八十四話:炎竜の咆哮


 季節外れに黄葉した森の中。

 その黄金を侵食するは白色の煙と橙黄色の炎。

 森の南東部に鎮座する一頭の赤きドラゴンが、周囲へ吐いた炎の息が燃え移ったものだ。


 竜の頭胴長は約八メートル、尻尾を含めば十八メートルほど。

 その後方へ伸びる二つの角は左側が折れ、空を覆うはずの翼は穴のような傷が付き、数多の獲物を引き裂いてきた爪は砕け、金属の様な光沢のある鱗には、至る所に切り裂かれた傷がある。

 それほどに傷付いた姿でも、その目は今も闘争に燃え、怒りに燃え、木の間からわずかに見えるあぶくの山に隠れたゴブリン達の村を、ひたすらに睨み付けていた。


 だが、彼女の目に映るものは、ゴブリンの村ではないだろう。


 燃え尽き、あるいは身動ぎによって折られ、周囲の木々が倒れる。

 大地は焼け焦げ、黒く染まる。

 また一つ上がった白い煙が、狼煙の様に昇り、晴天の空を汚していく。

 傷付いた竜が今、行き場を失ったその怒りで、森を埋め尽くそうとしていた。


 炎の揺らめきの中で、わずかに何かが光る。

 竜の後方から目を狙って射られた鋼鉄の矢が、瞼に弾かれて、大地を焦す炎の中へ落ちていく。

 お返しとばかりに周囲の木々ごと薙ぎ払おうと、竜がその長い尻尾を動かせば、薙ぎ払われる直前に、尻尾の範囲外の木へ飛び移ったゴブリンの姿がちらりと竜の目に映った。


 竜のぐわりと開かれた口の前に、一つの魔法陣が浮かび上がると、ゴブリンが飛び移ったであろう木へ向けて、黄白色の炎が吐かれる。

 放射状の炎が立ち並ぶ木々を次々と灰へと変え、森の一部を焦土へと変えた。

 焦土を覆う煙が晴れると、ぽっかりと穴が一つ、焦土で空へと口を開けている。


 ボコッ


 小さく音がする。

 その音の場所を特定する前に、竜の周囲で別の音が鳴り始める。


 カサカサカサカサ


 風に乗る様にひらひらと舞い、あるいは地面を這い、大量の落ち葉が竜の体に纏わり付いていく。

 振り払おうと前脚を振るい、尻尾で薙ぎ払えど、葉は気流に乗ってひらりと避け、その葉身を使って、竜へと取り付く。


 竜に張り付いた葉の葉柄がゆっくりと持ち上がる。

 そして緑色の淡い光を纏うと、竜へと撃ち込まれた。


 強烈な弾発音と共に、葉が擦れ合う音。


 一斉に放たれた葉の一撃に、竜が身悶える。

 力を使い切った葉が落ち、入れ替わる様に張り付いた葉が、続け様にもう一撃。

 衝撃をどこにも逃がせず、竜はただ天を仰ぐ。


 竜は怒りに震えていた。

 傷付き、落ちる様に降り立った森には、弱小なるもの達の住処があったのはいいが、その弱小なるもの達があろう事か、周囲を囲み、弓矢を向けて来たのだ。

 魔力感知で数百体の存在を感じるが、目視で確認できたのは先ほどの一体を含めても五体。

 すこしでも負傷すれば交代し、決して正面から向かって来ることはなく、木を倒させ、反撃する落ち葉によって攻撃をする戦法。

 村へ向かおうとすれば、傷口や目などの弱点を狙われ、かと言って、相手をしても埒が明かない。

 全身の傷の痛みによって、炎が吐き続けられない事が、彼女にさらに苛立ちを募らせた。


 張り付いている落ち葉が、もう一度と、葉柄を持ち上げる。

 たまらず竜が炎を吐き、ぐるりと首を回し、自らを炎で覆う。

 竜が炎を身に纏うと、落ち葉はたちまち灰となり落ちていく。


 ガサリ


 竜の正面から、左側面へ移動する音。

 その音を竜は見逃さなかった。


 竜は右前足を持ち上げると、纏っていた炎が右前足に集まり、巨大な爪の様になる。

 そして怒りのままに、正面から音のする左側面へと、炎の爪を振り、放つ。


 ずるりと地面が急に沼のようにぬかるみ、左前足を取られたことで、竜の体勢が崩れ、放った炎の爪の軌道が音のした場所から逸れる。

 だが、竜の目もまだ死んではいない。


 炎の爪が逸れ、燃えずに残った木々の間。

 ゴブリンが一体、背中からわずかに湯気を上げて、地面に転がっていた。

 意識がないのか、動いていない。


 竜は、しかとそのゴブリンを捉えていた。


 彼を助けようとしてか、竜を囲む様に四体のゴブリンが姿を現し、竜の顔や傷口を狙って矢を射る。

 しかし、竜は倒れているゴブリンから視線を外すことなく、口を開き、魔法陣が展開し、炎を吐く。

