比屋根一族の陰謀(1)


     ★


 週初めの午前中。城東商店街の美容室『ルーフ』は基本的に空いている。

 経験則で予約を入れずに向かった香奈は、案の定ガラガラの店内で顔馴染みの店主に「いつも通りでお願いします」と伝えた。


 単純に切り揃えてもらうだけ。

 カシカシ。ハサミたちが耳元で小気味よい音を奏でる。少しこそばゆい。香奈は午後の仕事の段取りを立てながら、軽く目を閉じる。ちょうど前髪にハサミが入ってきた。


「……ユメちゃんは、元気ですか」

「元気ですよ。この間こないだ、部屋のエアコンを直してもらった時なんて、もう犬みたいに飛び回ってましたから」

「嬉しかったんですね」

「きっとそうやと思います」


 店主との世間話はただの一度きり。香奈がまだ山田おとこだった頃、美容師といえばうるさいのが定番だと友達から聞かされていたため、初めて『ルーフ』に来た時には拍子抜けしてしまった。

 あれから何度目になるんやろか。


 頭を洗ってもらい、何度聞いてもよくわからない液体を頭髪に馴染ませてもらい、洗い流してもらってから温かい風を浴びる。

 出来上がりを見せてもらうと、鏡には普段より健康的な女性の姿が映っていた。

 単純に切り揃えてもらうだけ──ただそれだけのはずやのに、自分で切ってた頃より格段に仕上がりが良くなるんやから、やっぱりプロの技ってすごいわ。香奈は鏡に向かって何度もうなづく。


 当の店主は何か言いたげだったが、大した用件ではなかったのか、無言で伝票を寄越してきた。


(いつもながら安いなあ。トリなんとか代も入ってへんし。お友達価格なんはありがたいけど、若干申し訳ない気持ちも否めへんわ)


 などと思いつつも「値切り」ならぬ「値上げ」交渉を持ちかけるつもりにはなれず、香奈はわざとらしい作り笑いを浮かべながら財布から五千円札を取り出した。


「……毎度ありがとうございます、浅井さん」

「こちらこそ。娘さんにもよろしくお願いします。いつも私もユメもお世話になってますんで」

「わかりました……あっ」


 店主が玄関先を指さす。

 女子高生が自転車を降りていた。彼女は「ただいまー」と店に入り、香奈の姿を見つけるなり「あっ」と人差し指を向けてくる。


(反応が親子そっくりやなあ)


 香奈は自然と微笑んでしまう。

 彼女にとって女子高生・比屋根愛海ひやねまなみは恩人の一人だ。年齢こそ十個ほど離れているものの、ユメの送迎だけでなく私生活のアドバイスなどで大いに助けてもらってきた。


 法律の話は佐奈川に訊けばいいが、幼稚園の保護者会の決まりごと等の『地元話』は愛海に訊ねたほうが早い。


愛海まなみちゃん、今日は早いやん」

「期末試験なんです。香奈さんはカット終わったとこですよね。どっかでランチしません?」

「おお。行こうや行こうや」

「やったー!」


 愛海は大喜びで店主ちちおやの指先から五千円札を引き抜いた。


 夏服姿の女子高生から昼食に誘われる。

 香奈は亡き青春では起こりえなかった「慶事」に複雑な気分になる。愛海ちゃんみたいに可愛い子とランチできるなんて、これが男子高校生やまだの時やったらなあ。まあワンチャンもないやろけど。


「ワンチャン……うっ」

「香奈さん、犬カフェ行きたいんですか?」

「ううん。持病の独り言やで。どこに行くかは愛海ちゃんにお任せするわ」

「任されました!」


 二人で美容室を出る。

 香奈が店の外から店主・比屋根浪平ひやねなみへいに会釈すると、店主のほうは照れくさそうに手を振ってくれた。



――――――――――――――――――――


『あなたのいない日』 作:生気ちまた

 第四話 比屋根一族の陰謀


――――――――――――――――――――



 ファミリーレストラン・レアルホスト蒲生店。


「そういえば、ユウイチさん、えらい綺麗な人と写ってましたね」

「ゲホッ」


 愛海がフォークにパスタを絡めながら呟いた台詞に、香奈は咳き込む。

 危なかった。あともう少し早かったら、ハンバーグのミンチが気管の奥に入ってたかもしれへん。

 それでもし自分が死んでもうたら、愛海ちゃんがすぐ近くの警察署に連れていかれてまう──香奈はドリンクバーのジンジャーエールを体内に流し込んで、気を取り直す。むせたばかりの喉には辛い飲み物だった。


