家族のいない日(2)
× × ×
あと三ターンで終わるはずだった双六パーティゲームが、地上波のニュース番組に切り替えられる。
「もう少しで勝てそうやったのに。残念やなあ、ユメ」
香奈は子供の指先からコントローラーを引き抜き、両脇に手を入れて抱き上げる。向かう先は和室の布団だ。きっと朝まで起きないだろう。小さな身体が湿っぽく温かい。
『ドイツでは先月の総選挙以来、各政党による連立交渉が難航しており、未だ新政権の青写真が──』
「山田」
アナウンサーの軽快な語りを遮るように、ユウイチの声が飛んでくる。
子供の汗を拭ったばかりのタオルを洗濯カゴに放り投げつつ、香奈は台所に向かう。
見れば、ユウイチが冷蔵庫を開けていた。ほとんど空っぽになっている。
「明日のユメちゃんの弁当、これやと作られへんやろ。冷食も無いぞ」
「
「何ごとも余裕を持たんとな。バッファってやつや。研修で習った」
「誰かさんが弁当に入れるつもりやった残り物を全部食べてもうたからやし」
「すまん」
「別にええけど」
香奈としては相手が誰であれ、作ったものを完食してもらえるのは満更ではない。むしろ、けっこう嬉しい。なので自然とはにかんでしまう。
ユウイチもつられたのか、一文字に結んでいた口元を緩めていた。
そんな彼のワイシャツには紺色のネクタイが結ばれている。かつて彼の誕生日に香奈が贈ってやったものだ。近所のキリンドで入手した、さほど高くない代物。
ちなみに香奈のジャージもユウイチにもらったものだったりする。こちらは誕生日ではなく母の日に。
もう帰ってまうんか。香奈は目の前の男に近づき、片手でネクタイを解いてやった。ワイシャツの首元のボタンも外す。
「お前のせいやねんから、ちょっと関西スーパーまで付き合え」
「まあ、
訝しるユウイチを尻目に、香奈は玄関から共用部の廊下に出る。午後九時の夜風が心地よく顔を撫でる。
二人でエレベータを降りて、エントランスの自動ドアを抜けたら、花壇に双子が座っていた。
まるでフードデリバリーの外国人配達員のように、それぞれスマホを片手にくつろいでいる。
香奈は反射的に部屋まで戻ろうとしたが、「あいたっ」「うおっ!?」すぐ後ろにいたユウイチにぶつかってしまった。無駄にデカいねん。
「あーっ!」
くそっ。気づかれてもうた。香奈はこちらにズンズンと近づいてくる存在を見やる。
ヤンチャそうな顔立ち。小さな八重歯。茶髪。生駒霊園ですれ違った時と同じ、灰色のデカいシャツとハイウエストなジーパン(黒)。走りやすそうなスニーカー。
すっかり大人びているが──明らかに山田隆幸の妹だった。家族だから、わかる。
なんでここにおるんや。
「やっと出てきた! ハヤト、あんたのせいで夜になってもーたやんか!」
「ピンポーンして居留守使われたら絶対に会われへん言うたやろ。ほれ、待ち伏せしたったら、きっちり会えたやん」
「こんなに待たされるなら、さっきのレアホでハンバーグ食べれたのにー! もー!」
「はいはい」
スマホをいじりながら、弟のほうは興味なさげに花壇から立ち上がる。
待ち伏せ。香奈は咄嗟にユウイチの後ろに隠れようとする。
その様子に
「んー? あれれれー?」
何か気になることがあるらしい。
香奈はユウイチを盾にして距離を取りつつ、実妹の食い入るような目線から逃れようと試みる。
いざとなれば、ユウイチに足止めしてもらって、エレベータまで走ろう。
こいつらが押しかけてきた理由なんて一つしか思いつかへん。妹の手首の紙袋には、弟のパーカーのポケットにはきっと。
「おい、香奈。こいつら知り合いなんか?」
ユウイチに訊ねられる。
香奈が答える前に正面の穂乃花が口を開いた。
「あなたこそ何者なんですか?」
「え? オレは香奈の彼氏やけど」
