宿る少女
俺の背後からかけられた声に振り向く。
いつの間にいたのか、二人の腕章をつけた中等部くらいの男女の生徒と、ルイと同い年か、その下くらいの男子生徒。黒と灰色が混ざった変な髪に、血色の悪い肌と異様にも赤い右の瞳。左目は潰れているのか、黒い髑髏の模様がある眼帯をつけている。
いかにも香港の人間らしい漢服っぽい学生服を着たそいつは、俺を真っ直ぐ睨んできた。
なんだ?こいつら。
「それはこっちのセリフだ。誰だお前は。そんなカメラを持ち込むような外人が来るなんて聞いてないぞ」
明らかに俺を歓迎していない。
敵意のある片目で俺をじっと睨んでいる。後ろにスクールカーストらしい二人がいるのを見ると、こいつも、スクールカーストか?それにしても偉そうな奴だ。
「おいおいおいちょっちょっちょっと!!ウズメやめろって!!ヤスは変な奴じゃないぜ!?」
「…またお前か、トラブルメーカーめ」
「え?俺がなんだってんだよ?」
「1日に1回、必ず、トラブルを起こすお前の顔を見ることになるのが、最早ストレスなんだがサイファ」
「??俺はお前に会えて嬉しいぞ?」
「そう言う意味じゃないわっっ!!」
ぽかーっとした顔でサイファの天然アホな発言に、ブフッ!!と周りの奴らが吹き出して「普通に口説きやがった」とか「相思相愛かよ」等と馬鹿にした発言まで飛んで笑うが、言われた本人は顔を強張らせて激が飛ぶ。
「貴様はいつもくだらないトラブルを起こして僕と教諭の手を焼かせてることに疲れたと言ってんだよ!!今回は不審な人間まで連れ込んできたのか!?何を考えてる!?」
「え!?いやいや違う違う!!こいつは俺じゃねーって!!」
ギッと睨んでくるそいつに、横からサイファと数人の奴等が口を挟み、ルイが連れてきた信用できる人間であることを弁解した。が。
「この学校の守備を任せられている僕に黙ってこんな奴を入れるな!!しかも、こいつは"ヤポンスキ "だろ!こんなときに、余所者を受け入れる奴があるか!!」
まぁ、学校とかにとっちゃそれは正論だが。
……つか、こいつは何者だ?
「あいつは中等部のウズメ。この学校の守衛を任されてる。くそ真面目で生意気な奴。
横にいたサイファのバスケ仲間が俺に耳打ちする。
そうか黙って入ってきたら、いきなり
「全く、外のバカどもは何をしていた…。おいお前。今すぐここから出ていけ。今撮ったフィルムをここに棄てて消えろ」
はぁ?いきなり出てきた奴に何でそんなこと言われなきゃなんねーんだよ?こっちは町内会の許可は取ってやってんだぞ。
そう言い返すと、ウズメという眼帯のガキは眉をピクッと動かし、フンッとあからさまに見下したように鼻を鳴らした。
「そんなの関係ない。会長が"ヤポンスキ《日本人》 "のカメラ男をクーロンに受け入れたなんて話は聞いてないからな。証拠はあるのか?」
ねーけど、あそこの、カンシェンって男に聞けば本当だって分かる。つか、お前みたいなガキにそんなこといちいち報告に来る奴がいるのか?
