オウマガトキは唐突に


 時はすこし遡って、若葉がカンタラを去った日の二日前の夜。

 カンタラが紅雲という未曾有の危機に直面し、ギルドを含めた町中の人々が懸命に立ち向かい、若葉とメラニーによって見事打ち払われた、


 その直後のとある森の中。


 木々の間に差し込む月光の帯。

 その森に住むもの達はその光から逃れるように、草むら、木の上、あるいは洞穴へと身を寄せる。

 決して音を立てず、ただひたすらに、夜が過ぎ去るのを待っている。


 その静寂を破るのは、四つの人影。

 草木を掻き分け、星を頼りに北へと進んでいる。

 ふとその中の一つが立ち止まった。

 それに気付いた先頭の影、一番後ろの二つの影も立ち止まる。

 だが、すぐに始めに立ち止まった影が動き出すと、他の影もそれに続いた。


 影は木々の中を進み、やがて開けた場所に出る。

 月明かりに照らされて、影に黒以外の色が付き、表情が付き、その姿が見えてくる。


 先頭の長身の男はモルゴフ。

 それに続いてエイダが、その姿を現した。

 エイダの後方を続く二人の影の内、片方はシュタイナー・ワーロック。

 そして――


「なあ、さっき止まったのはなんだったんだ?」


 ナディムの姿があった。


「ん? ああ、いいことでもあったんじゃねえか? なあ!」


 ナディムの疑問に、隣りのシュタイナーは自分の予想を言った後に、エイダへと声をかけた。

 声をかけられたエイダが、小さく笑う。


「ええ、とっても素敵なことよ。とってもね」


 また小さく笑うエイダを見て、シュタイナーが「ほらな」とナディムに首を傾げておどけてみせた。

 ナディムはそれに「ああ」と応えると、エイダが立ち止まった時に見ていた方向――カンタラがある方へ視線を向ける。

 大小様々な木々に阻まれ、その向こうを窺い知ることは出来ない。


「……! 止まれ」


 シュタイナーが他の三人へと声をかけ終わる前に、周囲の様子がガラリと変わり、夜空は黄昏時の様な紫が混ざった黄金色に。

 暗くともかすかに緑と認識していた木々の葉は紅葉し、その赤や黄色で空を彩る。

 開けた空間はどこまでも続いていそうな一本の踏み均された土の道となり、その両側に向き合う様に、狸の置物が延々と並んでいる。


「あ~領域に入っちまったか」


 シュタイナーがローブに付いたフード越しに、頭を掻く。

 虫の声なのか、小さなざわめきがどこかから聞こえる。


 すこし後ろに、見かけた覚えのない巨大な石作りの門のようなもの鳥居が、木々の上から顔を出していた。

 その門は、どうやら道と並行に向いているようだ。


 突然の出来事に困惑しながらも、周囲を見回しているナディム。

 シュタイナーがその不健康そうな痩せ顔をにやつかせる。


「なんだか懐かしいな」


「ええ、それに嬉しいわ。また会えるだなんて」


 シュタイナーの言葉に、エイダが同意する。

 モルゴフはいつも通り、エイダのすこし後ろで周囲を窺っていた。


 グルルと、後方から獣の唸り声が聞こえる。


 ナディムが即座にそちらへと視線を向けると、二メートル程の黒い靄の様な狼が二頭、三十メートル程の間隔を空けて、こちらをじっと見つめていた。

 風もないのに、炎の様に輪郭が揺らいでいる。


「お、来たな。アレは転ぶと面倒なやつだ。試してみるか?」


 狼に気付いたシュタイナーがさらりと言ってのけた言葉の本当の意味を、ナディムは理解が出来なかった。

 獣相手に転ぶと危険なのは、今に始まったことではないだろうと、ナディムが言葉にする前に、エイダが小さく首を横に振った。


「やらないでちょうだい。今咬まれると、すこし痛いわ」


 エイダの言葉に「違いねえな」と同意したシュタイナーは、道の両側に並ぶ狸の置物を一瞥して、


「ここらに出口はねえみてえだし、そろそろ行くか。転ばないようにってことで、手でも繋ぐか?」


 と、道が続いている北を右手で差した後、ナディムへとそのまま手を差し出す。


「おいおい冗談言ってる場合」


「ふふ、おもしろそうね。じゃあそうしましょうか。モルゴフ、左手を出して」


 ナディムの言葉を遮って、エイダが出されたモルゴフの左手を右手で繋ぎ、空いている左手をナディムに差し出す。

 差し出されたシュタイナーとエイダの手を交互に見て、「マジかよ……」と頭を右手で掻こうとしたナディムだったが、ピタリと止まると、「ああくそっ、繋げばいんだろ繋げば!」と二人の手を取った。


