リンとかボカロが全盛期の時代で、たくさんのP達がいたの」
若干世代がずれている気がするが、流石に知っている。
今でも、ちょくちょくヨーチューブで話題になるし。
「当時の私も、ボカロPだった。自分が生み出した曲を弾いて、ヨーチューブにアップロードしてた。でも、再生数が全然伸びなくて、凹んで……『あたしを見ろ』は、もうこの曲が伸びなかったらP活動はやめようって決めて作った、最後の曲なの」
当時のことを思い出すように、奏さんが語る。
「……まあ、案の定伸びなかったんだけど。私の作る音楽は誰の心にも響かないんだなーってしょぼくれて、供養のつもりでストリートピアノで弾いたりしたわ……懐かしい」
「……なるほどね」
七瀬の口元に優しい笑みが浮かぶ。
「そういうことだったのね」
「……どういうこと?」
首を傾げる奏さんに、七瀬が言う。
「少なくとも一人は、貴方の曲に心を動かされたわ」
「………………え?」
言ってる意味がわからない、といった奏さんに、七瀬が優しい声色で続ける。
「心を動かされて、ピアノを始めて、熱中して、たった2年で全国大会優勝を果たすくらい、私の心は貴方の曲に動かされたの」
「え……ちょっと待って……もしかして……」
信じられないものを見るように目を見開いた奏さん。
「あの時に私の演奏を見てくれてた……女の子?」
コクリと、七瀬が頷いた。
「眼鏡してるし、髪も後ろで纏めていたから、わからなかったわ」
奏さんは、全ての合点がいったように口を手で覆った。
それからすぐ、微笑を浮かべて空気に言葉を乗せる。
「ずっとずっと、て、そういう意味だったんだ」
「10年、貴方の曲を忘れた事はないわ」
「嬉しいこと言うじゃない……まずい……またうるっときた」
「涙もろ過ぎない?」
「演奏者あるあるよ」
「それは言えてるわね」
くすくすと、二人は可笑しそうに笑った。
時を越えて果たされた再会だった。
確率論でいくと天文学的な偶然だ。
きっと、神様が気を利かせくれたのだろう。
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