「ッチ。余所者の癖に、生意気な口を聞きやがって」
「ねぇ、そんなに怒ることないんじゃないかい?」
舌打ちまじりのウズメの問いかけに、俺の隣にいたルイが俺の前に出てくる。
「連れてきたのは僕だから。そんなに彼やサイファに怒らないで」
「そうだぞ!!俺はまだなんもしてないぞ!!」
「てめぇは黙ってろ」
ピシャッと叩きつけるようにサイファを黙らせたウズメは、赤く腫れ上がった目で見下すようにルイを見た。
「貴様がルイか。学校の校則は知ってるはずだ。如何なる者も、関係者と生徒以外の立ち入りは許可されていない!!」
「ダミアン先生からの紹介で、彼は僕の隣人になったんだ。先生からは、写真を撮る手助けをしてやるように言いつけられてて。学校に来ることも伝えてあるはずなんだけど」
「ダミアン?…あの"ミン"か」
ウズメにも、ダミアンの事は分かったみたいだが、先生というより、ダミアンのことも余所者と判断してるらしい。
「ここの写真を撮りに来ただけ。それに、許可もなく人の写真を撮ったりはしてないよ」
ルイはニコニコしながら言ったが、ウズメは、お前はバカか?と、年上に対しても臆することなく厳しい言葉と目を向けた。
「たとえ教諭や町内会の許可があったとしても、その写真を外に持っていかれればどう使われるか分かったもんじゃない。写真を撮る事自体、論外 だ」
俺の身元を証明するルイの言葉も否定して、最終的には町内会もダミアンも関係ない、か。
警戒するのは分かるが、スクールカーストだろうが、傲慢も良いところだ。それなりの権限を与えられると人は偉く振る舞うって心理学的な話もあるが、まさにこれか。
「僕は
「ウズメ君!ちょっと…」
おい!!カメラに触るなっ!!
異様に血色が悪い肌をした手が俺のカメラに延びてそれをバシッと振り払う。
一瞬だけ振り払うのに叩いただけだったが、その一瞬に触れた温度にあり得ないものを感じ取った。
異様に冷たい。
人には手の温度が温かい奴から冷たい奴どちらもいるが、冷たいにしても限度というものがある。
まるでそう、体温がないそれに近い。
氷の固まりに触れたような冷たさだ。しかも、肌というより薄い陶器を叩いたように皮膚の弾力もなかった。
なんだ?こいつ…。
「っ!!お前!!言うことを聞かないのなら強制的に引きずり出すぞ!!」
「おい!!やめろよ!!落ち着けってウズメ!!」
俺に手を叩かれて激昂したウズメに、慌ててサイファが止めに入るが、邪魔だ!!とウズメは後ろに控えていた二人に振り向いて指示を翔ばす。
「何を見てるお前達!!この"ヤポンスキ 《日本人》"を外に追い出せ!!」
「おい!!やめろって!!」
「落ち着いてくださいよ先輩!!ヤスはいい奴なんだって!!」
ウズメの声に二人がようやく動き出したのを見て、慌ててサイファを中心に周りで見ていたバスケ仲間達が俺の前に立って揉みくちゃになりながら止めに入った。
俺は床に置いていた機材の鞄を持っ後ろに下がると、サイファ達から離れたルイが俺の元に小走りでやって来てカメラをしまってと指示をする。
「仕方ない。カメラ壊される前に今すぐ学校から出よう」
面倒な事になったな。サイファ達は?
「大丈夫、裏口からすぐに出よう」
揉みくちゃになるどころか喧嘩が始まりそうな程悪化する目の前のサイファ達とウズメとスクールカーストの揉め事に、ルイが俺の背中を押してその場を立ち去ろうとしたが、騒ぎはあっさりと沈黙に変わった。
__「ウズメ君~!その人は本当に会長のお客さんだよ~!」
「っ!」
突然聞こえてきた少女の声に、俺達もウズメも動きを止め、全員が同じ方向に視線がを向かった。
肩ぐらいまで伸ばした明るい髪、華奢で桃色のワンピースと薄いショールのようなものを羽織っている色白の少女。
年はルイよりも年下に見える小柄で、九龍には似合わない清楚な雰囲気がある。
その少女が校庭の向こうから歩いてくるのを見て、サイファ達に抑えられていたウズメを始め、スクールカーストの二人は固まった。
