隣人

「やぁ、戻ったね。その顔を見ると、雰囲気に飲まれたって感じかな?」


 あぁ、もうそんな感じだ。

俺の家がある団地に帰って早々、家で待ってたダミアンは、リビングの椅子に座ったまま、玄関から入ってくる俺達を労った。


「出だし悪くなかったと思いますぜ。会長は、ヤスを気になっているみたいで」


「そうか…結構個性的な方だが、マナーを守っていれば大丈夫だからね。あまり心配になる必要はないよ」


 ダミアンに肩を気遣うように叩かれた。

 やっぱこの人はなんでこんなスラムにいるのか分からんくらい動作に気品がある。女っぽさもあるが、いやらしくない。

 本当にイギリスでお貴族様の身分だったりとかしないのか?


「それから、紹介するよ。君の隣人だ。ルイ、挨拶しなさい」


 ダミアンが連れてきたと思われる高校生くらいの眼鏡をかけた青年が、ダミアンの向かい側に座ってた。


 青い落ち着いた柄の中華って柄の上着と、中に見える白シャツ。髪を右側中心に分けて、片目が隠れている。野暮ったい髪型だな。

 だがどっか知的で、落ち着いた雰囲気を持った普通の青年という感じだ。

 愛想よくニッコリ笑い、親しみやすさがある。



「はじめまして!僕は、習晃累シーコウルイ。ルイって呼んでください」



 イスから立ち上がり、手を後ろに組んで一礼をしてきたルイに、自分も名前を名乗って軽く会釈を返す。




「高崎…康光?へぇ、だから、ヤスですか。面白いね先生ラウシ


面白いか?


「おいおい凄むなよヤス、高校生の坊主相手に」


別に凄んでねーよ。


「彼はうちの学校の生徒でね、勤勉で優秀な生徒だ。この辺りのこともよく知ってるし、案内してもらうといいよ」



 へぇ。お前頭いいのか。


俺がルイって奴の方に顔を向けて聞くと、照れたように笑って答えた。


「大したことないよ。先生達の教えが良いから。だって、外の有名な大学とかから来てくれる人ばっかだし」


そうなのか?こんなとこにそんなコネがあるとは思えねぇんだが。


「その辺りは、会長さんのコネクションだろうね。あぁ見えて教育熱心だから。ちなみに私も、イギリスから派遣されたんだ。教育免許取り立ての時にね」


スラムなのにそういうとこには金かけてるってのか。まぁ、やりそうだな、この辺の奴らは、教育には厳しいって言うし。


「思ってたよりたくましそうな人だね。カメラマンってことは、この辺の写真集か何か作るの?」


 まぁ、多分な。そんなとこ。


 ルイが興味深そうに聞いてきたが、最終的に、出来が良ければ雑誌か何かにするんだろうが、修行として寄越されたに過ぎない。

 だから断言も出来なかった。するとしても、マニア向けだろうな、こんなとこじゃ。



「ようコウ。昼間暇なんだって?彼女いねぇの?」


後ろでプラプラしてたユーハンがルイを見て手を振り、親しそうに挨拶する。


「やぁ。もう全部課題終わらせちゃったし、夏蓮カレンは夏期講習とか少林寺拳法とかの習い事で忙しいからさぁ」


「なぁんだほっぽかれてるって訳か。かわいそっ!」


かなり親しげに会話をしているところから見ると、普段から顔見知りであるように思える。模範学生に絡むおじさんと言うところか、図としては。



「そんなわけで、ルイは昼間は完全に暇らしい。補習もないようだしね。一日中部屋にばかり籠ってちゃ良くないから、遠慮なく連れ出してくれ」


「うん。全然いいよ!いつでも言ってくれれば付き合うよ、ヤス」



あぁ。それはいいんだけど、隣に一人で住んでるのか?


