家族旅行(1)


     ★     


 大阪近郊の海水浴場は基本的に混雑する。美しい砂浜を人間が埋めつくし、遊泳エリアでは立ち泳ぎ以外の泳法が許されない。クロール等で波しぶきを立てれば、余所様の顔に塩水を浴びせてしまう。

 そこで自称天才すぎる女子高生・比屋根愛海ひやねまなみは一計を案じた。


「多少、遠出しましょう」


 彼女はスマホアプリのマップを日本海側に移動させる。

 須磨すま二色浜にしきのはまなら大阪市内から一時間もかからないが、京丹後となると鉄道より自動車の出番となる。


「香奈さんはペーパードライバー。ユウイチさんとポルシェ持ちの佐奈川先生は誘っていませんから、必然的に私のお父さんのボクシーが役立つ流れになります」


 愛海は押入のコルクボードに貼られた写真に目を向ける。鶴見緑地のバーベキュー場で香奈が焼きそばを焼いている。

 あの時は二兎を追いかけたせいで目的を達成できませんでした。香奈さんとユウイチさんを良い雰囲気にしてしまい、私の家族計画は大失敗です。バーベキュー自体は楽しかったですけど。


 だから今回は兎一匹ずつ。

 まずは香奈さんとお父さんをくっつけます。水着姿の香奈さんにお父さんも本気になってくれるでしょう。香奈さんにはあちこちで夫婦扱いされてドキドキしてもらいます。

 本気のお父さんなら夕方までにキスまで持っていけるはず!


 その様子をつぶさに伝え、恋心破れたユウイチさんをさくっと私がいただきます。誰も損しない世界の完成。ウィーン体制ならぬウィンウィン体制です。


「ふふふ。私、地頭じあたま良すぎますね……令和のメッテルニヒ……」

「お姉ちゃんッ!! うるさいッ!! 眩しいッ!!」

「ごめんごめん。すぐに消すからね」


 布団の妹に怒られてしまいました。

 愛海は世界史の資料集を閉じ、ちゃぶ台の電灯を消す。タオルケットに包まってからスマホの明かりで顔を照らす。

 来週の日曜日が楽しみです。



――――――――――――――――――――


『あなたのいない日』 作:生気ちまた

 第六話 家族旅行


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 集合場所は浅井家のマンションのはずだった。

 ユウイチはソファに座り、五歳児を膝に乗せて漫画を読み聞かせてやりながら、香奈の電話の内容に耳を傾ける。


「……そうですか。愛海ちゃんが熱出してもうたんですか。はい。そうしてあげたほうが良いと思います。美海ちゃんが泣いてます? でしたらウチで預からせてもらえますか、はい」


 風邪引いた愛海ちゃんの看病で浪平さんも海には行かれへんらしい。あらら。そうなると足がなくなってまうな。

 ユウイチは電話を切ったばかりの香奈に話しかける。


「香奈、レンタカー借りとくか?」

「よろしく頼むわ。美海ちゃんを美容室まで迎えに行ってくるから、ユメと待っといて」

「おう」


 バタバタと余所行よそいきの服装で出ていく香奈をユウイチは見送る。

 ふと、膝元の幼稚園児と目が合った。若干不安そう。


「まなちゃん来られへんの?」

「風邪引いたみたいやなー。残念やけど、おやすみなさいや」

「みなちゃんは?」

「妹ちゃんのほうは来るで。みんなで長女さんのお土産選んだろな」

「戦力が足りひん」


 ユメが寂しそうに目を伏せる。ユウイチは彼女の頭を撫でてやりつつ、海で何と戦うつもりなんやろ、と少し笑ってしまう。

 しかしオレらと妹ちゃんだけやと……なんや家族旅行みたいになってまうな。いつも通りといえばそうやけど。


 彼は想像する。砂浜で西洋風の城を作る子供たち、それを近くで見守る自分。ビーチパラソルの下でビールを飲みながら、地元の若者に話しかけられる香奈やまだ。あいつナンパされとるやんけ。でもユメちゃんと妹ちゃんを放ったらかしに出来でけへん。


「戦力が足らんわ」

「テートクもそう思われますか。波に強い城を作るのに、ユメとみなちゃんやとてぇ足りひんです」

「オレも手伝ったるがな」

「ユウちゃん良い子〜」


 ユメちゃんに頭を撫でられる。ありがとう。

 こうなったらオレは城作りに精を出さんと仕方しゃあない。山田に何かあった時のために増援呼んだろ。

 ユウイチはジーパンのポケットからスマホを取り出した。


「……おう村田。今日暇か?」

『お前こそ暇なら合コン来てくれへん? あと三人足らんねん』

「すまん、彼女と海に行くわ」

『朝から自慢してくんなや! ボケェ!!』

 

 同僚の村田に電話を切られてしまった。

 他に呼び出せそうな宛先はない。今さら佐奈川先生を誘うのは気まずいどころか、もし弟子の日高さんまで来てくれたら村田に本気でタックルされてまう。死ぬ。

 あとは……あの双子くらいか。却下。


 ユウイチは悩んだ末に自覚する。


(ああ。オレは今あいつと二人きりになるのが怖いんやな)


 山田を手助けしたいからユメちゃんの送迎は率先してやってるし、皿も洗うし、常に守ってやりたいから海にも行くけど。

 また変な雰囲気になった時、あいつの冗談を流せる自信がない。この前、チューしても許されそうな流れになった時なんか葛藤しすぎて頭イカれそうやった。社員寮に帰ってから一時間くらい泣いたわ。でもオレの判断は正解やったはずや。

 もう二度と香奈やまだを傷つけさせへん。誰にも。


 こうなったら。ユウイチは電話をかける。


「あ、すいません。車借りたいんですけど」


 

     ★     



 大阪市内から高速道路で北に二時間半。

 由良川の河口付近の砂浜は閑散としていた。海の家が数軒ある他には所々ゴミが散らばるばかり。大陸から流木の枝に海草が絡まり、余所の子供たちが拾い上げて遊んでいる。


 ユウイチはストッキング色の砂浜にブルーシートを広げた。比屋根家に借りたビーチパラソルとテーブルを砂に挿してやれば、一応の体裁は整う。

 あとは浮き輪を膨らませながら、香奈と子供たちの着替えを待つばかり。


「……ユメちゃんッ!! 貝殻拾うでッ!!」

「お城の飾りにするー!」


 ステップワゴンから美海と夢が出てくる。二人は一目散に砂浜を駆けていった。子供だけで海に入らんように見張らなアカンな。


 ガチャン。車のドアが閉まる音。砂を掘るような足音が近づいてくる。

 ユウイチが振り向けば、予想以上に水着姿の香奈が立っていた。水色だ。

 上から淡色のパーカーを羽織っているが、どうしてもあちこちに目がいってしまう。おへそ、太もも、鎖骨、胸のフリル。うれいを帯びた顔。


「よぉ似合におうてるぞ」

「香奈の外見を褒められても何もうれしないわ」

「自然に出てきた感想やからなあ」


 ユウイチの言葉に、香奈が目を泳がせる。


「そんなん、どっかで練習してきたん?」

「多少は」

「ユウイチはズルいわ。本当ほんまに」


 香奈が不貞腐れたように子供たちを追いかけていく。


 お前こそ山田のくせにそんな似合う水着を持ってやがって。

 ユウイチはテーブルの椅子に座り、ノンアルコールビールの缶を開ける。自動車くるまで来て良かった。ちゃんと失言を我慢できそうや。

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