「
抑え込んで来てたサイファを突き飛ばし、自分よりも年下に見える少女に対してウズメは敬語で話しかけた。
「中止になったの。"シュンハイ "が劇場の近くで騒ぎを起こしたみたいで」
困ったような顔を一瞬だけ見せて笑うその少女に、ウズメの血色の悪い額に皺が寄った。
「"シュンハイ" が?…あの異民ども。昼はこっちに出てこない約束を…」
「しょうがないよねぇー本当に…。でもまぁ
それよりもウズメ君!その人は会長のお客さんだから、手荒なことはしちゃダメ。…もう、全然連絡回ってないじゃん…」
少女の言葉にウズメと控えていたスクールカースト二人が俺の方を見るがあまり納得しているような表情じゃない。
「しかし、こいつは…」
「ウズメ君。私がわざわざここに来て言うってことは、これは
そうよね?と繰り返し聞く少女の言葉でウズメはようやく俺を見ることはやめた。
「ごめんね皆!ウズメ君が乱暴なことしちゃったみたいで」
少女はウズメを黙らせた後、手を後ろに軽く組んで俺達の方を向く。全員が一言も発せず少女を見る中、最初に声を出したのはサイファだ。
「ウッソマジで!?フェアリーレディーの
…??何を言うかと思えば…なんだ??フェアリーレディーって。
興奮したように少女を目の前に、スゲー!!とはしゃぎ出すサイファに、周りの奴等の時も動き出す。
「本物…?お、俺ファンだわ!!全然ガッコ来ないから見たことなかったけどめっちゃ可愛いっ!!」
「やべぇー!!超スゲーじゃん!!」
「サインください!!サイン!!」
さっきの争いはどこへいったのか。急に現れたこの少女に対して全員が興奮状態になる。よく分からずルイの方を見ると、ルイは至って冷静で、何も掴めていない俺に説明してきた。
「スクールカーストがやってる劇団では今、そういう劇をやってるんだけど、主演のリンファちゃん。他にも色々活動してるみたいだから学校にあんまり来ないけど、有名なんだよ」
なるほどな。女子にここまで騒ぐ理由が分かった。
興奮する男子どもに笑って手を振りながら俺達の話に入ってきたリンファという少女は、俺に近づいてきた。
「ごめんねお兄さん。お兄さんのことは広めてもらってるんだけど、まだ伝わりきってないみたい。私は、
日本のどのアイドルにも負けない輝かしい笑顔を放って挨拶をしてきたこのリンファという少女に、周りのルイ以外の男子は煩く色めき立つ。
こんなおとなしそうな奴もスクールカーストって集団の一員なのか…?よく分からなくなってきた。もっとヤンキーの集団ってイメージだったが。
つか、どうして俺のことを知ってる?
「貴方は会長のお客さんだって、
リンファが、俺のカメラを指差しながらそう答えた。
「使い捨てカメラかと思ってたんだけど、こんなに本格的な物だとは思わなかったわ!しかも日本製でしょ?クーロンのガラクタじゃ撮れない写真が撮れそうね!」
観光客として来てたら、こんな高いもん持ってこんなとこ歩かねぇよ。
「このカメラで、私の舞台の写真を撮ってほしいわ!
「リンファさん!!いくら会長の客人でも、それはっ…」
「良いじゃない。もうすぐここ取り壊されちゃうかもしれないし?記念に皆で一枚撮るのもアリだと思うけどなぁ」
でも駄目か、ニュイワンは写真嫌いだし。とウズメの反対の言葉にニコッと笑って返したリンファが再び俺の方を向くと、隣にいたルイの存在に気付いた。
ルイのことを見た瞬間、僅かな間だが、サイファや俺とは違い、戸惑ったような表情になった。
声をかける前に、リンファの方から「あぁ」と再び口を開いた。
「せ、先輩、お久しぶりですね。眼鏡かけてたから、分からなかったわ」
「やあリンファちゃん、久しぶり。元気そうだね?」
「びっくりしました!先輩、こちらに戻ってきてらっしゃったんですね」
何処か戸惑っているリンファのかけた言葉に、愛想のいい笑顔で返したルイが親しげに話しかける様子を見て、後ろからサイファが二人に割り込んでくる。