 てっきりもう少し大人が出てくるものだと思っていた。

 ユーハンと談笑しているルイを見ながら聞くと、ダミアンは声を潜め、ゆっくりと俺に耳打ちして答えた。



「複雑な事情でね。こっちには一人で住んでる子なんだよ。時々私も様子を見に来ているんだが毎日行けないのがまた、ね」


…成程。よく事情は分からないが、この歳になると自分の経験上としても分かる。


「だから構ってもらえると嬉しいよ。彼は頭はいい。悪いようにしないさ」


「先生?」



 ヒソヒソと話していた俺達に気づいて話し掛けてきたルイに、何でもないよとダミアンが笑顔で答えて、俺の肩に手をのせた。



…まぁ。

こんなとこに未成年が一人で住んでるなんて複雑な事情がありそうだしな。そりゃどのみちしばらくは付き合って貰うだろうし、いいんだけどさ。


お前、今いくつだ?


「16の高等部二年生。ヤスは僕よりも結構歳上?」


今33才だよ。


「へぇ、先生より年下なんだ」


「コラ。ルイ…」


 え?先生って、ダミアンの事か?

 見た目俺よりも年下か、同じ年くらいに見えていたから思わず聞いてしまったが、ダミアンは何処か言いたくなさそうに肩をすくめ、困ったように口を開いた。



「僕は…えっと…38…」


「嘘。この間で39才になったじゃないですかぁ」


「マジっすか!?ひぇー、もっと若いかと思ってたぜ!!黒魔術でも使ってるのかダミアン先生!?」


「そんなわけないじゃないか」



マジか。ユーハンが結構バカな事を言ったが、そう思っても不思議じゃないほど童顔という訳でもないのに、俺よりも若々しい。



「ルイ、あんまり歳の事は言わないでくれないか。結構恥ずかしいんだから…」


「若く見られているのは良いことだと思いますけど」


「別にそういう事じゃないんだけどね…」


 女なら分かるが、男が歳の事を言われて恥ずかしがっているのは珍しい。学校で言われ過ぎて飽き飽きしているんだろうか。



「こっちの方にも、若い女の人とか子供の生き血を吸って若さを得る妖怪がいるんだけど、それっぽいよね!」


「!?どういう意味だい!先生を妖怪扱いするんじゃありません!!」


「コウ、たまに何でもないって顔してスゲー毒吐くよな」


「子供の頃、よく夜になって夜更かしした時とか、その妖怪が来るって脅されてたの思い出して。実際、夜遊んでたらよく先生と出くわすからそうなんじゃないかって、サイファ達が噂してたからさー」


「もう既に妖怪化されてるとは知らなかったよ!!」


 あははとルイは笑ってるが、ダミアンはショックを受けてる。やっぱしもう学校で既に言われてたか。



「まーダミアン先生ってば、もうちょい髪伸ばしたら白人の美人に見えるもんなぁ~俺ぁ分かるぜ!先生は絶対美人になる!!」


「あれ?ユーハンってそっちも行けるの??」


「んなわけねーだろ!!先生が女だったら行ってたわ!!」


 行ってたのかよ。

止めとけよもう、ダミアンがいたたまれない顔してるぞ。

…あ、そういやさ、ここの鍵って取り替えるのにどんくらい時間かかる?


 話を切り替えてユーハンの方を向くと、かなり怪しい反応が返ってきた。



「鍵?あーそうだったそうだった。今鍵屋って連絡つくかなぁ~」


……………いやいやつくかなぁ~じゃ困る。鍵が壊れてる部屋でどうやって安心して寝ろってんだよ!!


「わ、悪かったって!!でも今日俺の知ってる鍵屋、定休日なんだよ…」


はぁ!?なんじゃそりゃ!!そりゃないぞユーハン!!第一そんなの入居決まったら事前に変えとけよ!!



「え?鍵、壊れてるんですか?」


不動産屋なのに、なんとも大事な所がおざなりなユーハンに俺が怒ると、ルイがドアの方を向きながら会話に入ってきた。



「それなら僕直そうか?部屋に工具あるし」


え?お前直せるのか?学生のお前が?


「ここの鍵、業者に頼んでもすぐ壊れるから。技術得意な友達に教えてもらったんだよ」


「なぁんだぁ~それなら早く言えよコウ!」


 早く言えよじゃねぇよ。ここお前が管理してるんだよな?業者に頼んでもダメってどんな鍵屋に依頼吹っ掛けてんだよ。

セキュリティーが全然セキュリティーになってねぇじゃねぇか。



「だって俺は別に鍵屋じゃねーからわかんねぇもん!!ちょっ胸ぐら掴むなって!!コウ!!コウルイちゃん助けて!!」



高校生に助けを求めるな!!



