第66話 謝罪〈しゃざい〉

 五日間の帰省を終え茉莉まつりが帰京する平日の事だった。


 政幸まさゆきは業務を終え寄り道をすることも無く自宅アパートへ帰宅していた。

 自宅の部屋に近づくと政幸まさゆきの自宅の前に人影が見えた。

 人影の正体は茉莉まつりであった。

 手には旅行鞄スーツケースと大量の紙袋をさげていた。

 帰京してそのまま政幸まさゆきのアパートを訪ねたのだろう。


茉莉まつりちゃん、おかえり。」


 五日ぶりに見る茉莉まつりの姿を見て何故か安心してしまう。


「ただいま、おじさん・・・。」


 茉莉まつりの返事はいつもの様な元気さが感じられなかった。

 帰郷した疲れが残っているのだろうか?


「おじさん・・・大事なお話があるの・・・。」


 茉莉まつりの表情は真剣そのものだった。


 政幸まさゆき茉莉まつりを自分の部屋に招き入れた。




 部屋に入った茉莉まつりの雰囲気はいつもと様子が違った。

 妙に余所余所しい。

 帰省の理由か帰郷して何かがあった事が安に想像できた。

 その件に触れて良いのか迷っては居たが、目の前の茉莉まつりの表情を見ていると声をかけずにはいられなくなった。


茉莉まつりちゃん・・・何かあったんだね?」


 政幸まさゆき茉莉まつりに対して刺激を与えぬ様、ゆっくりと落ち着いた口調で問い質した。

 決して好奇心からではない。

 真に茉莉まつりの事を心配だったからだ。


 政幸まさゆきの言葉を聞いた茉莉まつりには動きが見られなかった。

 まるで固まって居るかの様に、そして何かを考えている様に・・・。



 暫くの間、沈黙が続いた。

 政幸まさゆきはあえて茉莉まつりに対して問い詰める事はしなかった。


「ごめんね、おじさん・・・伝えないといけない事ちゃんと整理していたのだけど、おじさん目の前にしたら何伝えていいか、わかんなくなっちゃった・・・。」


 気持ちはすごく解る。

 いざ言いたい事を考えていても、対象の相手を目の前にしたら当初思考していた内容が頭から飛んでしまう。

 あえて黙っていたのが逆に緊張を煽ってしまったのだろうか?


茉莉まつりちゃん、おじさんに遠慮なんて必要ないよ?」

「おじさんは茉莉まつりちゃんが生まれた時から知っている縁だからね。」


 茉莉まつりの表情には変化があまり感じられなかったが、どことなく残念そうな雰囲気を出しているかのように感じた。


「うん・・・だったら結論を次々に言っちゃうね・・・。」


 理由なんて後から問えばいい、先ずは話を聞いてやる事だ。


「わかったよ、理由は後から聞くから思っている事を素直に話してくれたらいいよ。」


 大事な話があると言った茉莉まつりに対して途中で口を挟まず、まず話を全部聞いてから口を挟むことにした。


「おじさん・・・今までごめんなさい!」


 いきなりの謝罪から始まっていた。

 正直意味が解らなかったが、茉莉まつりの話を聞いてから、口を挟むと決めたばかりだ、政幸まさゆきは黙って続きを待っていた。


「ずっとおじさんに、付きまとって・・・おじさんの迷惑も考えず・・・わたしすごく自分勝手だったと思う・・・。」


 正直、茉莉まつりと出会った最初の頃は茉莉まつりの態度は煩わしかった。

 花桜梨かおりの娘である茉莉まつりを嫌う要素はなかったが、社内であまり目立つ動きをしてこなかったにも関わらず悪評の多かった政幸まさゆきにとって、茉莉まつりの存在は政幸まさゆきを目立つ存在にしてしまった。

 だが、今はどうだ?

