第62話 不安〈ふあん〉

 政幸まさゆきは会社に復帰していた。

 休みをもらった一週間、PCによる業務の確認や指示を行っていた。

 自宅に居ながら業務を行い的確に指示をし業務を滞らせる事なく復帰を果たしていた。

 この件は一週もの期間、休業していたにもかかわらず業務を遂行出来ていた政幸まさゆきの評価につながった。

 出社しなくても業務ができる事を政幸まさゆき自身が証明したのだ。

 確かにこの方法が主流になれば家賃の高い都会での大規模なオフィスを借りる必要は無くなる。

 家賃の安い地方での業務で事足りる。

 この現象は現状でも似た様な事例はある。

 たとえばコールセンターなどである。

 全国区の企業は家賃と人件費の安い地方にコールセンターを置くことが多い。

 コールセンターの特性上フリーダイヤルを使用する事なので日本国内にあればどこだろうと問題ない。

 これが大企業のオフィスに適用されたらとてつもない経費削減となるだろう。

 だが政幸まさゆきが行った業務にはまだまだ問題がある。

 時間と場所を選ばない事、これは労働環境の改善にもなるが改悪にもつながる。

 もう一つは人との交流が希薄になる事、人は信頼関係で纏まる事が出来る生き物である。信頼関係が希薄になれば協力関係は薄くなる。

 だがこの件はいずれにせよ改善策の一つとなっていた。

 また美春みはるの掌で政幸まさゆきは操られていたのだろう。





 政幸まさゆきが休業していた間、茉莉まつりとは距離が縮まっていた。

 茉莉まつりの本心を聞かされ真剣に茉莉まつりに向き合わないとならないと政幸まさゆきは考えていた。

 茉莉まつりは母である花桜梨かおりの日記の事を良く話してくれるようになっていた。

 花桜梨かおりの日記の存在は知っていたのだが、内容までは知らないし茉莉まつりもそれを話したがらなかった。

 だが最近は花桜梨かおりの日記の内容を良く話してくれていた。

 花桜梨かおりの日記に政幸まさゆきが初めて登場したのは、政幸まさゆき花桜梨かおりと初めて会い、大胆にも公衆の面前でいきなりの告白をしたあの事件からである。

 茉莉まつりは母の日記を通して政幸まさゆきの事は知っていた様である。

 その事を知った時、政幸まさゆきは、かなり気まずかった。

 茉莉まつりと、この会社で久しぶりに再会し自分を必死で取り繕っていた頃も茉莉まつり政幸まさゆきの本質を知っていた事になる。

 花桜梨かおりへのプロポーズや闘病生活での事なども茉莉まつりは知っていた。

 だが花桜梨かおり最後の日記の内容は教えてくれなかった。

 花桜梨かおりの最後の日記の内容は気になったが無理に問いただす訳には行かない。

 花桜梨かおりのあの時の状態から考えて亡くなるより数日前の日記であろう事は想像できた。

 そう考えると茉莉まつりの前で変に取り繕うのは馬鹿馬鹿しくなってしまう。

 茉莉まつりは全てお見通しだったのだ。

 最近は茉莉まつりの事をよく見るようになったせいか、時折以前と比べると茉莉まつりに違和感を感じるようになっていた。


 最近、茉莉まつりの様子が変だ。

 妙に余所余所しい事がある。

 何か考え事にふけっている事もある。

 その様子を見て心配になり声をかけると元の茉莉まつりに戻る。

 明らかに心配をかけたくないのであろう。

 その行動が尚更、政幸まさゆきに不穏な予感を感じさせた。

 何か悩みでもあるのか?

 茉莉まつりの行動を思い起こすとそれは明確である。

 だが、その内容は?


 仕事が上手く行っていないのか?

 これに関しては杞憂である。

 茉莉まつりは周りとはうまくやっているし、評判も上々だ。意識された異性からの誘いを歯牙にもかけない行動をするのには問題があるが・・・。


 体調でも悪いのか?

 茉莉まつりの母である花桜梨かおりが亡くなったのは二十四歳、もうすぐ茉莉まつりもその歳になる。

 そう考えると不安になる・・・。

 だが茉莉まつりも年一回の会社での健康診断を受けている。

 新入社員は研修期間中に健康診断を受ける事が通例だ。

 家庭に入って健康診断を受けていなかった花桜梨かおりとは違い大きな病気を発症しているならば検査に引っかかる事だろう。

 


 ならばプライベートでの問題か?