「まぁまぁ!すぐ出来るから、喧嘩しないで!」


 ニコッと愛想のいい笑顔で仲裁に入ってくるルイに任せてもいいのか正直迷ったが、教師のダミアンが「やってもらったらいいよ」と背中を押してきた事で、遠慮なく甘えることにする。


…本当は外からちゃんとした鍵屋連れてきてやってもらいたいが、一日でもこんなとこに鍵なしでいるのもやだし、とりあえず鍵がつけばいい。



扉がちゃんと閉まる鍵が。



 それからすぐ、一度部屋から出て工具を持ってきたルイがカチャカチャと玄関で作業を始める。

 終わるまで荷物を開けながら、ラオに面会した時の事をダミアンに話した。



「一度持って来いって言ってるんだね。Mr.シェンは手厳しい」



 一体何を撮ったらアウトとか具体的に言わなかったからさ、どんくらい戻ってくるのか分からないけど。



「そうだねぇ…。取り壊しの話も出てるから、クーロン内部の事は、あまり公に外に持っていかれたくないだろうし」


「じゃあ、何でヤスの滞在を許したんですかねぇ?他の取材とか全部断ってるのに」


「さぁ…。私だって、何でここにいるのか分からないくらいさ。イギリスが香港を手放してすぐにここの取り壊しの話が出てきたし、私はどう疎まれるかなと思ってたけど。Mr.ラオは何も言ってこないから」



自分の国に帰ろうと思わないのか?



「帰ろうと思えばいつだって帰れるよ。…でも、ここには教え子が沢山いるし、彼らが心配でね。勿論、ルイの事もだよ」


「そんな心配しなくたって、僕には帰れる家がありますから平気ですよ~」


 ダミアンに向かって玄関から作業をするルイの声に、「あんな気楽な調子でいるから余計になんだよ」と小さく目くばせしながら俺達に言った。



「それに、全然学校に来ない子が一人いてね。たまにでも来る子は来るんだが、その子は学校嫌いで」


不登校ってやつか、中国にもいるんだな。


「定期的に様子を見に行っては催促してるんだけど、全然で」


「教師も大変だなぁ~。俺は教師なんて絶対やりたくない」


やりたくない云々の前に、お前は絶対無理だ。ちゃらんぽらんが過ぎる。



「ユーハンに教師は確かに務まらないと思う~」


「コウ!!お前までヤジ飛ばすのかよ!!いいから早く鍵直せ!!」


年下にまで言われてるとは、どんだけズボラかこいつは。



「そういえば、彼って今かなり機嫌悪くなかったかい?きついこととか、言われなかった?」


シェン?まぁきついことって言うかきつい感じではあったが、なんで?


ダミアンに答えると、横からユーハンが「あぁ、あいつね!」と話に割り込んで、ニヤニヤと面白がっている調子で代わりに答えた。



「あいつ、奥さんと子供に逃げられて超不機嫌なの」



は?逃げられた?



「そうそう逃げられたんだよ!しかもその奥さんってのがさ、ちょっと訳ありな外国人で違法入国してたわけ。

女は、国籍を手に入れるために中国人の男と結婚することが多い。ここじゃそういう女の凱旋やってる店あって、そこでカンは奥さん買ってきたってわけ」



…ほう。そんな話は確かに聞いたことがある。

大抵は嫁不足が問題の農村に売られるか、売春婦として売られると聞くが、ここもそういう話があるのか。


政府の目の届かない場所だし、そういう境遇の人が集まってくる可能性も考えられるといえば、考えられる。



「元々あいつ素行が悪いし、嫁も会長に言われて買ったって話聞いたから心配はしてたんだよなぁ皆と。

でも娘も出来てたみたいだし、円満にやってんのかなぁって思ってたんだけどさ。…どうやらやっぱし、暴力振るってたみたいで。奥さん顔に酷い痣つけながら娘と歩いてたーって!」


