第57話 上京〈じょうきょう〉

 故郷での営業所所長である梶川かじかわの判断により政幸まさゆきは本社勤務となっていた。

 環境が変わる事により政幸まさゆきに再び奮起してもらいたいそんな気持ちからの判断であろう。

 梶川かじかわ政幸まさゆきを見捨てていなかった。

 本社で一旗揚げてほしいとの願いで政幸まさゆきを本社勤務へ推薦したのだった。

 政幸まさゆきはそんな梶川かじかわの期待に応えられるのであろうか?


 答えは否である。


 政幸まさゆきの心中は花桜梨かおりを失った時からひび割れていた。

 周囲からいくら期待を注ぎ込まれても、割れた陶器や磁器の様な心はそれを受け止める事は出来ない。

 注がれた期待は全て流れ出していった。


『立派な大人になる』

 政幸まさゆきが抱いてた目標だった。

 漠然としない目標ではあるが今更ながらに意味が解らなくなっていた。

 幼かった頃、大人は皆立派であると思い込んでいた。

 だが大人になった自身を振り返るとどうだ?

 努力もしてきた自信はある。

 一途に人を愛した経験もある。

 だが努力の仕方を間違っていた為一時的に最愛の人と縁が無くなり、一途に思い続けても結局その人を永遠に失ってしまった。

 何故努力を継続出来、愛し続けていられたか?

 花桜梨かおりを求めていたからだろう。

 政幸まさゆき花桜梨かおりというを求めていたという事なのではないか?


 物凄く卑しさを感じた。


 花桜梨かおりを失った今、業務に対して真剣に取り組めなくなっている事からもその思いは大きくなっていた。


 結局、政幸まさゆきの本質は自堕落だった頃から何も変わっては居ないのではないか?

 立派な大人ってなんだ?

 そんなものは存在して居ないのではないか?

 子供の頃から何も変わっちゃいない。


 政幸まさゆきは人生を諦めているようにみえた・・・。




 上京して人間関係は一からやり直さなければならない。

 心許せる親しい人達は居ない。

 唯一の楽しみも今はもう遠い存在となっていた。

 人と関わり情が深くなればを失った時のショックが大きすぎる。

 ならば最初から関わらなければそういった感情からは逃れられる。

 自然と人との関りを避けるようになり、そのせいかぶっきらぼうな態度になってしまい社内での政幸まさゆきの人となりは評判が悪かった。


 また煙草休憩も多く取っていた。

 以前はそれ程煙草の本数は吸っていなかったのだが、人とのコミュニケーションを避けている為か一人で居る事が多くなり煙草を吸う本数も増加していった。

 最愛の花桜梨かおりの死因が肺癌であった為、まるで自身も同じ道を歩み進もうとするかの如く煙草の本数が増える。

 健康被害の事などまるっきり頭になかった。

 煙草休憩イコールといった風潮になりつつあったこの頃である、更に政幸まさゆきの評価は下がる。


 また、転勤してからは当然一人暮らしになっていた。

 食事は食べたいものしか食べなくなっていた。

 栄養価など考慮しない食事、炭水化物過多な食事、食べたいときに食べ、食べたくない時には食事を取らない、そんな生活は政幸まさゆきの体格を変化させていった。


 気付くと社内で孤立した、社内の厄介者の出来上がりである。


 業務は最低限しかこなさず、人付き合いは避け、見た目も醜い、好かれる要素などない。

 そこには期待されていた若手社員の面影すらなくなっていた。


 政幸まさゆきはこれから社歴の殆どをこの様な状態で過ごしていく事となる。




 花桜梨かおりを失った後の政幸まさゆきには真司しんじ達が居た。

 親友の真司しんじ、その妻の蛍子けいこ、そして花桜梨かおりの忘れ形見で真司しんじ夫妻の養女になった茉莉まつり彼らの存在が政幸まさゆきを支えてくれていたのだ。

 上京する際、真司しんじ達に見送られる時の記憶をふと思い出す。

 真司しんじ達は政幸まさゆきの為に上京する際、わざわざ駅まで見送ってくれていたのだ。


 真司しんじは上京を激励してくれた。

 一旗揚げて来いとそして帰郷した際はその話で盛り上がろうと・・・。

 政幸まさゆきは時が経っても真司しんじの期待に応えられていない。


 蛍子けいこは寂しそうな表情で政幸まさゆきを見送ってくれた。

 上京して成功して帰郷した際には花桜梨かおりの仏前へその報告をして花桜梨かおりを安心させてやってほしいと・・・。

 政幸まさゆきは時が経っても蛍子けいこの期待にも応えられていない。


 茉莉まつり政幸まさゆきが転属になった事を理解できていなかった。

 早く帰って来てと、おみやげ楽しみにしてると・・・。

 だが政幸まさゆきがもう帰ってこない事を知ると途端に声をあげて泣きだしてしまった。

 政幸まさゆきから離れようとしてくれない。

 こんな茉莉まつりを見るのは母の葬儀の後の火葬場の時以来だった。

 後ろ髪を引かれる心境であったが茉莉まつりを優しく宥め新幹線の改札を通った。

 振り返ると、立ち尽くしながら泣きじゃくる茉莉まつりの姿が目に入ってきた。

 茉莉まつりの姿が見えなくなるまでずっと気にしていたが茉莉まつりは見えなくなる瞬間まで泣き続けていた。


 政幸まさゆきは立ち尽くしながら泣きじゃくる茉莉まつりの姿が目に焼き付いていた。

 乗り込んだ新幹線車内で何度もあの姿を思い起こしていた。

 思い起こす度に胸が締め付けられる気分だった。

 そして時が経っても、時折ふとその姿を思い出す事がある。

 何故か印象に残る姿であった。

 政幸まさゆきは幼い茉莉まつりの期待すら応えられそうもない。


 今後政幸まさゆきは大切な人達の期待に応えられるのだろうか?





 時は平成二桁になった翌年。

 西暦は1999年、預言者の世界滅亡の年だった。

 欧州連合では新通貨であるユーロの本格導入がこの年始まった。

 銀幕は16年ぶりに制作されたスペースオペラが話題となった年の出来事。

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