「おいおいおいちょっとタンマッ!!ルイ、お前リンファちゃんと知りあい!?」
「ん?知りあいって言うか、昔孤児院にいたときの後輩だよ」
「嘘マジで!?孤児院の後輩!?初耳なんだけどそれ!!」
「でも、僕が養子に引き取られてからずっと会ってなかったしね。たまに公演は見に行ってたんだけどさ」
「へ?見に来ていらっしゃったん…ですか?」
「うん。時間が空いたとき見に行ってたよ。忙しそうだし、声をかけるのもなんだと思って遠くから見てるだけだったんだけどね」
「ずるいっ!!なにそれずるいっ!!なんかの主人公みたいじゃんアイドルと知りあいとか羨ましい!!なんで紹介してくんなかったんだよ!!」
「だから、今久々に会ったんだってば」
興奮のしすぎで話全然聞いてねぇなこいつ。まぁしてなくても聞いてなさそうだが。
「ごめんねリンファちゃん。僕が勝手に連れてきたから、ウズメ君は悪くないんだ。あまり怒らないでくれないかな?」
「ん、んーん!別に怒らないですよ?そもそもうちの連絡遅れてるのが悪いから。どうぞ、学校の写真は好きなだけ撮ってってね」
俺とルイにそう言った後、ウズメの方に振り返り「ちょっとお話があるからいい?」と声をかけ再び俺たちの方を向いた。
「それじゃお兄さん。次から先輩いなくても、ここにはもう自由に入ってくれて大丈夫よ。何かあったらウズメ君に言ってね」
お、おう。どうもな。
…後ろの奴はあんまり納得してない顔してるが、こいつよりも偉い立場にいるらしいこの子が言うなら、もう出ていけと強硬手段に出てくることはないだろう。多分。
「それじゃ…また、先輩」
「うん、またねリンファちゃん」
俺から視線を外した後、再びルイの方にぎこちない笑顔を送ってウズメとスクールカースト二人を連れて、校舎の方へ去っていくリンファの背中を全員で見送る。
「良かったなー、追い出されず済んで。しっかしリンファちゃん!!目の前で見るとやっぱ可愛さ違うなぁ!!」
そんなに有名なのか?あの子。
「健全な学生の娯楽と言えば、スクールカーストがやってる劇やイベントだからね。定期的にやるんだよ。だから今目玉でやってる主演の子は、注目されるんだ」
へぇ。
にしてもあのウズメって奴の手、カッチカチの氷を触ったみてぇに冷たかったな。サイファ、あいつ冷たくないか?
「え?そんなにか?ごめん俺あんま考えてなかったわ」
お前、あいつの体止めてたのに分からなかったのか?服の上からでも分かる冷たさだぞ?まるで…。
「?風邪でもひいてたんじゃねぇの?元からあいつ、顔色悪いしなぁ?」
まるで体温のない『マネキン』を触ってるみたいだったと言う前に、サイファは俺にそう答えた。
「許してやってくれよ。あいつも感じ悪いけど、ただ学校にいる奴守りたいだけだからさ」
いや…別に怒ってねぇけどよ。
「さて、リンファちゃんやウズメ君の許可も得れた事だし、そろそろ撮影にいこ?ヤス?」
おう…。
色々と腑に落ちない事はあるが、そろそろ時間も惜しい。ルイに促されてサイファ達と別れた俺は、クーロン内に作られた学校の中を散策することにした。
____
「…来ないでって、言ったじゃん」
「知ってるよ?でも、今日は…」
「"くんでなし!!いっちょるばっっ!!"」
バシィッッ!!…と鋭い音がルイの顔スレスレに横切って俺の後ろの壁に直撃して教科書が落ちる。
俺達の目の前には、サイファ達の言っていた通り、肌はニキビひとつない綺麗な肌、栗毛の髪の長い綺麗な少女が絵になる不機嫌面。
背は低いが、気の強そうな…といっても、ルイに教科書をぶん投げ意味わからん言葉で叫んだのを見ただけでもう強いのは確定だが。
たまたまダミアンとの補習現場に遭遇したってだけでこれか。どんだけ嫌がられてんだこの彼氏。
「"けでぇなし!!あんよヨシヨシしくばちゃかっ!?"」
「悪かった。悪かったって」
カメラ持ってる俺がいるにも関わらず、今度は缶の筆箱でルイに殴りかかろうとしている。
後喋ってるこれ中国語に聞こえなくもないが、中国語なのか?