幸い、娘は大事にしてたみたいで綺麗なもんだったらしいけど。とユーハンが言った後に、眉をひそめたダミアンがユーハンをたしなめる。



「ユーハン、あまりそういう事は言うものじゃないかと思いますよ」


「けどよぉ、奥さんがいなくなった時のあいつ結構な騒ぎっぷりだったんすよ?隠してあった銃も引き出しからなくなってたみたいで、激昂して住宅街で銃乱射するわ、スクールカーストの連中まで巻き込んでの大追跡。結局、見つかんなかったらしいですけどね」



………スクールカースト?なんだそれ?



「ラオの子飼いのガキどもで、この辺じゃ有名な自警団だよ。あ、さっき廊下ですれ違った奴らいただろ?女装して歩いてたのが、自警団引っ張ってる奴さ」



は?あの女装してたのが??


スクールカーストの名前の由来は、学生達が集まって出来てるもんで、組織内の序列があるとこから来てるらしい。


 にしても、あの女装して歩いてたのが、自警団??………笑える。つか何で女装してんだ?


「知らねーよ、女の格好が好きなんだろ。俺達は皆『女王ニュイワン』って呼んでる。ラオの養子で、町内会の運営にも関わってる奴だから、気を付けた方がいいぜ。うちの不動産にも、毎回金の無心に来やがる」


「ショバ代滞納してるからじゃないの~??」


「うるせっ!!こっちだって家賃払わねぇのがいるから困ってんだよ!!」



 遠くから口を出したルイに、「さっさと手ぇ動かせ!!」なんていつの間にか大口叩いてるが、それが払うもんなら払わない奴が悪い。

つか、あれがラオの養子か。


 可愛がってた感じに見えたのも分かったが、明らかに男なのに女装してる事と女王ニュイワンって呼ばれてることが気になってしょうがない。………ラオにやらされてるとか?趣味わり。



「まぁとにかくよ、そんなことがここ数日前にあってな。俺もあいつが顔出してきた時、どうなるかと思ったわ~」



  なるほど。あいつそれでかなりピリピリしてたのか。道理で。つか、住宅街で銃乱射とかあぶねぇな。奥さん殺す気だっただろ。



「だろ?俺の事務所の戸とPCまでぶっ壊されてさぁ。弁償もしてこねぇし、迷惑なもんだよ」


「…しかし、スクールカーストの包囲網からよく逃げ切ったものだね」


「気づいてから結構時間経ってたらしいっすよ」


「私としては、よく逃げ切ってくれたと思うけれどね。街中で銃を乱射する男の元に戻ったと聞くのも、後味が悪い…」


 声を潜めてひっそりと呟いたダミアンに小さく頷く。同意だ。戻ったらろくな事にならなそうだ。

 いつ子供に手を出すかも分かったものじゃない。しかもそいつに毎日写真を見せに通うのもかなり憂鬱だ。

 あの町内会の人間には最低限、なるべく関わりを持ちたくない。



「まぁでも西城路は大丈夫。この辺は外の人間も来るし、滅多にそんな騒ぎは起きな……………」



「「降りてこいってイッテンダロウガーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」


「「嫌ダァァァァァーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」」



!!!?



 部屋の中にまで響いてきた二人の男女の大声に、俺達全員が外の方を振り返った。



「…ごめん、やっぱそうでもねーわ」


乱入してきた大声に三人立ち上がって玄関の外へ向かう。

既に作業を止めて広場を見下ろしているルイの隣に行って視線の先を見た。



……あぁ。なんか知らんが。

建物と建物の間に下がった洗濯ロープの上に、茶髪の新宿にいそうなホストの兄ちゃんが情けない姿でしがみついてる。


それを下の広場からカーラーを髪に巻いた赤いネグリジェ姿のおデブなねーちゃんが煙草ふかして仁王立ちしてる。




……なんだこれ?




「あー。またやってら」


またってなんだあれは?