 四人が手を繋いだ状態で、横に広がって歩き始めると、二頭の狼も後ろをついて来る。

 ビチャリ、ビチャリと足音が聞こえるのは、狼の足音だろうか。


 進んでいる道はどこまでも続いている様に、終わりが見えない。

 すこしでもこの状況を理解しようと、ナディムは考えを巡らせる。

 しかし、何やら先程から騒がしく、その思考は定まらなかった。


 先程からそうだったのか、まるで耳元で鳴り響いている騒音。

 そこでナディムは気付いた。


 それが騒音ではなく、無数の声だということに。

 その声達が唱え続けている言葉は、ナディムに理解は出来ない。

 だが、聞いてはいけない呪詛のようなものだと、たしかに感じていた。


 左胸に軽く叩かれた感覚があり、叩いたであろうシュタイナーへと、ナディムは視線を向ける。


「それは音だ。ただの音。気にするな」


 シュタイナーは何でもないように、左手をひらひらさせて、そう言った。

 すると、ナディムにも、その音が気にならなくなっていく。


『と……りゃ……んせ……』


 音に紛れて、歌声が近づいてくる。

 だがそれも、ナディムはそれ程気にならない。

 ただ一つ、引き返していけないとだけは、強く感じていた。


「お相手さん、よっぽど引き返してほしくないみたいだな」


 シュタイナーが溢した言葉は、まるで散歩しながらの独り言の様。

 それを耳にしたナディムは、今感じているものが、シュタイナーもそうなのだと、安心した。


「それほど私達に会いたいってことでしょう? 本当に楽しみ」


 エイダはそう言って、すこし前に出る。

 しかし、ナディムとモルゴフの手を引っ張るような形になっていることに気付くと、何も言わずにナディムとモルゴフの間に戻った。


 ナディムは、その一連の行動に、呆気に取られていた。

 ナディムのエイダへの印象は、隙の無い面倒な女だった。

 だが、先程の行動はどうだろう。


 ナディムの右腕を引っ張る姿。

 夕日を全身で受け止めるその姿は、まるで――


「西の皇帝を殺した時以来かぁ……。すこしはマシになってるといいけどな!」


 シュタイナーの言葉に、ナディムは一気に意識が戻る。


 西の皇帝といえば、ライゼルブ帝国の皇帝しかナディムは知らない。

 エイダとモルゴフの二人が皇帝側に付いていたことは、顔合わせの際に聞いたことをナディムは覚えていた。

 だが、シュタイナーが皇帝を殺した側――三勇者の側にいたことは、記憶を遡っても、今初めて聞いた情報だった。


 驚きを隠さず、ナディムはシュタイナーへと視線を向ける。


 皇帝側にいた二人と手を組む三勇者側の男。

 シュタイナーこの男は、何を考えているんだ? と。


「お前黒蛇コクトーだろ? 知らなくても仕方ないぜ?」


 シュタイナーが続けた言葉に、ナディムは息が詰まった。


 ナディムは顔合わせの際に名前とカンタラに行きたいこと、そして目的しか言っていない。

