味方の正義(3)


     ★


 間口が狭く、奥に細長い店内に十八名の男女が座る。

 初めは村田の提案で席順を頻繁に入れ替えていたが、お酒が進むにつれていくつかのゆるいグループに分かれつつある。賑やかな男女組、女子だけで仲良くなった三人組、早くも良い雰囲気の二名様など。


 ユウイチと佐奈川は他の面子から少し離れたカウンターで、落花生の塩茹でをつまんでいた。


「あの長身な子が、ワタシのところのバイトでね」

「日高さんでしたっけ」


 ユウイチは先般の自己紹介を思い出す。

 女子側の幹事で、以前の合コンでも顔を見たことがあった。そういえば多少話したこともある。

 なんや賢そうな人やな、という印象がわずかに残っていた。


「そうそう。まだ大学生なのに、めっちゃ万能な子なんだよ。手放したくないから今のうちから囲い込みを考えてるくらい、やでえ」


 佐奈川は自慢気な笑顔でブランデーのグラスを揺らす。

 ユウイチは下手くそな方言のイントネーションに一瞬表情を曇らせたが、酒の席なので不問に付しておいた。

 別に地方に移住したからいうて、共通語のままでもええやろうに。


 彼は話題の日高女史に目線を移す。同僚の村田が懸命に声をかけていた。身長だけで言えば、お似合いの二人に見えないこともない。


「佐奈川先生のお弟子さんがウチの村田と仲良うしてくれたら、しばらくは合コンに呼ばれんで済むんですけどね」

「それは難しいかな」

「と、いいますと?」

「あのラガーマン君は日高ちゃんとお近づきになりたいがために合コンを持ちかけまくっているんだ。日高ちゃんのほうは毎回人数を増やして、やんわりと不成立に持ち込もうとしているんだけど……ラガーマン君も九人までは集めてきたね」

「次はサッカー出来ますよ」

「同じこと思ってた」


 佐奈川はお腹を抑え、小柄な身体を揺らしてから、ゆるやかにグラスを傾ける。

 カラリと氷の音がした。


「ただ、お断り前提とはいっても、日高ちゃん的には、ああやって男の子が必死になって喰いついてくるのは、わりとイメージ良いみたい」

「そういうもんですか」

「なんか可愛く見えてくるんだってさ」

「へえ……あいつが」

「まあ、日高ちゃんの好みはジャニーズ系なんだけどね」

「あきませんやん」


 村田の容姿は美青年には程遠い。

 耳がギョウザのように潰れてしまったガチガチのフォワードでは、とても彼女の需要を満たせない。ありゃ不成立やな。


 ユウイチはハイボールのジョッキに口をつける。


「ところでユウイチ君の好みって、香奈ちゃんみたいな子なの?」


 吹き出しそうになった。

 いきなり何を言い出すねん、先生。


「いや。好みというか、何というかですね。別に否定はしませんけど」

「今まで付き合った子たちと共通点とかあったりする?」

「それは……あんまり無いですね」

「ふうん」


 佐奈川は値踏みするような目つきでユウイチを見つめてくる。


(先生、いつもより睫毛が多いな。お洒落してはるんや。もし相手を探してはるなら、こんなところでくだを巻いててええんやろか)


「嘘をついているようには見えないし、ユウイチ君はけっこうモテるんだね。なるほど」

「へえ?」

「わかった。あれだ。大人になるまで、ずっと受け身だったタイプだ。告白されたことはあっても、したことはない奴! ズルい! 羨ましい! もう一杯!」


 佐奈川はカウンターの店主にブランデーのおかわりを求める。

 後半の妬みはともかく、彼女の指摘は当たっていた。無愛想な顔つきは時として大人びた印象を与えるらしい。決してモテモテだったわけではないが、社会人になるまで恋人には困らなかった。

 それこそ香奈に出会うまでは。


 ユウイチは佐奈川のスーツの襟元、向日葵のバッジを指差す。


「……そのバッジ付けたら『ペーパーマリオRPG』みたいに能力、観察力が上がるんですか」

「ペーパーマリオ? 何それ?」

「ああ、そういうテレビゲームが昔ありまして」

「ステージ6のボス戦って、今思うと『鬼滅の刃』の無限列車編みたいだよね」

「知っとるやんけ!」


 ユウイチは反射的にツッコミを入れてしまう。

 たしかに似とるわ! 鉄道の上で触手の化け物と戦ってたわ!


