第4話 田端→東京

「まさか本当に行くことになるとは」


 京浜東北線。

 東京方面行きの電車に揺られながら、俺は呟く。


「何、不満なの?」


 横に座る七瀬がむすっとした顔で訊いてくる。


「いや、不満というわけじゃないけど」

「けど、何?」

「頭が状況に追いついていない」


 クラスメイトの自殺を止めたら一緒に旅する事になった。


 それ、なんてタイトルのラノベ?


「自分でも、思い切った決断をした自覚はあるわ」

「自覚はあるようで何よりだよ」

「突然抱きついてくるような変態に同行するという決断をね」

「そっちかよ!? あれは状況的に仕方なかったじゃん」

「さっきから私をチラチラ見てるのも、状況的に仕方がないの?」

「いいいいやいや、ソンナコトナイヨ?」

「目がクロールしているわよ」

「そんな激しく泳いでないわ!」


 嘘である。

 クロールどころか、バタフライばりに激しく泳いでいた。


 学年一の美少女と肩を隣り合わせる状況に緊張している、というのはもちろんある。


 だがそれよりも、さっきまで死のうとしていた人間にどうコミュニケーションを取るのが適切か、気を張っているのだ。  


 俺の一言一句が七瀬の気を変えてしまうかもしれない。

 そう思うと、まるで地雷原を歩いているような気分になる。


「別に、そんな気を張らなくても大丈夫よ」


 俺の心を読んだみたいに七瀬が言う。


「……気付いていたのか?」

「貴方が分かりやすいの。気を遣われるのも居心地悪いから、普通に接して。心配しなくても、当分は死なない事にしたから」


 その言葉に、胸がだいぶ楽になった。


「そう言ってくれると助かる」

「感謝しなさい」

 

 ほんの少しだけ、七瀬が口角を持ち上げる。

 控えめながらも可憐な笑顔に、不覚にも見惚れてしまった。


「今度はジロジロ見てくるのね」

「いやっ、これはその……不可抗力だ!」

「不可抗力? どういう意味かしら?」


 ずいっと、七瀬が顔を近づけてくる。


「そ、それは……」

「それは?」


 悪戯っぽい、小悪魔のような笑みが眼前に迫った。

 ふわりと甘い香りが漂ってきて、頭がぐわんと揺れる。


 どうやら七瀬は、人よりも優位に立った時にご満悦になるらしい。

 これはアカン、色んな意味で。


「そ、そうだ! 普通に接してと言うのなら、七瀬も『貴方』呼びをどうにかしない?」


 無理やり話題を変えると、七瀬は明らか嫌そうに顔を顰(しか)めた。


「あだ名で呼べと? 嫌よ、バカップルじゃあるまいし」

「そこまで距離を詰めろとは言ってないわ!」

「さっき自分から距離をゼロに詰めてきた人が何を言っているの?」

「くっ……その返しはぐうの音も出ない」

「でも、そうね……苗字呼び、盲点だったわ」

「盲点って、大袈裟な」

「苗字で呼ぶ相手がいなかったんだもの、基本、誰に対しても貴方って呼んでるわ」

 

 言われて、ハッとした。

 確かに、七瀬が教室で他のクラスメイトと話している姿を見たことがない。


 成績、スポーツ、カリスマともに学年トップのステータスを誇る才女にして、誰とも群れることなく単独で突き進む孤高の美少女。


 つまり、ハイスペックぼっち。


「なんか失礼なこと考えてない?」

「ソンナコトナイヨ」


 よくよく考えると、先ほどから棘のある七瀬の物言いは、彼女が単に他者とのコミュニケーションが不得手だからで。

 

 貴方、という呼び方も、七瀬なりに考えた末の呼称なのかもしれない。


 そんなことを考えていると。


「高橋くん」

「ほあ?」

「窓から放り投げるわよ」

「なんでだよ!?」

「せっかく私が勇気を出して苗字で呼んであげたのに、脳みそを半分しか使ってないような反応をするからよ、消し飛んでしまったの?」

「さらっと怖いこと言うね?」

「あ、元から無いんだったかしら?」

「いや、無かったらそもそも喋れないだろ……」

「それもそうね。でも……」


 一瞬、表情に影を落とす七瀬。


「……まあ、いいか。苗字呼びでも」


 妙に含みのある間があった気がするが、気のせいだろうか。 


 何はともあれ苗字で呼びになったところで、電車が東京駅に到着した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る