「
「だって先生ッ!!こいつがこの場にいると、どんっだけうざったいか、知ってるでしょ!?私の頭が悪い!!!私の頭が悪いせいでこの問題が解けないんだよ!!って言われてるような小言をクドクドクドクッドォー!!」
お前そんなことまで言ってるのか。
「言ってないよ…誰もそこまで言ってないじゃないか…」
笑顔だが、青ざめているルイに、彼女であるカレンは容赦なしに追い討ちをかけていく。
「言ってなくても言ってるように聞こえんのよ!!!世の中五教科全部出来る奴で溢れてると思ってんの!?出来たら授業以外で勉強させられる塾とかいう訓練施設も補習とかいう枠外強制労働もいらないんじゃボケがっ!!」
「ごめんなさい。今度欲しいって言ってたキティちゃんのポーチ、買うから許してください」
「ポーチだけ???」
「口紅もつけます」
「よろしい」
彼氏、弱い。
「…それで?この人は誰なの?」
ダミアンの前に置かれていた机の椅子に座り直し、つり目の瞳が俺の方を向く。俺は高崎康光だと軽く自己紹介をして名乗ると、カレンは机に転がった鉛筆を持ち直して「へぇー」と反応を示してきた。
「日本人の人?めずらしー。ルイの隣に引っ越してきたの?」
「そうだよ。しばらく僕はヤスの案内をすることになってるんだ。ね、先生?」
「うん。カレンも、彼に協力してあげてほしいな。来たばかりで分からないことだらけだからね」
「えぇ!もちろん。私は
さっきの態度とは違い、さっぱりとした感じで俺に向かい合ってくる。引きずらず、切り替えが早いタイプか。
「ヤス、調子はどうかな?」
ここで遊んでるやつらの写真を何枚か撮ったよ。まぁウズメとかいう奴に見つかって色々言われたが問題ない。
「ウズメ…あぁ、あの子か。すまない、君がここへ来るとちゃんと皆に伝えられれば良かったんだが、夏休みで誰が何処にいるのか、把握できなくてね」
平気だ、なんとかなったし。
すまないねと謝るダミアンにそう返すと、カレンがカメラを指差して横から話し掛けてきた。
「悪いけど、私はパスね。今日はほとんどノーメイクなの」
だから撮らないでねと手を振って撮影を拒否してきたが、ノーメイク?
十分美人だしもうしていると思ってたくらいだが…女ってのはどれだけ化粧をしてても、こうじゃないといつまでもやってるもんだからな…。
「カレンは化粧なんかしてなくても綺麗だから、気にしなくていいのに」
「まぁありがとっ!じゃあエメルのファンデーションも買ってくれる?」
「……あー…それ以上綺麗になられたら、皆君の魅力にぶっ倒れて脳しんとう起こすだろうから…ブランドのエメルなんかより、サンリオプライズで十分ブルック・シールズのような輝きを導き出すと思うんだ」
「そぉ~!?ブルックは言い過ぎじゃなぁい~!!?」
凄く苦しい拒否り方で逃げたのに、満更でもなさそうだな彼女。
「でもでも、わざわざ日本からこんなとこに住んでまで写真を取りに来るなんて物好きね。もっと綺麗なとこいっぱいあるのに」
こんなとこでも好きな連中はいっぱいいるもんだよ。それに取り壊しの話も出てるだろ?