 それにも拘わらず、今手を繋いで共に歩いている男は、言い当てた。

 見た目も他の人間と変わらず、その部族特性以外では、決してわからないはずのナディムの部族の名を。


「驚くこたないだろ? ただちょっとお前が俺より昔に生きていて、俺がちょっとまじないに詳しいだけだ」


 シュタイナーの言葉にぎこちなくも頷いたナディムが、口を開く。


「なあエイダさんよ……結局、ガキどもの話を聞いて、何をしたかったんだ?」


 それはナディム以外の三人が、カンタラに潜伏していた間での日常。

 街で仲良くなった子どもを、エイダが隠れ家へと連れて帰って来る。

 そして、手料理を食べさせたり、悩みを聞いたりした後に、街へと戻す。


 ただ、それだけ。


 ゆっくりと、エイダがナディムへと視線を向ける。

 その瞳に、ナディムは内心を見透かされているように感じた。


「なんてことはないわ。ただ生産され、消費され続ける物じゃないか、視ていただけよ? みんなハキハキとしたいい子達で、安心したわ」


 その答えで浮かんだ疑問を、ナディムはつい口から溢そうとしていたことに気付き、口をつぐむ。


『物だと思ったら、何をしていたんだ?』


 なんて、聞くまでもない。


 目の前のこの女とその隣りの男は、人攫い。

 攫っていくものは物でなく、人なのだから。


「お前がガキどもを一人一人ていね〜いに、ギルドに送っていったことの方が、俺は不思議だったけどな!」


 けろりとした表情で、シュタイナーがナディムへと言い放つ。

 その言葉に「おかげで予定より長く隠れられたわ」と、エイダが笑う。


 そこで、ナディムは気付く。

 今共に歩いている者達は、ナディムからしてみれば、価値観も、目的も、境遇でさえ異常だ。

 だが、その者達からしてみれば、ナディムでさえも、異常なのだと。


「……ガキどもは宝なんだ」


 だからこそ、ナディムは抵抗する。

 助力したのは、お前達にではなく、子ども達になのだと。

 それも、部族の矜持を貫いた結果に過ぎないのだと。


 四人がしばらく進んでいると、道は次第に緩やかな坂になる。

 北に進んでいるのに、不思議と坂の向こうから日が照っていて、眩しい。


 いつの間にそこにあったのか、乾燥させた植物で作られたザルのようなものが、道の中央をコロコロと転がって来る。

 そして四人のすこし前で止まると、ザルに見えたものが、たちどころに男の生首へと変わり、ギョロリと四人を睨んだ。


 生首の背後から、どこかへはめ込むのか、弦の付いた釜。

 そして、どんっどんっと弾み、地面を鳴らしながら、木で作られた巨大な戦鎚のようなもの手杵が一つ、転がって来る。


 四人が即座に迎え撃とうと、繋いでいた手を離した瞬間。

 ぶわりと風が吹き始め、瞬く間に四人を中心に、一つのつむじ風となった。

 そして、風がまるで意思を持っているかの様に、四人へと襲い掛かり、その脚へと絡み付く。

 シュタイナーの被っていたフードが、風で後ろへと脱げて、なびいた。

 

