第64話 郷愁〈きょうしゅう〉

 茉莉まつりの最近の態度がどうも気になる・・・。

 何か悩みを抱えているのは明確なのだが、聞いても話してくれない。


 茉莉まつりは時折、心ここにあらずといった表情になる事が多い。

 その状態の茉莉まつりに話しかけると先程までの様子が噓の様にいつもの茉莉まつりに戻る。

 その茉莉まつりの態度が何か無理をしているように見え、茉莉まつり自身は心配をかけまいとの態度だろうが、逆に心配になってしまう。




 政幸まさゆきは業務に邁進し続けていた。

 だが少し気を抜いてしまうと最近の茉莉まつりの態度の事ばかり考えてしまっていた。

 現在の様に仕事に明け暮れていなかった、少し前の社内のお荷物扱いだった政幸まさゆきも似た様な事を良く考えていた。

 考える対象は茉莉まつりではなく花桜梨かおりの事ばかりではあったが・・・。


 最近は花桜梨かおりの事より茉莉まつりの事を考える時間が多い。

 茉莉まつりの事を花桜梨かおり以上に意識してしまっているのだろうか?

 花桜梨かおりの忘れ形見である茉莉まつりの方を意識するのはある意味仕方がない。

 花桜梨かおりはこの世には存在して居ない。

 良く知っている関係で現在も存在して居る茉莉まつりの事を意識するのは、どの様な感情であろうと当然ではないのか?

 だが、茉莉まつりが現れる以前の政幸まさゆきはそうだったのだろうか?


 花桜梨かおり以上に考える時間が長かった人間は居たか?

 花桜梨かおり以上に意識していた人間は居たか?

 花桜梨かおり以上に好意のある人間は居たか?


 答えは全て、であった。


 政幸まさゆきはずっと過去にこだわって生きて来た。

 過去の事ばかり考えていた。

 良い思い出は過去の事ばかりだった。

 無論、過去にも辛い経験はしてきた。

 だがそれを差し引いても政幸まさゆきにとっての過去はとても充実しており、ありきたりな台詞で表現するなら、あの頃に戻れるなら戻りたいと願う程であった。


 だが今はどうだ?


 思い起こすと、以前ほど過去の思い出に浸る時間は少なくなっていた。


 仕事が充実しているからなのか?

 人間関係が改善しているからなのか?


 確かに今は仕事に対して前向きになっている。

 それに伴い、プロジェクトメンバーとの関係は、元の部署の人間関係を考えたら、リーダーの美春みはるを筆頭に良い関係と言い切ってしまえる程の関係になっている。


 過去を思い出さなくなっている原因としてはどれも一つの要因ではある。

 だが、決定的な要因は別にある。


 それは政幸まさゆきはとうに気付いては居る。

 あえて、それを考えないようにしてきたのだった。




 元気のない茉莉まつりを元気づけようと、政幸まさゆき茉莉まつりを食事へ誘っていた。

 状況が許せばその原因を聞きだし、政幸まさゆきが助けてやれる事ならば出来る限り協力をしてやりたいと思っていた。

 政幸まさゆきが食事に誘う事で、茉莉まつりが元気になる、その考え自体が以前の政幸まさゆきには無い発想だった。

 政幸まさゆきの様な冴えない中年が若い茉莉まつりを食事に誘いそれを喜ぶだろうか?