「あー…貴方もそういう感じの人か。やっぱり物好き」
頬杖をついて苦笑いを溢すカレンは、あーぁと残念そうな声を出して横に立つルイに言った。
「ねね、今ポケベルに入ってきたんだけど、銀流街の方で゛シュンハイ ゛の騒ぎがあったんだって?」
「あぁ…らしいね。僕も今そこで聞いたよ」
「もう、本当迷惑だわ。今日も稽古の日なのに、またしばらく学校から出れなくなりそうだし」
「そうなのかい?銀流街の方で?」
カレンとルイの話を聞いて険しい表情になったダミアンはまだ知らなかったようだ。という事は起きてまだ間もないという事になる。
「銀流街…」
「心配しなくてもいいですよラウシー。さっきリンファちゃんが避難してきたし、他の人達も皆無事ですよ」
「しかし、"シュンハイ "が起こしている騒ぎだろう?昼間から起こすなんて只事じゃない…」
なぁ、気になってたんだが、その"シュンハイ "ってのはなんだ?異民とかなんとかって言ってたが。
深刻そうな表情で考え込んでいるダミアンは聞いていないのか何も答えない。代わりに反応したのはルイ………ではなく。
「あれ?お兄さん知らないの?」
反応したのはカレンだったが、その口を塞ぐようにルイが彼女の言葉を制して答えてきた。
「このクーロンの一番下の方に隠れ住んでる、異民族の事だよ」
異民族?クーロンにそんなのがいるのか。
何でカレンの代わりにルイが答えたのか不思議だが、俺の返しに「うん」と頷いてニッコリ笑う。
「でもね、あまり良い存在じゃないから、関わらない方がいい」
あまりいい存在じゃない…?………あぁ、なるほど。
横目で見たダミアンの表情からしても、何となくその意味が分かった。
よく不法入国者が隠れ住んでるって話あるもんな、警察も政府も入り込めない場所だって言うし。
「Mr.ラオとの決まりで、あの人達、昼間は地下から出てこないんだ。だから昼間からこの辺りで騒ぎを起こすなんて稀なんだけどね。…一体、どうしたというんだろう?」
「『大脳通信』で誰かに聞いてこよっか?」
頭をひねって考え込むダミアンに、机の横にぶら下げたピンク色の鞄の中から、つい最近日本でもブームとなっているゲームボーイのスケルトンの電子機器を取り出しカレンがちらつかせた。
大脳通信?それ、ゲームボーイの事か?つーか、日本で発売されたばっかなのにもう中国にまであるのか?
「え?あぁ、違うよー。これは確かにゲームボーイだけど、大脳通信って言うのはゲームボーイでメッセージとかチャットをやり取りするためのソフト」
…そんなソフト、あったか?そもそもそんな機能あるのかあれ?
「多分こっちにしかないかもー。ゲームボーイもどうやってここに運んだのか分かんないし、ソフトは完全誰かが考えたオリジナルね。でも便利よーこれ!ティーンは皆持ってるもん」
色んな人とチャットとか出来るんだもんと、カレンはゲームボーイを見せびらかしてくる。
…要は違法改造ってやつか。でもすげぇなそれ。特許取ったらバカ売れ間違いなしじゃねぇの。
「でも、有線でわざわざ公衆電話かお店とかにある固定電話に繋げてないと出来ないって言うのが残念。それに結構文字化け酷いし、ルイはいっつも返すの遅いし」
「だって公衆電話まで部屋出て階段降りなきゃだし、地味にそこから遠いし、長く占拠してると早くしろって怒られるし」
「なんか出ないかなぁー!有線じゃなくて無線で、寝ながらでもちょちょちょーってやり取り出来るようになれたりしない?可愛い文字とか絵とか送れたりさ?」
「んー。もうちょっと技術が進歩したら出来るようになるかもね」
なるほど。それなりにデメリットはあるってことか。けど、俺はあんまし文字のやり取りは好きじゃねーな。
「あら、どして?便利じゃん。直接会わなくてもいいし」
直接会わないから、嫌なんだよ。
「私も、ヤスと同じ意見だな」
横で聞いていたダミアンが腕を組んで俺の意見に賛同したのを見ると、えー?と意味が分かってなさそうにカレンが声をあげる。
「どしてー?これが世代間の違いってやつー?」
