第65話 過去と未来〈かことみらい〉

 茉莉まつりが帰郷している間、政幸まさゆきの生活はわずかながら変化があった。

 茉莉まつりが心配していた二つの件の内、『他の人に取られる』といった心配は皆無だったが、問題はもう一つの食事面である。


 正直、料理など全く出来ない。

 ましてや、食材の栄養価など考えた事すらない。

 茉莉まつりの食事を食していた影響か、醜く突き出ていた腹は以前より引っ込み体重も減っている様だった。

 体調も良くなっている気がする。

 疲れが昔ほど感じられなくなっていたのだ。

 毎日、茉莉まつりが手間をかけ作ってくれている弁当。

 あの弁当箱の中身は政幸まさゆきの体調を考えて、政幸まさゆきの健康維持の為、茉莉まつりが毎日工夫してくれているものだったのだろう。


 昼休憩の時間も物足りなさを感じた。

 茉莉まつりのシフトが政幸まさゆきの休憩時間に都合よく重なれば茉莉まつりと共に昼食をとっていた。

 茉莉まつりのシフトが都合の悪い日は政幸まさゆきの机に茉莉まつりの作った弁当が置かれていた。

 茉莉まつりの作った弁当が無い事が、その原因なのだろうか?


 業務が終了し帰宅する際も違和感しかなかった。

 政幸まさゆきが残業を行う日には、茉莉まつりが必ず顔を出していた。

 シフトの都合で昼を一緒に出来なかった時も、弁当箱を回収していく。

 その際、サンドイッチなどの軽食を政幸まさゆきに差し入れしてくれることもあった。

 勿論、茉莉まつりの手作りである。

 残業の必要が無い際は、当然の様に茉莉まつりと駅まで一緒に帰宅する。

 茉莉まつりが居ない今は一人で帰宅か、清掃員の茂田しげたといつもの新橋の店に立ち寄る。


 茉莉まつりの作った食事がないのが、物足りなさや違和感の原因なのだろうか?

 それも理由の一つだろう。


 以前から気付いていたが、あえて自分自身で気付かないをしてきたが、今の状況ではそのが出来なくなっている。


 それはあきらかに、以前とは違う感情で茉莉まつりを意識している事だった。


 政幸まさゆきには故人となった花桜梨かおりの事をずっと想いつづけていた。

 だが普通に考えれば、政幸まさゆきの方が特殊である。

 三十年以上も一人の女性を一途に愛し続ける、こう言えば聞こえは良いかもしれないがこんな例は殆どないだろう。

 結婚する事も無く、深い関係でも無かった今は故人となった女性を思い続ける・・・。

 そして、その女性である花桜梨かおりの性格から察するに、自分花桜梨の事は忘れて別の女性と幸せになってほしいと願ってくれるはずだ。


 ある程度は理解していた。

 そこまで鈍感ではない。

 だが、政幸まさゆきはずっと過去にしがみつき生きて来た。

 思い出に浸る時はとても心地よい気分だった。

 過去にしがみついていた結果、会社での立場は悪くなり政幸まさゆきの評価は転げ落ちる様に下がって行く一方だった。

 そんな事は花桜梨かおりは望んでいない事は解っていた。


 今の政幸まさゆきはどうだろうか?


 会社での立場も若かりし日の様に取り戻しつつある。

 仕事に対しての意欲もある。

 人間関係だって改善している。

 現在の政幸まさゆきは順調そのものだと言っても良い。


 いつからこうなったのか?


 役員となっていた沢渡さわたり美春みはると再会してからか?


 確かに美春みはるの存在は大きかった。

 美春みはると再会してから政幸まさゆきの会社での立場は一変した。

 だが美春みはるは公私共に支えてくれている訳では無い。


 私を支えてくれたのは・・・。


 もう答えは出ていた。

 そしてそれを否定する事は出来なくなっていた。


 茉莉まつりの存在だ・・・。


 茉莉まつりがこの会社に入社してから政幸まさゆきの生活が少しづつ好転して行った。


 評判の悪い冴えない中年社員の政幸まさゆきに対して、過剰までの愛情表現を向けてくる、評判の新入社員であった茉莉まつり

 確かに最初は周りから好奇な目で見られていた。


 茉莉まつりに振り回されあまり縁がなかった場所にも通うようになった。

 茉莉まつりに服を選んでもらい格好だけはまともにもなった。

 茉莉まつりの作った弁当を食べ、醜かった体形が多少マシにもなって行った。

 外見が変わると人の印象も変わる。

 政幸まさゆきの社内の評価は嫌われていた中年社員から普通の中年社員へと変わって行った


 そして美春みはると再会し、現在進行形のプロジェクトが発足してから政幸まさゆきの評価は更に好転していった。

 恩師と言っても良い美春みはると一緒に仕事が出来る事で、若かりし日に存在した、仕事に対する情熱が復活した。

 しかしながら情熱があっても体は確実に衰えていた。

 無理がたたり倒れた際に支えてくれたのは・・・。


 過去ばかりに囚われていた政幸まさゆきに未来を向く切っ掛けをくれた茉莉まつりの存在があったからではないのか!?


 過去を忘れる訳では無い。

 過去の教訓、過去の思い出、大事な物ばかりだ。

 だが生きている人間にとっては未来は確実にやってくる。

 それから逃げていく事など出来ない。

 それに向き合う事を否定していた頃は最低な評価しかない得られていなかった社員だった。


 そう考えると茉莉まつり政幸まさゆきに未来をくれたのかもしれない。

 

 それに向き合えるようにしてくれたのは・・・。


 政幸まさゆきの気持ちは固まった。

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