家族のいない日(1)
★
なー。遊園地行けへんの?
足元の
香奈は色素の薄い唇を結んだまま、近鉄生駒駅で虎猫を模したケーブルカーに乗り込み、子供に見せないように中指で涙を拭う。
不思議な涙だった。恐怖から溢れたのか、哀傷が滲み出たのか、ひょっとして再会の喜びなのか。本人にもわからない。生ぬるい感触だけが指先に残る。
『生駒山上は良いよ。新世紀に来襲した外来の巨大テーマパークに旧知の同僚たつが次々と打ち倒されていく中で、徹底的に子供向けにシフトしたことでどうにか生き永らえた、奈良県に残された唯一の遊園地なのさ。もう存在自体がエモいったらない』
佐奈川の早口語りが去来する。
そういえば、二年前に初めてユメを連れてきたのは、あの人に勧められてからやな。
香奈はベンチに腰を据える。
ユメにはフリーパスを与えており、すでに近くの子供向けアトラクションで遊び回っていた。
メリーゴーランド、空飛ぶ動物の乗り物、ミニサイズのバイキング。
(……おれが子供の頃は、まだジェットコースターとかあったんやけどな)
彼女がまだ山田隆幸だった頃。
後ろにはいつも二つの影があった。
(さっきも二人で
自然と笑みが漏れ出てくる。
人殺し。ナイフのように鋭利な言葉だったが、あれが兄ではなく香奈に向けられたものなのは多少時間をおいて咀嚼すれば十分に理解できる。
たしかに彼らにとって香奈は人殺しだろう。大切な家族を殺したくせに、のうのうと子供を育てている存在。
多分、一生許されへんやろうな。
彼女は売店で買ったばかりの白いソフトクリームに口をつける。パンダの遊具からユメが「あーやんズルい!」と走ってきたので、残りを愛娘に献上する。
「これ食べたら、次はサイクルモノレール乗ろな!」
「ええでー」
娘に手を引かれ、穏やかな園内を
何となく後ろを振り返っても、あの頃の双子の姿はない。香奈は前を向いた。
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『あなたのいない日』 作:生気ちまた
第五話 家族のいない日
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八月の熱気を冷風が守ってくれる。
香奈は遊園地から戻った後、エアコンの送風口に手を向け、全身で科学の力を浴びていた。
ウィリス・キャリアさん、
ユメのほうは半日しか遊べなかったからか、いつものように眠ることなく配信サービスでアニメを鑑賞している。クラシック音楽と爆発音がリビングに充満していた。また『銀河英雄伝説』観てるんか。香奈は愛娘の様子を眺める。
アニメファンの飯田ママの話では決して幼児向けの作品ではないらしい。香奈もたびたび垣間見ているが、語り口は三国志など歴史小説のようだった。
(こんなアニメを理解できるなんて……まさかユメって、いわゆる天才なんやろか?)
もし特異な才能を持った子供だったとしたら、香奈としてはますます育てる自信を失ってしまう。
小学校の時点で私立の進学校に入れられるほどお金あらへんし。
アメリカの変な施設に預けたり、あっちで飛び級させたりってなったら、もう借金でも賄われへん。
捕らぬ狸の皮算用になってしまうかもしれないが、何にせよ愛娘の成長は楽しみであり、不安材料でもあった。
(まあ、まずはメシやな)
香奈は子供の成長に不可欠な晩御飯の支度を始める。まずは冷蔵庫の野菜室から空芯菜と玉ねぎを取り出し、豚肉と中華風に炒めた。美味しそうな匂いがしてくる。
続いてレトルトの『ふかひれスープ』に卵と刻みネギ(青ネギ)をかけ入れ、小さく刻んだカニカマを加え、数分後に火を止める。ちょっとだけ調味料で整えてから胡椒を一振り。
あとは朝に炊いた白飯だけでええか。デザートにスイカあるし。香奈は包丁とまな板をスポンジで洗い、水切り台に戻した。
不意にスマホが鳴る。ユウイチからメッセージが来ていた。
『山田、研修先でお土産を買ったから今から持っていって大丈夫か?』
『おう。ついでに晩御飯食べていけや』
『ありがたくいただきます』
ユウイチから土下座のスタンプが追加される。
もうちょい早めに
「ユメ、ユウイチ来るからテーブル片づけてや」
「ほう」
なぜか帝国元帥のような口ぶりで返答してきたが、やはり嬉しさは隠しきれないようで猛スピードで机上のお絵描き帳や色鉛筆を片づけていくユメ。
香奈は明日の夕飯にするつもりだったサバの切り身をキッチンのグリルに入れる。
テーブルに並べ終えたあたりでネクタイ姿のユウイチがやってきた。玄関で出迎えるユメを片手で抱き上げ、「お疲れ」とテーブルに紙袋を置く。
「会社の研修会が岡山でな。きびだんごと桃を
「桃ええなあ。後で切って出すわ」
「あの感じやと、もうちょい熟したほうが美味いと思うぞ」
「そうか。ほんならスイカやな」
三人はいつものようにテーブルを囲む。いただきます。
ユメは久しぶりのユウイチ来訪にテンションが上がっているのか、隙あらばユウちゃんユウちゃんと話しかける。
「ユメ、モグモグしながら喋ったら下品やでー」
「ぎょいー」
愛娘の素直な返答に、香奈は自然と表情が緩む。
ユウイチのほうも箸を止めながら、ユメのことを愛おしげに見つめていた──不意に香奈と目が合う。
「う、美味いか」
「おう。めっちゃ美味しいわ」
二人の会話は途端にぎこちなくなる。
お互いに酒の勢いでの失敗は無かったことにする。暗黙の了解で再び交流を途絶えさせずに済んだものの、いかんせん記憶は都合よく消えてくれない。
ましてや往時と同じ空間。ソファやテーブルに『雰囲気』の断片がこびりついている。
『今日はワンチャンあると思って来たわ』
『シャワー浴びてくるわ』
『まあ、おれには無理な話やし、これで勘弁したってくれや』
『なら、する?』
いくら空芯菜炒めが美味しくても、相手の存在を感じるたびに失敗の数々を思い出してしまう。香奈は酒が飲みたくなるが、それでは同じことの繰り返しだ。
きっとユウイチも同じようにモヤモヤしているのだろう。
それらを吹き飛ばせるのは、ユメの無邪気さだけだった。
「あーやん、ユウちゃん! ゲームしたい!」
食後の五歳児が強引に用意を進めていく。香奈とユウイチが食器類を片づけているうちにテレビにはパーティゲームのスタート画面が表示されていた。
香奈とユウイチは笑い合い、それぞれコントローラーを手に持つ。
日曜日の夕方。
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