【始の章】撮影 


 香港が中国への返還が決まり、無法地帯にある要塞は、1990年に入る頃には住民の立ち退きが決まっている。


 俺はその前に、内部の写真を撮ってくるようにほっぽり出された、修行中のカメラマンってやつだ。


 もうすぐこの要塞は跡形もなく片づけられる予定だってのに、ここの住民には活気がある。

三畳に四人暮らしてるって言われる程の狭さなのに、何故か、幸せそうだ。


誰も立ち退きなんて現実のものとして考えてないんだろうな。




 俺が覗き込むお下がりのカメラの先では、コンクリートの床と白線。手作り感満載のバスケットゴールを使い、学生の男達がボールを取り合っていた。


「いいぞ!これでクリームパン、俺らのモノ!」


「おーい!!ちゃんとマークしろよ!!」


「これ以上行かせるか!!」



 タンタンッと曇り空の下でボールが弾み、俺の隣にいるルイが買ってきたクリームパンを巡ってわいわいと楽しげにバスケをする奴らをレンズの中に収め、シャッターを切る。


 別にスクープになりそうなネタを撮ってこいなんて言われてないし、むしろ生活感のあるものを撮れと言われているからぴったりの題材だ。

  道で野菜を並べて座ってるただの大人を撮るより、真っ盛りのガキを撮る方が面白い。ルイのチョイスに間違いはなかったな。



「どう?夏休みでも結構学校を遊び場にしてるのが多いでしょ?」



 隣人であるルイが通っている学校『九龍城砦東西 鳥籠学園』



 東西の地区の学校で不法建築で積建てられたタワービルに囲われるようにして建てられた小中高一貫の大きな学校。

 暗いながらも上には解放された空と光がなかなかに大きな校舎とコンクリートの校庭を照らしていた。


 夏休みでも広く作られた校庭、校舎にちらほらと生徒の姿が見えたのは驚きだった。

 普通学校なんて夏休みの間見たくもないはず。


 夏期講習やらで補欠生が登校しているらしいが、単に暇で学校に集まっている生徒もいる。それが目の前でバスケをやっている、ルイの同級と後輩がそうだ。



「いよっしゃぁぁぁ!!入ったぁぁぁぁ!!」


勢いよくゴールにシュートが入り、ジャストのタイミングで、シャッターを切る。


「ルイ!!クリームパン!!」


「はいはい。おいで、サイファ」


 ルイの真面目そうな容姿とは違って金髪のチャラチャラした格好の奴がガッツポーズをし、目を輝かせて自分のチームと集まってきては、差し出されたビニール袋のクリームパンを取り上げて頬張った。



「うめぇ!!めっちゃうめぇ!!クリームパンめっちゃうめぇ!!最高だわルイのクリームパン!!」


「ハハッ。作ったの僕じゃないんだけど」



どんだけクリームパン食べたかったんだこいつは。


 この金髪はサイファと言って、ルイの同級生の友達。見た目からしてチャラチャラしててアホそうなのに、色々とジャンルの違うルイとはどういう友達なのか聞いてみたくなったが、どうやらハーフらしい。金髪でちょっと南米系の顔をしているのは。




「ちょっとこのおっさん、なんか今失礼なこと考えたっしょ?」


おっさんじゃねぇーよ。まだ三十だっつうの。


「十分おっさんじゃ~ん!!俺ら、まだ十六なんで!」


「サイファって十六だったの?二十くらいかと思ってた」


 ふいに真顔でクリームパンを食べるサイファを見ながらルイが言った言葉に、奴はえぇ!?と驚いた声をあげて反応した。


「同級生なのに俺のこと年上だと思ってたの!?真面目に!?」


「うん。留年してるのかなってずっと思ってた」


「酷くねっ!?俺今まで留年してるって思われてたのかよ!?」



 この反応に、「まぁお前アホだしな」「なんで一緒に学年上がれたのか不思議って思ってたけどようやく上がれたってのが正解か」という声が周りから上がってくる。


いじられ役だな。



 香港のスラム街の学校って事で中国人が多いのかと思えばそうじゃないのが意外だ。このいじられキャラのようなハーフ、純粋な外国人の子供まで混ざっていてインターナショナルスクールに近い。


