第39話 なぜこうなった
『皆様、今日も日本航空85便、那覇行きをご利用くださいまして、ありがとうございます』
アナウンスからお察しの通り、俺は今、那覇行きの飛行機に乗っている。
ホワイ、なぜ?
右隣には今にも死にそうな表情の七瀬、左隣には沖縄の旅行マップを手に寛ぐ奏さん。
なんでこんな状況になったのだろうと、胸は疑問でいっぱいだった。
……少しだけ時を戻そう。
奏さんと邂逅を果たした翌日。
約束通り、朝10時浜松駅にやってくると、スーツ姿の奏さんがキャリーケースをごろごろしながらやってきた。
キャリーケースを引いてきた時点で違和感に気づくべきだったが、それより休日にも関わらずスーツ姿な事に疑問を抱く。
曰く、「社畜の生活習慣病よ」とのこと。
社畜怖い。
「それで、どこ行くんだ?」
「海よ」
「え?」
俺は惚けた顔をした。
七瀬は目を見開いた。
「海は昨日、否決されたんじゃ?」
訊くと、奏さんは赤縁眼鏡をクイッとして、得意げに言った。
「翔くん、私は考えたの。海に行きたい。だけど今は10月で、シーズンじゃない。その問題を解決するソリューションは何かとね」
シラフの奏さんは、昨日の酔っぱモードと同じ会話のテンションだった。
「それで私、閃いたの」
嫌な予感がする。
頭の良い人の考える事は、いつだってよくわからん。
「10月でも入れる海に行けばいいじゃない、と」
うん。わからん。
「まさか……」
七瀬が隣で驚愕してる。
そうだ確かコイツも天才だった。
「え? どういうこと?」
平凡な俺だけ理解が追いつかず、首を傾げてしまう。
「来ればわかるわ。さあ行きましょう」
半ば強制的に連れて行かれて乗り込んだのは、上り方面行きの新幹線だった。
静岡駅で降りたあと、今度は空港行きのリムジンバスに押し込まれる。
「え? え? え?」
と言ってる間に、気がつくと富士山静岡空港に降り立っていた。
「沖縄では、10月も海のシーズンなのよ」
奏さんの言葉で全て合点がいった時には、俺たちは那覇行きの移行機に搭乗していた。
回想終了。
「まあ、面白いから良いか」
色々とツッコミどころは満載だが、あまり物事を深く考えない性質が幸いし、割とすんなり状況を受け入れることができた。
むしろ、タダで沖縄旅行へ行けるなんて最高だ。
乗りかかった豪華客船をとことん楽しもうと、俺の頭の中はバカンスモードだった。
沖縄といえばビーチ、国際通り、美ら海水族館、首里城など、観光スポット目白押しだ。
どこを巡ろう何食べよう。
ワクワク!
「ちなみに日帰りだし、やらなきゃ行けない仕事もあるから、向こうでの滞在時間は3時間くらいよ」
おのれ社畜うううううぅぅぅぅぅ!!
……仕方がない。
飲み屋で知り合ったOLに拉致られて沖縄に連行されるという体験自体がもう面白いのだから、これ以上贅沢言うのもナンセンスというものだ。
次、沖縄を訪れる際には、たっぷりと時間を取って回ろう。
「予定も組めたから、着くまで睡眠を取るわ」
パタンとガイドブックを閉じて、アイマスクを装着する奏さん。
リクライニングを倒したあと、そのまま身を横たえる。
社畜病の彼女のことだ、きっと昨晩も家で仕事をしていたのだろう。
遅くまで本当にお疲れ様です。
「あー……頭痛い」
ただの二日酔いかよ。
心配して損した。
ガタガタッと飛行機が動き出す。
同時に、七瀬の肩がビクビクッと跳ねた。
「どうしたんだ?」
さっきから、というか飛行機に乗る前くらいから、七瀬の様子がおかしい。
気分が優れなさそうというか、何かを怖がっているように見えるというか。
「飛行機は窓が開けられないから、辛いわね」
ぽつりと呟かれた言葉の意味をすぐに飲み込めるほど、俺は優秀じゃない。
「……密閉された空間が、得意じゃないのよ」
俺にだけ聞こえる声量で、七瀬が呟く。
まるで、雷音に怯える子猫のようだった。
そこで、俺の頭に電流が走った。
思い起こされる記憶。
──少し、窓を開けていいかしら?
熱海。
ふわふわパンケーキ号で、七瀬は言った。
──少し、風に当たりたい気分なのよ。
河口湖。
ロープウェイで、七瀬は言った。
どちらも、七瀬は窓を開けていた。
その理由は、もしかして……。
「閉所恐怖症、というやつか?」
「…………狭い空間には、嫌な思い出があるの」
狭い空間に関する嫌な思い出とは、なんだろうか。
気になったが、七瀬の横顔につうっと汗が伝うのを目撃して、思考が切り替わる。
どうやら、只事ではないらしい。
『皆様、当機は間も無く離陸いたします。シートベルトをしっかり締めて……』
アナウンスと同時に、飛行機のスピードがぐんぐん上がっていく。
大きくなる振動に、七瀬がぎゅっと目を瞑った。
それを見て何を思ったのか。
俺は、七瀬の手の甲に自分の手を重ねた。
七瀬が目を見開き、俺の方を見る。
「少しは落ち着くと思って」
ワンチャンぶん殴られるかと思った。
しかし、七瀬は震える唇を動かし言った。
「……が……とう」
ジェット音にかき消されて聞き取れなかったが、何を口にしたのかは流石にわかる。
いつもはクールで刺々しい七瀬の、弱くて素直な部分に心臓がどくんっと跳ねた。
なんだ、さっきの。
飛行機が地面と離れると同時に、七瀬と俺の手の順番が入れ替わった。
ぎゅうっと、七瀬が俺の手を握りしめてくる。
柔らかい温かい、そしてほのかにしっとりした感触に、いっそう鼓動が速くなる。
那覇空港に着くまで、七瀬はずっと、俺の手を握っていた。
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