「ちょうど世代だもん。ワタシ、中学生まで家にこもってゲームばかりしていたから、けっこう話には乗れるほうで──いやあ、ナイスツッコミ! さすがは関西の人!」


 佐奈川は拍手をしてくれる。


(自分自身の話になりそうなところを強引に切り替えてきたな)


 気づかないユウイチではなかったが、あえて掘りだそうとするほどヤボでもなかった。

 先生なりに言いたくないこともあるんやろ。ただ、この人に引きこもりのイメージはなかったけど。


「そ、そんなことよりユウイチ君。女の子にモテモテなくせにあんな下手くそなアプローチをしてしまった理由がわかってしまって、ワタシとしては首を傾げざるをえないよ」

「別にモテモテではないですが」

「だって君、こうやって香奈ちゃんの肩に触れながら『お前を性的な目で見ている』って、耳元でささやいたんだよね?」

「伝言ゲームがどっかで断線しとる!」


 ユウイチは思わず佐奈川の手を払いのける。

 そんな阿呆なことするわけないやろ……いや、それに近いことはうてもうてるわ、オレ。アカンやん。


 先日来の自己嫌悪を再発させた青年は、なぜか隣席の女性弁護士からスマホのカメラを向けられる。


「えっ。いきなり何ですか」

「香奈ちゃんにアプローチさせてあげる」

「それは動画で釈明しろってことですか」

「ん? 君があの子のことを異性として意識しているのは本当なんでしょ。なら釈明しても偽証じゃん」

「うっ」


 ユウイチは核心を突かれたような気分になる。どうりでここ数日、釈明のメッセージを考えてても上手くいかんかったわけや。

 何をうてもウソになってまうんやから。


「おーい日高ちゃん! こっち来て来て!」


 佐奈川は大声で長身の女性を呼び寄せると、ユウイチの隣に立たせた。

(ほんまにせぇ高いな。大学生か。別嬪べっぴんさんやけど、迫力あるわ)


「ユウイチ君も立って! 君たちのツーショットを撮るからね! ラガーマン君はあっちに行って!」


 パシャパシャと抽象化されたシャッター音が鳴る。


「もっと楽しそうにして! 日高ちゃん、もっとユウイチ君に近づいてね」

「知らん人と絡みたくないんですけどー」

「あと一歩でいいから! 二人とも、もうちょっと笑って! ユウイチ君も努力は見せてほしいな!」

「先生も理由を教えてくださいよ」

「オッケー!」


 佐奈川は十数枚ほど撮り終えると、スマホの画面をテキパキと操作し始める。なぜか少し楽しそうだ。

 ──ユウイチの胸ポケットが震えた。通知が来とる。これは『ユメちゃんファンクラブ(4)』のグループメッセージ。つまりオレ、香奈、佐奈川先生やらのグループに……日高ちゃんとのツーショットが投稿されとる。やっぱり日高ちゃんのほうが十センチくらい高いんやな。


