家族のいない日(3)


     × × ×     


 野口雄一のぐちユウイチは悪い奴ではない。彼自身、まあまあ責任感が強く、そこそこ面倒見の良い男だと自負している。それゆえに不利益を被ることも多いのだが──行きたくもない合コンの人数合わせに付き合ってやるなど──気にしないように努めていた。

 ただ、さすがに初対面の男女の夕食代を出したるのは、我ながらお人好しすぎるんとちゃうか。香奈の家族とはいえ。


 ファミリーレストラン・レアルホスト蒲生店。窓際のボックス席。

 ユウイチは香奈の手料理で膨れ上がった胃袋にアイスコーヒーを流し込みつつ、対面で注文を済ませた双子の大学生に目を向ける。


 女の子のほうは──山田隆幸の妹だというが、ユウイチがいくら記憶を掘り返しても香奈の顔ばかり出てくるため、似ているのかどうか判断できない。


「おにぃの彼氏さん、本当ほんまに助かりましたー!」

「その……紛らわしいからユウイチでええよ」

「ユウイチさんはええ人ですね! いつかお礼させてもらいますー!」


 愛想を振りまき、彼女は白い歯を見せてくる。犬歯が若干尖がっているあたりは休日の吸血鬼を思わせる。

 実際、ユウイチは血に等しい千五百円を吸われてしまった。王道の和風おろしハンバーグとサラダ+ドリンクバー。

 弟のほうにも同じくディナーを提供している。諸々合わせて四千円弱。明日からしばらく禁酒やな。ユウイチはストローを吸う。


「ホノカ、お前なあ。出してもらうんやから、もうちょい安いメニューにしとけや」

「ハヤトだってステーキやん! オニオンスープも付いてるやんかー!」

「俺はまだ成長期や」

「ウチと全然背ぇ変わらんくせに! というかー、あんたの財布がすっからかんなんが原因やのに、ウチのことよぉ言うなあ!」

「生駒山上の乗り物フリーパスを買わせたんはどこの誰やねん」

「おにぃが行ってんから追いかけただけやん!」

「追いかけるだけならフリーパスいらんやろが……あと、あのクソ女のこと『おにぃ』って呼ぶなや。本人が否定してたんやろ。当たり前やけど」

「あんなん絶対に嘘!」


 自信満々に断言してみせる穂乃花。弟のほうはチッと舌打ちし、窓のほうに顔を背けてしまった。

 山田隼人。穂乃花とは二卵性双生児だという。こちらも同様に窓に映った人相からは山田あにとの相似点は見出だせない。


(大学の頃は、あいつとあんま関わってなかったからな)


 ユウイチはコーヒーのストローから唇を離す。目の前では双子が言い争いを続けている。

 奇妙な気分だった。さながら違和感と同席しているような。端的に言えば、状況に理解が追いついていない。

 いきなり「生駒から追いかけてきた」「山田の正体を見抜いた」「浅井香奈に拒絶された」山田の弟妹と、部外者のオレが何を喋ればええねん。

 いっそ金だけ出して、地下鉄で横堤よこづつみの社宅まで帰ったろか。明日代休やし、たまにはのんびりしたいわ。


 立ち上がろうとしたユウイチの機先を制するように、妹のほうが話しかけてくる。


「ユウイチさんはおにぃのこと、知ってたんですか?」

「……香奈の話なら、あいつの知り合いがおるかもしれへんから、もうちょっと静かに喋ってくれるか」

「わかりましたー」


 穂乃花がニヒッと白い歯を見せてくれる。うなづくたびに茶髪の房が揺れて、右隣の弟が鬱陶しそうにしていた。


(やっぱり香奈やまだの話になるか)


 ユウイチはコーヒーではなくコップの冷水に口をつける。針で刺されたように冷たい。氷を入れすぎた。


 ──あいつのこと、何をどう話せばいいんやろ。

 あいつ自身が否定したんやから辻褄を合わせておくべきやけど、否定しすぎると香奈が完全に『おにぃの仇』になってまう。

 あいつかて、家族に恨まれるのは辛いはずや。


 ここは一つ、彼氏の立場では「何も知らなかった」と恋人の正体を否定しつつ、そういえば香奈には男っぽいところもあるなあ……みたいに、ほんのりと山田らしさを匂わせる方向でいこか。

 さっきニュースでやってたStrategic ambiguity(戦略的曖昧)って奴や。決まり。

 ユウイチは氷の詰まったコップをテーブルに戻す。


「香奈とは三年前から付き合いだした。君らのお兄さん……山田君を駅のホームから突き落としてもうた件は知ってるけど、どういう理屈であいつがお兄さんになるんや?」

「ぶつかった時に入れ替わったんです! あの日、おにぃがそううてました!」

「えらいオカルトやな」

「むーっ! ユウイチさんは『尾道三部作』を知らへんの!?」


 ユウイチの言葉を侮辱と受け取ったのか、穂乃花は怒りをあらわにする。

 映画を典拠にされても困るねん……あかんあかん。否定しすぎたら曖昧にならへん。ユウイチは匂わせるフェイズに入る。


「まあ……思い返してみれば、たしかに香奈には男っぽい部分とこあるわ」

「でしょー!」

「綺麗好きなわりに食器棚の中身は大体グチャグチャやし、洗濯物のたたみ方も下手したらユメちゃんのほうが上手いくらいや」

「めっちゃおにぃや!」

「皿洗いが雑なんか、いつもシンクを詰まらせとるし。三角コーナーは見た目が汚いからイヤって、オレが毎回掃除してる排水口のほうがよっぽど汚いっつうねん」

「おにぃ! パンツ一週間くらい洗わへん、ウチのおにぃ!」

「いや、さすがにパンツは毎日ちゃんとろてると思うで……」


 知らんけど。

 ユウイチはふと、香奈がまだ布施の狭いアパートに住んでいた頃、たまに下着類が部屋干しされていて呆れたことを思い出す。


(さすがに今のマンションになってからは見てへんな)