考えてみろ。チャットってのは要は相手の顔を見ずに文章でやり取りすんだろ?相手がどんな表情でどんな言い方でいってんのか全く見えねぇし、真意が伝わらないだろ。
「えー?そうー?気にしたことないけどな」
「カレンはそうかもしれないけど、文章だけだと相手がどんなことも悪気なく言ってるかどうかなんて分からないだろう?」
「まぁーそりゃそうだけど」
「それにね、人の顔が見えないと妙に強気になったりするんだよ。言わなくて良いこととか、普段言えないことを書き込んだりね。言葉よりも鮮明に人の目に触れるから揉め事が起きるし」
それを終わりにしよったって、会ってるわけじゃないから何発かぶん殴ってそれでチャラってのも出来ないしな。
「チャラっ…?」
「え、殴っちゃうの?」
「…ヤス、それでさすがに解決はしないかな」
いや…例えだ。例え。
つい言ってしまったが、全員でそんなマジの苦笑いすることないだろ。
「そう言うわけだから、程ほどにね二人とも。ルイの言った通り、長く公衆電話を占拠する生徒が増えて苦情も来てるんだ」
「言われてみればそうかも。分かったわ先生ー!」
「そうだ。ついでだから三人でヤスに撮ってもらうかい?」
「もー!そうしたいんだけど、私今日ほぼ素っぴんだからダメッ!!」
写真撮ってもらう、もらわないでしばらく揉めたが、結局カレンがどうしても撮りたくないと拒否して撮影は見送られた。
_____
一日の撮影と、シェンの検閲から解放され、外は夜に変わった時間だ。
チカチカと目につく電子板の灯りと、閉鎖されたコンクリートの壁に囲まれ、外の景色も色もまるで見えない灰色と荒廃。
帰り道は玄関市場の見下ろせる鉄骨の橋の道。あまり良い足取りとは自分でも言えない。
シェンの野郎…。
今日撮った七割のフィルムは返せないだろうってどういう事だよ。俺はそこまで危ない写真を撮った覚えはないぞ!ただ校舎を撮ってサイファ達が遊ぶところを何枚か撮らせて貰っただけだってのに!!
これじゃ仕事になりゃしねぇ、ったく、黒田に怒られるのは俺だってのに。一体なにが気にくわない!!
少しの力でポキッと折れてしまいそうな程細く錆び付いた手すりの格子を蹴りあげたくなる衝動を理性で抑えつける。
学校から直で光明街へ行った足。カメラの入った鞄をぶら下げて、夜も変わらない喧騒と、何処からか聞こえる中国の伝統的な音楽を聞き流しながら、コンクリートの橋を踏みしめた。
__「不機嫌そうじゃん。ヤス」
呼び止められたその声に足が止まる。
昨日と同じ位置、同じ体勢。格子の間に足を投げ出し、行き交う人混みと露天の真上で、白く長い足。目立つその足をブラブラと揺らす。
微かに鼻唄を口ずさんでいたのは聞こえた。この場所の何処かから聞こえる、弦楽器の音色に合わせて。
赤茶色のボブの髪、首輪のような黒いひものチョーカー、カーキ色のブルゾンとヨレヨレした白シャツを着たそいつがまたいた。
…なんだよお前、またそんな汚いとこに座ってんのか。
「……特等席。ここは何にも変化がない。だからゆっくりボーッとするにはちょうど良いの」
ぐったりと下を見ていた目が俺の方を見る。茶色い瞳だが、ネオンの明かりのせいか何処か赤っぽくも見える。大きく二重のハッキリとした目だ。
「あんたもどう?」
いい。俺は今気が立ってんだ。
「見れば分かる。私、相手が今どんな気分なのか、すぐ分かる」
ニヤッと気味悪い笑いを向けるが、何処かそれがミステリアスで色っぽい。
見た目はルイとそんなに変わらない。でもこいつの方が大人っぽくも見える気がする。
昨日の帰りにも鉢合わせたこの少女はいつも夜にはここにいるらしい。
大人でさえ出歩くなという夜の中に一人で、二人通るのが精一杯なくらい狭い渡り道にビー玉を転がして手遊びしながら、この玄関市場を眺めているらしい。
こんなとこでそうしてられっと通行の邪魔になるだろ。さっさと片付けて家に帰んな。
「通んなきゃいいでしょ。ここは私の特等席なんだ。邪魔なら通らなきゃいい」
通り道を特等席にするくらいならもっとマシな所にしろよ、四六時中そこにいるってのか?
