宵闇
夜も眠らない。
むしろ、夜の方が賑わう。
外の光も光景も一切が遮断された町、東洋の魔窟と呼ばれる閉鎖されたスラム街。
ユーハンとダミアンと共に、近くの飲み屋で引っ越しの祝杯を挙げた帰り。玄関市場の真上に引かれた連絡通路を歩く。
間近に見える住居の楝から、誰が弾いているのか弦楽器の中国を思わせる緩やかな音楽と市場の喧騒、そして所狭しと重ねられた漢字の看板が目に入る。
深夜のはずなのに時間という概念が全くないこの砦の中の世界観に、俺は既に呑まれていた。
__キィンッ_
タバコを吹かして帰る足を進める俺の足に何か小さなものが当たる。
連絡通路に落ちた透明なガラス玉。
俺が蹴った事でコロコロとコンクリートの上を転がる。そして、パラパラと落ちていた他の色のガラス玉へと当たる。
ネオンの看板の光が反射して瞬き、ビリヤードの玉のようにバラバラの方向へ転がって、一部はポロッと錆び付いた鉄棒の隙間の間からこぼれ落ちていく。
赤、黄色、青、橙色。
下の人波の中へ落ちて消えた。だが誰もそれを気にもしない。スルッとこの波の中へ溶け込むように静かに、落ちたからだ。
気づいていないだろう。あの淡い光の粒が、自分達の中へ落ちたことを。
誰も、気づきはしない。気づいても、誰も気にもしない。
囁かに落ちて、ただのガラス玉が地面の中へ消えることなど、誰も知らない。
残るのは破片。何の破片かも分からない、ガラス。
それが綺麗な球体であったことなど、誰も知ろうとはしない。
…人の人生っていうのも、所詮はそんなものだ。
どんな形の人生を送った所で、他からすれば知ったこっちゃない話だ。
どんな親に育てられて、どんな学校へ行って、何をして、卒業して、就職して、生活をして、歳を取って、死んで。
その途中でその人生が本になる人もいれば、後世に語られる人間もいる。そうなれるのはほんの一握りだ。
世界が一億人の集まりだとしたら、たった十人とか、その規模。途中で忘れ去られるなんて事も珍しくない。だからほとんどの人間は、どう生きても関心を持たれず忘れられていく運命だ。
俺もその一人。いつか、この世にいたことすら忘れられる。
今落ちていったガラス玉のように、落ちていく時間があっという間で、地面に落ちて粉々になるのもあっという間。
そこで何か落ちてきた?と上を見たりして存在に気づく奴がいても、数秒後には何かが落ちてきたなんて事は、ただの小さな出来事に過ぎなくなる。
そう出来てる。俺達人間一人一人の運命。
いつかは絶対そうなるんだ。そんなもの、怖がっていたってしょうがない。
それを悟っていつ死んだって構わないと覚悟を決めたのは、まだ小学生のガキの頃だった。
その時は深く考えてもいなかった事だが、思えば毎日毎日、自慢にもならない危ない事をしてきた。
いつか忘れられんなら、いつ死んだって構わない。
だから俺は綱渡りのような毎日を望んで送ったのかもしれない。
今だってそうだ。
えたいの知れない外国のスラムの中に住んでまで写真を撮る。別に好きでやってるわけでもないのに、馬鹿げている。
俺は一体、何をやってるんだか。
__「あーぁ。………落ちた」
タバコの煙の向こう。俺一人しかいなかったはずだ。いることにすら、気づかないほど、酒を飲み過ぎたか。
転がっていったガラス玉の赤い光が、鉄棒の外に投げ出した白く長い足の太股の前に止まっていた。
ブラブラと行き交う人波の頭の上に投げ出した足を揺らす、ブルゾンジャケットを着た赤茶色のボブカットの後頭部。首にはチョーカーの黒い紐が見えた。
ゆっくりと、俯いていた顔をこちらに向ける。
中国人ではない。日系とどっかの国と混ざった色気を漂わせる白い少女の顔。
見たことがあるようなないような、懐かしく感じる面影と、十代の子供にしては何処か色のある香しさを、アーモンド型の茶色の瞳の中に宿していた。
_「…見つけた」
俺を見て、確かにそう呟いた。
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【被監視※
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