お前ら、夏休みだってのによく学校に集まってるな。


「?なんかおかしいか?ここ狭いから遊ぶ場所ないだけだし、だいたいここ来れば誰かしらいるから駄弁ったり遊んだりしてるってだけ。勉強なんかしねーよ」


俺の言葉に、サイファが顔をしかめて答えてきた。周りの奴等の反応も、だいたいそんな感じらしい。



「ヤスはダチと遊んだりしなかったのか?」


 遊んだけど、夏休みに学校集まって遊ぶってより他のとこで集まって遊んだりしてた。ダチの家とか。


「ふーん。外じゃそーだろうな。ここさ、ガキの居場所って言ったらここくらいしかねーから。初等部の子供なんてここ以外で遊んだりしたらすぐ行方不明になるし。学校に居ればとりあえず安全ってとこあるから。スクールカーストもいるし」



 クリームパンを口にしながら何気なく混ぜられたスクールカーストという単語に、胸ポケットから出そうとしたタバコに手をかけて止まった。


 あんな女装男の率いてる得体の知れない組織の事は無闇に口に出さないように注意していたが、あっさりと口にしたサイファの言葉に何の反応も出来なかった。



 「どうした?ヤス」


 そのスクールカーストってのを、よく知らねぇんだ。

タバコを咥えながら言うと、ルイが「学生主体の自警団だよ」と、ユーハンと同じことを言った。


「ここは悪い人達の隠れ家がいっぱいあるから。法なんて整備されてないし、やりたい放題で危なかったんだ。それで、学生が主体になってスクールカーストが出来たんだよ」



 大人はあてにならないからねー結局。


っていう言葉はその通りだな。秩序を乱してるのは、子供じゃなくいい大人だ。



「彼らのやってる劇団もあるんだ。この辺じゃ有名なんだよ」


劇団?


「数少ない万人向けの娯楽って言えるかな。舞台演目が主だけど、時々自主制作映画とかも作ってるし、お祭りも企画して全力でやるの。とても楽しいよ」


へぇ。聞くだけなら、ただの部活動みたいだな。


「そうだね。さっき校門前にもいたの見た?」


え?いたか?


「ほら、校門に立って腕章つけてた子達いたでしょ?スクールカーストの……中等部の子かな、あぁして学校の門番してるんだ」



…そういや来るときいたな。

腕章を着けてた四人のガキが。俺が入るときかなり睨まれたが、ルイも一緒だったからなのか何も言われなかった。


あれ自警団のメンバーだったのか。あんな感じで普通にいるとは。つか、そういうのは教師がやる仕事じゃねぇの?


「普通にいるよ。学生が集まって出来たからね。学校は自分達で守るって人が多くて、教師を差し置いて動いてるって感じ」


「別に悪い奴らじゃないよな!下っぱは荒っぽい奴もいるけど、俺たちが安全にしてられるように目効かせといてくれるし」



 サイファと周りの奴等の反応も、スクールカーストに対して特に悪い印象を持っているわけでは無さそうなところを見ると、流石自警団というだけは、あるか。


……だが、女王ニュイワンってのがラオの親戚だかで町内会に関わってる。睨まれたら厄介だからあんま近づくなって、ユーハンに言われた。マフィアの飼ってる小飼のギャングとも言えるかもしれん。



 普通に話してるけど、俺の前でそんな奴等の事を話しても構わないのか?


サイファにそう聞くと、何で?と言いたげな顔で最後のクリームパンを頬張った。それを見ていた他の学生の一人が汗を吹きながらサイファに言った。



「スクールカーストってのは町内会と繋がってる学生のギャングみたいなもんじゃないかって言ってんじゃん?」


「……?ギャング?あいつらが?なんで?」


惚けてるサイファに、仲間の一人が呆れた顔して口を挟む。


「理解力ねーな!サイファ、ぶっちゃけ言うと、外の人間に話しても良いことなのかって事だよ!!」


「あーあーあー!そう言う事か!!……………………………………………………駄目なのか?」



ルイも含め全員がポカーンとした顔でサイファを見つめる。


「…別にヤスにとって危険な話題でもないし、僕らにとっても悪いことじゃないから、安心して」


サイファの存在から目を離したルイが俺に言った。


「今のとこカメラは向けないようにした方が良いけどね。最近物騒だから」


「あ、取り壊しの話だっけ?」


「あれやっぱマジなのか?」


「ここなくなったら、皆、どうなっちまうんだろうな…」


 ルイの「物騒だから」という言葉に反応して、周りの奴等も不安げな声を漏らした。サイファも何か言っているが、全員がその声を無視しているため、俺も無視する。


ここなくなるのがそんなに嫌なのか?