「なんだこれ? ひょっとして期待外れか?」


 露わになった短い灰色の髪を、後ろへ左手で撫で付けながら、シュタイナーが不満気に言う。


「あら、期待は出来そうよ?」


「そうかあっと!?」


 エイダへと視線を向けたシュタイナーが、右足が上がらなかったのか、躓いた様に転ぶ。

 その足元から、小さなずんぐりとした猫が、どこかへと去っていく。

 つむじ風も次第に収まり、転がってきていた巨大な戦鎚のようなものも、釜も、男の生首ですら、どこにも見当たらない。


 坂の向こうから差し込む夕日が、静かに辺りを照らしている。


「こりゃ俺も鈍ったな!」


 立ち上がったシュタイナーが、ふり返り、楽しそうに笑う。


『転ンダナ』


『嗚呼、転ンダ』


 ナディムもふり返ると、後ろをついて来ていた二頭の狼が、周囲の木々と同程度に大きくなっていた。

 否、木々も超えて、道からもはみ出て、山の様に巨大になっていく。


「懐かしいなこの感覚。ああ、生きてるって感じだなぁ」


「楽しんでいるところ悪いんだけどよ、これって逃げられるんだよな?」


 狼へと笑いかけるシュタイナーと対照的に、顔が引きつっているナディム。

 エイダとモルゴフは、静かに坂の頂上を見つめていた。


「ああ、大丈夫だ。あの坂を越えたら……!」


 エイダとモルゴフをナディム越しに見たシュタイナーが、坂の頂上へと視線をやった後、左手でナディムの右肩を叩いた。

 それに促される形で、ナディムもふり返り、坂の頂上のソレ・・を見上げた。


 それは、夕焼けの空に縦の一本線を入れた様な違和感。

 枝葉を削ぎ取った後の背の高い木の様な、飾り気のない柱が、坂の頂上でぽつんと立っている。

 そして、柱の上に座り、その長い黒髪をなびかせる白装束の少女。


「ねえ……過去になった者達は、後進のためにも裏方に回るべきじゃない?」


 三勇者が一人、黒沢くろさわこよみの姿があった。


「ええ、私もそう思うわ」


 エイダが、一歩前へ出る。


 エイダの同意する言葉に、夕日で影になることなく、はっきりとみえる暦の表情が歪む。

 それに答えるように、エイダが続ける。


「でも、私達を叩き起こすくらいですもの、時はそれ程待ってはくれないみたいよ?」


「……ダメ元で聞くけど、アンタ達の新しい依頼人は?」


 柱の後ろから、するりと紺色を基調に金糸で美しい鳥の模様が入れられた長衣を身に纏い、底が深い皿の様な帽子を被り、額に赤い文字で呪文の様なものが書かれた黄色い札を付けた女が、一人現れる。

 それを意に介さず、エイダは答える。


「あら、またそれを聞くのね。前も言ったけれど、客の情報は」


「いくら積まれても売らない、でしょ?」


 暦がエイダの言葉を遮る。

 それに不快感を示すことなく、エイダはその口角を上げた。


「覚えていたのね」


 暦は深いため息を一つ吐くと、柱から腰を上げ、長衣の女の元まで、ゆっくりと降りていく。


「じゃあ話はもういいわ。ここからは、あたしの憂さ晴らしの時間。ウチの子を可愛がってくれたお返しも、しっかりやってあげる」


 そう言って、暦は長衣の女の額に貼られた札を剥がした。


「キョンちゃん――解」


 ぶわりと熱気が立ち込め、長衣が紅蓮の様に赤い炎に包まれる。

 帽子の天には、炎の中で黄金に輝く羽が現れた。


「逃げられるとは思わないで」


 瞬きをする間もなく柱が消えて、その下に、七つの新たな人影が現れる。

 大きさも背丈もバラバラなその人影のどれもが、一斉に銀に輝く得物を引き抜いた。


「アイツらは苦手だ。サポートすっからそっちでやってくれ」


 その周囲に灰色の粒を漂わせながら、シュタイナーがナディムとモルゴフへと、目配せする。


 ナディムの足下から黒い液体が溢れ出し、とぐろを巻くようにうねる。

 表情に戸惑いを残しつつも、その瞳には知性の光があった。


 モルゴフは、ただ静かに呼吸も乱さず、暦、次に炎を纏う女、そして七つの人影へと視線を移動させた。


 エイダが、また一歩前へ出る。


「シンの後ろに隠れていた子が、ずいぶんと大きくなったようね。でも――」


 エイダがその全身から紅い光を放ち、辺りを紅く染め上げる。


 重くも軽快な足取りが、後方から響いて来る。


「逃げられるわ。絶対に」


 一際大きく地面を鳴らし、二頭の巨大な闇が、その斬馬刀の切先の様な牙を見せつけながら、エイダ達へと跳びかかった。

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