「喧嘩だよ。水商売カップルの」


 呆れたようにユーハンがぎゃあぎゃあと集合住宅のど真ん中、他の住人まで部屋から出てきて観察し始めるほどの大喧嘩を見て答える。



「お前な!!毎回毎回そこに逃げてくけど他に逃げ場はねぇーのかよ!?リスかお前!!」


「魔神ブウから逃げるためにはここしかねぇーんだよ!!」


「誰が魔神ブウだ!!その魔神ブウナンパしたのは何処のどいつだ!!」


「最初は18号だと思ってたんだ!!けど18号に化けてた魔神ブウだったんだ!!俺は騙されたんだー!!!!!」


 ホストかと思われる男がいつ落ちるのかも分からない綱の上で空しい叫び声をあげる。隣のダミアンは苦笑いで男を見ていた。


「きっかり週三回やってるから、もう名物になってるんだよここの」


この光景を見て笑いながらルイは再び鍵の修理に戻って唖然とする俺に言った。


週三回もやってんのかこんなの。



「なのに不思議と別れないんだよねー。意外とあんな風に喧嘩できるカップルが長続きするっていうかさ」


「この間拳銃持って彼氏追っかけ回してたぞ彼女の方」


鍵の他に扉も防弾にするべきかこれは。


「そんなことよりさコウ、なんか酒とかつまみある?腹へった」


「お酒はないけど、麦茶と干しイカなら部屋にあるよ。勝手に取ってって」



 ユーハンは図々しく隣の部屋の扉を開けて、広場で怒鳴りあってるカップルを気にする素振りを見せるダミアンと一緒に入っていった。


 ルイと残された俺はぎゃあぎゃあと聞こえてくる声を音楽がわりに聞き流しながら、作業をしているルイの手元を眺める。


「写真ってどんなものを撮るの?」


写真?あー…まぁ適当に、住人が生活してる所とか建物の中とか、そんなんかな。


「そっか。じゃあこの辺の住宅街や商店街辺りを案内したらいいかな?」


その辺は任せるよ。俺はよそ者だし、いきなり踏み込んだ所に足を突っ込むのもマナー違反ってやつだろ?


「意外にそういう所しっかりしてるんだね。もっと無鉄砲だと思ってた」


手元を動かしながらルイは俺と今後の撮影予定について話をしていく。


本当にいいのか?学生でも部活とかで忙しいんじゃないのか?夏期講習もあるんだろ?



「僕は特に部活は入ってないし、夏期講習も単位足りてるから必要ない。全然暇だから、いつでもどうぞ。夜はバイトに行くから、その時間帯は無理だけど」


夜?そんな時間にバイトに行ってるのか?


「うん。先生には内緒だよ?外の親の仕送りで、生活してるって事にしてるから」


フフッと笑いながら口に人さし指を置いてシッーとする仕草を向けてくる。


危なくないのか?ガキが一人で出歩けるような場所じゃないだろ?


「そりゃね、ヤスが来る三日前にもここの近くで゛モグ ゛が見つかって町内会の人達が銃とか持ってドンパチやってたし」


モグ?


「あぁ、ごめん。モグって言うのは、政府から送られてきた密偵の事」


 取壊しが決まってから結構揉めているのは外から来た俺でも承知の話だが、このクーロンの内部がどうなっているのか未だに政府の人間でも把握しきれていないため、移住してきた住民等を装って潜り込んでくる密偵がいるそうだ。



 ここを仕切っている町内会等の組織の情報を政府に売っている輩も含め、そういう人間を見つけては徹底的に排除している物騒な動きが起こっているらしい。



「ドンパチが多くなったってだけで元もそんなに変わらないから、慣れたよ。危なくなったら近くの家に飛び込んだりして隠れてればいいだけだから」



慣れって言うのは怖いもんだ。俺よりも年下の十代のガキがヘラヘラ笑って世間話のように軽く語れるだから。


でもそうか、だから夜は写真を撮るなって事か…。

そんなとこ撮られて世間に出回ったらまずいもんな。


「ねぇ、ヤス」



鍵の修理が終わり始め、金具をネジで止めながらルイは俺に言った。



「一応聞くんだけど、何処まで撮りたい??」


何処までって?