「んんっ……あれは佐奈川先生のお弟子さんらしいよ。たまたま合コンで会っただけやって」

「そうでしたか。お似合いのお二人でしたから、てっきりお付き合いされているのかと」

「それは無いんちゃうかな」


 そもそもあんな高身長せぇたかい女の人を連れてたら、平凡なユウイチが『顔だけ大きいチビ』に見えてまうやん。とてもやないけど、お似合いには見えへんわ──。

 香奈は口からこぼれそうな台詞を胸の内にしまい込む。

 もし悪口みたいに聞こえてもうたら愛海ちゃんに軽蔑されてまう。せっかくのランチデートやのに。


「わかりませんよぉ。香奈さんとユウイチさんみたいに、表向きはカップルということにしてる人たちがおるんですから。その逆だってありえます」

「それならおれ……わたしに言うでしょ」

「秘密の交際って燃えるらしいですね。漫画の『僕ヤバ』で学びました」

「ふうん」


 香奈は付け合わせのコーンをフォークで刺す。

 愛海ちゃんも年頃だけに恋愛の話とか好きなんやな。ちょっと意外やったわ。いつもは幼稚園児の話ばっかりしてるのに。

 先日、千林商店街で出くわした女子高生たちの明け透けな会話を思い出し、香奈は目の前の少女を見つめる。まだ幼さを感じさせる、ほんのり丸めの面立ち。くりっとした目は亡き母親に似たそうだ。

 全体的に子供っぽく、されど振る舞いは家庭的で──こんな女の子が幼馴染やったら、全力で繋がりを保って、大卒で即結婚まで持っていくわ。香奈は自身やまだの好みをあらためて自覚する。


 そんな子の『ママ友』になってしまって、嬉しいやら悲しいやら。

 香奈は奥歯でコーンを噛む。


「そういう愛海ちゃんは、学校に好きな子おらんの?」

「同級生には惹かれないんです」

「あれか。教室で騒いでる男子が子供にしか見えへん、ってやつや」

「そうなんです! 全然頼れそうにないし。あいつらガキのまんまですもん!」

「うんうん」


 うなづいてみせてはいるものの、かつて男子ガキだった香奈としては全く共感できない話だった。

 そうなると愛海ちゃんの好みは年上の男になるんやろか。香奈は少し気になってくる。


「香奈さんこそ好きな人、いないんですか?」

「わたし?」

「ユウイチさんとは本当に付き合ってないんですよね。ひょっとしたら他に好きな人おるんかなって、前から気になってました」

「別におらんよ……強いて言うならユメになるわ」

「子供はズルいです。私だって美海みなみになっちゃいますよ」


 女子高生はちょっぴり不満そうに妹の名前を挙げる。

 そう言われても、五年前から子供のことしか考えてへんからなあ。そもそも香奈になってから他人にときめいたことがあらへん。ドキドキしたりも……なかったことにしてる。あれは事故みたいなもんやし。


 香奈は再びコーンを噛む。まだ熱い。

 少女のほうは手元のパスタなど眼中にないようで、じぃっと香奈の様子をうかがっていた。


「……なるほど。これは隙ありとみました」

「すき焼き?」

「ところで香奈さん、今日は浪平なみへいからなんか言われませんでした?」

「浪平って、愛海ちゃんのお父さんやんな。別にいつもどおりやったよ。ちょっとユメの話をしたくらい」

「そうですか。香奈さんがよろしければ、もっと喋ったってくださいね。あれでけっこう香奈さんのこと、気にしてるみたいなんで」

「へえ」


 香奈にとっては初耳だった。自分おれみたいに垢ぬけてない感じの女性を見ると、ああいう業界の方は心配になるんやろか。

 一応、社会に溶け込むために必要な着飾り方は抑えてきたつもりなんやけどな。服装にしても化粧にしても。

 今度『ルーフ』に行ったら、比屋根パパにちょっと訊いてみたろ。ヘアスタイルを含めて、参考にできるかもしれへん。

 あの人なら、いつぞやのドラッグストアの店員みたいに、化粧品の使い方を教えてもらおうとしたら「ええっ!?」「嘘ォ!?」「今まで生きてて、そんなことも知らないんですか!?」とか言ってけえへんやろうし……トラウマやわ、あれ。