 テーブルに穂乃花のハンバーグプレートと隼人のステーキが運ばれてくる。

 どちらも鉄板上で炭酸飲料のように肉汁を弾けさせていた。


「やっぱりおにぃなんや……あのマンションにおにぃがおるんや。おにぃに会いたい」 

「会ってどないすんねん、ホノカ」

「だって寂しいやんか! ずっと独りでおったら寂しい、絶対に寂しかったやん。抱っこしてあげたい」

「子供も彼氏もおるんやろ」

「彼氏……」


 隼人の指摘に、穂乃花はうついてしまう。

 ユウイチとしては双子で話し合うのもいいが、せっかくだから冷めないうちにハンバーグを召し上がってほしい。ステーキのほうはすでにナイフが入っている。


「……オッサン、あの女と結婚するきぃなんか?」


 弟のほうが窓の外を眺めながら訊ねてくる。夜の窓には嫌悪感のこもった双眸が映っており、ユウイチのことを間接的ににららんでいるようだった。

 ユウイチは悩むことなく答える。


「出来れば、一生傍で守ってやりたいとは思ってる。あとオッサンやのうてお兄さんにしてくれ、まだ二十四や」

「人殺しやぞ」

「それが何やねん」

「ほーん。ベタ惚れか。人殺しのほうはどう思ってるんやろな、あんたのこと」


 やたらトゲトゲしい台詞を吐き捨てて、代わりに肉片を口にする隼人。

 ユウイチはそんな彼からステーキのプレートを取り上げてしまいたくなるが、幾分大人げないのでやめておいた。そもそも取り上げたところで今の自分では食べきれそうにない。香奈の手料理で満たされている。


(……オレ、あいつと結婚するつもりやったんか?)


 悩まずに出てきた答えはやけに正直だった。ユウイチはコーヒーのおかわりを取りに行く。ドリンクバーのボタンを押しながら、必死で生前の山田隆幸の姿を思い出そうとする。彼らにとっての『おにぃ』の姿。大学時代だいがくんときにたまに飲み会でうてた、あの男。

 いつのまにか右手が胸ポケットに触れていた。スマホに『近鉄鶴橋駅』『事故』と打ち込めば、貧相な顔立ちの青年の写真が表示される──いや、痩せすぎやろ。こんなん南方で本隊からはぐれた兵士役の俳優やんけ。今の香奈あいつとは似ても似つかぬ姿に、ユウイチは困惑しつつ笑ってしまう。そういや、こんな鼻やったわ。

 改めて彼の弟妹に目を向けてみれば、今更ながら兄の『名残』のようなものを感じ取れた。


 ユウイチはコーヒーを一気飲みし、もう一杯おかわりを注ぐ。

 体内の熱を冷ましていく。


「あのっ! おにぃもユウイチさんと結婚するうてるんですか!? もしそうなら、ウチは……」

「せやからホノカ、あの女をおにぃって呼ぶなや。妄想もええ加減にせえ」

「ウチはユウイチさんに訊いてんのー! ハヤトはもうときー!」


 テーブルに戻ってくるなり双子がうるさいが、目の前のプレートはコーンの一粒に至るまでしっかり平らげられており、ユウイチはちょっとした満足を覚える。その上で彼がはちきれそうなお腹を軽く抑えたのは、本来なら──。


「……穂乃花ちゃん。それはオレやのうて、あいつに訊いてくれ」

「えー」

「香奈の電話番号、教えたるから」

本当ほんまに!?」

「ほら」


 ユウイチは彼らにスマホのアドレス帳を見せてやる──妹のほうは「あっ」と声を漏らし、両手で口元を抑え、弟のほうは手慰みにしていたフォークを床に落としていた。嘘やろ、と足元から聞こえてくる。拾いに行くのが早いあたり、ガラが悪いわりに根はマジメなんやろか。


「ああっ。しもた。うっかりしてたわ」


 ユウイチはわざとらしく苦笑しつつ『山田 080-8492-XXXX』と表示されたスマホを胸ポケットに戻し、目の前の双子に向けて手を合わせる。


「オレがバラしたってバレたらあいつにめっちゃ怒られるから、二人とも、あいつの前では知らんふりしたってな」

「おにぃ……」「信じられへん」


 感極まった様子の穂乃花と、憮然とした表情の隼人。どちらもユウイチのお願いなど聞こえていないらしく、それぞれここではないどこかを見ているようだった。


 いや、ガチでひぃ吹くくらい怒られそうやし、知らんふりしといてほしいんやけど。

 彼らに『おにぃ』を返してやりたい、あいつに家族を取り戻してほしい──あくまで良かれと思ってやったことではあるが、ユウイチの中に少しずつ後悔の念が溜まっていく。


 これで本当ほんまに良かったんやろか。

 オレも、あいつも。

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