「は?」

「押してダメなら引いてみろ。香奈ちゃんにユウイチ君がモテてるところを見せてやれば、向こうが焦りだすって寸法だね」

「先生、学歴が泣いてますよ」


 小学生でも思いつけそうな話だった。

 ユウイチの傍らにいた日高が首を傾げながら自分の席に戻っていく。ユウイチも自宅に帰りたくなってくる。

 香奈がそんなんで焦るわけないやろ。あいつは……山田なんやから。


「香奈ちゃんは複雑な事情を抱えているんだし、君のほうからグイグイ行くと怖がっちゃうよ。向こうがその気になるまで、ゆっくり撒き餌していくしかないと思うな」

「撒き餌ですか」

「うん。君にとってはラッキーなことに、現状ではライバルもいないわけだしね。じっくりやっていきなさい」


 佐奈川はやりきった表情でグラスに口をつける。


 ユウイチのほうはスマホに目をやりつつ、彼女のライバルという台詞に意識を奪われていた。

 どういうわけか、ユウイチの脳裏に浮かんできたのは……あの大男だった。

 もちろんライバルにはなりえないし、そんなことはさせない。あの時の香奈の怯えきった顔を、もう二度と見たくない。


(……やっぱりオレが何とかせなアカンねん)


 ユウイチは決意を固めるためにジョッキのハイボールを飲み干した。そんな彼の視界にスマホのカメラが滑り込んでくる。

 さらに佐奈川がぐいっと身を寄せてきて、パシャリと自撮りの要領でツーショット写真を撮ってみせた。

 彼女のスマホには距離感の近い男女の写真が表示されている。


「これで釈明用の写真はオーケーだね」

「なんでまたツーショットを」

「え? ユウイチ君、香奈ちゃんのメッセージを見てないの?」


 ユウイチは言われるがまま、自分のスマホを操作する。

 例のグループページの末尾には、香奈のアイコンで『その人誰ですか?』というメッセージがついていた。



     ★     



 メッセージアプリのグループ『ユメちゃんファンクラブ』には四名のアカウントが登録されている。

 浅井香奈、野口雄一、佐奈川暁美、比屋根愛海ひやねまなみ

 彼・彼女らの共通項は概ね「浅井夢の送迎を分担している」点にある。香奈が忙しくて大変な時に幼稚園までユメを迎えに行く。お礼として香奈の手料理やお土産をいただく。


 中でも比屋根愛海は妹の美海みなみが同じ幼稚園に通っていることから、いざとなれば毎日でも「ついでに」ユメを連れ帰ることができた。

 もちろん香奈も余所の娘さんにそこまで頼ったりしないが……当の愛海のほうは香奈の美味しい手料理に惚れ込んでおり、スマホに通知が来るのを楽しみにしていた。

 一方で、香奈から通知が来ない日には他メンバーとの「偶然の再会」を期待してしまう節があり、どちらにしろ愛海にとっては数少ない娯楽だった。


 そんな緩やかな繋がりを形にしたような『ユメちゃんファンクラブ』に、いつもは香奈撮影のユメちゃんの写真ばかりアップされているグループに……ユウイチと美女のツーショットが掲載されていた。背景は飲み屋だろうか。


「何なんですか、これは」


 ちょうど妹を迎えに行っていた愛海は驚愕する。


 まさか、ユウイチさんの恋人?

 逆に香奈さんとは付き合ってなかったんですか?

 説明ややこしいから表向きはカップルということにしてるだけ、なんて冗談っぽく話してましたけど、あんなにお似合いなのに? 本当に?


 もしかして……私にもワンチャン、あったりするんですか。


 愛海は蒲生四丁目の交差点で信号待ちをしながら、脳内で計画を立てていく。行き交う車に制服のスカートが煽られる。高校指定の大カバンには今晩の食材が詰め込まれている。


 私にはお母さんがいません。小さい頃に天国に行ってしまいました。せやから香奈さんのようなお母さんがいたら、と憧れていました。

 そんな香奈さんとユウイチさんが本当に付き合ってないのなら……私のお父さんと再婚してもらいましょう。ウチの美海に加えてユメちゃんまで妹になるなんて最高すぎます。ほんまに完璧にウィンウィンです。

 そして私はユウイチさんとあわよくば……な感じで。


「……私、天才すぎませんか」

「はあ?」


 少女の呟きに近くにいたオッサンが反応する。

 愛海は顔を真っ赤にして、信号が変わった瞬間に走り出した。

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