家族旅行(3)
★
波打ち際の女性に声をかける。
簡単なことなのに踏ん切りがつかないのは、ユウイチ自身に後ろめたさがあるからだ。
手土産にたこ焼きでも持ってきたら良かったか。逆にそんな安いもんで埋め合わせようとするのは失礼になるやろか?
ユウイチが宿題を忘れた言い訳を必死で編み出そうとする小学生のごとく眉間にシワを寄せていたら、相手のほうが振り向いてきた。前髪の毛先がおでこに貼りついているあたり、一度海に入ったようだ。
「
「帰りの電車代、貸したった。大阪からタクで追いかけてきたらしいわ」
「ユウイチが呼んだんとちゃうん?」
「逆に呼んだったら良かったかもしれへんな……『おにぃ』と遊びたかったみたいやし」
「穂乃花の奴、本気でおれのことをお兄ちゃんやと思っとるんやな。まあ実際そうなんやけど、大学生にしては無邪気すぎるやろ」
「いや、もうバレとるねん。オレが言うてもた」
「はああ!?」
「すまん。あまりにも可哀想やったんや」
「お前なあ……」
香奈が続けて何かを言いかけて、口を
ユウイチとしては申し訳ないばかりだ。センシティブな話やのに、勝手にカミングアウトしてもうた。埋め合わせできるなら、させてもらいたい。
「
「……まあバレてるようなもんやったし、ええわ」
「ええんか?」
「あの子らが寂しがってるなら、あの子らの前ではお兄ちゃんを
ユウイチの目には、香奈が無理して笑っているように見えた。
明白な作り笑い。不満を押し殺した全身はわずかに震えており、口元には苛立ちが漏れてきている。
「──そんでユメの前ではしっかりお母さんを
「ああ」
ユウイチは自身の返答から含意を限界まで抜き取り、出来るだけ場の平静を保ちつつ、香奈の胸中を推しはかる。
山田の苛立ちの原因がカミングアウト以外にあるとするなら。一体何なんや。
「みんなのとこに戻ろ」
彼の中で答えが出る前に香奈が砂浜を登り始めてしまった。その寂しそうな背中を無性に抱きしめてやりたくなり、ユウイチは首を振ってから独りで海に飛び込んだ。
香奈が首を傾げながら引き返してくる。
「何やってんねんユウイチ」
「
「……さっき、おれも似たようなことしたけど、髪の毛ベトベトなるから、どっかでシャワー浴びたほうがええと思うねん」
「海で遊んでるユメちゃんたちも頭ゴワゴワなったら可哀想やな。近くに温泉あるか探してみるわ」
「それめっちゃええやん!」
「………」
ポンと手を叩き、一転して上機嫌になった香奈の様子に──ユウイチはいまいち安堵できずにいる。
絶対に本心と
しかしながら相変わらず突けば「大爆発」を起こしてしまいそうでもあり、ユウイチもまた香奈に合わせるように作り笑いを浮かべた。
「ナイスアイデアやろ。お前、飯田ママと一緒にお風呂入れるで」
「うわ……おれ、あの色気に耐えれるやろか」
「こっちは飯田家の廉太郎君と男同士の親睦を深めとくわ」
「幼稚園児は女風呂OKやろ」
「オレ独りぼっちやんけ!」
二人はわざとらしく笑う。
いつもどおりの丁々発止が、ユウイチには何故か空虚に感じられた。どこかで軌道修正したい。そんな想いが砂浜の上で空回りし続ける。
★
ホテル併設の温泉施設で温まった身体も大阪に戻った頃には冷めていた。とはいえ熱帯夜は熱く、座席で丸くなった子供たちは変わらず熱を帯びている。
ユウイチは比屋根家の末っ子を美容室『ルーフ』に送り、香奈と夢をマンションの前で降ろしてから、独りで
今里筋を南下し、老舗ラーメン屋・薩摩っ子が目印の交差点を曲がって
「ああ、くそっ」
ステップワゴンが環状線のトンネルをくぐり、大阪ビジネスパークを駆け抜ける。
休日の夜、光のないビル群には寂しさが立ち込めていた。赤ランプの点滅が視界に入らなくなった頃、片町橋の向こうに目的地が見えてくる。
車を返却したらラジオが聴こえなくなり、余計に孤独を覚えてしまった。
ユウイチは無性にラーメンが食べたくなってくる。
山田とユメちゃんはカレーを分けてたな。
「お兄さーん」
キャッチのアルバイトに声をかけられた。居酒屋やらラーメン屋とは