一服したくなってタバコに火をつけながらルイの言葉に聞き返す。


カチャンッと金具が収まり、ネジからマイナスドライバーを離したルイは、工具箱の中にドライバーを落としてからかけた眼鏡を顔から外した。

眼鏡の中に隠れていた灰色の瞳が俺に向けられる。



「ここが東洋の魔窟って言われているのは知ってるよね。入ったら二度と出てこれない…なんて言われてる迷宮のようなスラム街だって」


それがどうかしたのか?


俺を見る灰色の目が細まった。

眼鏡の下はシンプルな何処にでもいるような十代の青年の顔だが、パーツとパーツの比率は整っている。地味だが映えるタイプだろう。



「二度と出てこれないって言うのもさ、ここは警察や政府も簡単に踏み込んでこれないからある意味では住み心地が良いこともあるし。

外部からの干渉を拒む人がよく移り住んでくるから、゛出てこれない゛んじゃなくて、゛出ない ゛が正解なんだけどね」



でも、それ以外にも理由はあるとしたら?プラプラと眼鏡を手で弄びながらルイは続きを言った。


「誰もがここで死んで、夢を見せられている形で生かされているとしたら、どうする?」


……………………………………………………………………お前、からかってんのか?



ルイの言葉から少しの沈黙の中お互いの顔を眺めあった後の俺の言葉に、ルイはプッ!と吹き出し、面白そうにケラケラと笑いだした。



「ハハッ!!別にからかってなんかないよ!!」


…お前、真面目な顔してアホみてぇなこと言うんだな。



「アホじゃないよ、結構本当の話。あのね、ここかなり滅茶苦茶な違法建築やってるでしょ?結構裏道って言うか、そういう隠し通路的な場所が多いんだ。普通に生活してる所撮るより、そういうの撮った方が面白いと思わない??」



そういうのに住んでる住民でもたまたま迷いこんで出られなくなって、そのまま行方不明になっちゃったりとか時々あるんだよねーと笑顔で教えてきた。

 ネタ的には面白いかもしれないが、かなり洒落にならん。



「外じゃ味わえない、クーロンだけの特権さ」


笑いながら外した眼鏡をまたかける。


 確かにネタとしては面白いかもしれないが、迷ってマジで出られなくなったらどうする?俺は心中なんて嫌だぞ。



「僕も嫌だよ。でもただこの辺のありふれた日常なんて撮っても仕方ないと思うんだ。ジャーナリストの端くれなんでしょ?なら撮るべきじゃない?そういうの」


 撮ったってなぁ…。その撮ったやつを町内会奴に一度見せなきゃならねぇからさ。

 そういうのが俺の手元に戻ってくるか、踏み行っちゃいけないところを撮ったと知って、二度とここから出られなくなるか。


 手に持ったマルボロのタバコをまた一吹かしして、未成年に言っても分からない話をする。


 ルイはパタンッと工具箱を閉めて少しの沈黙の後、再び何処か飄々とした口ぶりで答えた。



「じゃあ明日は、僕らの学校に行こう」


 ふと口にした明日の目的地。あてもなくとりあえずフラフラすることに決めかけていた側の不意打ちだった。


「夏休みで勉強しているところは見られないけど、同じように暇してる友達がいるから、紹介してあげる」


なんで急に学校なんだ?


 学校といえば、さっき聞いたばかりのスクールカーストと呼ばれる連中の事を思い浮かべる。

 劇場の廊下ですれ違った黒いドレスの男の事を。大人っぽくはあるが、ルイと同じ年頃のように思えた。


 いきなり行くのは野暮だと思ったが、ルイはそんな俺の心情を察しているのか、ニコッと愛想のいい顔で言った。



「分かってるよ。そういうの撮るなって言われてることくらい。ならとりあえず顔を売るべきだ」



子供に好かれた方が、事がよく運ぶ事も多くある。

ルイは何処か含んだような口調でタバコを加えた俺にそう言った。


 この提案に対しては特に別段断る理由もなく、ガキの変な集団がいそうだから嫌だなんてなめられかねない事も言えるわけもなく、明日の目的地は学校ということに決められた。



「これからよろしくね、ヤス」


灰色の目が、俺を真っ直ぐ見つめていた。

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