「そういや、愛海ちゃんのお父さんって、かなりモテそうやんな」

「おっ……この反応……上手くいきすぎて、いよいよ私の天才ぶりが証明された形になってきましたね」

「急にどうしたん?」

「こちらの話です。うちの浪平はモテますよぉ。学生時代はバンドのボーカル、成人後にはバーテンダーとして数々の女どもを泣かせてきたと、お母さんがよううてました」

「あの年でまだまだイケメン、って感じやもんな。チャラくした向井理むかいおさむ田中圭たなかけいを足して割ったみたいや」

「おほっ」


 少女はお尻を浮かせて、飛び上がりそうになっている。


(この反応、何なんやろ……)


 香奈は少しばかり首を傾げつつも、気になっていたことがあるので話を続ける。


「あんなに格好良いお父さんおったら、そりゃ愛海ちゃんも同級生には興味持たれへんわ」

「あははは。もうそのとおりですよ。あの……もし良かったら、今度うちの美容室で……」

「……で、話戻すけど、やっぱり年上が好きなん?」

「へっ? いや、たしかにあの人は年上ですけど……あっ」


 少女は恥ずかしそうに口元を抑えた。


「おおっ。当たりや。どんな人なんやろ」

「別にええやないですか、私のことは」

「そう言わずに教えたってえや。気になってまうやん。別に言いふらしたりせえへんから。ほら、わたしはうたんやし」

「えええ……めっちゃっこい……」


 彼女の白い肌がどんどん紅潮してくる。このままだとトマトのようになってしまいそうだ。

 香奈は指先で突っついてやりたくなる。


「どんな人なん?」

「すごく良い人、です」

「上手くいきそうなん?」

「……今はまだ叶いそうにない恋、といいますか」

「愛海ちゃんでも叶わんとかあるの!?」

「その、相手が手強てごわいので……」


 少女はうつむきながら、チラリと香奈を試すような目を向けてくる。

 ヤバイな。こんなん自分のことやと勘違いしてまうわ。高校生の男子なら即落ちやわ……香奈のフォークが狙いを外す。コーンではなく苦手なブロッコリーに刺さってしまった。本当なら捨ててしまいたいが、大人ぶりたいので口にする。ちっこい森やな。ふう。


(……もしユウイチのことやったら、どないしょう)


 これはただの「勘」だった。

 たまにユウイチが「ユメちゃん迎えに行ったら、ちょうど愛海ちゃんと会ったわ」と話していたり、半年前に香奈がホームパーティを開いた時に、愛海が率先してユウイチの皿洗いの手伝いをしていたから──思いついただけの「推測」。


(まあ、どないするも何もないんやけど……)


 香奈は何となく、今は確かめないほうが良い気がした。


 少女のほうに目線を戻せば、彼女は氷入りの紅茶を飲んで、赤くなった肌を必死で冷まそうとしていた。

 香奈はソファ席から立ち上がる。


「よかったら、ついでにドリンクバーでおかわり入れてきたるで。ストレートの紅茶でええんかな」

「あ、はい。ご親切にありがとうございます」


 香奈は愛海から空のコップを受け取る。もう片方の手には自分のコップ。こちらには冷たいコーヒーを入れるつもりだ。

 ミルク・シロップと共に座席まで戻ってくると、少女はとても嬉しそうにしていた。まるで親鳥からエサをもらう小鳥のように。


「えへへ。いただきます」

「あとで手数料ちょうだいな」

「学生からお金取らんといてくださいよ、もう」


 二人はしばし笑いあった。

 それぞれ内心では様々に思いを巡らせながら。

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