第35話 浜松居酒屋のお店

 楽器博物館を出ると、空はすっかり闇に包まれていた。

 ちょうど夕飯時だと、お昼に目星をつけていた浜松餃子の居酒屋の暖簾を潜る。


 メニューには浜松餃子はもちろん、遠州料理のホルモンや浜名湖の鰻など浜松のB級グルメがずらりと記載されていて、ミーハー旅行者の俺は秒でテンションを高騰させた。


「浜名湖って、山手線一周の範囲がすっぽり入る面積らしいわね」


 おすすめメニューを一通り注文した後、弾んだ声で七瀬が言った。


「楽しみなんだな、鰻」

「別に、普通よ」


 メニューの、浜名湖の鰻のページをじいーっと眺めながら言われても説得力がない。


「てか山手線一周って、すごく広いな。日本の湖の広さランキングで言うと、トップ5くらいには入るんじゃじゃないか?」

「そう思うじゃない? 湖の面積自体は、日本10位らしいわよ」

「まだ上が9つもあるのか!」

「私たちが住んでいた山手線の沿線も、案外狭く感じちゃうわよね」

「実際、狭かったんだろうなー」


 山手線の右上、田端の実家に生まれて17年。

 都心をぐるりと円を描くように整備された山手線はもう何千周したかもわからない。


 車窓から臨むどこまでも広がる摩天楼に、さすがは日本一の大都会、めちゃ広いなーと思っていた東京も、こうやって旅をしていると案外狭かったんだなと実感する。


「お待たせいたしましたー、烏龍茶と、カルピスになります!」


 俺が妙な感慨に耽っていると、快活な掛け声と共に店員さんが飲み物を持ってきた。


 お互いに乾杯の文化がないため、早速カルピスに口をつけようとすると、店員さんが「あ、すみませんちょっと待ってくださいっ」とストップをかけた。


 店員さん曰く、このお店には乾杯の際にルールがあるらしい。


「私が『せーの!』って言ったら、お客様の方はグラスを掲げて、『やらまいか〜!』って叫んでください! そしたら私たちが、『よいしょお!』って続くんで!」


 おお、いいねこういうの! 

 すっごくローカルっぽい! 


 七瀬はすっげー嫌そうな顔をしていたが、店員さんの作るプロの空気作りに流される他ないみたいだった。


「じゃあ、いきますよー! せーの!」

「やらまいか〜!!」

「や、やらまいか……」

「おいしょお〜〜!!」


 かんぱ〜い! ごくごくごく! 


 ぷひゃー! カルピスってこんなうまかったっけ!?


「……どういう意味なの、この掛け声」


 一気にテンションが上がった俺とは対極的に、七瀬がMPをごっそり持っていかれた魔法使いみたいにげっそりしていた。

 こういったテンションとノリが大事な催しは相も変わらず苦手のようだ。


「知らんけど、乾杯の時の掛け声なんだから、縁起のいい何かなんだろ」


 わからない事をわからないままにするのが性に合わない七瀬が、スマホをぽちぽち。


「へえ、なるほど……」

「どういう意味なんだ?」

「遠州地方……静岡の西側ね。そこで出世した徳川家康、車のホンダ、スズキ、楽器のヤマハ、カワイには、『やってやろうじゃないか』と気合いを入れる『やらまいか精神』というのがあるみたい」

「へえええ! いいね! なんか、挫けそうになった時とかめっちゃ元気付けられそう」

「根性論で問題が解決するなら苦労しないわ。困難に遭遇した時は、現状ある情報をしっかり整理して、冷静に分析するべきよ。論理的に詰めれば、だいたい同じような解決策になるわ」

「まあでも気合は大事っしょ! とりあえず前に進まないと!」

「やっぱり高橋くんとは考えの方向性が合わないようね」

「今更それを言うか?」


 というかすごいな遠州地方。

 名だたる企業のルーツの地だったんだ。


 浜松の知識が深まったところで、浜松のB級グルメたちが続々と到着した。

 浜松餃子、ホルモン焼き、浜松焼き、三方原じゃがバターなどなど……。


 今日一日中動き回って腹ペコりんちょだった俺たちは、美味しそうな香りに食欲を抑えることなど不可能だった。


 名物の浜松餃子は表面はパリッと中身はジューシーで、付け合わせのもやしとの相性が抜群。


 遠州焼き──細切りのたくあんが入ったお好み焼きは、食感がコリコリでたっぷりかけられたウスターソースがクセになる美味しさ。


 じゃがバターは、アルミホイルに包まれたホクホクじゃかと大きなバターとの組み合わせが奇跡の美味を生み出していた。


 こういうのがいいんだよ、こういうのが。


 旅行先グルメの理想を体現したグルメを一心不乱に貪る。

 七瀬も所作こそは落ち着いていたが、いつもよりも箸のスピードが速い。


 随分とお気に召してくれたようだった。

 しばらく無言でグルメを堪能していると、店員さんが申し訳なさそうな顔でやってきた。


「大変申し訳ございません! 本日、鰻が売り切れてしまって……」

「ありゃま」


 それは残念。


「……そう。わかりました」

「申し訳ございません〜」


 表情を><にして去っていく店員さん。

 七瀬は、見てわかるくらいしょんもりしていた。


 何が普通だ。めちゃくちゃ楽しみだったんじゃないか。


 どんよりと、停電したかのように暗い表情をする七瀬に、俺は提案する。


「明日とか、どっかで鰻食うか」


 ぱああっ。

 七瀬電力は一瞬で停電から復旧したようだ。


「わかりやすくて草」

「……約束よ?」


 ……っ。なんだ、そのねだるような上目遣い。

 反則だろ。


「も、もちろん」


 不意打ちを食らって、ドギマギする胸を落ち着かせてから言う。


「いい店調べておくわ」


 そこで、気づく。

 基本、店は行き当たりばったりでふらっと入る派の俺が、事前検索という手段を取ったことに。


 薄々感じてはいたが、少しずつ七瀬の影響を受けているのだろうなと思っていると。


「あらっ? 鰻売り切れ?」


 隣の席から、聞き覚えのある声。


「大変申し訳ございません! 今日思った以上に出てしまいまして……」


 先程の俺たちと同じ対応をする店員さん。その対面には……。


「まあ、仕方がないわね。近年、鰻はだんだん獲れなくなっているらしいし、確か、一店舗あたりの鰻の買い付けを制限するという条例が最近整備されたみたいだから、この時間帯に品切れを起こすのも無理ないわ」

「は、はあ……」


 OLさんの語りに、店員さんがきょとん顔をしている。

 なんかデジャヴだなこの理屈並べる感じ。


「あの人、お昼の……」


 七瀬が声を発した。そしたらOLさんがこちらに気付いたようで。


「あら」


 目があった。いいモノを見つけたといった表情。なんとなく、嫌な予感がした。

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