カメラの調子を確認しながら聞くと、次々に声が上がった。



「嫌に決まってんじゃん!!俺ここで生まれたんだぜ?潰されたら故郷がなくなっちまうじゃんか!!」


「今まで"ミン "が怖くて何も干渉して来なかったくせに。向こうの手から離れた途端、"シン "が口煩く"モグ "まで潜らして来やがって…!!」



 モグやらシンやらという言葉同様、隠語の意味で呼んだ独自の言葉が混じる。話からして、ミンはイギリス。シンは中国の事だろう。



「北南の方は大変だろうな」


「だね。いきなりショベルカーを持ってくることはまずないと思うよ。撤去は発表してもまだ話がまとまったわけじゃないし」


「大人って勝手だよなー」


こいつらは一貫して反対のようだか、俺にはそんなに心地が良いような場所とは思えない。

 

 まだよく内部を見たわけじゃないが、公的な制度も設備も十分じゃなく、場所によっては下水処理が不十分できつい臭いも充満することがある上に、何より学校以外の場所じゃ危険という程犯罪も横行している。


どう考えても、外の世界に行った方が不自由は少ないとは思うが、ここはスラム。


 外で普通に生きていけなかった人間が集まって住んでいる場所だと言うことを思い出す。


 ただ、子供に関してはまた別だ。教育次第ではいくらだってまだやり直すチャンスはある。外の世界に出たいと思うやつもいるはずだ、目の前にいる奴等はそうじゃなさそうだが。


中でもルイが一番不思議だった。聞けば、外に家族がいてわざわざこっちで一人暮らししてここの学校に通っているという。


 ダミアンにはあまり触れてやらないようにと言われているから深く事情を聞くつもりはないが、高校生が一人でこのスラムの学校に通うなんてあるか?

 タバコを咥えながらカメラのフィルムを確認していた時、横からルイに声をかけられ眼鏡の奥の灰色の瞳と目があった。



先生ラウシから聞いた?」


ダミアンを指して呼ぶルイに、頭の中を読まれていたようにそう声をかけられた。


何が?


「僕が外の家族から離れてここの学校に通ってるって」



……聞いたけど。なんだ、聞こえてたのか?


「んーん。でも先生は心配性だから、僕にヤスの案内を頼んだのも、時々僕を活発にさせようって話だからとも思って」



 ダミアンとルイの関係やダミアンの気にかけている理由は昨日の飲みの席で色々と話を聞いた。

 だがそれをあえて言うつもりもない。

だがルイは黙っている俺に笑いかけ、その事について自ら口を開く。


「僕、元々はここの孤児院出身なんだよ。今の家族は僕の里親さ」


「今はもうないけど、この東西の老人街って所の中に、孤児院があってね。8歳までそこにいたんだ。そこから今の里親に引き取られて、外に移り住んでた時期があったんだけど、一緒に育ってきた友達が心残りだったのもあって外に馴染めなくてさ」



 中学二年の時に無理を言ってこっちに戻ってきたんだと。ルイは黙って聞いている俺に語る。


ルイが孤児であった話や里親に引き取られて外で生活していたことはダミアンからも飲みの席で聞いた。


十四才でここに一人で戻ってくることに、色々といざこざもあったらしく、ダミアンはルイを心配していた。



「先生は若く見えるけど、僕が孤児院にいた頃からいたんだ。よく僕らの所に来てお菓子をくれたり遊んでもらったりしたよ」



この通り。随分長い付き合いであることの方が、俺にとっては驚きだったけど。



「心配しすぎだと思わない?親の顔知らないけど、ルーツはここなんだよ?」


 ルーツはルーツでも、普通の感覚ならスラム暮らしに戻りたいって奴は少ないと思うけど?一人で住むって、よく許してもらえたな?