 茉莉まつりのプライベート・・・。

 よくよく考えてみたら茉莉まつりのプライベートの事なんて想像できなかった。

 良く知っている相手だと思っていたのだが、政幸まさゆき茉莉まつりの事は意外に知らない事ばかりだった。

 以前は娘の様な存在の茉莉まつり、そして今は政幸まさゆきの事を本気だと想っていてくれていると話していた茉莉まつり

 自分に好意を寄せてくれている存在に対して政幸まさゆきは何も知らない事を思い知らされた。

 対して茉莉まつり政幸まさゆきの事を良く知っていた。

 何とも不甲斐ない。

 政幸まさゆき茉莉まつりに対して思い悩んでいるであろう内容を問いただしてみる事にした。




 業務が終わり政幸まさゆき茉莉まつりを食事に誘った。

 魚料理が上手いと評判の料理屋だった。

 ここへ誘った理由は各席が襖で区切られプライベートな話をしやすい事と食事を箸で食べられるからだ。


 二人が食事を完食させた頃、政幸まさゆき茉莉まつりに対して茉莉まつりへストレートに質問を投げかけていた。


茉莉まつりちゃん、最近何か悩みがある様だね・・・もし良ければおじさんに相談してみないか?」


 悩みがあるのは明白である。 だがそれに対して力になれるかは解らない。

 茉莉まつりなら悩みに対して政幸まさゆきが力になれるかどうかは判断できるだろう。


「おじさん・・・やっぱ気付いてくれてたんだ・・・。」

「ちょっと嬉しいな・・・わたしの事よく見てくれるようになったんだね・・・。」


 茉莉まつりは照れくさそうな表情を見せ人差し指で頬を掻いていた。


「そりゃ解るさ・・・。」

「まあ、話したくない事なら追及はしないし、話して楽になる事なら聞くし、おじさんが協力できる事なら協力はするよ。」


 茉莉まつりの表情をみると瞳が少し潤んでいた。

 政幸まさゆき茉莉まつりにとって触れられたくない話題をふってしまったのではないかと不安になった。


「あ・・・、ごめんおじさん・・・。」

「大丈夫! 心配してくれるおじさんの好意が嬉しくて・・・。」


 茉莉まつりはハンカチで涙を拭っていた。

 政幸まさゆきはどうやって茉莉まつりに接して良いのか解らなくなっていた。


「おじさんありがとね・・・。」

「でもおじさんには今は話せないかな・・・。」


 茉莉まつりは笑顔になり話を続ける。


「でも大丈夫だよ!」

「だから心配しないで!」


 政幸まさゆきは茉莉の表情が昔見た花桜梨かおりの泣きながら作り笑いをする表情と被っているように感じた。


「おじさんに話せない事なら無理に聞かないし、追及もしないよ。」

「おじさんに遠慮して話せないとか、話をする事でおじさんに迷惑が掛かるって事なら話してほしいな。」


 茉莉まつりの見せた表情から我慢を強いられている事は感じ取れた。

 相手を気遣い自分の気持ちを抑え込んでいたあの日の花桜梨かおりのように・・・。


「そんなんじゃないよ。」

「でもこれは自分で決めなきゃならない事だから・・・。」

「おじさんに話すべきでも、おじさんに頼る事でもないんだよね・・・。」


 茉莉まつりの表情は真剣そのものだった。

 事情があるのは明確でそれに思い悩んでいる。

 だが政幸まさゆきが立ち入って良い問題ではない様だ。


「わかった・・・。」

「でも、話したくなったり、協力してほしい事があるなら遠慮なく言ってよ?」

「おじさんだって、茉莉まつりちゃんの力になってあげたいからね・・・。」


 押しつけの善意は良くない。

 政幸まさゆき茉莉まつりが話したくなるまで待つことにした。


「まったく・・・おじさんはやさしいな・・・。」

「そんなんだから、わたしおじさんのことますます好きになっちゃうよ・・・。」


 政幸まさゆき茉莉まつりの言葉を意識しない様に無表情を演じようとしたが無理だった・・・。


「そんな事、こんな公衆の面前で言うもんじゃないよ・・・。」


 テレ隠しから出た言葉だった。


「おじさん・・・公衆の面前って・・・周りには誰も居ないけど?」


 周りは襖に囲まれたこの席では誰に見られるわけでもないし個室といって良い環境だった。

 茉莉まつりが相談しやすいように政幸まさゆきが用意した場所であったにも関わらず恥ずかしさからかそれを失念していた。


「まさか、おじさんこの店選んだのって・・・。」


 茉莉まつりの表情が悪い表情になっている・・・。


「わたしと変な事をするのが目的だったの?!」


「何でそーなる!」


 思わず突っ込みを入れてい待っていた。

 これは茉莉まつりのペースに陥れられるパターンだ・・・。


「これは、茉莉まつりちゃんが何か悩んでいたから、相談しやすいようにこの店を選んだ訳で、変な事を考えていた訳ではないよ。」


 冷静さを取り繕うのにいっぱいいっぱいだった。


「そーなんだ残念・・・。」


 何が残念なんだか・・・。


「でもせっかく、おじさんが整えてくれたこの環境だもんね・・・。」

「有効活用しないと!」


 悩み事を打ち明けてくれるのかと一瞬思ってはみたが、甘かった・・・。


「おじさん・・・大好き。」


 茉莉まつりはいつもの様に頬に手を当て体をくねらし始めた。


「あーもういい・・・出るよ!」


 政幸まさゆき茉莉まつりが思い悩んでいる事には触れない様に決めたが、釈然としないものがあった。

 茉莉まつりが何かを隠している事は明確だったし、それを打ち明けようとしない。

 政幸まさゆきに話せない事なんだろうか?

 最初は政幸まさゆきに対して茉莉まつりが自分の気持ちを告げた事を後悔しているのかもしれないと思っていた。

 こんな冴えないおっさんだ、冷静になって考えれば後悔しても仕方ないだろう。

 だが茉莉まつりは今の今まで政幸まさゆきに対して好意を向けてくる。

 政幸まさゆきはそれに対して安心感を感じてしまっていた。

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