第3話 旅に出よう
「ダメだろ死んじゃ!」
反射的に言葉が飛び出した。
「何があったのかは知らないけど、死ぬのは絶対、何がなんでもダメだ!」
七瀬の肩を掴んで、俺は力強く言った。
「え、え、ええっ?」
七瀬の顔に困惑が浮かぶ。初めて見る表情だ。
「でも、貴方には私の気持ちはわからないじゃない」
腕を振り解かれる。強い眼光がこちらを向いた。
「生きることが辛くて、しんどくて、死んだ方がマシって人に、それでも生きることを第三者が強要するのは違うんじゃない?」
「そ、それは確かにそうかもしれないけれど……」
「本来、人は生きることも死ぬことも強制されないはずよ。だって人生は、その人自身のものなんだから。私の『死にたい』という意思を、何も知らない貴方に否定される筋合いはないわ」
静かに、淡々と、抑揚のない声で言葉を並べる七瀬。
彼女がこうやって論理を構築する様を、俺は何度か教室で目撃している。
七瀬の理路整然とした論理展開と、感情を排除した合理的な理屈に敗北した者は数えきれないだろう。
だが、このまま「じゃあ来世で頑張ってください」とアデューする訳にはいけない。
ここで七瀬を放って、彼女が挽き肉にでもなったら来世まで後悔する。
とはいえ、どうする?
……そうだ、俺には秘策がある。
1年前から始めたヨーチューブへの動画投稿。
その過程において、俺は何度もコメント欄の炎上を目にしてきた。
そこで触れたレスバトルという文化。
屁理屈や論点ずらし、もはや関係のないマウント合戦の末に論破の称号を獲得した猛者たちから、俺は多くの事を学んだ。
相手を説得する際に重要なのは理屈が正しいか正しくないかじゃない。
それっぽいことを言って相手の心を動かせるかどうかだ!
頭をフル回転させる。
何かそれっぽい、良い屁理屈は無いか……あった!
「旅に出よう!」
「…………はい?」
七瀬が思いっきり眉を顰めるも、俺は勢いのまま続ける。
「何があったのかはわからないけど、きっと疲れてるんだ! だから、どっか遠くに行って、美味しいもの食べて、綺麗な景色でも見てリフレッシュしよう! そしたら、死にたいって気持ちよりも楽しいって気持ちになってハッピー!」
大仰に両手を広げ弁舌を振るう姿は、怪しげな宗教の教祖の如し。
「……貴方、今自分が滅茶苦茶な事言ってる自覚はある?」
「俺は至って大真面目だ」
嘘です。
本当は滅茶苦茶なこと言ってる自覚あります。
呼吸が荒い。
顔が熱い。
でもここで引くわけにはいかない。
人の命が懸かってるんだ。
心臓は破裂寸前だが、俺は努めて真面目な表情を作って七瀬のリアクションを待った。
「ぷっ」
笑われた。
なんでや。
くすくすと、七瀬が口に手を当てて笑う。
また、初めて見る表情だ。
「貴方、なかなか面白いこと言うのね」
「あ、はい、どうも……」
コミュ障発動。
さっきの勢いはブラジルあたりに飛んでいったようだ。
「でも、旅か、旅ね……その発想は無かったわ」
腕を組み、顎に指を当て、ふむふむと頷く七瀬。
「だ、だろ? 一回、騙されたと思って旅に出てみようぜ! そしたら、死のうって気持ちも無くなるかもしれないし……!」
「わかったわ」
「え?」
「死ぬのはいったん、止めにする」
うおおおおやった!
押し切れた!
心の中でガッツポーズ!
「貴方が言うように旅をしてみて、心境に変化があるかはわからないけれど……死ぬ前の気晴らしには良さそうだし」
「あ……死にたいって気持ちはまだあるんだ……」
ガッツポーズがしゅんとする。
「当たり前じゃない。この程度で消えるほどの気持ちで……死のうとしてない」
そう言う七瀬の瞳は、闇よりも深い感情が渦巻いているように見えた。
思わず、息を呑んだ。
一体何が七瀬をこんな風にしてしまったのか。
今の俺に、尋ねることは出来なかった。
「それで、いついくの?」
「へ?」
「へ、じゃないわよ。行くんでしょ、旅。まさか、提案しておいてひとりで行けって言うんじゃないでしょうね?」
ごもっともです。
そして冷静に考えると、ここで放ったらまたフラーっと電車に飛び込もうとするかもしれない。
一緒に旅をして、七瀬の死にたい欲をどうにかして失わせる。
それがベストだと思った。とは言うものの……。
「い、今から、行こうかなと」
「は、はあっ?」
流石の七瀬も面食らったらしく、素っ頓狂な声をあげた。
そして、俺が背負ったパンパンのリュックサックを見て目を見開く。
「まさか、今から旅行するつもりだったの? ひとりで?」
「ああ。実はさっき……親と喧嘩して、そのまま飛び出して来たというか」
「家出?」
「自立への第一歩と言ってくれ」
「自立の意味はご存知?」
「細かい事はいいんだよ」
数秒の間の後、七瀬が口を開く。
「わかったわ、じゃあ、今から行きましょう」
「……マジで?」
フットワーク、ヘリウム過ぎない?
「大マジよ。どうせ死ぬ予定だったんだもの、それに……」
「それに?」
少し間があった。
ぎゅっと、七瀬は拳を握りしめた。
「家には二度と、帰りたくないから」
そう言う七瀬の表情は、ホームに走ってくる電車のライトに照らされて見えなかった。
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