「カレシィー!?」
ユウイチの答えに穂乃花が絶句している。よほど衝撃だったのか、紙袋を床のタイルに落としていた。
香奈は申し訳ない気持ちになる。
こいつらにとってみれば、兄を殺した相手が刑務所に入らずのうのうと生きてて、しかも恋人まで作っとるんやからな。そら腹立つやろうに。
実際には死んだはずの兄が生きてて、ユウイチもただの友達なんやけど。
ここは一つ、穂乃花と
「……ごめんなさい。わたしが一人で生きていくのは大変やったんです。穂乃花さんと隼人君には申し訳ないけど、わたしには子供がおるから。せめてあの子が大きくなるまでは」
「子供……あん時の……」
「放っておいてほしいねん。あの子の成人式が終わったら、別に何されてもええから。望み通りに仇討ちしてくれてもええから」
顔を上げる香奈の傍らで、ユウイチが「おい」とツッコミを入れてくる。
子育てが済んだ後のことなんぞ今はどうでもええわ、と言いかけて──香奈は口をつぐんだ。二人はしばし目を合わせる。
今ここでは何も話せない。
パシャリ。
カメラアプリの音。香奈たちの様子を隼人のスマホが捉えていた。薄い板の向こうで、弟の目つきが鋭くなる。
「──やっぱりホノカの嘘やん。ありえへん思い込みに付き合わされて、俺のほうが腹減ってきたわ」
「で、でも! あん時には!」
「どう考えてもありえへんやろ。
「自分が読むからってジャンプは許すんや!」
「先にレアホ行ってるわ。浅井香奈、俺は許さへんからな」
弟の小柄な影が夜道に消えていく。
香奈はひとまず安堵した。穂乃花だけなら二対一で倒せる。
当の妹は「うーん」と頭を抱えていた。
さっきから何を気にしてるんやろ。地味に気になってしまうが、仮にも
「……いっこだけ、変な質問していいですか」
妹のほうから話しかけてくれた。
香奈は反省の姿勢を崩さずに、されどなるべく柔和な表情で答える。
「何でしょう」
「そのー……お
「うぇっ」
「ほらほら。五年前、おにぃが駅で殺された後、病院でめちゃめちゃ騒いでたやん。なんで信じてくれへんねーん、おれやのにーって。そんで家の住所とか、おにぃの学校のこととか、昔の友達の話とか、ウチが十七日連続でオネショした話とか、ハヤトが不登校になってた時の話とか、めちゃめちゃ喉壊れるくらい叫んでたやん。余所の人は絶対知らんはずやのに。おとんとおかんは全然聞いてなくて、ずっと弁護士さんと喋ってたけど、ウチは……ちゃーんと覚えてたで」
穂乃花が白い歯を見せてくる。
地面に落ちた紙袋の中には有名店のスイートポテトが入っていた。
「……………………違います」
「ええっー!?」「ええっ」
香奈の小さな返答に、穂乃花と何故かユウイチがビックリしている。
彼女としても悩んだ末の答えだった。
別に正体がバレるのはええねん。むしろ家族全員が未だに『あの件』に囚われてるなら、誤解も呪縛も解いてあげたいくらいやねん。
でも、このまま明かしてしまうと──香奈はエントランスに駆け込み、何も言わずにエレベータに乗る。
そして他に誰もいない箱の中で叫ぶ。
「なんか、お兄ちゃんが彼氏作ったみたいになってまうやん!!」
六階。
彼女はエレベータを降りてから、これまでの全てを妹に明かした上で、ユウイチには便宜的に彼氏役になってもらっている、と正直に告げれば良かったのではないか──と気づいたが、彼女の人差し指は下行きのボタンに触れることをためらった。その理由は彼女自身にもはっきりとはわからず、されど縁取られた輪郭は浮かび上がりつつあって。
結局、適当な用事を捻り出し、彼女は手ぶらで部屋に戻ることにした。
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