努めて反応を示さずにやり過ごし、そういう発散の仕方もあるんやなと思いながら、京阪京橋駅の裏手にある餃子専門店に入る。
生ビール。餃子二人前。塩ラーメン。
(これも発散やな……発散しよう。変に溜まってもうて、あいつをそういう目で見てしまうから間違えてまうねん)
ユウイチはニンニクとニラが抜群に効いた餃子を噛みしめる。熱い。美味い。ビールを飲まずにいられない。
不意にスマホが震えた。
『今日の写真送りま~す』
海で連絡先を交換した大野ママからだ。みんなで焼きそばを食べた後に、日差しの下で記念写真を撮った。
ユウイチは少し
あいつのぎこちない笑顔と水着姿。
ユウイチの左手がビールジョッキを掴み、黄金の酒が胃袋に注ぎ込まれる。もう一杯。今夜は煩悩が吹き飛ぶくらい、ベロベロになったる。
★
帰りに温泉に入ったおかげで風呂を焚かずに済んだ。
香奈は雪平鍋に卵を入れて、手早くかき混ぜる。テーブルでは愛すべき娘が「今か今か」とエースコックのワンタンメンを待ちわびていた。
一袋分を親子で分ける。もしユウイチが戻ってきたら、あいつの分は自分で作ってもらお。
「いただきます」「いただきまーす」
ずるずると麺をすする。いつもの味。
「ユメは年長組になってから食べるん上手になったなあ」
「あずさちゃんみたいになりたないもん」
「あずさちゃんって年小さんやろ。そんなんベビィやねんから下手に決まってるやん」
「訓練してあげてる」
「偉いなあ」
きちんと褒めてやりつつ、香奈は娘のほっぺについた卵を拭いてやる。
そろそろユウイチも戻ってくるやろか。もしかしたら、そのまんま帰ってもうたかな。別に約束とかしてへんし、もう夜やし。
「あーやん、ユウちゃんはー?」
ユメも気になっていたらしい。
「んー。わからんわー」
「みなちゃんはー?」
「
「寂しい」
「せやなー。でも、あーやんがおるでー」
さっきまで大人数だった分、二人きりになると周りが広く見える。
すっかりワンタンメンを食べ終えたユメを抱きしめてやりつつ。せめて音だけでも、とテレビをつける。ゴールデンタイムのお笑い特番をやっていた。
(そういや、このコンビって名前変えたんやな……)
彼女が老練な漫才師のような安定感のあるネタを見せてくれるコンビに注目していたら、ユメの手により配信サービスに変えられてしまった。
銀河英雄伝説・第57話が始まる。
(まだ銀河の歴史を1ページめくるんか……別にええけど、
香奈は鍋と食器を洗い、洗面所の洗濯機に今日の水着とバスタオルをぶち込む。
まだ新品同然の水着。ユメの可愛いパレオより、おれの水色を選ぶほうが時間かかってもうた。彼女はため息をつく。
とにかくユウイチにどういう風に見られるか──決して魅力的だと思われたいわけではなく、茶化されないように、なおかつママ友たちから指摘を喰らわないように地味すぎないものを選択するのは大変だった。試着を何度も繰り返し、ユメに「まだ?」と急かされ、ようやく手に入れた逸品だ。
(ママ友の目線は飯田ママのエグい水着で吹き飛んだし、ちょうど良かったわ。ユウイチにはめっちゃガン見されたけど……あいつ、表情固いくせに目線わかりやすいねん……)
香奈は洗面台に立つ。
赤の他人、それも女性になってから5年。鏡に映る『自分』に驚かなくなった。他人の演技にも慣れた。
裸を見ても申し訳なさを感じなくなり、風呂で身体を洗うのが当たり前になり、香奈の名義でクレジットカードを作るのが当然となり、そうやって日常の中で『山田隆幸』の部分は擦れて削れて、表面には見えなくなっていった──と香奈なりに自己分析している。
それでも自分はあくまで今でも山田のつもりだ。
たぶんユウイチも「そう」思ってるからこそ、あの子らにバラしたんやろな。何の相談もせずに。
バラさへんかったら、バレててもおれらが認めへんかったら。
「……もうちょっと押したら、好きな女と結婚できたんやぞ、お前」
香奈は呟いてから頬を抑える。
冗談で言ったつもりなのに、洒落になってくれなかった。
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