 以前ならこんな思考をしていただろう。

 だが茉莉まつりはそんな政幸まさゆきの誘いに対してストレートに喜んでくれる。

 そんな茉莉まつりの行動が、政幸まさゆきの若い茉莉まつりを食事に誘う行為に対してのハードルをさげていた。


 政幸まさゆき茉莉まつりは会社から少し離れた場所にある、うなぎ屋に来ていた。

 始めて来店した店だったが評判通り、実に美味だった。

 値段はそれなりにするが、たまにする贅沢としては納得のいくものだった。

 食事をしている茉莉まつりの姿はとても楽しそうにしている。

 時折見せていた何かに悩み、思いふける表情もこの店では見せていない。

 それだけでも掛かった費用の元を取ったような気分になっていた。

 茉莉まつりの表情を見ていると当初、計画していた茉莉まつりの悩みを聞きだす事は止めにした。

 悩みを聞きだす事で、茉莉まつりの表情を曇らせたくはなかったのだ。


 食事を終え最寄り駅まで二人で歩いて行った。


「おじさん、ありがとう! すっごくおいしかった!」


 茉莉まつりは大満足した様だった。

 喜びを精一杯表現した後、その表情は曇りかかっていた。


「ごめんね・・・おじさん・・・。」

「なんかわたし最近おじさんに気を使わせてばっかりだね・・・。」


 茉莉まつり政幸まさゆきが食事に誘った意図を理解している様だった。

 政幸まさゆきは黙って聞いていた。


「最近、故郷が恋しくなったのかな?」

「妙に実家に帰りたくなっちゃって・・・。」

「変だよね、こないだ帰ったばかりなのに・・・。」

「大学に入ってこっちで四年も過していたのにねぇ・・・。」

「五月病かな?」


 乾いたような笑いを浮かべる茉莉まつり


「五月病って・・・もう季節は秋だよ?」


 政幸まさゆきは笑いながら、茉莉まつりに冗談を言う感じで言葉を返す。


「そーだよね・・・。」

「とっくに、こっち東京での生活慣れたと思っていたんだけどな・・・。」


 楽しかった雰囲気が一気に冷めてしまった。

 一度、取りやめた当初の目的である茉莉まつりの悩みを聞き出そうかと思っていたが、これ以上沈んだ表情を見たくなかったのか、なかなか聞き出せずにいた。


「実はね、来月有給もらったの・・・。」


 新入社員に有給・・・良く取らせてもらえたものだ・・・。


「土日祝の後に二日間有給使って五日間一度、向こう故郷に帰るつもりなの。」


 故郷に帰って気持ちを整理する、今の茉莉まつりには必要な事かもしれない。


「だけど、そーすると心配な事があって・・・。」


 茉莉まつり政幸まさゆきを上目遣いで見ていた。


「私が居ない間、おじさんが他の人に取られるんじゃないかって!」

「もう・・・心配で心配で・・・。」


 無用な心配をするものではありません・・・。


「後、食事とか、わたしが居ないと変なもの食べそうで・・・。」


 どんだけ信用がないのだか・・・。


「あのね、茉莉まつりちゃん・・・。」

「無用な心配しなくていいよ・・・。」

「おじさんはモテない事には自信あるし・・・茉莉まつりちゃんが帰ってくるまで食事には気を遣うから・・・。」


 自分で発言して情けなくなってきた。

 改めて自己分析をしてみると自己評価の低い事・・・。


「だから、心配せず帰省してきなよ。」

「向こうに帰ったら気持ちも晴れるかもしれないしね。」


 二回り近く年齢の離れた娘に何を心配されているのか、だが以前の不摂生な生活を思い起こすとそれは無理も無い事なのかもしれない。


「わかったよ、おじさん!」

「おじさんを信じる!」

「ちょっとの間、寂しい思いさせちゃうけど、私が帰るまで待っててね!」


 茉莉まつりは相変わらずだ・・・。


「わかった、わかったから・・・。」


 茉莉まつりのペースに飲み込まれつつある。


「おじさん、わたしが居なくなったら寂しくないの?」

「わたしはおじさんと会えない日が続くのは寂しいよ?」


 茉莉まつりの一言に、赤面してしまう政幸まさゆき

 顔を背け表情を悟られないようにする。


「全く・・・おじさんをからかうのはやめなさい・・・。」


 平生を装っては居たが必死の照れ隠しだった。


「おじさん・・・もしかしててる?」


 図星だったがそれを悟られない様に抵抗をしては見る。

 茉莉まつり政幸まさゆきの腕に絡みつき嬉しそうな表情でそれ以上は何も言わなくなった。



 次月の頭の週末、茉莉まつりは新幹線で帰郷した。

 金曜日の業務終了後そのまま帰郷した為、ホームまで見送った。

 茉莉まつりは悩みがある事など嘘の様に明るく帰郷して行った。

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