「いるわけないじゃん。昼間は意外と暇じゃないからさ私。こうしてボーッとする時間くらい許してよ」
だったら家でやれと言いかけたが、パッと鉄格子の間から顔を離し、大人っぽい顔が俺の方を向いた。
「なんか、困ったことでもあった?」
本当に見透かしているかのように俺にそう聞いてきた。
別に。お前には関係ない事だ。
「お前とか言わないで。私の名前、教えたでしょ?」
もう忘れたわけじゃないよね?とニヤッとしながら首を傾げて俺を見てくる。
あぁ、教えてもらった。けど呼ぶ気はねぇ。
「なんでさ。私があんたみたいなのに話しかけて名前を教えるなんて、相当ない事だよ?」
知るか。
「こりゃそーとー機嫌悪いねぇ」
ニシシッと八重歯を見せて笑いながら、下のオレンジ色の玄関市場の明かりを見下ろしながら笑う。不気味だが不思議とムカムカする感じがない。絵になっているからなのか。
「でもその持ってるもので何となく分かるよ。外からクーロンに来たんでしょ。思い通りに動けなくていじけてるんだ」
頬杖をつきながら、何気なく確信をついてくる。
「ここには意外とうっさい連中いっぱいいるからね。仕方ない仕方ない。でもさ、あんなやつらがいるから、ここって案外捨てたもんじゃないの。私は基本的嫌いだけどね」
あんなやつらって、町内会の事か?
「そ。国なんてさ、こっちの融通も分かんないでさ、口だけ出してお堅いルール敷くから駄目なんだよ。
だからあぁいう市民の中で勝手に仕切ってくれる人って必要なわけ。ある程度の融通は分かってるし、利のないことは口も出さないしさ」
でも、私は嫌いだけどね。
一瞬スッと冷めたような目になる。まるで本当はそんなのまるっきりどうでもいいと言わんばかりに。
夜はいつもここにいるのか。
「いつもと言えば、いつも、かな」
そんなとこで足出してると、変な奴に絡まれるぞ。
気だるげにブラブラと比率のいい華奢な長い足を揺らす。思わずその足に目が行くほど長い。
「私には、ここしか居る場所ないから」
だるんと自分の左肩に頭を乗せて玄関市場の明かりを眺めるそいつのその一言はとてもあっさりと味気ない。
座ってるそいつの横で、俺もその市場の様子に目を向ける。露天でタバコを吸いながら酒を飲む男、端に集まって麻雀牌を交ぜる音、配管の唸る音、食べ物の生っぽい臭い、玄関市場の真上にあり住宅のベランダに渇くかも分からない洗濯物を干すおばちゃん。
_「世界就是全部」
゛この世界が全て ゛
この狭い場所に密集した全てを差して、そいつは…『
「夜が一番、全て見える。昼には見れなかった物が全部、映し出される。だから、私は夜が好き」
そう言って鉄格子の間から引き抜いた足をコンクリの地面につけ、立ち上がった。身長も足が長いせいか、ルイくらいはあるように思える。
「鳥籠の中で育った鳥は、外じゃ生きていけない。私もそう。ここ以外の場所じゃ、きっと生きていけない」
ブルゾンのポケットに両手を深く突っこみ、チロチロと燃えているような深紅の色を宿す瞳が俺に向けられた。
「ヤスはいいね。自由に好きなこと、やれてるみたいで」
…別にそんなことないと思うが。なんだよ急に。
「私は出来ないから。あんたが羨ましい」
お前が俺の何を知ってるってんだよ。昨日会ったばかりで。
「私には分かるのさ」
ポツンとそう呟いた後、足元を見ながらクスッと笑いこう言った。
「今日はダメだけど、またここに来たら、ちょっと散歩でもしようか。勿論、それも持ってきていい」
カメラの入った鞄を差して、俺にそう告げた。
「夜は撮るななんて言われてるかもしんないけど、無視していいよ。『あっち』はあの人らの専門外…むしろ、あんたに撮って欲しいものがあるから」
…撮って欲しいもの?『あっち』って、何の事だ?
「行けば、分かる」
その怪しい微笑は、手元にカメラを持っていたら思わずシャッターを切っていただろう。
____魔窟の夜に現れる少女の姿は、"在りし日 "が過ぎ去ってもずっと、俺の脳裏に焼き付く事になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます