第33話 浜松楽器美術館

 浜松城の次は、七瀬がいつの間にか目星をつけていた『浜松市楽器博物館』とやらに行く事になった。


 博物館といえば科学や恐竜が相場だろという先入観が強く、楽器とはこれ如何にという気持ちで足を運ぶ。


 入館するなり、豪華で煌びやかな巨大楽器が出迎えてくれた。

 早速、使い方の見当が全くつかないディープな楽器が出てきたぞと身構える。


「名前はサイン・ワイン、ミャンマーの楽器なのね。用途は仏教行事や精霊信仰の行事など……へえーなるほど」


 七瀬が興味深げに説明版を熟読している。


「解説読むの好きだよな、ほんと」

「わからないものをわからないままにするのって気持ち悪くない?」

「ぐっ、その言葉は俺にブッ刺さる!」

「単純に面白いじゃない、新しい知識を増やすの」

「俺の脳の容量はそんな大きくないんだよ」

「容量の大きさの問題じゃなくて、その知識を得る気があるかないかという意思の問題よ」

「さっきから特大級の針をぶっ刺してくるね?」


 館内図によると、入り口から左手に行くとアジアの楽器、右手に行くと日本の楽器、奥に行くと電子楽器の展示コーナーがあるらしい。


 ぐるりと円を描くように、俺たちは順番に回っていった。


 展示されている楽器たちは見覚えのあるものから、サイン・ワインのように馴染みも使い方もわからないものまで多種多様だった。


 公式情報によると、地域、時代を問わず約1300点の楽器が展示されているらしい。


 文字通り楽器ざんまいの博物館だった。


 楽器博物館なんだから当たり前だろうと突っ込まれそうだが、生まれてこのかたこれほど多くの楽器に囲まれた経験のない俺は圧倒されてしまう。


 対する七瀬は好奇心を爆発させていて、展示されている楽器たちを興味深げに見て回り、その都度説明版を熟読していた。


 一個一個説明版を読み込んでいたら物凄い時間を要しそうだが、そうでもなかった。


 どうやら七瀬の理解力と記憶力は桁違いらしく、一度さっと説明版に目を通せばその内容をやすやす理解し記憶しているようだった。


 さながら、わんこそばのようなテンポで七瀬は次々に楽器を物色していた。


 流石、全国1位の頭脳パワー。

 とんでもない処理能力だと戦慄している間に1Fフロアを観終わった。


 地下階にはオセアニア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの楽器が展示されていた。


 フルートやバイオリンなど、馴染みの深い楽器たちにほっとしている俺の傍、引き続き説明版を読み漁っている七瀬。


 ここで俺は、ある事に気づいた。

 この博物館では、実際に弾いたり叩いたりして音を出せる体験型の楽器も多数展示されている。


 それらの楽器に一切、七瀬は手を触れようとしなかった。

 展示物を鑑賞し、説明版に目を通すを繰り返すばかりで、実際に弾こうとはしない。


 まるで、意図的に楽器と距離を置いているように見えた。


 ……流石に思い込みすぎか?


「ここはいいわ」


 思い込みではないっぽい。


 地下階の奥。

 オルガン、グランドピアノなどの鍵盤楽器が展示されているエリアに、七瀬は立ち入ろうとしなかった。


「いいのか?」

「いいのよ」


 即答。

 それも、拒絶のニュアンスが含まれていた。


 浜松駅でストリートピアノを弾く提案した際も、七瀬は同じような反応をした。


 気になる。

 何か、ピアノに思うところがあるのだろうか。


「何か、ピアノに思うところでもあるのか?」


 するんと、頭の中の疑問がそのまま言葉に出ていた。

 七瀬の表情がコチンと止まって、聞かなきゃよかったと後悔するも時すでに遅し。


 たっぷり10秒くらいかけて、七瀬が口を開いた。


「カフェで休憩しましょう」


 それが、七瀬なりの『ゆっくりできる場所で話してあげるわ』の合図であることは、付き合い数日目の俺でもわかった。


 1階に戻り、館内に併設しているカフェに入店。

 俺はカルピス、七瀬はブラックコーヒーという対極的なチョイスをした後、窓際の開放感あふれる席に座る。

 

 馴染み深い甘みに胃がほっと一息つく一方で、心臓は受験の合格発表数分前みたいに落ち着かない。


「ピアノには、良い思い出がないのよ」


 コーヒーが半分くらいになったところで、七瀬が口を開く。


「何か、あったのか?」

「二度とピアノを弾きたくないと思うくらいには」


 そう答える七瀬の双眸には、憂いも、焦燥も、怒りもない。

 コンクリートのような冷たさを感じ、俺の背筋の温度も下がった。

 

「浜松駅のストリートピアノに、ちょっとした思い出があるって言ったわよね」

「言ってたな」


 ずっと気になってたやつだ。

 コーヒーを一口含んでから、七瀬が話を始めた。

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