「許して貰えるまで粘っただけ」


俺なら絶対いくら粘ろうと許す気はない。


「逆に、ヤスはそんな危ないことをしない良い子だったの?」


俺のことは良いだろ別に。それは話す気にならない。


 んなことより、校舎の中とかって撮れないのか?ボール遊びの光景ももう飽きたんだが。

話を切り替えるためにそう提案して校舎の方を向くと、ルイは「んー…」と唸りながら答えた。



「良いけど、向こうがOKするまでカメラ向けちゃダメだよ?」


分かってるって。


「何?今度は学校の中、撮りに行くのか?」


クリームパンを食べ終え話に入ってきたサイファが興味ありの目をしながら寄ってくる。


お前もう撮ったから良いぞ、バスケやってろ。


「ちょっ酷くない!?なんだそのそっけない態度!?撮るだけ撮って用なしかよ!?」


「ありがとうサイファ。もう皆と一緒に好きなだけボールを追い掛けられるね良かったね」


「ルイ?何でお前までそんな!?友達だろ!?俺も撮ってるとこ見たい!!案内したい!!」


「ごめん。君いると撮影の邪魔になっちゃう気がするから皆と遊んでようね」


「ルイ君!?その一見優しい言葉は、暴言と取っていいか!?」


こいつ優しそうな顔して大概酷いこと言うな。




「ウソウソ。邪魔じゃないよ、サイファ」


「ほ、ほんとかよ!?お前のそういうの、なんか冗談って感じしねーんだけど!?」


「冗談だって。でもあんまり大勢で行くと、補習来てる人達の迷惑になっちゃうし」



「…ん?補習といや、お前の彼女来てたぞ?会わなくていーの?」



サイファがふと切り出したその言葉に、ルイはあぁーと今言われて思い出したように反応する。



…彼女?ん?お前、彼女いるのか?


「いるよ?いなそうだと思った?」


「いなそうだと思うじゃん??めっちゃ可愛い彼女いるから。見たら絶対悔しくて憤死するぞ!!」


別にしねーよ。


「憤死しかけたのサイファだろ」


「ぶっちゃけ狙ってたじゃん?夏蓮カレンちゃん」


「しゃーっ!!うっうるせっ!!!!昔の話だ昔の!!」


周りが面白がってどやす声に慌てた様子でやめろよ!!とサイファが吠える。図星か。


「折角だし、紹介して来たらどうっすか?」


「うーん、そうだね。でも補習中だとどうだろうな。苦手な勉強をしてる最中に僕が行くといつも怒るんだ」


何でそれだけで怒るんだよ?


 後輩が薦めた声に困ったような反応で首を傾げたルイに聞くと、さぁねぇと理由が分からなそうに答えたが、端から聞いていたサイファが代わりに答えた。



「気づいてないだろーけど、人が何かやってるときに茶々入れんのがお前の欠点だよ」


「茶々?僕がいつ?」


「宿題解いてる時に覗いてきて、ここが間違ってるとか、そんな解き方して疲れないのかとか、もっと効率のいいやり方があるよとか」


「それの何が悪いの?」


「せめて作業が全部終わってから言えよ。まだ途中だって時にごちゃごちゃ言われんの、人は嫌うぞ」


 急にまともな事を言ったがどうした。

まぁ…なるほどな。俺も勉強は得意じゃねぇし、嫌いなものを嫌々やってるときにゴタゴタ言われたら確かに腹立つな。



「えー?僕は別に嫌みとかで言ってるわけじゃないんだよ?あっ間違ってるなーって思ったから間違ってるよって言ってるだけであって…」


「大体よ。人のノート勝手に見るの止めろよな!皆お前みたいに頭良いわけじゃねーし!!だから夏蓮カレンにも怒られるんだろ!!」



「んーそうなのか。だって勉強ならいつでも見てあげるよって言ってるのに聞いてこないんだよ?言いずらいのかなって思って」


だから、そういう所があるから聞いてこないんじゃないのか。



「そうかぁ、気を付けるよ。そだねー…じゃあ、適当に教室とか回って、補習が落ち着きそうな時間になったら夏蓮のとこ行こうか」


 気を付けるよと言っておいて気を付ける気がなさそうなのは気のせいか?

飄々としたルイがそろそろ行こうかと俺に促し、サイファ達と別れようとした時だ。



「貴様ら。誰に断って余所者を校内に入れている?」


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