第37話 奏さんとの飲み会
新しい日本酒が届いてから改めて乾杯する。
共通の話題である東京トークにしばらく興じる中で、俺は奏さんが非常に聡明な方であることを認めざるを得なかった。
トークの中で出てくる話題の量も凄いし、相手の知識レベルに合わせてわかりやすい説明を展開してくれるあたり、完全に頭の良い人のそれである。
また歳はひとまわり離れているものの、学校でたまにいる、めちゃくちゃフランクな先生のような距離感で接してくれるため、俺は早々に奏さんへの警戒を解いた。
七瀬も珍しく、奏さんと積極的に言葉を交わしていた。
会話は非常にロジカルなため相性が良いのだろう。
「貴方も、ピアノをやっていたのよね?」
どんな会話の流れだったかわからないが、七瀬が尋ねた。
ぴたりと、奏さんが手に持った徳利を止める。
「そういえば、出会いはストリートピアノだったわね」
奇妙な縁ねと、徳利に口をつける奏さん。
「貴方も、って事は、涼帆ちゃんも?」
「小学1年生から、3年生まで弾いていたわ」
「ということは、私が高1から高3か」
懐かしい記憶を思い起こすように、奏さんが目を細くする。
キリッとした美人が浮かべるノスタルジックな表情は、日本酒よりもワインが似合うに違いない。
「今は東京住みだけど、もともと私、生まれは浜松で高校まで住んでたの。両親が楽器関係の会社に勤めてた影響で、幼稚園の頃からピアノを弾いていたわ」
「へえ、地元民だったんだ。全然そう見えなかった」
「あら、都会の女っぽく見えるかしら?」
「少なくとも昼会った時は丸の内のキャリアウーマンって感じだった」
「今は?」
「田舎の酔っ払い」
くつくつと嬉しそうに笑う奏さん。
「いいわねーいいわねー、どんどん出していきましょう」
ぐいっと、上機嫌に日本酒を給油してから、奏さんが続ける。
「あの時は、ピアノが楽しくて楽しくて仕方がなくて、毎日のように弾いていて……将来は絶対、音楽でご飯食べていくんだって信じて疑わなかったのに」
ぐいぐい。
凄い勢いで無くなっていく日本酒。
「それがまあ、今となってはこの有様よ!」
ぐいぐいぐい!
ついに徳利は空になってしまった。
運動後のスポドリみたいなノリで呑んでるけど、大丈夫か?
「たくもー、やってらんないわよねほんと……」
テーブルにぐでーんと上半身を預け、徳利の縁をつまんなそうになぞる奏さん。
東大を出て、一流商社に入社し、優秀な営業マンとして働き六本木に住居を構える。
という字面だけ見ると、華の出世ルートを歩み楽しく暮らしている印象しかないが、今の奏さんを見る限り全然そんなことなさそうだった。
よく見ると、奏さんの目元には化粧で隠しきれていないクマが刻まれていて、全体的に濃い疲労感を漂わせていた。
夢とか希望とか充実感とか、そういったものは一切伺えず、ただただ現実に対する虚無感と悲壮感に溢れていた。
「ピアノ、どうしてやめてしまったの?」
七瀬が、尋ねた。
楽器博物館で、七瀬のピアノに関するあれこれを知った俺は、その質問に好奇心以外の意図が含まれていると思った。
「色々あったのよ」
テーブルに頬をつけたまま、奏さんは言った。
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