撮影師


いいか、康光。九龍城に行くときにゃ、上はいい、地下は入るなよ。見ない方が良いもんも、あるもんさ。


 阪口がそんなことを俺に言ったのを思い出す。こんな見た目でも、中身はただのスラム街、貧困層の人間が勝手に作って住んでるってだけ。

だが、何かを隠しておきたいって時は土に埋めるものだと。



「地下は上にバラックが建つ前からあったの。戦争してた時に日本軍が城壁をなんかの資材にして取り除いた時に、土地を買い占めたんだ。

阿片アヘンの貯蔵と不法入国者を労働力として匿うのに穴掘ったら、地底人とご対面ってわけ」


 地底人なんて信じねぇぞ、くだらない。

俺はヨミと一緒にエレベーターに乗って、地下に降りていた。


 どの階層かは分からねぇ。ただ言われるがままに。怖いもの見たさってのもある。危険なところでも潜りたがる阪口が嫌がる程の場所ってのは、どんなとこなのかってな。


「あんたをエレベーターまで引きずったっていうその影も、その時一緒に出てきたもの。要は"この世にはあり得ないもの"なのさ」



 一体何の話だ?あれは……どっかの誰かのいたずらじゃねぇって?幽霊だとでも言いたいのかよ。


「幽霊の方がまだ可愛いよ。ほら、こっち。早く来て」


 とにかくついてこいって言うだけのヨミに仕方なくついていく。

 外が見える窓も隙間もない分、自分が今何処に存在してるのかも全く分からなくなった。


 薄暗い通路を、時々天井が低くなる場所も含めて進む。俺達以外に誰かがいる気配もなく、一本道に続いてる道がどんどん狭まってく感覚を覚えた。


 こういう場所にいると、時間も体感も狂うぜ。初日からだいぶ狂った気がしたが。


 進んだ先の通路の向こうに、ようやく人の出入りしてそうな扉とか曇った窓から漏れてくるタバコの煙が見える。


 じゃらじゃらと何か掻き回してるような音もして、気になって扉の上のところにあったがたの来てる看板を見ると、麻雀って文字があった。


こんなところに麻雀屋か。

まさか麻雀でもしに行くつもりなのかと思ったが、ヨミの足はその脇道に逸れた。



 そこでついていこうと道に足を一歩踏み出すと、妙なノイズ音が耳鳴りのように一瞬聴こえてきた。

何処かでラジオでもつけてんのか、その音が進む度に、大きくなっていく。これは…?



___「撮影師シェイニィロウシを連れてきたか」


 奥まで続いた先の行き止まりかと思った暗闇の中から溶け出るように人が出てきた。

 胸元がはだけた赤い漢服の若い男だが、その顔の横半分には猫だかなんだかを象ったような仮面をして、素顔は目付きの悪い人相が見えているわりには、口調が変だ。


 長く尖らせた爪先で、タバコを吸いながら俺たちを睨むそいつは、「そんな素人連れてきてどうすんだ」と不満を漏らす。



「ハオランはどうした?最近見てないぜ」


「事情があってさ。今日はとりあえず、彼に任せようと思って。どうせ大したことないんでしょ」


「んにゃわけあるか。排水パイプがいくつか駄目になってるんだ。どう言うことか分かってんね?」


「はいはい。…とりあえずアレ、用意してくれた?」


「ったく…该死的女人…」


 男が裾の内側から何かをまさぐって取り出し、ヨミに投げた。それを受け取ったヨミは俺に振り返る。



「この男は、赤猫チーマォ。この地下の住人で、売人だよ。時々こっちの階層ともやり取りしてる」


 は?売人?…今受け取ったのは?


「この先にいる奴らを駆除する為の道具。これが使えそうなの、あんたしかいなくてさ。手伝ってくれない?」



 そう言って売人に渡されたものを見せた。それはこの辺で流通している麻薬の阿片ではなく、ただのカメラのフィルムだった。


俺のカメラに合うものなのは確かだが、一体何を駆除するって??説明しろ。



「そいつ、グェイも知らないじゃないか。おいを呼び出しておいて新米以下を連れて来て」


グェイ?



「あんたを引き摺り回したものの事」


あの…黒いうねった影みたいなもんのことか?



「ここではあれをグェイって呼んでる。昔からこの土地に巣食ってるもの」



 土地に巣食ってるもの。それは地縛霊みたいなもんなのか、はたまた悪霊なのか、神なのか。それら全てには属さないものの、悪いものであるのは確かだと。

 まぁ、九龍城の見た目からすりゃ神聖な物じゃないことは確かだろうが、幽霊だか妖怪だかの類いのものが俺を引きずり回したって??アホらしい。



「外から来た人にはそう思うだろうけど、これがうちでは深刻な問題なのさ。ほとんどはちょっと化かす程度の小級だけど、害になるものがいる。例えば、あんたの体に触れたりね」


どういう事だ。


「あいつらは、普通は目に見えないし触れもしない。それが出来る上に実害を与えるようになったら厄介なんだよ。とにかく、数が増えることが一番やばい。今のところ、この階層ぐらいには留めてるけどね」



俺が遭遇したのもそれだって事か??…言っておくが、俺に霊感はねぇぞ。



「霊感は関係ない。幽霊とはまた違うからね。でも、あれが見える奴には、また素質もあるって事。現状として、グェイを駆除できる奴が少なくって、困ってたところだった」



 待て。話がよく見えない。俺に、幽霊だか妖怪だかの退治をしろっていってんのか??よく分からねぇもんになる気はない!


 差し出してきたフィルムを受け取ることを拒んだが、「融通利かないなぁあんた」って感じの顔をされる。なんでそんな顔されなきゃなんねぇんだ俺が。



「良いじゃん、やってよ」


やってよ。じゃねーよ。なんで俺が、こんな茶番に付き合わされなきゃいけねぇんだよ。


「だって、やってくんなきゃ、私もあんたも帰れないし?」


「あぁそう言うこと?このまま何もせず、高い手間賃取って帰れるわけにゃーね」



 …何?

さっきから側で黙ってみてた仮面の赤猫チーマォって男が口を挟み、ヨミの頭をグッと豪快に掴むように触れて、妙に普通とはなんかが違う瞳と色を向けて威圧をかけてくる。



「何処の誰か知らねぇが、ここまできたからにゃ、仕事してくれなきゃにゃぁ」


 俺は仕事をしにここに来たんじゃねぇ。やらせるならそいつにやらせろ。


 ともかくわざと鋭く伸ばした長い爪をみせつけて俺に言ってきた事に言い返すと、男は「……シャシャシャッ!」と変な笑い声で笑った。まるで化け猫みたいな顔で。



「このにーちゃん、物怖じせんではっきり物言うにゃぁの。ちょっと好き」


「…重いから頭に体重かけんのやめてくんない?」


 頭に手を乗っけられてるヨミが不満げに男の手を振り払う。「今日のオメーさんは丁度いい肘掛けになりそうだ」と不気味に嗤う男の中華衣装から金粉が舞い、ヨミの側から舞っていくのが見えた。



「お前らはこっちの仕事を片付けにゃい限り、ここからは出られにゃーようにしてるんだが?」


「つか、元々あんたの不始末でしょ。尻拭いしてんのはこっちなのに、その言い草はなくないんじゃないの?」


撮影師シェイニィロウシ一匹も寄越さにゃいくせに、悠々と上の領海だけ守ってるお前らにも責任はある。上の奴らはどうもケチくせぇの」


「……その言葉、聞いたのがじゃなくて、私で良かったね」




 ふぅっと呆れたようなため息と、じとっとした目でヨミは男の言葉に答える。どうやら、この階層にいるグェイとやらだけでも駆除しなきゃ、多分生きては帰さないってつもりらしい。


あーぁ、面倒な事に巻き込まれたもんだ。


「新入り研修ついでにさっさと片付けるんだな」


「分かったって。見つけたら、ちゃんと引き取ってよね。うちじゃ誰の手も負えないから」


是的是的はいはい




 それじゃあ頑張れにゃと俺の肩を叩き、俺らが来た道を戻っていった。フラフラとキセルをふかしてどこかに行く背中、この辺りの住民みたいだが、何処へ帰るのか。



…ったく、どうすりゃいいってんだ?



 よく分からねぇし分かりたくもないが、何かしらさっさと済ませて帰りたいとヨミに仕事の内容を聞くと、カメラのフィルムを渡されたのと入れ替えるように言う。



「それで、そこの壁にカメラ向けて覗いてみて。何があるか、すぐに分かるから」



 そう言って、行き止まりで道もないただの目の前の壁を指差した。

アホらしい、何をさせたいんだか…。


 言われるがままフィルムを交換し、ある程度調節をしなおした後に壁にレンズを向け、窓を覗いてみた。


 最初は……何だかよく分からなかったが、じっと壁を睨んでカメラを覗いているうちに、ただの壁の違和感に気がつく。



_____歪んでいる。寂れた壁のポスターの壁や文字が、徐々に歪んで、文字は小さい虫みたいに蠢く。壁はゆらゆらと僅かにカーテンみたいに揺れた。


 目を離すと、現実では硬い壁そのものだが、カメラを通してみると、まるで現実味のなく幻覚のように、壁が透けていた。そして、壁の染みかと思ってた黒いものが、染み出るように立体的に見えた。


…おい、俺のカメラに何をした?これ変にしたら高くつくんだぞ!


「『インビジブルクロマチック』。見えないものを見えるようにし、触れないものを触れるようにするためのもの」



変なおもちゃじゃないだろうな。



「ヤス、今見えている壁は現実にそれっぽく存在してるように見えるマガイモノ。ここにほんとは壁なんてないのさ」



 ヨミは壁を遠くから見透かすような目で見つめて戯言を言った。こいつ、突然壁がいつの間にか現れたとでも言いたいのか。



「まだわかんないなら、撮って。この先が、今日片付けなきゃいけない場所でね。あんたが壁を消すことができれば、私はその先に行けるってこと」


 とにかく信じようとしない俺に、落ち着いた様子で指図しやがった。偉そうな態度しやがって。わーったよ、撮りゃいいんだろ。撮りゃ。


 またカメラを構え、変な壁に向かって一度何の気もなしにシャッターのスイッチを切った。

こんなもん、俺を脅かしてバカにするハッタリか何かだってな。


でも、すぐに違ったと、考えを考えざる得なかった。



 壁が動くようなやたら大きい音と、目を覆う光が見えたとき、不可解で……いや、不気味と言うべきか、俺は確かに聞こえた。



________『』



 中国語と似てる言語で口走るような声と、指先から少しピリッと電流が走るような感覚、そして………壁に張り付いた黒いものが、フラッシュの光によってかき消されて、焼け焦げた臭いが鼻を障る。


一瞬のことだが、その一瞬をよく覚えていた。目に焼き付いた光が徐々になくなって、元の景色が戻った俺の視界に。



壁が、無かった。


 壁があったと言う痕跡も瓦礫も、何もない。奥に続く通路が見えたのと、鼻に残る焼き焦げた臭いで、今の何かを物語ってる。


何が夢か?今が夢なのか?あったはずのものが、ない。どうなってる?近くまで行って壁があるかをわざわざ確認しようと手を伸ばすが、ないものはない。



「才能ありだね、ヤス。そう、これが本来のこの場所の姿だ。このように、グェイによって地形がいくつか不条理に変わってしまう事がよくあってさ。だから、ここは迷いの魔窟なんだよ」


入ったら二度と出られない。


 グェイは望む。脳を食い、より上位の力を得るための餌を。そんな化け物が、ここには沢山潜んでるんだと、笑い話でもないのにニヤニヤとしながら話すのが、不気味な女だ。



「こうしてグェイを駆除できる力を備えた限りある者だけが、撮影師シェイニィロウシと呼ばれている。ヤス、あんたにはそれになってほしい」



 僅かに痺れている指先と、謎のノイズが通路の奥から響き渡る中、ヨミは俺の腕を引っ張り、躊躇なくその先に進み始めた。

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