 ゴブリン達の顔に、影が差す。


 執拗に吐かれ続ける炎の中から、巨大な岩石の壁が地面から迫り上がる様に現れ、竜の炎を受け止め、左右へと割った。


「全体、一時退却! 態勢ヲ立テ直シ、村ヲ護レ!」


 森中に野太い声が響く。

 竜を包囲しているゴブリン達は、その声を聞いて、即座に行動し始める。

 竜の炎が止まると、一際背が高く、屈強な体躯のゴブリンが、岩石の壁の後方から姿を現した。

 そこへ竜を囲んでいた四体のゴブリンが集まる。


「オレダケデ十分ダ。早ク連レテ行ッテヤレ」


 背の高いゴブリンが岩石の壁を尻目にそう言うと、ほかのゴブリン達はうなずき、壁の後ろで倒れていた仲間を運んで、退却して行く。

 ゴブリン達が背中を向けても、標的を切り替えたのか、竜は背の高いゴブリンから視線を外さない。

 その口から漏れる炎が、竜の気色をありありと表していた。


 笛のような高い音を立て、白い煙の軌跡を描きながら、竜の頭の上を矢が通る。

 突然の出来事に、流石に驚いたのか、竜が上方を見やる。

 竜の魔力感知から背の高いゴブリンが消えたのは、竜が視線を逸らしたのと、ほぼ同時であった。


 矢から外れ、上空から落ちて来る紫色の布の袋へ向けて、竜は炎を放つ。

 すると、燃えた袋から爆発音が聞こえ、金属で作られた網状の鎖が竜の顔に直撃した。


 鎖の衝撃でわずかながらも仰け反った竜の身体が、上半身を突き上げる様に迫り上がってきた岩塊によってさらに持ち上がり、後ろ足だけで立つ様な姿勢になる。

 しかし、それだけでは、尻尾の踏ん張りで、竜は倒れることはない。


 尻尾を切るか、上からなにかを落さない限り。


 竜は網越しにそれを見た。

 竜を突き上げた後も、尚迫り上がり続ける岩塊の頂より飛び降り、そのゴブリン離れした巨躯を上回る巨大な大剣、いや、岩石の棍棒を振り下ろさんとする者の姿を。


 竜の首の付け根目掛けて、強烈な一撃。

 尻尾の踏ん張りも効かず、ついに竜が背中から倒れ、地面が揺れる。

 即座に矢が飛んで来て、網の八方が地面に留められる。

 万全の状態なら難なく引き抜ける楔だが、息も絶え絶えの状態では、そうはいかないようだ。


「コレデ終ワリダナ」


 竜の胸辺りに立つ背の高いゴブリンが、棍棒を担いで、そう言った。

 それは、水面に落ちた木の葉の様に、波紋を広げる。


 終わり?


「ン? ドーブ、何カ言ッタカ?」


 何かを感じたのか、背の高いゴブリンが怪訝な顔をする。

 その姿を、炎の中で光り輝く鉄の様な黄白色の目が、睨みつけていた。


 私は逃げ、恥ずかしくも生き残った。


 地面が小さく揺れる。

 異変を感じた背の高いゴブリンが棍棒の先を尖らせ、竜の腹に突き刺そうとするが、通らない。

 竜の体が熱を帯び、熱された鋼鉄の様に、赤から次第に黄橙色に光り出す。

 その下の地面も熱され、次第に溶岩の様に、赤く発光し始める。


「ドーブ! ヤレ!」


 故郷を、一族の命を奪われた。


 足場のあまりの高温に竜から跳び下り、距離を取った背の高いゴブリンが叫ぶ。

 すると竜の直上に濃紫の石が投げられ、続けて射られた一本の矢によって、八つに砕かれ、竜を囲む様に散らばる。

 バチバチと、石から火花が立ち、近くに落ちたものと共鳴する様に、段々と大きくなり、竜の上方の空に黒い雲が現れる。


 私から誇りつのすら奪い、次は私の命とでも言うのか。


 地面の揺れは激しくなり、二つの岩石の壁が崩れ始めた。

 二つ目の岩塊の側に倒れる竜の体の上に、次々と破片が落ちる。

 竜の体で熱されたのか、その破片すら熱を持って赤くなり、形を崩していく。


 そんなもの、認めるものか。


 火花を纏った矢が、黒い雲へと射られる。

 すると、雲が凝縮する様に小さくなり、中から紫電の龍が顔を出した。

 大木を数本繋げたほど長い龍は、蛇行しながらも、竜へと向かっていき、その火花走る牙を突き立てんと口を開く。

 高温となった竜の体が、ついに白色に光りだし、その目は赤色に染まる。


 認めるものか……!


 竜の咆哮が鳴り響き、天を突くほどの巨大な火柱が、紫電の龍を貫いた。

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