 周りを気にしなければどうって事の無い事に気付かされただけだった。

 その事に気付いた後は、茉莉まつりの存在はむしろ好ましいものに変化していた。


「だからね・・・だから・・・。」


 茉莉まつりは言葉に詰まっていた。

 政幸まさゆきは黙ったままだった。


「これ以上、おじさんに付きまとうのは止める・・・。」

「今まで私がおじさんに対して見せていた好意も全て忘れて!」


 何かあるのは考えずとも明らかだった。

 今まで見せていた好意を否定するような事を言っている。


「もうおじさんに、これ以上付きまとわないから・・・。」

「わたしの事は忘れてほしいの・・・。」


 茉莉まつりの表情は複雑な表情をしていた。

 生前の花桜梨かおりが病気が発覚して、政幸まさゆきの気持ちに応えられないと言った時の事を思い出していた。

 あの時の花桜梨かおり政幸まさゆきに負担をかけまいとの判断での言葉であった。

 あの時の花桜梨かおりの表情と茉莉まつりの表情はどこか似ていた。


 茉莉まつりは言葉に詰まっていた。

 最後まで茉莉まつりの話を聞いてから応えようと思っていたが、茉莉まつりの表情に息苦しさを感じそれを取りやめることにした。


茉莉まつりちゃん・・・茉莉まつりちゃんの言いたい事の結論は理解したよ。」

茉莉まつりちゃんが、おじさんに対して会いたくないなら、おじさんもそうするよ。」

「前に似た様な事を言ったけど、茉莉まつりちゃんがおじさんに迷惑が掛かるから会わないってのが理由ならおじさんは認めないよ?」


 一瞬、茉莉まつりの表情が目開いて驚きの表情になったが、すぐに微笑むような表情になっていた。


「やっぱり、おじさんには隠し事は出来ないね・・・。」

「全部正直に話すよ・・・。」


「ああっ、なんでも話してスッキリしちまえばいい。」


 茉莉まつりは落ち着きを取り戻そうにしている様に目を閉じていた。





 やがて茉莉まつりはゆっくりと目を開け真剣な表情で話し出した。


「実はわたしの伯母さんが入院したの・・・。」

「二階から階段で降りている時バランスを崩して、頭を強く打っちゃったの・・・。」

「そのまま意識がなくなったらしくて・・・おばさん一人暮らしだから、発見が遅れちゃって・・・・。」

「玄関に鍵を閉めてなかったのが幸いして近所の人が見つけてくれたのだけど、そのまま入院で即手術・・・。」

「頭を強く打っていた為、頭の中にいっぱい血が貯まっちゃってね・・・。」


 茉莉まつりはまた言葉に詰まっていた。


 入社して一年に満たない茉莉まつりが連休を利用したと言え有給を利用できた理由がはっきりとした。

 義母である蛍子けいこの入院が理由だったのであろう。

 頭を強く打って内出血、おそらく、くも膜下出血か何かだろう。


蛍子けいこさんは・・・いや・・・叔母さんは今どうしてるの?」


 ことばの詰まってしまっている茉莉まつりへの気遣いは忘れてはいなかったが、政幸まさゆきの知人でもある蛍子蛍子の事は心配である。

 思わず蛍子けいこの現状を質問してしまった。


「手術は成功したけど、今後後遺症が残るらしいの・・・。」

「今も手足がしびれているみたい・・・。」


 茉莉まつりは必死で涙をこらえているかの様だった。

 今、一言気遣いの言葉をかければ、茉莉まつりは泣き崩れてしまう事だろう。


「伯母さんは・・・伯母さんにとって、あの家は思い出が多くて絶対に離れたくないと思うの・・・。」

「でも、一人で暮らしていたら、また今回みたいになったちゃうかもって、わたし心配になって・・・。」


 一人暮らしの義母が心配で故郷に帰るとでも言うのだろうか?

 政幸まさゆきに付きまとわないと言った言葉もその為なのだろう。

 だが、あの蛍子けいこだ。

 茉莉まつりの事を自分の娘として親馬鹿と言えるほどの愛情を注いでいる、あの蛍子けいこが自分の事を優先しようとする茉莉まつりを良しとするだろうか?


茉莉まつりちゃん・・・まさか会社を辞めて向こうに帰るって事はしないよね?」


 茉莉まつりは泣き出してしまった。


「ごめん・・・なさい・・・・・・ごめんね、おじさん・・・。」


 茉莉まつりは泣きながらひたすらに謝り続けた。




 茉莉まつりは義母である蛍子けいこの事が心配で結局故郷に帰る事を決心した様だ。

 蛍子けいこの事だ、自分より茉莉まつりの幸福を願っているはずだ。

 だが茉莉まつりはそれ以上に蛍子けいこの事が気にかかるのだろう。

 交際していた訳でもないが政幸まさゆきに対して過剰な愛情を向けて来た茉莉まつり・・・。

 茉莉まつりに対して正面から向き合うと決めた矢先の出来事であったが、冷静にそれを受け止める自分の姿があった。

 歳をとり、以前の様に感情的にはなれなくなっていた。

 茉莉まつり政幸まさゆきの自宅から帰宅する際、母である花桜梨かおりの日記帳を手渡してきた。

 受け取りを拒否したが茉莉まつりは強引ともいえる態度でそれを拒んだ。

 茉莉まつりが持っているより政幸まさゆきが持っている方が相応しいと。

 今の政幸まさゆきには花桜梨かおりの日記を読むことは出来ないだろうが一応受け取っては見せた。

 茉莉まつり達は今後どうなるのだろうか?

 願わくば、茉莉まつりが今後幸せに生きてほしいと、願うしか政幸まさゆきには出来なかった。

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